ハーフオーガのアリシア47 ― 昼食への招待と根回し ―
ようやく入学式が終わったけれど、かなり長かった。
パレードがあってそれに参加したり眺めたりしていたから退屈はしなかったけれど、そのパレードに出てくる人が多かったから、実際のところ二時間弱くらいあったんじゃなかろうかと思う。
正午の鐘の音が聞こえていたから、終わったのは昼過ぎで、もう昼ご飯の心配をしないといけない。
ご飯をどうするかとか、そういう家事の指示はアイシャさんが出してくれるから、アリシアがアイシャさんのそばに寄っていくと、皆がやっぱり昼ご飯をどうするか話していた。
「きょうはがいしょくもいいわね」と、お嬢様が言ったので、アリシアはちょっと嬉しくなったけれど
「外食だと高いですよ」とアイシャさんが答えたから、そういえば自分がご飯を食べると高いんだったと思い出して、それでお嬢様にいっぱいお金を払わせるのかと思うと、アリシアはなんだかとっても憂鬱になってしまう。
それで、屋敷で何か作って食べましょうとアリシアが言いかけたところで、スッと大きな影が差して
「昼食のご予定がまだであればうちに来られませんか?」と言う声が聞こえた。
振り返ってみるとそれはエルゴルさんで、こないだご領主様のお屋敷に来たときに連れていた子を抱っこしていた。
そして隣には女の人が二人くらい一緒に立っている。
こんにちは、とか今日はお疲れさまでした、とか、通りいっぺんのご挨拶をした後
「でも悪いですわ」とトラーチェさんが遠慮したけど
「いやいや、私どもは人数が多いですから普段は色々なところに分宿しておるんですが、今日は式典がありましたので集まったことですし、皆で一緒に食事をしようということになったんですよ。
二百人以上いますからね、あと何人か増えても誤差の範囲ですよ。まあ大人数のを作りますのでカレーなんですが……」
とエルゴルさんが言うと
「カレー? カレーならいくわ!」とお嬢様が言ってしまった。
ではご案内しますよ、とエルゴルさんは言って、アリシアたちを先導して歩きはじめるけれども、後ろから、エルゴルさんのところの人らしきすごい数の馬とか馬車とか人が付いてくる。
エルゴルさんは、アリシアたちのそばを歩きながら
「私もですね、学園に入ったからには、お嬢様のために、あ、お嬢様というのはうちのローテリゼお嬢様なんですが、知り合いなどを色々作っていきたいところなんですが、これがなかなかね。
私も学園の外じゃ若造ですが、ここじゃ逆に年かさすぎて難しいところです。
そこに知った顔が見えたので、ついお誘いしてしまいました」
などと言いつつ、ははは、と笑った。
そんなことを言われてしまうと、アリシアとしては、自分なんか道に迷うのが怖さにだいたい屋敷の中にいたのに、普通は友達作りとかそんなことをしなきゃいけなかったのかと焦ってしまう。
といっても友達作りとかどうしたらいいんだろうと、アリシアが考え込んでいると、どこかで見たような二頭引きの馬車が、車輪をガラガラ回転させながら、こっちに寄ってくるのが見えた。
御者台には診療部の部長さんのランナさんが乗っていて、窓からはウビカちゃんが大きく手を振っている。
馬車は近くまできて停まると、扉が開いて、ウビカちゃんがアリシアの方にパッと手を広げて差し出すから、アリシアがウビカちゃんを抱き取る。
するとその後ろから髪がくるくるのローラさんがでてきて「ご一緒にお出かけ?」と聞いてきた。
「カレーたべにいくの!」とお嬢様がにこにこ笑顔で元気よく答える。
あら、良かったわねえ、などとローラさんが言っていると
「……あー、診療部の皆様全員分は無理ですが、お三方だけならおいでいただけますよ」
とエルゴルさんが口を挟む。
ちょっと言わされた感があったようにもアリシアには聞こえたけれど、ローラさんは近くに漂ってきたお嬢様を捕まえて抱っこしてから
