閑話:或る兵団員の女Ⅰ
※この閑話の主人公であるエレーナさんの初出は
閑話:エルゴル・セックヘンデ氏のたくらみⅡ
https://ncode.syosetu.com/n2133ga/30/ です。
段々とベテランになって、兵団の中でもそろそろ顔になってきたエレーナが、兵団の団長であるエルゴル・セックヘンデに出会ったのは、二十八歳のころ。
農家の三男坊だった夫と、故郷の村を飛び出して開拓村に移り住んで八年目のことだった。
土地を親から貰えない三男坊が、結婚して家を構えるとなれば、どこか子供のいない家に養子で入るか、娘しかいない家に婿で入るか、当座の食料だけもらって開拓村に入植するか、あるいは何のアテもなく街に出るか、何らかのツテでもないかぎり大体はそんなところだった。
そうしてエレーナたちは、それらの選択肢のなかから、開拓村を選んだということになる。
開拓村は土地をくれるうえに、入植すれば一代もしくは五十年限り(どちらか長いほう)税が無いというのが売りだ。
そのかわり入植する村は、村としてちゃんとできあがっていないから、灌漑やらなにやら施設は自分たちで作らなければならないし、税収があがるようになるまでは領主に常駐してもらえないので、そのぶん危険ではあった。
もっと日常的なことを言えば、家や日常の道具を含めて何でも自分たちで作らなければならないから、体はきついけれど、でも自分たちの持ち物は、全部自分たちで作ったものだから自分たちの自由になるし、上に舅も姑もいないからそのぶん気楽ではある。
若い夫婦二人だけで好きにやれるということだ。
エレーナたち夫婦は、子供ができないのが悩みの種ではあったけれど、それでも、家を建てて、道具を作り、日を追うごとに生活が整い……そうしてある日に一ツ眼鬼の群れがエレーナたちが住む開拓村を襲った。
税が無いかわりに、魔獣から自分たちを守ってくれる領主もいないという、開拓村の悪いところがでたわけだ。
一ツ眼鬼は、体長が家の屋根ほどもあって、顔の、鼻の上の、人間なら両眼のあるあたりに、大きな眼がたったひとつだけ付いている。
眼が大きいからか、かなり夜目が効くので、たいてい夜に、闇に紛れてやってきて、家屋を破壊しつつ、長い手で家の中にいる人を引きずり出して食べてしまう。
それで、村の家がたくさん壊されて、村人が数人喰われたが、エレーナの家も壊されて、エレーナの夫も喰われたなかの一人になってしまった。
生き残った村人たちは村の外れの、入り口が狭い、一ツ眼鬼が入ってこれない洞窟に逃げ込んだ。
そうしておいて、一ツ眼鬼の隙を見て伝令を放ち、それで魔獣退治にやってきたのが、たまたま他用で近くにいたエルゴルたちの兵団だった。
一ツ眼鬼たちは、残った家畜や食料などを少しずつ食べながら、村の中にたむろしていたので、そのままエルゴルたちの兵団に包囲され、ほとんど即座に処分される。
全部で八頭いて、死骸から大きな晶術石が取り出された。
今回の場合は、魔獣が遠くにいるのを見つけて、村が討伐者に対して勧誘をかけて、魔獣を討伐して晶術石を取る権利を売ったというわけではなくて、緊急でこちらの取り分無しで来てもらった形になる。
だから村には何も残らないはずだったのだけれど、開拓村の村長が、村の復興費用がどうしても必要だと地面に頭を擦りつけるような勢いで拝み倒して、なんと八つあった晶術石のうちのひとつをもらってきてしまった。
村長の図々しさと手並みにも感心するやらあきれるやらだったけれど、村長の交渉を受けていた兵団の頭目さんもずいぶんお人好しだなとエレーナは思ったのだった。
晶術石は、どれも西瓜よりちょっと大きいくらいの立派な石で、一つでも売れば金貨何十枚にはなるだろう。
あれが稼ぎの元だろうに、頼まれたからってポンとくれてやるものだろうか。
