ハーフオーガのアリシア40 ― 美容整形おねえさんとの出会いⅡ ―
訪ねてきた人達を、お嬢様が応接室に案内する。
トラーチェさんとお嬢様がよくも掃除してくれていたもので、トラーチェさんはこういうことがあり得ると知っていたから応接室の掃除をすると言いだしてくれていたんだろう。
さすが頼りになる。
アリシアが自分用の大きな椅子を部屋のすみから持ってきている間に、トラーチェさんが、あなたはあっち、あなたはこちらへとてきぱきと座る場所を決めてくれた。
なんでも座る順番というのがあるそうで、アリシアは、村長さんみたいな偉い人はだいたい奥の方に座る、くらいのことしか知らなかったから感心した。
皆が席に着くと、馬車に乗ってきていたメイドさんたちが、サンドイッチとかケーキとかタルトとかクッキーとか、お茶のカップとかポットとか砂糖壺とかを持ってきて、テーブルに並べてくれる。
どれもこれもきれいでアリシアは心が浮き立つような感じがした。
タルトの上に一面に敷き詰められているフルーツに、薄くかかったゼラチンがきらきらと煌めく様子は、何度見ても嬉しくなる。
そういうときにアリシアは、奉公にでて良かったなあと心の底から思うのだった。
テーブルの準備が終わると、ふわふわしたピンク色のドレスを着て金色の髪をくるくるに巻いた女の人が
「今日は突然の訪問をお受けくださってありがとうございます」といって話し始める。
このローラさんというのだったか、この人のような髪形をアリシアは見たことがなかった。
金髪がくるくると巻かれて螺旋状にぶら下がっているから、確かに立派には見えるけれど、あんまり派手すぎないかと思わなくもない。
アリシアの実家があった山の麓の村にはひとりもこんな髪型の人はいなかった。
でもここみたいな都会だと、こんな髪の人もいっぱい居るんだろうか?
「それで今日は、ファルブロール様を我が診療部にお誘いに参ったんですのよ。
診療部というのは、この学園都市の自治組織のひとつで、その名前のとおりですが、都市内の傷病者の治療を本務とします」
ファルブロール様って誰だろう、とアリシアは一瞬考えたけれど、そういえばお嬢様のことだとすぐに思い出す。
「わたくしたちが聞き込んできた情報によると、ファルブロール様は、ほんの幼児のころから、偉大な治癒士であられるお母様の指導をお受けになり、極めて豊富な術力によって、若年にもかかわらず非常に多数の臨床経験をお持ちであり、特に晶術を用いた肢体置換術による治療で、とても多くの実績をお持ちと聞いております。
先だっても近くの鉱山の街『ベルクボウ』で腎臓の置換で腎不全の治療をなさったとか?」
ローラさんがそう問いかけてくるけれど、お嬢様はなぜか黙っていて答えない。
「……それで、そのように強力な治癒士であられるファルブロール様には、ぜひとも診療部のほうへお入りいただければ嬉しいというのが、わたくしたちの希望であります。
けれどもファルブロール様は、同時に非常に大容量の【荷物袋の異能】を、極めて貴重な時間停止の特性付きでお持ちとか、また投射令術でもかなりの腕前であり魔獣狩りにも多くの実績をお持ちなどとも聞いております。
そうなると生産連絡会の購買局あたりは絶対にファルブロール様を狙って来るは必定。また、単なる火力として連隊持ちの部局も勧誘してくるはずですわ。
お誘いはありましたか?」
「めんかいしたいというてがみがきました」
「……お聞きしてよければなんですが、ちなみにどちらからですの?」
「どこだっけ?」
お嬢様はトラーチェさんのほうを向いて聞く。
トラーチェさんは、懐から封筒の束を取り出して、ぺらぺらとめくりながら
「総務部警衛連隊、執行部連隊、法務部治安連隊、判事局警衛連隊、検察局警衛連隊、弁護部警衛連隊、それに食料購買局ですね」
と答える。
「勧誘してきそうなとこの、ウチ以外ほぼ全部じゃん。すごい競合ですねえ」
と長い黒髪の眼鏡の女の人が楽しそうに笑いながら言った。
くるくるに巻いた金髪の髪を揺らしながら、ローラさんが
「まったく油断も隙もないですわね! 笑ってる場合じゃありませんわよ、やっぱり訪問させていただいてよかったんですわ!」
と憤慨したように言う。