「あら、嬉しいわ、じゃあお呼ばれしようかしら」と楽しそうに答える。
そうしてローラさんたちもカレーを食べに、一緒に行くことになった。
◆
エルゴルさんたちに連れて行かれた場所は、アリシアたちが住んでいる屋敷よりはだいぶ街の外縁に近い場所にあるお屋敷で、そのぶん敷地に余裕があるのか広かった。
敷地の正面奥に立派な横長の建物があって、敷地の辺に沿うように、左右にそれぞれ別棟が建っている。
つまり庭を囲むように建物があって、アリシアたちの住んでいる屋敷と配置が似ているかもしれない。
もっともアリシアたちのいる屋敷は、敷地の手前側の辺にも、敷地の塀に沿うように木造の棟が左右に建っているわけだけれども。
アリシアたちがお屋敷の敷地に入ると、人がやってきて馬車を案内してくれる。
屋敷の左側の塀に沿って、手前から奥へと、長々と建っている建物の、その前面に手前から奥へと続く道があって、その脇の、道を挟んで建物とは逆側の道沿いに大きな木が街路樹のようにずらっと並んでいるので、その木陰あたりに連れてこられて
「馬車と馬はこのあたりにつないでおいていただいたら大丈夫ですよ」と言われた。
それで、その辺のいい感じの木陰に皆の馬車を停めて、馬を馬車から外して、大きな木に繋いで、鎧の外しやすいところだけでも外して、とやっていたら、そうしている間に、どんどん人と馬と馬車とかが入ってきて、まわりが人と馬と馬車だらけになっていく。
やがて桶や水瓶を持った人が何人もやってきて、ざあっと地面に水を流して桶をあけるものだから、見ると、地面に石で作った水槽みたいなのが備え付けてあって、おあつらえ向きに馬が水を飲めるようになっていた。
それから、馬に飲ませる水を持ってきてくれた、その人たちが「ご案内します」と言って先導してくれる。
アリシアたちは、敷地の入って左側のあたりにいたわけだけれども、案内の人たちは、敷地の中央にある庭を横切るようにして、敷地の右側に歩いていく。
敷地の右側には、あっちこっちに天幕が建っていたり、そこらじゅうに、敷地に生えている木から木へ、あるいは木から立ててある杭へと日除け布があっちこっちに張り巡らしてあって、その下にテーブルとか椅子とかがいっぱい出してあって、そこに思い思いにたくさんの人が座っているのだった。
そうやって敷地の右側から左側へ、反対側にまわると、馬の嘶きの音とかもあんまり耳に触らなくなって、馬の匂いもしなくなって、かわりに強烈な食欲をそそる香辛料の匂いがしてきた。たぶんカレーだろう。
案内の人たちは、そこから方向を変えて、今度は敷地の奥側に向かってずんずん進む。
すると、木立の少し奥まったところに少し広場があって、そこにテーブルや椅子や鍋が置いてあって、人が何十人も集まっていて、そこにある大きな木の木陰には、ものすごく大きな、二階建てかと思うような天幕があった。
でも天幕なんてものは布でできているのだから二階建てというのはおかしいのであって、だからあれは何だろうとアリシアが興味深く見ていると、天幕の布が開いて、中からぬっとエルゴルさんが出てくる。
エルゴルさんはアリシアたちを認めると、人好きのする笑顔を浮かべて
「ようこそいらっしゃいました。さあお腹もすいておられるでしょうし、さっそく食事にしましょう」
と言った。
さっとトラーチェさんが近づいて「今日はお招きをありがとうございます」とか普段よりだいぶ高い、よその人みたいな声で言っていて、なんだか大人の人みたいだった。
お礼は言わなきゃならないから、アリシアも寄っていくと、エルゴルさんは
「ああ、アリシアさん、ちゃんと大きな椅子も用意してますからね。こっちですよ」
と言って大きな椅子が据えてあるところに案内してくれた。
