ハーフオーガのアリシア41 ― お嬢様は学用品を買ってくださるⅠ ―
診療部とやらのお姉さま方が攻めてきた、その翌日。
新鮮なイカと小海老がいっぱい入って、大蒜と香辛料もたくさん使ったトマト仕立てのスパゲッティーと、新鮮な葉野菜と柑橘のサラダの昼食を食べ終わり、皆で先に片付けをしてから、居間のソファーに座って、冷たくした珈琲とアイスクリームをいただいていると、ふと何かに気づいたように、お嬢様が顔をあげて
「がくようひんをかいにいくわよ!」
と、おっしゃった。
「でもかみはにもつぶくろのなかにいっぱいあるわ」
とのことだったので、紙以外のペンとかを買いにいくらしい。
そう言われてみると、アリシアは自分がペンも木炭も何も持っていないことに気がつく。
「どこかご存じのお店があるんですか?」と黒森族のコージャさんが聞いたけれど、お嬢様は
「どこにおみせがあるのかはわかんない」とのことで、そういうのはトラーチェさんが詳しそうだから、ちょっと外出しているトラーチェさんが帰ってくるのを待つことになった。
珈琲のグラスやらアイスクリームを入れていた器やらを洗いながらしばらく待っていると
「ひゃー、中は涼しい!」
とかいうトラーチェさんの声が玄関ホールのほうから聞こえてきて、トラーチェさんが帰ってくる。
真夏に晶術具から出る冷風のありがたさにはアリシアも同意する。
術石をたくさん使ってそれらを動かすお嬢様も偉大だ。
居間のほうにやってきたトラーチェさんに、お嬢様が話を聞いてみると、お店の場所は知っているということで
「じゃあすぐに行きましょう」とトラーチェさんは言ったけれど
「だめよ、アイスクリームをたべてコーヒーをのんでからよ」とお嬢様が主張したので、トラーチェさんが食べ終わるのを、そのへんの掃除でもしながら皆で少し待つことになった。
屋敷が広すぎるので、しようと思えば掃除するところがいくらでもある。
◆
「お待たせしましたぁ」
と言ってトラーチェさんが居間から出てきたので、皆を呼び集めて車庫のほうに行くと、人馬族のウィッカさんと、あとコロネさんに従僕のトニオ君が、馬車の用意をしてくれていた。
ウィッカさんの引く馬車と、コロネさんの馬が二頭で引く馬車の二台に分乗して(アリシアは重すぎて馬車に乗れないから歩きだけれど)トラーチェさんの案内で走る。
学園都市は、大きな通りに出ると、もう考えられないくらい人がいっぱいいて賑やかだし、アリシアは道に迷うのが怖くて、ほとんど屋敷から出てなかったので、外の景色がなかなか新鮮で物珍しい。
◆
着いたところは、ペンとか紙とかインクとか蝋燭とか、そういうものを売っているお店のようだった。
店の外の大きなガラス窓から、虹のように色を違えてずらりと並んだインクの瓶や、色とりどりの鮮やかな羽根のペンが見えていて、アリシアは楽しい気分になったけれど、そのお店は間口があんまり広くなくて、店の中への通路も広くなかったので、ちょっとアリシアが店の中に入るのは厳しそうだった。
体を無理やり入れれば入らないこともなさそうだけれど、体が当たってお店のものを何か壊すと困るので、店の外で待っていることにする。
アリシアは、けっこうがっかりしたけれど、同じく体の馬の部分がつっかえるからと店に入らなかった馬人族のウィッカさんが、一緒に店の外でいてくれたので、あんまり寂しく感じることもなかった。
トラーチェさんはアリシアやウィッカさんが、体の大きさ的に入れないことに、お店に着いてから気づいたみたいで、しきりに恐縮していたけれど、あまり気を遣われてしまうと、むしろ困ってしまう。
ウィッカさんと顔を見合わせて、アリシアは苦笑したのだった。
