ハーフオーガのアリシア44 ― 美容整形おねえさん再び ―
コロネさんたちと出かけたその次の日。
朝早くに、メイドのミーナちゃんが玄関のドアノブを磨いているそばで、アリシアがそのへんを箒で掃いていると、地面を伝わって馬蹄の音が聞こえてきた。
だんだんと音が近づいてきて、敷地の入り口のほうに目をやると、立派な服を着て、派手な帽子をかぶった男の人が馬に乗って、こちらに近づいてくるのが見える。
近くまで来たところでミーナちゃんも気づいて、応対しようとしてくれたけれど、変な人だったら困るから、アリシアはミーナちゃんを制止して前にでた。
その馬に乗った男の人はアリシアたちの前まで来て、馬からひらりと降りると
「我が主たるローラ・ヴァティカール・ダームより、朝の御挨拶を申し上げます。
愛らしく、いとも慈悲深きアリスタ・ゲルヴニー・ファルブロール様に、こちらのお手紙を。
しかしながらこの手紙はトラーチェ・マグ・ガルヒテ様にまずはお見せください」
と口上を言った。
お嬢様とかトラーチェさんってそんなフルネームだったのか、と初めて聞いたアリシアは驚く。
「じゃあこれトラーチェさんに渡してきてくれる?」と受け取った手紙をミーナちゃんに頼むと、ミーナちゃんは小走りで屋敷の中に入っていった。
「じゃあ屋敷の裏に馬を繋いでいただいて……」とアリシアが案内しようとすると
「いえ、なるべく急ぐようにと言い付かっておりますので、ここで待たせていただければありがたく存じます」
そう言われて断られてしまう。
じゃあ私の仕事無くなっちゃったじゃん、とアリシアがちょっと居心地悪く待っていると、しばらくして玄関からトラーチェさんが出てきて
「主より返書がございますので使者殿にはこちらをお持ちくださいませ」
と、そう言って馬に乗ってきた人に手紙を渡した。
「ありがたくあります。では御前失礼いたします」
使者さんとやらは、そう言うなりまた馬に乗って、あっという間に駆け去ってしまう。
トラーチェさんは使者さんが完全に見えなくなると、額に手を当てて大きなため息をついた。
それで「どうしたんです?」とアリシアが聞くと
「こないだやってきた診療部の方たちがおられたでしょう?
その方たちが今日これから来たいっておっしゃってるんですよ。
あああ、もう今の時間からだとお昼ご飯も出さなきゃなのに、大食堂のほうはまだ全然掃除できてないんですよ。どうしよう……」
とのことだった。
「あっちが急に来るんだったら、あんまり気を遣わなくていいんじゃないですか?」
「そりゃそうなんですけどもね……」
そう言ってぶつぶつと文句を言っているトラーチェさんと屋敷に戻って、いつもの朝の掃除よりはちょっと念入りに掃除をする。
やがてパカパカという馬蹄の音と、ガラガラという馬車の車輪の音が聞こえて、大食堂をなんとか掃除しようと足掻いていたトラーチェさんが
「やっぱり間に合わないーっ!」などと言いながら飛び出してくる。
あんな広いんだから、当たり前だよなあ、と思いつつもアリシアはトラーチェさんと手分けして皆を呼び集めて、玄関前に出ていってお出迎えをした。
今日は馬車の御者席に、確か診療部の部長だったかの、長い黒髪で眼鏡のランナさんが座っていて御者をやっていた。
他にメイドさんとかはついてきていないみたいで、馬車が停まるとランナさんが御者席から飛び降りて、馬車の扉を開けてローラさんの手をとっていた。
開いた扉から、馬車の向こう側の扉も開いたのが見えたけれど、誰も手を取る人がいないみたいな感じだったので、アリシアが馬車の逆側にまわりこむと、同じく診療部の、金髪でおかっぱのウビカさんがいた。
それで、手を取って降ろそうとしたら、馬車の床から地面までけっこう段差があったので、どうしたらいいんだろうとアリシアはちょっと迷う。
そのあげく、仕方がないから、ちょっと失礼しますよと声をかけて、ウビカさんを抱え上げるようにして抱っこした。
でも、手前側の扉から降りたローラさんは、スムーズに馬車から降りたはずで、だからなんか変だなと思って、馬車の扉のあたりをよーく見てみると、折り畳み式の梯子がついていて、馬車に乗ったり降りたりするときは、これを拡げればいいみたいだった。
自分がやるとどうもしまらないなあと、アリシアはちょっと恥ずかしく思う。
それから馬車の扉を閉めたところで、ウビカさんを抱っこしたままなのに気が付いて、馬車の手前側の屋敷の入り口のほうまで戻ってからウビカさんを降ろした。
