ハーフオーガのアリシア42 ― お嬢様は学用品を買ってくださるⅡ ―
ペンやら何やらをお嬢様に買ってもらったその翌日。
朝ご飯を食べた後に、トラーチェさんが授業を書き留めるためのノートを作りましょうと言ったので、お嬢様が【荷物袋の異能】から厚紙と紐と薄い紙をたくさん出してきてくださって、その紙と厚紙に錐で穴をあけて、紐で綴じてノートを作る。
「とる授業の数だけ作るんですよ」
とトラーチェさんが言うものだから、アリシアは同じものを十冊も作った。
そうやって皆してキッチンのテーブルで作業していると、屋敷の裏口から呼びかけるような人の声がして、トラーチェさんが裏口の方へ、ぱたぱたと走っていく。
やがて、居間のほうからトラーチェさんが皆を呼ぶ声がしたから、キッチンのテーブルから立って居間へ行ってみると、トラーチェさんは、大きな箱を持った知らない男の人たち二人と一緒にいて
「鞄屋さんが来られましたよ」と言った。
その大きな箱のふたを鞄屋さんが開けると、中には新しい鞄が幾つも入っている。
鞄屋さんが鞄をソファーの上に並べているのを見てみると、少し青みがかった薄黒に染めてある厚手の丈夫そうな布の鞄で、鞄の上半分を覆うような大きな蓋と、そこに付いている把手と蓋を留めるためのベルト、それに底の部分は革になっていて、ところどころ艶消しした金属のプレートや鋲が打ってあったりする。
鞄屋さんは、鞄を並べ終わると、ちろりと目を上げて、アリシアと馬人族のウィッカさんのほう見て
「計測が必要なのはこちらの方々ですね」と言った。
ちょいと失礼しますよ、と鞄屋さんは言って、鞄の生地と同じような分厚くて、幅の広い紐を箱から取り出すとアリシアの腕に当てる。
そうやって長さを確認したのか、その紐を切って、それから金具とか革でできた部品とかを取り出して、その紐とくっつけて、それを鞄にくっつける。
するとそれが鞄を肩掛けするベルトになった。
同じことをウィッカさんにもして、そうやって鞄が完成すると、鞄屋さんはお嬢様からお金をもらって、領収書を切ると帰っていった。
鞄を買ってくださったお嬢様にお礼を言って、鞄を部屋に引き揚げて、今しがた作ったノートと、昨日買ってもらったペンとかインク壺とかを鞄に納めると、授業とやらを受ける準備が完璧に整った気がして、アリシアはとても嬉しくなった。
けれども、その授業がいつからあるのかとか、どこで受けるのかとかをアリシアは全然知らないことに気が付いて、それで居間に駆け戻って、ソファーで何やら書き物をしていたトラーチェさんに聞いてみた。
すると「アリシア様は、授業は二月までありませんよ」という答えが返ってくる。
アリシアは、今が八月の半ばだから……と指折り数えて
「半年も先じゃないですか!?」と驚いてしまう。
「二月ですから、そうですね」
「それまで何をしてたらいいんでしょう……」
すると、トラーチェさんはちょっと笑って
「ご説明しますからお座りになって」と言ってくれたので、アリシアは部屋の隅に置いてあった、自分用の大きな椅子をトラーチェさんの向かい側に据えてから座った。
「えー、まずですね。この学園では一年中ずっと授業を通してやるわけではないんですね。
どういうことかというと、一年を二つに分けるんです。前期と後期って言うんですけれど。
九月から学園で授業が始まって、十二月末まで続くんですが、これを前期っていいます。
