閑話:或る兵団員の女Ⅲ
それからエレーナは、エルゴルの兵団で何年も楽しく過ごした。
兵団での生活に欠点があるとしたら、世話をできるような子供が拠点にいっぱいいるし、仲間もいるから、寂しくないし、それで満たされてしまって、結婚を焦らなくなることだろうか。
◆
団長が拾ってきた子供や、動物や、老人の世話をしたり、魔獣を狩ったり、そうやっていつの間にか八年も経ったある日、エレーナに休暇旅行の話が回ってきた。
こういうのはたまにあって、風光明媚な場所で、わりと難易度が低そうな魔獣退治をするとか、あるいは単なる用事で危険がないような旅行をするときに、兵団の団員や面倒を見ている女や子供を、ついでに遊びがてら、順番で連れて行ってくれることがある。
寄親の公爵様のお屋敷に呼び出されていて、帰ってきた団長の言うところだと、今回は団長と同じ派閥の誰だかに不始末があって、何とかいう伯爵様のところに謝りに行くらしい。
ただ謝りに行くだけで、喧嘩するとかそういう危険な用事じゃないので子供たちも一緒に行けるとのことだった。
それで大人が二十人くらいと子供が五人、馬車に乗って旅立つ。
子供もいるので、運河を使ってゆっくり旅をして、そうして相手の伯爵様のいる領都に入る。
旅行の道中で、事情通の兵団の仲間に聞いたところでは、相手先の伯爵様の、その奥様がすごい治癒士だそうで、領都は、病気の治療にたくさんの人が集まってくる宿場町として栄えているらしい。
その集まってくる人を目当てに娼婦たちもいっぱい集まっているそうで、物凄く大きな歓楽街もできているとのこと。
なんでも性病になってもすぐ伯爵様の奥様が治してくださるうえに、伯爵様が潔癖なのか何なのか、伯爵様の領地では、娼館をやっていても娼館としての税金は取られないようで、宿屋や酒場の税金だけで営業できるらしく、そのせいで娼館が乱立していて、山のように娼婦が集まっているとか。
あんまり子供の教育には良くない街かもしれない。
◆
目的地に着いて、団長と同じ派閥のなんとかいう馬鹿が、この街で起こした事件について、謝りに行く前に、まず事実関係の聞き込みするらしい。
それで、体が大きくて目立つ団長を街の外に残して、先に団員だけで街に入って宿を確保してから聞き込みをする。
治療や歓楽に人がたくさん出入りする街だから、そんなに怪しまれることもなく入り込んで、順調に聞き込みをできていると思っていたら、伯爵様の配下の人にすぐに怪しまれて、聞き込みをしているのがバレたらしい。
それで伯爵様の屋敷に泊まるように言われたそうで、仕様がないから、宿や野営を引き払って、皆で伯爵様の屋敷に移動する。
◆
伯爵様の屋敷に着いたら、すぐに交渉がはじまったのだけど、交渉と言っても、慰謝料を払って謝罪するだけのことで、すぐに終わったらしい。
けれどもその交渉が終わって部屋に引き揚げてから、団長がお嫁さんにしたい大鬼族の女の人を見つけたと言いだした。
名前はアリシアさんというらしい。
伯爵様のお屋敷の敷地に馬車で入ったときに、そういえば馬車の窓から、大きな大鬼族らしき女の人がいたのが見えたのを覚えている。
大鬼族というのはこのあたりではわりと珍しくて、エレーナも団長以外の大鬼族はそれまで見たことがなかった。
だからその大鬼族の女の人を見て、珍しいなと覚えていたのだった。
でもいくら珍しい同族だからって、さっき会ったばかりの女の人を奥さんにしたいってのはどうなのか、とエレーナは思ったけれど、団長によれば他の大鬼族っていうのは、普通はもっと蛮族みたいな感じらしくて、だからあのアリシアさんとかいう女の人は特別に上品で綺麗だから、あの人が良いらしい。
「彼女以上の大鬼族の女性と今後出会うとは思わない。だから彼女を逃がしたくはない」
とのことで、そこまで言うならエレーナとしてはもう全面的に協力したい。
そもそもエレーナは団長に世話になっている。
それはエレーナだけではなくて、兵団で面倒をみている多くの孤児や女たちや老人たちもそうだし、自分である程度は稼ぐ、兵団の団員たちでもそうだ。
この兵団は団長にぶら下がっている。