やってきたのは、前に来たのと同じ三人で、金髪をくるくるに巻いたローラさん、長い黒髪の眼鏡のランナさん、それに金髪のおかっぱのウビカさん、という名前だったと思う。たぶん。
名字とかは忘れてしまった。
アリシアの実家があった山の麓の村とかは、お互いに名前だけ知っていれば十分なくらいの人間関係しかなかったから、名字というのはそういうものがあるというのは知っているけれど、いまひとつ馴染みがない。
アリシアだって、ご領主様のお屋敷に奉公に出るまでは、ゴルサリーズさんと呼ばれたことはなかったりする。
「急に来てごめんなさいね」
とローラさんが言うのに、トラーチェさんが「いえいえ」とか答えている。
トラーチェさんは、さっき必死になって大食堂の掃除とかしてたのに、思ったままのことは言えないみたいだった。
皆を応接間に案内して、お嬢様とトラーチェさんがお客さんの相手をしてくれている間にアリシアはキッチンを覗きに行ってみる。
キッチンではアイシャさんが珈琲を入れてくれていて、最高にいい香りが漂ってきたので、アリシアは思わず陶然としてしまう。
「冷蔵庫にお嬢様がケーキを用意してくださったからお皿に並べてくださる?」
とアイシャさんから頼まれたので、アリシアが冷蔵庫を覗いてみると、それらしい紙箱があった。
開けてみると、真っ白なクリームに覆われたケーキの上にたぶん無花果とメロンのかけらが載っていて、ミントもあしらってある。とても美味しそうだ。
数を数えてみると、皆のぶんありそうなので、アリシアはうきうきとしながらクリームを崩さないよう慎重に皿に移していく。
移し終わってフォークを添えたところで、パチパチという音がしたので見ると、コロネさんが氷がいっぱい入ったガラスのコップが並んだところに手をかざしていて、たぶん令術で冷やしているようだった。
そこにアイシャさんがポットから珈琲を注いでいくと、パチパチと氷がはじけて音がしている。
用意ができたようなので、ケーキの載った皿と冷たい珈琲の入ったコップを、銀のお盆に移していると、メイドのミーナちゃんが
「あの、私とトニオはこちらでいただきますから」
と言ってお盆から皿とコップをよけた。
「そうなの?」
「そりゃ私たちは使用人ですから応接間では食べれないですよ」
そんなもんかしら? と思うけれど、そこらへんの感覚はアリシアにはまだよく分からない。
ケーキと珈琲を持っていって、皆の前に配りおわると、お盆は一緒に来てくれたミーナちゃんが引き取ってキッチンに持って帰ってくれた。
それでアリシアも応接間に置いてある自分用の大きな椅子に座り込んで話を聞いていると、今日はどうやら、お嬢様がこの学園で先生もするので、その授業の内容をどうするかということを話しているようだった。
「問題は教科書をどうするかってことですわよね。
そこらへんの治癒士の先生の本を使ってもいいですけれど、それじゃ特別感もないですし、面白くないですわ」
「……おかあさまからもらったノートはあるけど、これつかえないかな?」
そう言って、お嬢様がどこからともなく紙の束を取り出してローラさんに渡す。
「あら、それはいいですわね! あの大治癒士フルーネ様のお書きになったものとなれば、それだけで価値がありますわ! ちょっと拝見……」
お嬢様のお母様というとことは、つまり奥様のことなわけだから、奥様のお名前はフルーネというらしい。
アリシアはそんな大事なことを今の今まで自分が知らなかったことに気が付いて衝撃を受けた。
「こ、これフルーネ様の直筆ですわよね? いいなあ……」
ローラさんはそう言って、お嬢様が出してきた紙束を熱心に見ている。
奥様の直筆の何かと考えると確かにアリシアもそれは欲しいと思う。
けれども治癒術のなにか難しいことが書いてある本だと意味はほとんど分からないだろうから、ちょっと微妙かもしれない。
それよりは例えば、さりげなく奥様にあてて手紙でも書けば、自分のためだけに書かれた直筆の返信が手に入るのでは!? とアリシアの脳裏に素晴らしい思い付きが閃く。
「……わたくしにとってはこれはこの世でもっとも貴重な本ではありますけれど、でも見た感じはあまりにもメモ書きの集合体ですわね。
分かる人が見れば内容はある程度分かりますけれども、教科書にするのにはちょっとどうかという気がいたしますわ」
「じゃあ、おてがみだしておかあさまかりょうちのちゆしのひとにノートにかひつしてもらう」
「そ、そんなことしていただけるんですの?」
「おかあさまはやさしいし、だいじょうぶだよ。
それにみんなだって、わたしのはなしをききたいっていうより、わたしがおかあさまのでしだからはなしをききたいんでしょう?