それから端月と一月が冬の休暇になっていて、その間は授業はありません。
次は、二月からまた授業が始まって、七月下旬までありますが、これが後期です。
七月下旬から八月いっぱいは夏の休暇ですね」
なるほど、つまり九月から学園が始まるから、お嬢様やアリシアたちは、それに間に合うように八月のうちに学園に来て、住む屋敷の掃除をしたり、ペンとか鞄とかを買い揃えたりしてくださっていたわけか。
でも九月から授業が始まるのなら、アリシアは二月まで授業がないというのはどういうことだろう? とアリシアは思う。
「それで普通はそうなんですが、戦えるくらいに強い人たち、つまりお嬢様とかアリシアさんですね、そういう方たちは、前期は授業がなくて、授業のかわりに討伐演習というのをして、それで授業を受けたのと同じ扱いになるんです。
討伐演習というのは魔獣討伐演習のことで、つまり魔獣狩りですね。
後期は普通にアリシア様たちにも授業がありますよ」
「……つまり、この学園は前半と後半があって、前半は授業のかわりに狩りをしてればいいということですか?」
アリシアがそう聞くと
「アリシアさんはそうですね。でも従僕のトニオくんとか、メイドのミーナちゃんは普通の人で戦えないですから、討伐演習には出なくて、前期も普通に学園で授業を受けるんだと思いますよ。
お嬢様が鞄とかペンとかいろいろもう揃えてくださったのは、トニオくんとミーナちゃんのためじゃないですかね。
あの二人はコロネさんのとこの人ですから、本当はコロネさんが用意するものなんでしょうけど、そこはまあ、お嬢様の寄親心というか、ご親切というか、サービスというか、そういうことなんでしょうかね」
と、トラーチェさんが教えてくれた。
「私もあんまり強くないので、演習は出たり出なかったりなんですが、今回はお嬢様が心配なので出ます」
トラーチェさんの言うことからすると、要するにあのすばらしい鞄は、出番が当分ないということらしかった。
アリシアは買ってもらった鞄をはやく使ってみたかったので、ちょっとだけがっかりした。
◆
翌日は、午後からお客さんが来るとかで、皆で朝からトラーチェさんの言うとおりに掃除をしたり、ポットやカップを出してきたり、お茶の準備をしていた。
お菓子は、お嬢様が【荷物袋の異能】のなかにストックしていたとかいうのを出してこられて、見た感じ、小さな丸いタルト生地にきれいな円柱状に成型されてあるヨーグルトだかミルクだかのムースが乗っていて、その上に新鮮な黄色い柑橘をひと切れ、そこにちょろりと真っ赤なベリーみたいなソースがかかっていて、いちばん上にミントの葉が添えられてある。
それが幾つも並んでつやつやと光っている様子は、すごくおいしそうで、食べてみたくてアリシアはよだれが垂れそうだった。
「さんねんまえくらいにかってにもつぶくろにはいりっぱなしになってたわ」
「それ腐ってないんですか?」とトラーチェさんは疑い深そうに聞く。
「わたしのにもつぶくろのなかはじかんがとまるから、いれたときからくさってなければだいじょうぶよ」
それでもトラーチェさんはまだ疑い深げにタルトを見ているので、お嬢様は
「じゃあちょっとあじみしてみる? おなじのをまだいっぱいもってるし」とおっしゃった。
「はい。じゃあ……」
そう言って、トラーチェさんはフォークを持ってきて、それで少しだけタルトを切り取って味見をする。
すると「あ、美味しいですねこれ」と言って残りをぱくぱくと食べてしまった!