もちろん兵団の団員も自分達で魔獣を狩って稼ぐし、兵団で面倒をみている人たちも、元気なものは商売をしたり仕事に出たりして稼ぎはする。
でもそれだけでは兵団は維持できない。
団長が、あの巨体からの圧倒的な力で、大型の魔獣を狩って、晶術石を売り、あるいは団長が寄親の公爵様から頂く俸給を兵団の運営に回して、足りない費用を補填するから兵団が維持できるのだ。
だから、団長は兵団の皆がいなくてもやっていけるが、兵団もそこで面倒をみている人たちも、団長がいないとやっていけない。
兵団や、兵団で面倒をみている人たちは、団長の趣味、と言って悪ければ、たぶん団長の疑似的な家族なのだ。
それはエレーナにだってよく分かる。
エレーナは夫を失って、子供はいない。
それでも孤独にならずに楽しくやってこれたのは、兵団の皆や、孤児たちをはじめ兵団で面倒をみている人たちがいたからで、それは団長だってたぶんそういうことだろう。
その団長が、今度はそういう疑似の家族じゃなくて、本物のお嫁さんが欲しいと言っているのだ。
そうであれば何としても叶えてあげたい。
いつも世話になってばかりなんだから、こんな時くらいはなんとかしたい、というのがエレーナの願いだった。
◆
まずは情報集めということで、部屋にお茶を出しに来てくれたメイドさんにアリシアさんのことを色々聞いてみる。
すると、どうもここの伯爵様のお嬢様について学園とかいうところに行ってしまうらしい。
なかなか重要な情報がでてきたので、団長にしっかり伝えておく。
それから夜には、伯爵様が兵団の皆もまとめて晩餐に呼んでくださって、それでアリシアさんもそこに出席していたから、エレーナはあらためてとっくりとアリシアさんを見てみることができた。
見た感じでは、体がやっぱりすごく大きいし、肩はいかって盛り上がっているし、手足も太くて筋肉がいっぱいついているから、あんまり女性美という感じじゃないけれど、おっぱいはすごく大きいからそこで、ああ、女の人なんだなと分かるような感じだった。
顔はまあ整ったきれいな顔だけれども、そんなものすごく美人というわけでもなくて、穏やかそうで純朴そうな女の人という感じだった。
でも、団長みたいな大鬼族の美的感覚というのはよく分からないので、団長から見てきれいなのかどうなのかという、そこらへんは何とも言えない。
でも会ったその日に、すぐ結婚したいって言うくらいだから、大鬼族的には美人なんだろう。
たぶん。
見ていると、大鬼族だから、やっぱり食事はたくさん食べるみたいだけれども、でも、もっと体の大きな団長ほどじゃない。
マナーもしっかりしていて、きちんとした女の子という感じがする。
なかなかいいんじゃないだろうか。
晩餐の後に、男女別で控室に引っ込んで、さらに懇談する時間みたいなのがあったけれど、そのときにエレーナは、いち早くアリシアさんの横に席を確保して、団長のことを話題にして色々とアピールしておいた。
男女のことというのは、とにかく意識させておくのが大事だ。
◆
それで伯爵様のお屋敷での滞在は終わった。
トラブルを起こした何とかいう男を引き取って、それから公爵様のお屋敷まで行って引き渡したのだけれど、そこで、団長がアリシアさんを追いかけて、自分も学園に入るとか言いだした。
今の拠点を一部を残して、いったん閉鎖して、それから学園のある街に兵団や兵団で面倒をみている人ごと引っ越して、そこで新しく拠点を構えるとかいうから驚く。
それだけじゃなくて、なんと公爵様にマントを返して、かわりにローテリゼお嬢様のマントをもらい直して、お嬢様の寄子になってまで学園に行くとかいうのだから尋常じゃない。
エレーナからすると、えっ、そこまで……? という気がするというか、やりすぎじゃないかと思わなくもない。
兵団は、団員だけで二百人以上いるし、そこで面倒みている人も含めたら、三百人を超えてくる。他に飼ってる動物たちもいる。
それでも、仕事の関係やらで離れられない人や、もう弱ってしまっている老人とか病人とか、まだ首の座ってない赤ちゃんとか、あとそういう動かせない人たちの面倒をみる人を除いて全員で移動するというので、もう大騒ぎになった。