おかあさまのかいたきょうかしょのほうがおきゃくさんがくるわ」
「アリスタ様の臓器の置換術や欠損部位の整復術もけっこう有名ですから、一概にそうとは言えませんが、そういうところはなくもないですわね……
それに授業は後期からとして、時間があるとはいえ、前期は前期で討伐演習とか色々ありますからね。
ゆっくり教科書など書いている暇があるかどうか分かりませんし、フルーネ様にお願いできるのであれば、その方が楽ではあります」
そんな感じで、授業計画とやらがどうとか、難しそうな話が延々と続いて、アリシアは退屈になってくる。
治癒術が使えるアイシャさんとコロネさんは、お嬢様たちが何を言っているのか少しは分かるらしくて、色々と質問したり、提案したりとかしているけれども、アリシアにはほとんど話の内容が分からないから、段々と眠くなってくる。
診療部とやらの皆さんも、こういう話が分かるんだからすごいなあと思って、ぼんやりと彼女たちのほうをみていると、金髪をくるくるに巻いたローラさんは盛んに話をしているし、長い黒髪の眼鏡で、確か診療部の部長さんだとかいうランナさんも興味深そうに話を聞いているけれど、金髪のおかっぱのウビカさんは、実はそうでもないようで、心ここにあらずというか、あっちこっちに視線がさまよって、アリシアと同じく退屈そうに見えた。
あっちこっちをぼんやり見つめているウビカさんと目が合ったので、アリシアはにっこり微笑んでみると、ウビカさんも嬉しそうな顔をしてくれる。
アリシアはふとそこで、トラーチェさんが昼ご飯を出さないといけないのがどうとか言っていたのを思い出した。
診療部の皆さんは朝遅くくらいに来たけれど、けっこう長いこと話しているし、作る時間を考えれば、そろそろ昼ご飯の支度に取り掛からないといけないんではないだろうか。
ここにいても退屈だし、ということでアリシアはそっと席を立ってキッチンのほうへ行く。
キッチンのほうで、食料庫を覗いてみて少し考える。
乾麺がいっぱいあったし、鶏肉もいっぱいあった。
今日は人数がいつもより多いし、いつもだいたい食事の用意はアイシャさんが主戦力で指示をだして、皆で作業して作るんだけれど、今日はそのアイシャさんが診療部の皆様方と熱心に話し込んでいるから、アイシャさんの指示は受けられない、ということは難しいものは作れないということだ。
アリシアはそうやって検討した結果、オリーブ油と塩胡椒に大蒜と唐辛子で味を付けたスパゲッティと、鶏肉と茸と野菜のスープ、それと生野菜のサラダにメニューを決めた。
それだけだとすこし物足りないから、鶏の腿肉を焼いて切って、スパゲッティの上に載せることにする。
術石焜炉に火を入れてお湯をいっぱい沸かしながら、サラダの用意をする。
腹痛を起こさないように流水で葉っぱを一枚ずつよーく洗わないといけないからサラダというのは面倒だ。
作業していると黒森族のコージャさんや、人馬族のウィッカさん、あと従僕のトニオくんとメイドのミーナちゃんもキッチンにやってきた。
つまり治癒術が使えない人ばっかりで、話を聞いていても退屈だったんだろう。
それで皆で手分けして、スープの具を切ったり、塩と乾麺をお湯に投げ込んだり、大蒜を薄く切って、唐辛子と合わせて油で揚げるようにして油に香りを移したり、鶏肉を焼いたり、そういうことをしていると、キッチンの入り口から足音がして、見ると金髪のおかっぱがのぞいていて、ウビカさんがこっちを見ているのだった。
アリシアが「もうすぐできますよ」と声をかけると、ウビカさんはとてとてと足取り軽くキッチンに入ってきた。
興味深そうに調理の様子を眺めている。
ヒマなのかなと思ったので、スパゲッティーが茹であがったところで、トングを渡して皿に付け分けてもらう。
