閑話:或る兵団員の女Ⅱ
エレーナはとりあえず村長さんの家に帰って、もういっかい朝ご飯をいただいてから、それからまた家に戻って片付けをする。
兵団の団員の皆さんが何人かついてきてくださって、家の中にあるものの仕分けをして荷造りをした。
とは言っても、そんなに物がいっぱいあるわけじゃないから、食器棚みたいな大きな家具以外は全部持っていくみたいな感じになった。
夫との思い出の品をなるべく残さずもっていけるのは嬉しい。
村を出るなら村長さんに話を通しておかないといけないので、エルゴルさんと兵団の皆さん何人かについてきてもらって、夜に村長さんの家に話をしに行く。
村長さんは黙ってエレーナの話を聞いていて
「出ていきたいのは分かるが……それを易々と認めると儂の立場が苦しいものになる。
お前さんを欲しがってる独身の連中を抑えられるかどうかもわからない」
そう言ってから、床に布を敷いてもらって、そこに座り込んでいるエルゴルさんの方に向きなおって
「セックヘンデ殿にはまことに申し訳ないのですが、貴方様が強く希望されて、私が渋々それを認めるというような方向でなんとかお願いできませんでしょうか」
と言った。
「ちょっと村長、なに言ってるんですか!」
話が変な方向に行ってしまったので、エレーナがそう言って止めようとするけれど
「わかりました。じゃあ明日に、この家の前とか、どこか目立つところで、それらしく話をしますから、流れでいい感じにまとめてください」
とか、エルゴルさんは呑気な声で言う。
「エルゴルさんも何を……!」とエレーナが言っても
「まあいいじゃないですか、私らは他所者ですから嫌われようと好かれようとあんまり問題ないですし」
などと言ってあまり気にした様子もない。
そんな迷惑かけたくないとは思うけれど、エレーナは村を出たいし、その自分のために色々考えてくれると思うと断ることもできない。どうしたらいいのか分からない。
村長が変なこというから変な話になるんだ、と憤慨したけれど、夜はその村長の家で寝床を借りなきゃいけない自分がエレーナは悲しかった。
◆
翌日には朝から兵団の人たちがたくさん来てくださって、エレーナの壊れた家から仕分けした荷物を取り出して、片っ端から馬車に積み込んでくれた。
そうして村長の家に行くと、人が集まっていて、その人をかき分けるようにして村長が出てきた。
「今までお世話になりました、今日でこの村を出ます」
エレーナがそう言うと、周りにざわめきがひろがる。
それからエレーナの後ろにいた、エルゴルさんの兵団の、中年のおじさんの人がひとり前に出て
「村長殿、このエレーナ夫人を村の名簿から除いていただきたいのと、あと離村証明書をいただきたい」
と言った。
エレーナはそういうのがあるんだと感心する。
村長は「仕方ありませんな」と言っていったん家の中に戻り、それから手に何か紙を持って出てきた。
するとそこで
「おいちょっと待てよ!」とエレーナの方に声がかかる。
振り向くと、昨晩に村長に聞かされた、エレーナと結婚したがっている男たちがいるとかいう話の中で、名前がでてきた男たちが、五人ばかり立っていた。
「お前、この村から出ていくんか」
そうエレーナに言ってきたのは、エズリオという四十がらみの男で、彼は村の外れに家と畑を持っていて、そこに独りで暮らしている。
彼は村中の女に粉をかけてまわるような人で、たまに人の奥さんにそんなことをしたり、あげく十を少し過ぎたばかりの女の子にまでそんなことをしたことがあるのでひどく嫌われている。
「ええ、そうよ」とエレーナが答えると
「村にさんざん世話なっといて後足で砂かけて出ていくんか。薄情もんが!」
そう脅しつけるように吠える。
開拓村ではエレーナやエレーナの夫も含めて皆が朝から晩まで働いていたので、別にただ世話になってなどいない。
そう言ってやりたいが、波風を立てるようなことを言うだけの思い切りがつかない。
もっと言えば自分が出ていくことが決まったからって急に我慢せずに言いたいことを言うのは浅ましいんじゃないだろうかとか、いやでもあの人があんなに好き勝手言ってるのに自分だけ我慢しなきゃいけないんだろうか、とかぐるぐるとエレーナが考えていると
「村長、早くしてくれ」とエルゴルさんが、状況を無視するように言った。
「はいはい、ただ今」
そう言って村長がいそいそとエルゴルさんのほうに寄っていくと
「村長!」とエズリオが大きな声をあげる。
村長はエズリオのほうを向いて
「村のためじゃ、我慢してくれ」と言った。
「村のためって……なんだよ?」
「こちらのセックヘンデ様は、村の惨状をご覧になって、慈悲深くも一ツ眼鬼の晶術石をひとつご寄付くださった。
そのセックヘンデ様がエレーナを連れて行くとおっしゃっておられるんだ。
エレーナも別に嫌ではないようだし、そうであればお断りすることなどできん」
「だからって、」
エズリオがそう言いかけたところで、村長がかぶせるように声を張る。
「村の復興には! カネがいる!