アリシアさんというのは大鬼族的にはそこまでするくらい、いい女なんだろうか。
◆
でも団長がどうしてもそうするというなら否やはない。
それでエレーナは拠点に戻って、引っ越し準備のために荷造りをする。
兵団の幹部の人にちょっと聞いたところでは、団長に言われて、学園都市とやらで、拠点にするための屋敷やら宿やらを、兵団のほうでいくつも買い上げたり、借り上げたりしているらしい。
お金がいくらかかったんだか。
さすが、団長がお金持ちなのは素晴らしいけれど、たった一人の女の人のためにそこまでするものか。
あと、せっかくだからということで、学園に行ったら、兵団員や兵団で面倒をみている人で、希望者がいれば、学費を団長が出してくれて、学生にしてくれるらしい。
兵団で面倒をみている子供たちも、この際だから学園で勉強させるそうで、そうだとすると団長は、年単位で結構な長期戦を考えているということになるんだろう。
その大鬼族のアリシアさんのご主人様が学生なんだから、その間はアリシアさんもいっしょに学園には居るだろうとは思うけれど、あまりにも長期戦を覚悟しすぎではと、エレーナは思わなくもなかった。
◆
そうして、兵団の団員や、兵団で面倒をみている人たち、それに飼っている動物たちで、荷物をたくさん持って引越しの大移動をして、やっとこエレーナは、学園の新たに拠点になったお屋敷に落ち着いた。
砲やら甲冑やらの武器の類も持っていかなきゃいけないし、子供や動物までいるから本当に大変だった。
前の拠点は、増築増築で敷地と建物がいくつもつながっている、大きな建物だったので、全員が同じところで一緒にいられたけれど、ここはそういうわけではない。
でも、何百人も入る建物なんて、空いてなかったので、皆であっちこっちの建物に分散して住む形になった。
エレーナとしては、やっぱり団長のそばが安心するから、なんとか兵団の幹部の人に捻じ込んだり、いろいろ手を使って、団長と同じお屋敷に部屋を確保する。
同じお屋敷とは言っても、建物は只人用だったから、体の大きな団長が使えるわけもない。
それで敷地の少し奥まった、風を避けられそうな場所に、皆で整地をして平らに煉瓦を積んで、地面より少しだけ高い場所を作って、そこに大きな天幕を張って、それを団長の部屋にしたのだった。
ちょっと中を覗いてみたけれど、家具とかちゃんと置いてあって、居心地は良さそうだから、それは安心したけれど、自分たちはちゃんとした建物に住んで、団長は天幕かと思うと気は咎める。
つまりは同じお屋敷とはいっても、敷地が同じということだった。
◆
そうして住むところを整えたら、兵団の人間は、魔獣を狩るための冒険者の登録や手続きをして、稼ぐ準備をする。
兵団で面倒をみている戦えない人は、体の動く人は何か店でも出すとか商売をするとか、どこかに働きに出るとか、そういう算段を立てはじめる。
団長は、寄親のローテリゼお嬢様が入っている、学園の治安連隊とかいうのに、新しく中隊を作って入らなきゃいけないらしいので、エレーナはそこの中隊に人数合わせに入ることにした。
それから、兵団で面倒をみている子供で、エレーナが主に世話することになっている子供が一人いて、名前をシルベネというのだけれど、その子の世話もしなくちゃいけない。
あとは、この街で店を出す仲間に頼んで、空いた時間に少し働かせてもらうことにする。
これでいちおう仕事が三つ掛け持ちになるから、それくらいやればまあだいたい良い感じだろう。
◆
そういうふうにエレーナや他の皆が生活を整えたころに、学園の入学式というのがあった。
エレーナはそういうのに出たことがなかったので楽しみにしていたけれど、要するに偉い人のありがたいお話を聞いて、それから皆でパレードをして、また偉い人のお話を聞いて、ということだった。
兵団の皆でパレードをするのは晴れがましい感じがして楽しかったし、他の人たちのパレードを見るのも楽しかった。
パレードの最後の方に、大鬼族らしき大きな体格の立派な鎧の人が出てきた。