あなたはこっち、あなたはそっち、みたいな感じで皆が席に落ち着くと、置いてあった、ものすごく大きな鍋に火が入れられて、そばで鍋の面倒を見ている人が、大きな竿みたいなもので鍋をぐるぐるかき混ぜる。
香辛料の何とも言えない匂いがふわっと立ち上って、すきっ腹には本当にたまらない。
それから皆の前にカレーの載ったお皿に、サラダの載ったお皿、それにスプーンとコップが配られたけれど、でもなぜかアリシアの前だけはお皿がなくて、アリシアがちょっとうろたえていると、エルゴルさんが現れる。
エルゴルさんは、その六本もある手を全部使って、たぶん大鬼族用らしき、カレーが山盛りに載った巨大なお皿と、山羊にでも食べさせるのかというくらいサラダが載った大きなお皿と、馬鹿でかいコップと、料理に使う杓子みたいにたっぷり掬えそうなスプーンを、それぞれ二つずつ持っていた。
「カレーの盛りはこんなもんでいいですかね?」
かなり多いような気がしたけど、流れで「はい、ありがとうございます」と言ってしまう。
「とりあえず魔獣肉のカレーのほうを盛ってきましたけど、海老と魚介のカレーもありますのでね。
いっぱいありますし良ければ、おかわりどうぞ」
エルゴルさんはそう言って、アリシアと自分の前に、皿や食器を置くと、大きなベンチみたいなものを引きずってきてアリシアたちの向かいに座った。
「じゃあいただきましょう」
とエルゴルさんが声をかけて食事が始まる。
アリシアがひと匙掬って食べてみると、香辛料の香りがすごく聞いていて暴力的なくらい美味しい。
ご領主様のお屋敷とかでも、スープにちょっとカレー味というのがついていたり、焼いてあるお肉にちょっとカレー風味とかいう味がついていたりすることがあって、そういうのがカレーなんだと思っていたけれど、これはもう全然違う。
見た感じはシチューなんだけど、色が茶色いような変わった色をしていて、食べると香辛料の塊みたいな、ものすごく派手な料理だった。
これだと味付けとかそういうのを超えてものすごくたくさん香辛料を使っているから、けっこうお金もかかってるんじゃないかと思う。
「すごく刺激的で美味しいですわね」とくるくる髪のローラさんが言い
「これは病みつきになるね」と部長さんのランナさんが答える。
ちょっと普通じゃないくらいおいしくて、確かにこれは病みつきになると言ってもいいかもしれない。
お嬢様が「カレーなら行く」と言った理由がよく分かるような気がした。
食べ終わったら、もうお腹がいっぱいだったけれど、せっかくだから海老と魚介のカレーも少しいただいて、柑橘の入った冷たいお水をお供に、お腹がはちきれそうになるまで食べる。
お嬢様のお腹も膨らんでいたので、手を出してそっと触ってみたら、ほとんど半球形になっていた。
そこからさらにデザートで、甘くした牛乳に桃のかけらを入れてクコの実をトッピングしたゼリーと、飴をかけたナッツと、冷たく冷やしたビールが出てきた。
真っ白な牛乳に、黄色い桃の実に、赤いクコの実が映える。
ほんのりあまいゼリーを食べて、透明なグラス越しに金色に輝くビールを飲んだらもう最高だった。
ゆったりした大きな椅子にもたれて、木陰ごしに見える夏の空を眺める。
何かのジュースをもらったらしきお嬢様が「わたしもビールがいい!」とか騒いでいて、アイシャさんに「ダメですよ」とか止められているのを、聞くともなしに聞きながら、こんないい日が来るとは、実家を出たときには想像もつかなかったなとアリシアは思ったのだった。
「それで、今日はカレーをご馳走してくださるだけじゃないんでしょう?」
と、くるくる髪のローラさんがエルゴルさんに言った。
え、そうなの? と思ってアリシアがそっちを向くと
「……まあ、カレー食べに来てくださるだけでも全然よかったんですけどね」
