ハーフオーガのアリシア5 ― アリシアの失恋と旅立ちと就職Ⅴ ―
ドワーフのヴルカーンさんが、アリシアの心配をよそに、高価そうな晶術石をジャンジャン使い、金属を熱してガンガン叩き、装備品を完成させていく。
その間にアリシアは、村の友達やらに、遠くのお屋敷に奉公することになったからと言って別れの挨拶を順にすませていく。
アルバンとフローラの新居に挨拶に行った時も自制心を保って、取り乱したりはしなかった。
フローラは、行っちゃ嫌、とアリシアに泣いて取りすがり、そうしてから、ナッツと貴重な砂糖をたくさん使った贅沢な堅焼きのビスケットを餞別にたくさん持たせてくれて、フローラの優しさでアリシアは思わず心が浄化されてしまったけれど、いやいや、私は広い世界を見に行くんだとアリシアは自分に言い聞かせて旅立ちの決意を揺るがせはしなかった。
母親とはなるべく一緒にいるようにして、家の中でもベタベタしたり、何かというと母親を抱っこしたりして別れを惜しんだ。
父親とはまあ言葉はあまり交わさないが、格闘や武器の訓練を通して“お話”した。
そうこうしているうちに、鎧兜の下に着こむようの綿入れを、ヴルカーンさんが、髭に覆われたようなむさくるしい顔に似合わず、器用にチクチク縫って、これでアリシアの装備品がすべて完成した。
ついにやってきた旅立ちの日の朝。
出立のまえに、皆の前で完成披露をしようということで、
アリシアは、まず普通の服の上から、綿入れ(頭巾つき)を着せられる。
綿入れの上から、顔まで覆う兜をかぶらされ、手足の指先まで全身を覆う分厚い板鎧を着付ける。
それに背丈ほどもある大剣を左肩から右腰へと背中に背負わされて、
次に左腰に片手剣(オーガ基準)を取り付け、
腰の後ろには、狩猟で以前から使っていた大ぶりのナイフというか段平を二本つける。
空いている右腰横には柄頭の裏側がハンマーにもなっている戦斧を吊るす。
さらに大剣と交差するように、革帯をたすき掛けにして、そこに矢をいっぱいにした矢筒を二つと、鉄の板ばねで弓幹を補強した弓を取り付けて背負う。
そうして左手には全身を覆うような塔盾と言われる類の巨大な盾を持つ。
盾の裏には小さな鎧通し二つと手槍が一本、あと小さな円匙がひとつ、それに投石用の帯紐が組み付けてある。
残った右手には長柄で主武器の斧槍を持つ。
あんまり次々と装備させられるものだから、なんだこの全身武器人間はと我ながらアリシアが思っていると、さらに上からマントとサーコートをかぶせられ、最後に巨大な荷物袋を持たされて、やっと終わった。
アリシアが、両親や、見送りに来てくれた村の人たちの前で、兜の面頬を開けたり閉めたりしてみて笑い合ったり、ひとしきりポーズなど取ってみたり、大剣を抜いてかっこよく構えて見せたりしたあと、エルフ美男のスクッグさんと、ドワーフおじさんのヴルカーンさんは、馬に乗り始めた。
えっ、鎧とか脱がないのとか思って聞くと、ヴルカーンさんが、
「装備に慣れるために全部着けたまま行くんじゃ」と言った。
そんなん絶対無理じゃんとアリシアが思っていると、
「この装備は高級品だからな。
あっちこっちに慣性制御やら温度調整やらの晶術石を織り込んだり取りつけたりしてある。
無理な話じゃない。ホレ、行くぞ」とヴルカーンさんが付け加える。
そう言われたら、装備品をものすごく着込んでいるのに暑さで死にそうなわけでもなく、装備の重さで身動きが取れないというわけでもない。というかむしろ色々とポーズをとってみたりする余裕があったほどだ。
ヴルカーンさんとエルフ美男様が馬上から別れの挨拶を述べて、馬を歩かせ始めたので、アリシアも両親と見送りの人たちに手を振り、それからまだ見ぬ未来へと向かって歩きだしたのだった。
恰好が全身武器人間だったので何だか間が抜けていたが、現実はそう物語のようにあらまほしくはいかないものなのだった。
ヴルカーンさんとエルフ美男様は馬に乗っているのに、アリシアが歩きなことを、エルフ美男様が気にしてくれたが、ヴルカーンさんは一人では馬に乗れず(ドワーフはあまり馬に乗らないのが普通らしい)かといって歩くとドワーフは脚が短いので距離が稼げないから、エルフ美男様がヴルカーンさんと一緒に馬に乗ってやるしかない。
これが女の子向けの物語であれば、馬上のエルフ美男様の前か後ろあたりにアリシアが乗せてもらって、ちょっとしたドキドキ感などを楽しんで然るべきだけれども、アリシアは当然ながらデカすぎて馬には乗れないので、そういう恋愛小説に出てくるような華奢な女の子のごとき体験は最初からあきらめているのでもあった。
もっと言えば、アリシアの両親はアリシアを家族でもない男二人と一緒にして送り出しているわけであり、アリシアはそのことに何の疑問も抱いていないのだから、つまりはアリシアの両親も、アリシア本人さえも全く無意識に、自分のことを、年頃の女の子扱いしていないのだった。
一日歩いてから、いい感じの木立が見つかったので、相談して、その日はそこで野営することになった。
食事を簡単に済ませて、寝る前に夜に用を足そうと鎧を外していると、
「そういえば服の加工がまだだったな」とドワーフのヴルカーンさんに声をかけられる。
鎧の下に穿けるように加工するから、ズボンと下着をいま穿いているやつ以外全部出せと言われたので渡すと、ヴルカーンさんはそのままテントに籠ってしまった。
アリシアは体格的にもちろんテントになど入らないので、マントにくるまって木の根元にもたれかかるようにして眠る。