まあでもそれで村が助かるのは事実だ。
兵団の頭目のエルゴルさんは、すごく体が大きくて、背はエレーナの倍くらいあった。
顔は普通の人間みたいだけれども、太くて長い腕が六本もあって、鱗のある長い長い尻尾が生えていて、脚も爬虫類みたいで、大きな鉤爪があって靴は履いていない。
そんなふうに見たところは、色々な特徴が混ざっているから、何の種族かと思ったけれど、本人の言うところでは大鬼族らしい。
一ツ眼鬼なんかより見た感じはよっぽど魔獣のようなのに、道で会うと会釈をしてくれるし、屋根が半分壊れて、壁が一面無くなった家の前でエレーナが呆然と座り込んでいると、声をかけてくれて、壊れた家の片付けも手伝ってくれた。性格が優しいんだろう。
◆
その日からは村長の家に泊めてもらって、エレーナは少しずつ家を修理することにした。
とはいっても、一ツ眼鬼が手当たり次第に壊していったから、村に壊れている家は他にもいっぱいあるし、夫が死んでしまったから、なんとも厳しい。
兵団の方たちが手伝ってくれなかったら、どうにもならなかったところだった。
それからさらに何日か経って、夕食が終わったあとに村長さんたち夫婦に話があると言われる。
なんだか言いにくそうにしていたけれど、聞いてみると村にいる独身の男と結婚しろという話だった。
エレーナを妻にしたいという話が幾つも来ているそうで、候補を何人かあげられたけれど、誰も彼も人の奥さんを厭らしい目で見ているような、粗暴だし根性も悪いような男ばかりだった。
「今はまだ喪に服してるところだから……」ということで止めているけれど、長くは止められないかもしれないと村長に言われる。
開拓村というのは、男に比べて女はずっと少ない。
けれども、それでも夫を亡くしたばかりの女に、体が空いただろうから、すぐに次は俺のところに来いと言ってしまうような、そういう男ばかりが話を持って来ているから、候補にろくでなししかいない。
長くは止められないかもしれない、というのも怖い。
あんまり村長に迷惑はかけられないし、でも家に戻っても家の壁が壊れているから夜這いでもかけられたら防ぎようもない。
翌朝早くに起きて、エレーナはどうしても家に帰りたいという気持ちに駆られて、誰にも見られないようにして村長の家を出る。
虚ろな気持ちのままに、ふらふらと歩き、自分の家にたどりついたけれども、やっぱり家はひどく壊れていて、エレーナは家の前に座り込んだ。
大変ながらも希望があった楽しい生活、優しい夫、すべてのものを夫と分かち合った日々。
そうしたものをエレーナは思い出し、身の内から噴き上がる衝動のままに、エレーナは夫が死んで以来、やっと声をあげて泣いたのだった。
◆
やがて土を踏む音が聞こえて、顔を上げると、エルゴルさんと兵団の皆さんが何人かいた。
また手伝いに来てくれたとのことで、とてもありがたい。
エレーナの顔が泣き腫らしているのを見ると、エルゴルさんは
「大丈夫ですか?」とエレーナに声をかけ、地面に座り込んでいるエレーナを失礼しますよと言いつつ抱き上げる。
エルゴルさんの体があんまり大きいので、エレーナは自分がまるで小さな子供になったような気がした。
「少し休みましょう」
と言って、エルゴルさんはエレーナを抱き上げたまま、兵団の皆さんが宿営している天幕がたくさん建っているあたりに連れていく。
そうして天幕の中から出てきた女の人にエレーナを引き渡す。
そのときに「朝ご飯はまだですか?」と聞いてくれて、まだですとエレーナが答えると「何か出してあげて」とその女の人に言ってくださった。
女の人は、天幕の中で、蜂蜜の入った甘いミルク粥に、切ったリンゴと、暖かいお茶を出してくれた。
暖かいものをいただいて、エレーナは人心地つく。