兜を被っていたので顔は分からなかったけれども、中隊の紹介で呼ばれた名前が、前に行ったところの伯爵様のお嬢様の名前だったから、たぶんあの鎧の中身はアリシアさんで間違いないだろうと思う。
これだけ大騒ぎをして、皆で引越しまでしてから、実はこの学園にはアリシアさんは来ていないとかいう話になったら目もあてられないので、エレーナはとりあえず安心した。
アリシアさんのところの中隊の行進を見ていると、アリシアさんも強そうだけれども、それより伯爵様のお嬢様のアリスタ様が凄い。
治癒術を行使するときに出る燐光を太陽みたいにピカピカ光らせながら空をすっ飛んできたので驚いた。
エレーナは治癒術が使えないのであんまり詳しくないけれど、ああいうのは手がちょっと光るとかいうのが普通で、全身が真っ白に見えるくらいまぶしく光りながら空を飛んでくるというのは尋常ではないんじゃないだろうか。
◆
それで入学式とやらが終わって、屋敷に帰ろうとしていると、団長が
「ちょっとついてきて」と言った。
どうしたの? と聞いたら、この後の兵団の皆でする食事会にアリシアさんたちも誘いたいとのことだった。
「……女の子をご飯に誘うのに、女連れで行くの?」
見るとシルベネまで抱っこしているから、あんまり女の子を食事に誘うようなふうにも見えない。
「女の人と一緒に行った方が警戒されないような気がする……たぶん」
やり方がいちいち持って回っているというか、迂遠というか、ちょっと策を弄しすぎな気もするけれど、まあ本人がそうしたいというなら、そうするしかない。
アリシアさんのところに行く途中で、兵団の乳母をやっている豚鬼族のマトリチーヴァが通りかかったので、団長が彼女も呼び寄せる。
これでさらに無害な印象にはなったかもしれないけれど……。
それから皆でアリシアさんたちのところに行って、団長がお誘いしてみたら、アリシアさんのご主人様のアリスタお嬢様が「カレーならいくわ!」と言ってくださったので、アリシアさんを誘うことに成功した。
森族はカレーが好きってのはあまり聞いたことがないけれど、そういうこともあるんだろうか。
それから、アリシアさんたちのところの、診療部のお嬢様方が三人ほど、やってきたので、その方々も一緒に食べることになった。
◆
昼食はアリシアさんたちに美味しそうに食べてもらえたし、くつろいだ雰囲気で話も盛り上がっていたから、招待はうまくいったように思えて、エレーナはひと安心する。
アリシアさんの体が大きいからそう見えるだけかもしれないけれど、団長の向かい側の席に座って、団長と話をしている姿は、なんだか似合いというか、しっくりきているようにもエレーナには見えなくもない。
そのあとに、アリシアさんが、剣や斧槍の稽古を、少しだけお父さんにつけてもらっただけで、その記憶を頼りに、あんまりよく分かってないまま練習しているので、どうにかしたいみたいなことを言ったから、団長が少し稽古をつけることになった。
といってもアリシアさんにちょうどいい大きさの練習用の木剣とかは用意がなかったから、団長やアリシアさんの手持ちの武器で型稽古をすることになる。
それでお互いにゆっくりと武器で打ち込んだり、それを受け止めたりする動きをして、型をさらっていくのだけれど、団長とアリシアさんがそうやって稽古をしている様子を見て、エレーナは感動さえ覚えていた。
たぶんエレーナだけではなくて、その稽古を見ていた兵団の皆もそうだったんじゃないかとエレーナは思う。
というのは団長と、それ以外の団員では体の大きさが全然違うから、今までは団長が誰かと稽古をするなんてことはなかったからだった。
普通の大きさの人が団長と稽古をしても、普通の大きさの人は団長の脚にしか武器が届かないし、団長の側も単に上から押しつぶすような動きしかできないだろうから、あんまり意味がない。
その団長が、アリシアさんと今初めて、稽古らしい稽古をしているのだった。
二人の姿はどこか踊っているみたいでもあり、楽しげに遊んでいるようでもあって、その姿を見てエレーナは、ああ、アリシアさんを団長のお嫁さんに欲しいな、と強くそう思ったのだった。