エルゴルさんはそう言って、なぜかアリシアの方をちらっと見た。
それから中段の左手に持っていた、ビールの入ったでっかいジョッキを近くの机に置いて、それから下段の手をお腹の前で組むと
「そうですね、診療部の皆さんが来てくださっているのは都合が良いといえばいい。
とは言ってもまだファルブロール殿に了解も取っていない話ですからね」
エルゴルさんがそう言うと、自分の名前が出たからか、アイシャさんのビールをこっそり飲もうとしていたお嬢様が振り向いて「なにかしら?」と言った。
「あとひと月かそこらで魔獣討伐演習というのがあると聞いておるのですが、アリスタ様とその御一統様にですね。ぜひ我が隊に与力いただけないかということです」
「うん、いいよ」
「あ、ありがとうございます!」
お嬢様があっさりいいよと言ったのでエルゴルさんはちょっとびっくりしたみたいだったけど、嬉しそうにお礼を言っていた。
「ちょっとちょっと、アリスタちゃんは演習は初めてだろうから、最初は本部付にして手元でみておきたかったんだけど……まあでももう、いいよって言っちゃったもんね」
髪がくるくるのローラさんが少し不本意そうに言う。
「まじゅうたいじならなんどもやったわ」
お嬢様はなんでもないことのように言う。まだ赤ちゃんみたいに見えるのに。
「私は本業が魔獣退治ですので、一般的なことはお伝えできると思います。
でも演習というのはやったことがないので、寄親のローテリゼお嬢様に聞きながらということになるとは存じますが……」
そう言われてみればアリシアも元は狩人だったわけで、よく考えたら慣れた仕事かもしれない。
「では、戦力調整会議のときにはそういう方向でお願いできますでしょうか」
エルゴルさんがローラさんにそう聞く。戦力調整会議ってなんだろうか。
「分かったわ、でも輸送連隊の連中がまた怒るわね。
あの子たち、アリスタちゃんの荷物袋をアテにしてるわよ」
「いいんじゃないかい。先んずれば人を制すと言うだろう。
私たち診療部にアリスタ君をかっさらわれて、それでもまだ何も学んでなくて、また出遅れたなら、それは彼らの責任さ。早いもの勝ちだよ」
長い黒髪の部長さんのランナさんがビールを口に含みながら面白そうに言う。
「……まあでもあんまりいじめても良くないからね。輸送の連中にできる範囲でなるべく便宜を図ってやるようにしてくれると嬉しいかな」
ランナさんがそう後から言葉を付け足した。
「わかったわ」
お嬢様がそう言って重々しく頷く。
するとローラさんが、自分の横でぼりぼりとナッツの飴がけを食べていたウビカちゃんの方を向いて
「ウビカ、ちゃんと見てる?
本番の会議はまた後であるんだけど、本番の会議のときにはもう結果が決まっちゃってることもあるのよ。
こういうの根回しって言うの」
というのを聞いてアリシアは、なるほどと深く感じ入ったのだった。色々とやり方があるものだ。
◆
その後は、おしゃべりをしたり、ちょっとしたゲームで遊んだり、アリシアがエルゴルさんに武器の稽古をつけてもらったり、色々していたら夕方になってしまった。
そうするとエルゴルさんが「夕食もぜひ食べていってくださいよ。材料がいっぱい余ってますし」
と言ってくれて、それで晩御飯もお世話になることになった。
晩はお肉や野菜を金属の串に刺して、焚火であぶって甘辛いソースを付けておかずにして、あとは鉄板で薄焼きパンをどんどん焼いて、それから海老の頭でダシをとったスープだった。
またお腹がはち切れるくらい食べて、とても美味しかったし、ビールもいっぱい飲ませてもらえた。
その後は皆で片づけをして、それから、もう遅くなったから泊まっていったらどうかとエルゴルさんが言ってくれるのを、さすがに遠慮して、道中でカレーが美味しかったねとか、楽しかったねとか、皆で話しながら屋敷に帰ったのだった。