それで、改めて女の人にお礼を言って、それからエルゴルさんにもお礼を言いたいというと、その女の人は、ひと際大きな天幕のところまでエレーナを案内してくれた。
天幕の中に入ると、エルゴルさんはすごく大きな机に向かって、それでもさらに体が大きいから、窮屈そうに背中を丸めて何やら書き物をしているところで、入り口のほうを振り向くと
「これを書いてしまいますから少し待ってくださいね」
とエレーナに言った。
一緒に付いてきてくれた女の人がエレーナの座る椅子を持ってきてくれる。
それから、その女の人はエレーナが座った椅子の、斜め後ろに控えるようにして立った。
少し待つと、お待たせしました、と言いながらエルゴルさんが自分の座っている椅子を、手で持ちながら体を回転させて、エレーナのほうに向き直る。
体と一緒に長くて太い尻尾もズルズルと体に巻き付くように動くので、部屋の中で身動きするのが大変そうだなと、エレーナはぼんやり思った。
「少し落ち着きましたか?」
「はい、おかげさまで。ありがとうございます」
「そうですか、とは言ってもひどい顔色だ。
旦那さんを亡くされたんでしたね。お悔やみを申し上げます」
「ありがとうございます。
今日もご親切にしていただいて……助かりました。
本当にありがとうございます」
そう言って頭を下げるために、エレーナが椅子から立ち上がろうとしたら、急に眩暈がして倒れそうになってしまう。
椅子の後ろに立っていた女の人が支えてくれたから、倒れずになんとか椅子に座り直せた。
「……本当に大丈夫ですか?」
そう聞かれると、実際のところ大丈夫ではなくて、後から後から勝手に涙が出てきて、エレーナは、そのまま泣いてしまう。
椅子の後ろに立っていた女の人が横に回ってきて、エレーナの手を握ってくれた。
そうしてエレーナは、今までこの村でどうやって生きてきたかとか、一ツ眼鬼に村が襲われた日に何があったかとか、夫を亡くしてしまって、家も壊れて、今度は村で意に沿わない結婚をさせられそうだとか、そういうことを嗚咽とともにぽつぽつと話していく。
エルゴルさんはそれをじっと聞いていて、最後に
「あなたはどうしたいですか?」とエレーナに聞いた。
そう言われてエレーナの頭には色々な考えが駆け巡る。
壊れた家を直すことだって誰かに手伝ってもらわないとひとりではできない。だから村で自分の思うように我を通すことはできない。
でも自分と結婚したがっている男たちはろくでなしだ。結婚したら絶対にロクな生活にはならない。
それに自分には子供ができなかったこともある。夫に問題があったせいなら別の人と結婚したら子供が持てるかもしれない。
でもそうじゃなかったら?
自分のせいで子供ができなかったら、ここでの老後はどうなる?
新しい夫は自分をどう扱う?
どう考えてもいい未来が描けない。
それにエルゴルさんは優しい。お人よしと言ってもいいくらいだろう。
たぶん自分を悪いようにはしない。
もちろん何のアテもない。
でもこのままだとほぼ確実に悪い未来があると分かっているなら、いま跳ぶべきだ。
迷惑はかけるだろうけど、あとでできるだけ恩は返そう。
あんな男たちの誰かの妻になって人生全体を奪われるくらいなら、エルゴルさんに何でも渡そう。
「一緒に連れていってくださいませんか」
それでエレーナはエルゴルにそう言った。
エルゴルさんは下側の手をお腹の前で組んで、中段と上段の腕を腕組みしてから、しばらく考え込み、それから
「私達の兵団に入ると馬車なんかで旅をすることが多くなるかもしれません。
あまり落ち着いた生活とは言えませんが、それでもいいですか?」
そう聞いてきてくれた。
「私は子供がいないので、それは大丈夫です」
エレーナはそう答える。
「分かりました。そういうことであれば私たちと一緒に来てください」
エルゴルさんはにっこり笑って、歓迎しますよ、と言ってくれた。