セックヘンデ殿のお気が変わったら何とする。
術石は売れば金貨何十枚にもなる。お前はそれをかわりに用立てられるのか?」
「そりゃ無理だけどよ……」
エズリオが口ごもると、村長はエルゴルさんのほうに向きなおって、ではこれを、などと言って何か書類を渡している。
エルゴルさんはそれを、そばで控えていた部下らしき中年の男の人に渡して、するとその人が書類を読んで
「結構ですな、問題ありません」と言って、それからその書類をエレーナに渡してくれた。
エレーナも中をちらっと見てみたけど、何だか難しかったので、書類を畳んで懐にしまい込む。
「村長、書類を作ってくれた手数料だ」
エルゴルさんはそう言って長い手を差し出すと、なんだか見せつけるように、これ見よがしに、村長の手のひらに金貨を何枚も落とした。
「あやや、これはかたじけない。ありがとうございます。村のために使わせていただきます」
村長がそう言ってぺこぺこする。
エルゴルさんが何でもないことのように金貨を何枚も使ったから、エレーナは、あれは私の借金になるんじゃないだろうかとか不安になる。
「じゃあ行きましょうか」
エルゴルさんはエレーナにそう言ってから踵を返したので、エレーナが一緒に付いていきかけたところで
「お前はそれでいいのかよ!」と、エズリオが言ってきた。
エレーナはエズリオとは話したくもないので「ええ」と短く答える。
「じゃあ俺はどうなるんだよ、なあ!」
そんなこと言われても知らないよとしか言いようがない。
「出て行こうとしているものにそんなこと言っても仕方ないだろう」
と村長が口を挟んでくれる。
「俺の嫁さんどうすんだよ!」
「……だからじゃな、セックヘンデ殿が下さった晶術石を売ってその金で村を復興して人を募ればご婦人もまた来るかもしれん」
「それいつの話だよ、俺もう四十越えたんだぞ!」
そう言われてみればエズリオも老けたなあと思う。
八年も経てばそんなものか。
「ずっと一緒にいた俺より、その何日か前に会ったばっかの男の方がいいってのか!」
エズリオはそう言って憎々しげな、嫌な目でエレーナを見ている。
エズリオやその他の男たちに、手籠めだか夜這いだか無理やり結婚だかさせられるのが嫌で逃げるんだから、その通りだ。
この調子では、自分が村を出た後に、誰か自分の代わりにひどい目にあう女の子でも出るんじゃないか、とエレーナは不安になる。
「じゃあ行きますか」
とエルゴルさんがもう一度言って、それで村の皆に手短に別れを告げるのだけれど、村の女たちの中には、エレーナを抱きしめて別れを惜しんでくれる人もいれば、今まで特に仲が悪かったわけじゃないのに、木の洞みたいな感情の抜けた目で見てくる人もいた。
そういう人はエレーナと違って守るべき家庭があるから、村を出てはいけないけれど、本当は村にいるのがエレーナと同じく嫌なのかもしれない。
◆
そうしてエレーナが村を出て連れていかれたのは、エルゴルさんの寄親の公爵様の領地で、エレーナはそこで領民として登録してもらう。
それからエルゴルさんの兵団の拠点に向かった。
そこは街中にある、宿屋やら酒場やらを増築して、そのあげく建物どうしをつなげてしまったような、雑然とした雰囲気のあるところで、そこに兵団の皆さんの部屋やらがあるのだった。
エレーナもその建物で部屋をひとつもらった。
エルゴルさんの兵団は、魔獣狩りを専門とする兵団ということらしいのだけれど、その拠点の中には、小さな子供やらがきゃあきゃあ言いながら、そのへんをたくさん走り回っていて、人種も只人だけじゃなくて獣徴人に犬人、豚鬼族やら馬人族やら、鱗人族に、珍しいところでは蜘蛛女人と蛇女人まで色々いる。