朝起きるとヴルカーンさんが下着とズボンを返してくれたけれど、見た目があまり変わらなかったので、ためつすがめつしていると、股のところが開くようになったんだと言われた。
それでよーく見ると股のところの布が重ねになっていて、生地の内側に外から見えないように釦が仕込んであった。
釦を外すとガバッと生地が開くようになっていた。
「今日からは鎧を外さずに、ズボンも下着も穿いたまま用を足すんだぞ」
そんな言葉が聞こえて、呆然として顔を上げると、そう言い捨てたヴルカーンさんが、縫物をすると肩が凝ってかなわんとか呟きながら、テントに戻っていくところだった。
用をたすことすら自由にはできないほどに護衛の仕事とは厳しいものだったのか、とアリシアは愕然とした。
それから四日間、野営を繰り返しながら歩き続けた。
アリシアも、狩りで野営することが稀にはあったけれども、四日も連続で家に帰らないということは今までにはなかった。
基本的に魔獣の類は夜に活発化する性質があるので、森の中では野宿を繰り返すのは良くないからだ。
水浴びもせず、下着も替えず、というか一番外側の鎧も外させてもらえないので、何もかもずっと付けっぱなしで、そろそろ体中がかゆくなってきて、いい加減うんざりしてきたところで、街が見えてきた。
山と川の間を付かず離れず通っている街道沿いの両側に、瘤みたいになって広がっている、宿場町みたいな造りをしている街だった。
少し高くなっている山の方から、きれいな上流の水を直接とるための水道橋が高いところをはしって街につながっているのが街の目立った特徴になっている。
街道から外れて、山のほうに少し寄ったあたりに、今夜の宿があった。
しっかりとした石造りで、けっこう大きく、間口も広くて、アリシアでも入れないこともなかった。
鍵をもらって宿の部屋に入ると、ヴルカーンさんが、やっと鎧を外してもいいと言ってくれたので、喜んで鎧を外したら、その瞬間ものすごい臭気がした。
つまりにおいの元はアリシアなわけで、顔から火が出る思いだった。
スクッグさんが苦笑いをしながら、戦争で鎧とかずっと着てたりするとそんなもんだよと言ってくれたけれど、そう言う割には、スクッグさんだって野宿をしながら風呂にも入ってないはずなのに、全然臭いがしないのだった。
やはりエルフ美男だと体臭も花の香りとかしかしないようになるんだろうかとか、益体もないことを考えてアリシアが精神の安定を図っていると、スクッグさんが宿と交渉して風呂を沸かしてくれることになった。
スクッグさんが庭のほうに出て行ったので、薪でも割るのかと思ってアリシアも一緒について出ると、スクッグさんが空の、水道橋の方に向かって手をかざしていて、その手をひょいと動かすと、水道橋の水路(水路に蓋はされていない)から水が、太い紐状になってずるっと持ち上がって出てきた。
アリシアがそれを呆然と眺めていると、スクッグさんがまた手をひょいと動かした。すると今度は水道橋から繋がって紐状になっている水の一部が細く分かれて、風呂のある建物の湯気抜き用の排気口からするすると入って行った。
「……魔法ってすごいですね」アリシアがそう呟くと、
「まあね。でも魔法ってわけじゃないんだよ。ナノマシンっていう粉がこの世界にはあらゆる場所に満ちていて、それに命令をするんだよ。命令するから令術って言うんだね」と言った。
水道橋から引っ張り出した水がぜんぶ風呂桶のほうに行ってしまうと、スクッグさんは今度は外に繋がっている風呂釜のほうに寄っていって、しゃがみ、今度は風呂釜に手をかざす。
そうすると、スクッグさんの手元から赤い光が飛び出して、風呂釜の鉄の部分に貼りつく。
しばらくするとそばで見ているアリシアの方にも熱が伝わってきて、風呂釜の光が貼りついている部分も赤熱するほどになった。
「――だからこれは不思議な超自然の力というわけじゃなくて、まったく物理的なものなんだよ。
この世界に満ちているこの仕組みは、まるで超自然現象を起こす魔法のように“作られて”いるから、なんでもできるように見えるけれど、実際はそうじゃない。
主なものは温度や慣性力の制御、それと極めて高度な治療、あと空間の励起や接続といったところかな。だから逆に言えば呪いやまじないや占いといったことには令術は関与しない……」
よし、こんなものかな。と言ってスクッグさんは立ち上がり、アリシアに、
「ようく体を洗っておいでよ。明日は奉公先との顔合わせだからね」
と言ってにっこり微笑んだ。
スクッグさんのその声の調子と顔が、あまりにも優しさに満ちていたので、アリシアはその瞬間に失恋した。
いや、恋というほどのものでさえないけれど、それでもアリシアは初めて見るエルフの美しい男に舞い上がってはいたのだった。
でもスクッグさんというエルフの男性は、エルフなので、アリシアよりはるかに年上で、そうして彼がアリシアに向ける眼差しは、はるかに年下の女の子に向けるような慈しみに満ちた眼差しだった。
それはアリシアが父や母から受けていたものだったし、アリシアの地元の村で、只人の女の子たちが、アリシアを庇護者とみなしてまとわりついてきたときに(それは常のことだったが)、アリシアがその役割を受け入れて、彼女たちに向けていた眼差しでもあったのだった。
そうしてアリシアはスクッグさんを‟男”としては見なくなると、もう鎧の下の異臭を嗅がせてしまったとかそういうことはどうでもよくなって、彼から向けられた優しさを心地よく思いながら、
「はーい」と元気に返事をして風呂に入りに行ったのだった。