それでもでっぷり太った店主さんが、汗をかきかき、机をひとつ店先に持ち出してきてくれて、店の奥から色々と商品を持ってきては、机の上に並べてくれる。
「筆記用具なら鉛筆がおすすめです」
と店主さんが言って、鉛筆なるものを見せてくれる。
細くした石墨を芯にして、細い溝を彫った木の板で挟んで接着して固めてあるとのことだった。
「これはインクが要らないから手間がなくていいんですよ」
とは言っていたけれど、どうやら書くためにはナイフで先を削らなきゃならないみたいで、それが面倒と言えば面倒だし、鉛筆を削るためであれ、大鬼族がナイフを取り出しているという絵面はどうかと思ったから、普通のペンにすることにした。
金属のペン先と木のペン軸を三つずつと、あとものすごくきれいな、透き通るように透明なガラスと青い色ガラス、それに白いガラスを組み合わせてひねってある、ガラスでできたペンというものがあったので、それを一本、あと梔子の花をあっちこっちに押し花にしたきれいな便箋があったから、封筒とセットでそれも選んだ。
それと黒の普通のインク壺に、涼し気な水色のインク壺をひとつずつ。
アリシアは自分でお金を出すつもりだったけれど、申し訳ないことには、皆のぶんを、お嬢様がまとめて支払いをしてくださる。
特にガラスのペンが高かったみたいで、アリシアにだけ買うとえこひいきになって良くないからと、五本で金貨一枚もするのを、九人できてるからとキリよくお嬢様が十本買って、皆に好きなのを選ばせてプレゼントしてくださった。
買ったものを包んでもらって、渡してもらったときに、アリシアはしみじみと自分って幸せだなあと感じたのだった。
◆
そうして馬車のところに戻って、皆で馬車に乗り込んだところで、さっき買ったガラスペンを取り出して矯めつ眇めつしていたお嬢様が
「これもっとほしいわ。しいれにいきましょう」と言った。
それで、またトラーチェさんの案内で、今度は工房やらが立ち並ぶ場所に向けて馬車を走らせる。
いったん街の中を流れている川のそばまで出てから、下流のほうに向かって走ると、街の外れのほうに、少し煙を出している建物や、カンカンと何か金属を叩くような音をさせている建物があった。
なんか全体的に街並みが煤けていて、街の中心部みたいなお洒落な感じがない。
人に聞いたりしながら道を走って、小さなガラス工房に着く。
工房の中に案内してもらうと、黄色く燃えている窯の中に、ガラスだろう塊をくっつけた長い棒を入れたり出したり、その棒から空気を吹き込んだりしている様子が見える。
そこの工房長さん? は最初は、今はあんまりモノがないとか、売るのを渋っていたけれど、お嬢様が金貨を何枚かじゃらりと出して机に置いて、そこから一枚一枚足していくと、目の色がだんだん変わってきて、最後には、ガラスペンは色ガラスを何種類も煉り合せたようなやつとか、彫刻が入ったようなきれいなやつとかを三十本くらいと、あときれいなガラスの器をたくさん売ってもらえた。
いっぱい買えてご満悦のお嬢様は「これあげる」とか言って、ウイスキーか何かのお酒の入った瓶を何本かと、梨とか桃とか葡萄とか果物がいっぱい入った藤の籠を工房長さんに渡す。
そうすると、工房長さんは「や、これはどうもすみませんな」とか言って、嬉しそうに受け取り、帰り際には店の外まで出て、手を振りながら「またのお越しをお待ちしてます!」などと言いつつ見送ってくれた。
工房長さんは、何か事情でもあったのか、最初は売るのを渋っていたようなのに、最後は全然態度が変わったわけで、ああいうふうにやれば良いのかとアリシアは目を開かれる思いがする。
お嬢様が工房長さんの前に出したお金くらいなら、アリシアだって全然持っている。
ということは、アリシアにも同じことができるということだろう。