「そうでしょう。だからなんじゅっこもかっていっぱいにもつぶくろにいれてあるのよ」
とお嬢様は本当に嬉しそうにおっしゃった。
そうして、お嬢様がまた同じタルトをトラーチェさんが食べてしまった分のひとつだけ【荷物袋の異能】から出してきて足すと、タルトは縁に金彩が入ったつるつるした白いきれいな小皿に盛りつけられて、晶術石で動く冷蔵庫にしまわれてしまう。
自分も食べてみたかったなあ、とアリシアはがっかりして、ああいうタルトやケーキを腐ることもなくいっぱい持っていて、その気になればいつでも食べられるお嬢様のことを羨ましくも感じたのだった。
◆
それで昼ご飯を、アイシャさんに指示されながら皆で急いで作って、食べて、片づけをし終わったくらいのところで、今日はお客さんがあるはずだからということで、屋敷の二階の窓から見張りをしていた従僕のトニオくんが、階段を降りてきて
「馬車が一台敷地に入ってきてます」と言った。
それで、お嬢様と家臣一同で玄関前に出て迎える用意をする。
一頭引きの馬車が屋敷の前庭をまわって、玄関前に停まると、御者台に座っていた人がぴょんと飛び降りて、アリシアたちのほうに向かって一礼し、それから馬車の扉を開ける。
馬車から降りてきたのは、眼鏡をかけた黒髪で痩せぎすの若い男の人だった。
見た感じは、なんだか眉間に皺がよっていて、神経質そうな印象がある。
なんだかちょっと背が曲がっていて猫背で、そのせいか少し老けても見えるし、不健康そうでもある。
馬車の反対側の扉からは、大柄で横幅のある金髪の男の人が降りてくる。
こっちの人は穏やかそうな表情をしている。
トニオくんがやってきて、馬と馬車を屋敷の裏手に案内している間に、痩せた眼鏡のほうの人が
「テニオ・ソーモという。食料購買局の局長をしている」と自己紹介をする。
ぼそりと事実だけ述べたみたいな感じで、なんだかちょっとつっけんどんな印象を受ける。
するともう一人の大柄な金髪の人が
「私はウルス・アウレと申します。
学園の自治組織のひとつであります生産連絡会の内局であります食料購買局におきまして、副局長を務めております。
このたび、アリスタ・ファルブロール様におかれましては、このように早急な面談の機会をいただけましたこと、誠にありがたく存じます。
本日はどうぞよろしくお願い申し上げます」
そう言って頭を下げた。
なんだか黒髪の男の人とは違って、こっちの金髪の人は必要以上に丁寧な気がする。
なんだか体が大きくて熊みたいなふうに見えるのに、人は見かけによらないものだ。
ウルスさんは、屋敷の裏から戻ってきた御者さんのほうを手で示しながら
「こちらはエクス・カウダムといいまして局員であります」と紹介する。
よろしくお願いいたしますと言って頭を下げたエクスさんは、眼鏡をかけていて、焦げ茶色の少し長めの髪を後ろに縛って流している。
顔がハンサムだしちょっとかっこいい。
◆
応接室にお客さんたちをご案内して皆が座ったところで、トラーチェさんが紅茶を人数分入れてくれて、それからミーナちゃんがさっき冷蔵庫にしまわれていたヨーグルトだかミルクだかのムースのタルトを持ってきて、皆の前に並べてくれる。
アリシアの前にも並べられたので、アリシアもありつけそうだった。
でもトラーチェさんの前にもあったから、彼女はさっき食べたのにまた食べるんだろうか。
このタルトには、どういうタイミングで手を付けようか、誰か食べ始めてから様子を見つつ手をつけるか、などとアリシアが思い悩んでいると、痩せぎす黒髪眼鏡のテニオさんが、話もせずにどうぞとも言われる前から、いきなりフォークをパッと取って、タルトをばくばくと食べ始めた。
あっという間に食べ終わって、紅茶をズズッと音を立てて飲むと
「これは旨いな。そしてこれはこの街の菓子じゃない。どこかよそから持ち込まれたものだ。そうだろう?」
と言った。
「どこだったかわすれたけど、どこかよそのまちでかったわ」
痩せぎす黒髪眼鏡の人が、初対面なのに敬語とかも何もないざっくばらんな口調で話すので、お嬢様もそれに合わせているのか、同じような言葉づかいで返す。
「そうだろう。そしてこの菓子は古くはない。味が劣化してなくて今日作ったみたいだ。
この街では作られていない菓子が新しい状態でここにある。
これは何を意味するか、つまり君は中が時間停止する【荷物袋の異能】を持ってるわけだ。違うか?」
「……ちがわないわ」
お嬢様はためらうように、どこか不服そうな顔でそう言う。
「穀物の値段が高くなっても安くなっても、船はファルブロール伯領へ行く。
安いときは買い支えてもらい、高い時は安く放出してもらうわけだが、君の母親がこれをやっているとして、君はどの程度関わっているのか」
痩せぎす黒髪眼鏡の人は、そう言ってお嬢様をジロジロと見つめる。
なんだかお嬢様は嫌そうな、不本意そうな顔をしている気がする。
「これほどの異能を持ちながら診療部なんかに入るなどと愚かなことだ。適材適所というものがあるだろう」
えっ? とアリシアはびっくりしてしまう。
いきなり他人に向かって愚かとか言うもんだろうか。
それともこういう都会じゃそんなこともあるんだろうか?