それでね、それでね、とローラさんは懐から紙を何枚かとペンらしきものを取り出して
「もしよろしければ、うちの診療部に入部していただきたいんだけど、どうかしら?」
そう言いながら、その紙をローテーブルのお嬢様の前にスッと滑らせた。
紙には『入部届』と書いてあって、それを見たお嬢様は、臣下の皆のほうを向いて
「どうしようか、みんなもしんりょうぶでいい?」と聞いてくださった。
診療部というのが、どういうところなのかは、よく分からないけど、でも臣下なんだから別のところに入るのも変だし、皆でそこで良いですという返事をする。
それで臣下の皆と、あと従僕のトニオ君とメイドのミーナちゃんとで、その入部届とやらにサインをして、ローラさんはその入部届を検めると、満足そうな顔をして懐にしまった。
◆
それからはお茶会というものになって、アリシアはお茶会というのをしたことがなかったから、どういうものなのか、よく分かっていなかったけれど、ともかく美味しいサンドイッチとかお菓子とかを食べさせてもらえた。
洗濯をしていたせいで、昼ご飯を食べ損ねていたから、ことさら美味しくて、特に卵を茹でたやつを何か酸っぱいソースで和えて、胡椒をかけたものを挟んだサンドイッチがおいしかった。
それにアリシア用に出してくれたお茶のカップが、アリシアが普段使いしているような、とても大きなもので、つまりそれはローラさんたちがアリシアのことも事前に知っていたということになる。
アリシアは気を遣われていて嬉しいような、少し怖いような気持ちになった。
すこし雑談をして、それから
「……ところでアリスタ様は講座は持たれないのですか?」とローラさんが言った。
「こうざってなんですか?」
「それはつまり、アリスタ様が教師、つまり先生になって学生の皆さんに授業をされるんですのよ。
わたくしたちが聞いた話が本当なら、アリスタ様のほうが、ここの教授たちより治療実績は多いなんてこともあるんじゃないかしら。
臓器の置換なんてそうできるものじゃないもの」
「きょうしになるなんて、そんなことできるの?」
「それはもちろん教授会に諮ってみないといけませんけれどね。可能性は十分以上にあると思いますよ。
アリスタ様より経験も治癒実績も治癒技能も劣っている先生だって、この学園に沢山いるんじゃないかしら。
それならアリスタ様が教授は無理でも講師あたりになら、なれない理由なんてないもの」
「お嬢様にそういうお気持ちがあるなら、書類などはわたくしが作って出しますよ。
前に講義の開講申請の書式は見たことがありますし、総務部の友人たちに確認してもらえば書けると思います」
そうトラーチェさんが口を挟む。
「うーん、でもこうぎとかそういうの、やったことないし……」
「そりゃあ、誰でも最初は未経験なものですわよ。それに講義を開講するとなれば教授会で審査があります。
だから、その能力がないと教授たちが判断すればそもそも開講できませんし、逆に教授たちが開講を認めるのであれば、それは講義をする能力があると教授たちが認めたということですから、つまりファルブロール様にはできるということですわ!」
そうやってローラさんが熱心にすすめるので、お嬢様もついには「わかりました」と言った。
じゃあ、申請は出しておきますね、とか、それではわたくしは教授会に予約を、とかトラーチェさんとローラさんが言いあっている。
◆
そうして、機嫌よくローラさんたちが帰っていった、その日の夜にトラーチェさんが
「皆でどの授業を取るか相談しましょう」と言いだした。
アリシアが、なんのことかと思っていると、学生の登録というものをしたときにもらった紐で綴じた冊子みたいなのを持ってくるように言われる。
そういえばそんなものをくれたなと思いだして、部屋に戻って机の上に置いたままになっていた、その冊子を持ってキッチンに戻った。
冊子を開いてみると、週の何日目の何時ごろからどういう内容の授業がどこであります、ということを書いた紙を紐でまとめて冊子にしてあるということらしい。
例えばこんなふうだ。
開講時期:帝国歴528年後期 開講週日と時限:火の神の日 第二時限
開講場所:3-3-4通り 黄金の荷馬車亭 二階にて
取得単位:2単位
指導教員:ユルゲン・モーザー(講師)
講義題名:中等数学Ⅰ