それに加えて、普通の犬や猫や山羊や鶏や小飛竜やらもたくさんいて、拠点の中は騒がしくて、しっちゃかめっちゃかで、なんだこれはと思いつつ、それらの世話係としてエレーナは働いたのだった。
兵団の団員だという素晴らしい金髪の豚鬼族の女の人に、なんで魔獣狩りの兵団なのに、宿舎が、こんな子供とか動物とかでごちゃごちゃになっているのかと聞いてみた。
そのときに、彼女は六つあるおっぱいのうち四つを使って、四人に同時に乳をやるとかいう器用なことをしていて、二人の赤ちゃんを腕に抱えて、もう少し年かさの子が下側のおっぱいに横合いから吸い付いている。
エレーナは向かい側から、抱っこされた赤ちゃんの頭を支えてやる役だった。
「あれは団長の趣味よね」
と豚鬼族の彼女は赤ちゃんたちに授乳しながら教えてくれる。
つまりは団長が(団長というのはエルゴルさんのことだけれど)人間でも動物でも、行き場のないのがいれば、すぐ拾ってきてしまうらしい。
確かに近所で子猫が親を探して鳴いていたと言っては拾い、魔獣に襲われた村に魔獣退治に行って、孤児がいたと言っては拾い、行き倒れの娼婦がいたと言っては拾い、そんな感じでなんでもかんでも拾ってきてしまう。
ご飯を食べさせるだけでも出費が大変だろうから、そんなに拾ってきて! と思わないでもないけれど、エレーナも拾われたうちの一人だし、子供や動物の世話があるからエレーナも仕事があるわけで、だから文句は言えない。
「もうここも兵団の拠点なんだか孤児院なんだか救貧院なんだか分かりゃしないわよね」
と豚鬼族の彼女が言うとおりだと思う。
確かにエレーナが団長を観察しているところでも、団長は、行き場のない誰かや動物を義侠心から仕方なく拾うというより、嬉々として拾っているフシがある。
エレーナだって拾ったところで団長に何かの得があるわけでもないし(体の大きさが全然違うからそもそも無理だけれど)別に情婦をさせられるわけでもない。
団長が、仕事の合間に拠点に戻ってきては、その辺にいる子供と遊んだり、座り込んで手仕事をしている老人とおしゃべりをしていたりするのを見ていると、団長がもちろん優しいのもあるのだろうけれども、自分のまわりに人や動物を集めるのが好きなようでもあるのだった。
それで拾ってきた人や動物を食べさせるために、団長や兵団の戦える人たちは、せかせかとしてあっちこっち跳びまわって、魔獣を狩って稼いでいる。
団長や一部の人たちに、養われるだけというのも忸怩たるものがあったので、エレーナは自分も何か稼ぎたいと団長に言ってみた。
それで、じゃあ訓練をしてみようということになって、やってみると、実はエレーナには令術の才能があったらしくて、ちょっとした投射令術と令体術が使えるようになったのだった。
それで、発見した才能を生かして、エレーナは魔獣を狩りはじめた。
魔獣狩りは危ないし、ちょっと怖かったけれど、でも稼ぎもいいし満足感があって楽しかった。
生まれてこのかた、エレーナはほとんど畑仕事と家事ばかりをやってきたけれど、実は魔獣狩りにも適性があったということらしい。
魔獣退治の依頼を受けて、ある村で待ち伏せをかけて、やってきた一ツ眼鬼の大きな目玉に槍を撃ち込んで殺して、狩ったときには、食べられてしまった夫の復讐を果たしたような気がして、エレーナは少し泣いてしまったのだった。