いったいどうすればいいのか、抗議すればいいのか。でも自分が言ってもいいものだろうか、とかアリシアが考えていると
「局長、失礼ですよ」と金髪の大柄なほうの人が止めに入ってくれた。
「失礼? 何がだ」
「いきなり人に愚かとか何を言っちゃってるんですかね」
「事実だろうが。少しばかり誰か治療してやるより、食料供給の安定の方が大事だろう。
まして、あの診療部のやつらは……」
「いい加減にしてください。嫌がってるじゃないですか、顔見て分からないんですか」
「はあ? 嫌だったら嫌と言うだろう」
金髪の大柄なほうの人、確かウルスさんといったか、彼は顔を覆ってため息をつく。
そうして、お嬢様のほうに向きなおり
「たいへん失礼をいたしました。彼にはよく言って聞かせるようにいたします」
そう言って頭を下げた。
「お詫びと申しましては何でございますが、ファルブロール様におかれましては、ご商売などお始めになる予定がおありでしたら、各種組合その他へご紹介などさせていただくことが可能です。
ひと声かけていただきましたら、すぐ参りますのでどうぞご用命くださいませ」
そう言われて、お嬢様は少し考えると
「そうね、てつはすこしダブついてるわ。
あとはどせきにこうぶつ、まあいおうとかていひんいのせきたんなんかがいっぱいあるかしら」
なるほどなるほど、と言いながらウルスさんは懐から出したメモ帳にメモを取る。
「でも、ふつうのひとのしょうばいのじゃまはしたくないの。だからむりにはうらなくていいわ。
かうほうもたとえばやさいやくだものがとれすぎてあまってて、このままだとくさっちゃうみたいなのがあればすぐにかいにいくわ。
こくもつもねくずれしてたらかうし、ねだんがあがりすぎてたらだすわよ」
「ふむふむ! 荷物袋の異能持ちかくあれかしというようなご立派なお心構えでございますね。
このウルス、感服いたしました。
学園生産連絡会としましては百万の味方を得た思いにございます! ありがとうございます!」
ウルスさんはそう言って、なぜかとても喜んでいた。
◆
ウルスさんが、あの失礼な黒髪眼鏡の局長とやらを引っ張るようにして帰っていったあとで、アイシャさんがお嬢様に
「また安請け合いしてると仕事ばかりになっちゃいますよ」と言っていた。
「かんぜんにむししたりとかは、わたしできないもの。
そしたらいえにいたって、ここにきたって、ほかのどこかでも、どうせしごとはふえておなじことになるわ。だからいいのよ」
お嬢様はどこか諦めたような調子でそう答える。
「もう! お人よしなんだから」
アイシャさんはそう言って、お嬢様を抱き上げると、ぎゅっと抱きしめた。
アリシアは、お嬢様が普段なにをしているとか、そういうことはあまり知らなかったのだけど、赤ちゃんみたいに見えるお嬢様にも苦労があるんだなあと、なんだかかわいそうな気がしたのだった。