お金の力というのは恐ろしいものだ。
◆
そうして工房を出て馬車で走りかけた、くらいのところで、ふと目の前にものすごく大きな六本腕の男がいるのが見えた。
背丈は3メェトルを超えるくらいだろうか。
膝下くらいの短めのズボンから見えるとても太くて少し短めの脚には、大きな鉤爪があって蜥蜴のような鱗がついている。靴は履いていない。
体の後ろには、蜥蜴みたいな鱗の太くて長い尻尾をずうっと長く引いている。
そして肩から背中にかけてが、何か背負っているみたいに盛り上がっていて、そこから、長い尻尾とバランスをとるように、とても太くて長い腕が左右に三本ずつ、あわせて六本も生えているのだった。
顔は、少し犬歯が発達している以外は只人のそれとあまり変わらない、アリシアの父親と同じような、ごく普通のオーガの顔がついている。
そうして背中にはとても長くて太い少し反りの入った大剣を、左右から互い違いに六本、腕の数だけ背負うようにしていた。
この人は、ヨランダさんの顔を切ったヘレットとかいう男を、ご領主様のお屋敷まで引き取りにやってきた人で、確かエルゴルという名前の人だったと思う。
そのエルゴルさんの横に男の人がひとり、一緒に立っている。
アリシアはそっと手を動かし、腰の後ろにくっつけてマントで隠してある手斧の位置を確かめた。
「アリシアさんじゃないですか、どうもお久しぶりで」
エルゴルさんはそう言って挨拶をするように右側の三本の手を全部上げる。
アリシアは「どうも」と挨拶を返しながら、エルゴルさんはこういうときに手を一本だけじゃなくて片側全部あげるんだなあ、という興味深い発見をしていると、エルゴルさんは馬車の上でアイシャさんに抱っこされているお嬢様を見つけたのか、少し腰を落として
「アリスタ様も、御郎党の皆様方もご機嫌麗しく。学園へ道中ご無事のお着きのようで良かったです」
と挨拶してくれた。
トラーチェさんが慌てて馬車から降りようとするのを、エルゴルさんは、そのままそのまま、と手で制しながら
「今日はお出かけですか?」と聞いてきた。
「はい、がくようひんをかってきました」とお嬢様が答える。
「そうでしたか、今年から入学でしたら色々と買い揃えないといけませんな。
かくいう私も学園というところに来るのは初めてでして、色々足りないものを買い回っておったところですよ。
なかなか勝手がわからず困ったりもしますが、寄親が以前からこちらの学生ですので、色々聞いたりしてやっております」
そこでエルゴルさんは言葉を切って、少し考えるような様子をしてから言った。
「……近々に討伐演習というのがあると聞いております。
ファルブロール殿は独立の御家ですが、どなたかご一緒される方々はおられるのでしょうか?
もしおられないようでしたら、私共とご一緒なされれば、多少はご安心いただけるかと思いますが……」
お嬢様は自分では答えずにトラーチェさんをちらりと見る。
すると、トラーチェさんが
「つい先日に皆で学園の診療部というところに入部いたしましたから、討伐演習のときにはそちらのほうからまた指示などあると思いますわ」と答えた。
「おお、それなら安心だ。いや、差し出口を申しました」
「いえいえ、どうもご親切にありがとう存じます」
トラーチェさんがそう答えて上品にオホホと笑う。
なんかモノの言い方といい、笑い方といい声の高さといい、トラーチェさんは何だか別の人みたいだった。
「同じ街中ということでご近所でありますから、今後ともよろしくお願いします。それではまた」
「はいこちらこそよろしくお願いいたします。お気をつけて」
とかなんとかお互いに挨拶をしあって、エルゴルさんたちと別れる。
それから屋敷に帰る道々に、討伐演習ってなんだろうとアリシアは考えていた。