料理もほとんどできあがって、最後に皮目からパリパリになるまで大蒜と香草で焼いた鶏の腿(贅沢にひとり一枚、アリシアとウィッカさんは四枚、アイシャさんは二枚)を何枚も鍋から引き揚げる。
ウビカさんがじっと見ていたので、ナイフを渡して、食べやすい大きさにスライスしてもらって、それからスパゲッティーのうえに載せる。
仕上げに、小口に切った細葱がいっぱい入った皿をウビカさんに渡して、スパゲッティーの上から景気よくばらまいてもらう。
そうして「できた!」とアリシアが声をあげると、ウビカさんが「じゃあ皆を呼んでくる!」と言って、たたっとキッチンから走り出ていった。
やがてガヤガヤと声がして、診療部の皆さんと、お嬢様とアイシャさんとコロネさんと、トラーチェさんがキッチンに入ってきた。
けれどもトラーチェさんはなんだか困ったようなというか、やっちゃった……とでもいうような顔をしている。
どうしたのかなとアリシアは怪訝に思ったけれど、髪をくるくるに巻いているローラさんが
「まあ、美味しそうな匂いね!」と言ってくれたので、気を取り直して、フォークや冷たい水を入れたコップを配ったりし始めた。
食事は皆がおいしいと言ってくれて、アリシアとしてはひと安心だったけれど、ローラさんが
「キッチンで食事をしたのは初めてだったけど、これもお料理が冷めなくていいものね」
と言って、そうしたらトラーチェさんが苦笑いをしていた。
そう言われてアリシアは、そう言えばご領主様のお屋敷でいたときは、食事をキッチンで食べたことなんてなかったし、普通はそんなことはしないものなのかなと思い当たった。
考えてみればトラーチェさんは、お客さんが来る前に必死で大食堂を掃除しようとしていたのを思い出す。
食後にはお嬢様が荷物袋の異能から、アイスクリームを出してくださった。
他の皆はあまり気にしていないようだったけれども、トラーチェさんがキッチンで食べるのはどうなのか、みたいなことを言ったので、冷たくした珈琲を用意してから応接室まで戻って、そこでいただいた。
それから食べて飲み終わったコップとお皿をミーナちゃんが片して応接室からさげてくれると、また、お嬢様の授業をどうするかみたいな、お話し合いが始まる。
でもアリシアはやっぱりよく分からないので退屈だった。
それでアリシアがヒマそうにしていると、同じく昼ご飯の前から退屈そうにしていたウビカさんが、椅子を引きずって、アリシアの隣に寄ってきて座る。
触っていい? とか聞いてくるもんだから、何をするのかと思ったら、アリシアの髪を触ってあっちこっちに小さな三つ編みを作り始めた。
女の子は退屈するとこれやるんだよなと思いながら、アリシアは髪にだんだんと三つ編みが増えていくのに任せていたけれど、やがてそれも飽きてしまったみたいで、ウビカさんは立ち上がると
「少し出てきていい?」
とローラさんのほうに向かって聞いた。
ローラさんは「あなたはもう、他人事みたいに……」と言って少し怒ったみたいだったけれど
「でもそうね、たぶんけっこう遅くなると思うわ。退屈なら少し遊んでらっしゃい」
と優しく言ってくれる。
はーい、とウビカさんは良いお返事をして、それからアリシアの腕をとって
「じゃあ行きましょう」と言った。
えっ、私? とアリシアは戸惑ったけれど、ローラさんが
「ウビカひとりだけだと不安だわ。もし良ければアリシアさんも付いていってあげてくださる?」
と言ってくる。
そう言われてもアリシアが勝手に行ってしまうわけにはいかないから、お嬢様のほうを見てみると、お嬢様はアリシアに向かってバイバイと手を振っていた。
アリシアはちょっとショックだったけれど、そういうことなら仕方がないから、いったん部屋に戻って、軽く武装してからマントと帽子を付けて応接間に戻る。
それから皆がいってらっしゃいと言ってくれる声を背に受けながら、ウビカさんに手を引かれて、アリシアは屋敷を出たのだった。