講義目標:初歩の数学的概念の習得を目指す。
講義概要:正の数と負の数、代数初歩、
一元一次方程式、二元一次方程式、
平面図形と空間図形概念、比例と反比例、
分布図、相対度数と確率
授業計画:全十六回(うち試験一回)
第一回:正の数と負の数、数直線
第二回:代数と一元一次方程式
第三回:二元一次方程式
第四回:平面図形
・・・
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・・・
・・・
すごい。書いてある文字自体は読めるのに、何が書いてあるのかは、アリシアには全然わからない。
しかもまったく意味が分からないくらい難しそうなのに、なんか初歩の数学とか書いてある。
あまりの分からなさぶりにアリシアは絶望しそうになって、隣に座っていたアイシャさんに、全然わかりません! と泣きついた。
するとアイシャさんはアリシアから冊子を受け取って、アリシアが開いているページを眺め
「難しそうに書いてあるだけで、書いてある内容自体はそんなに難しくないから大丈夫じゃない?」
と言った。
アイシャさんのお膝の上に座っていたお嬢様も、冊子の同じページを覗き込んで
「アリシアって、たしざん、ひきざん、かけざん、わりざん、はできるんだよね?」
とお聞きになる。
それはもちろんアリシアは実家でも食料の買い出しとか、狩りの獲物を売りに行ったりはしていたし、それに母親から計算も教えてもらった。
だから、それはできますと答えると
「じゃあアリシアはこのこうぎにでてもわかるよ、だいじょうぶだよ」とお嬢様はそう言ってくださった。
それでもアリシアが、本当に大丈夫? と疑っていると、コロネさんがキッチンのテーブルをまわって、隣までやってきてアリシアの冊子を覗き込み
「ああ、これいいですね、ミーナとトニオにも受けさせようかな。でも後期だしなあ……」
と言ってなにやら悩んでいる。
アリシアは自分の下には誰もいないから気楽だけれど、コロネさんはトニオ君とミーナちゃんのご主人だから、そういうことにも気を遣わなければいけないようだ。
ご主人様は大変だなあと、アリシアは呑気に思う。
するとトラーチェさんもこっちに来てアリシアの冊子を覗き込んで
「こういう基礎的な授業は先に受けておかないと、後で分からない授業がでてきたら困りますから、この後期の授業を取るよりは、同じような授業を前期で探して、前期で受けたほうがいいんじゃないでしょうか」と言った。
こんなに難しそうなのが基礎的! そう言われてアリシアは驚いてしまったけれど、ミーナちゃんやトニオ君は確かアリシアより一つか二つ歳下のはずで、だからミーナちゃんやトニオ君が受けられるくらいなら、自分もイケるかもしれないとアリシアは思えたのだった。
トラーチェさんによると、結局アリシアは、こういう講義を週に十個入れて勉強して試験に受からないといけないらしい。
コロネさんは、トニオ君とミーナちゃんの受ける授業を決めているようだし、色々とお金を出してくださっているのはお嬢様だから、アリシアもお嬢様に自分の受ける授業を決めてもらおうとしたけれど、お嬢様からは
「アリシアのすきなのとればいいよ」と言われてしまった。
でも何が何だか分からないので、トラーチェさんに聞いたり、アイシャさんに相談したり、お嬢様に聞いたりして大騒ぎをして、そうして、
歌唱、数学Ⅰ、文芸、公衆衛生概論、大鬼族諸語、建築学Ⅰ、調理実習、西方帝国の政治と社会、帝国法概論、武芸Ⅰ
の十個に決めたのだった。
■tipsⅠ 西方帝国の曜日について
西方帝国の一週間は七日であり、その各日は以下のとおりである。
月の神の日 火の神の日 水の神の日 木の神の日
金属の神の日 土の神の日 陽の神の日
週の始まりは月の神の日であり、週の終わりは陽の神の日である。
職場や学校などでは、土の神の日は午後から半休、陽の神の日は全休となっていることが一般的である。
何故このようになっているかというと、西方帝国の暦が日食の予想を外したため、暦と実際の天体の動きとのずれが問題になったときに、西方帝国の皇帝が、臣下より新たな暦の制定を請願されたことがあった。
その際に、請願を受けた西方帝国の皇帝たるものが、現代日本で使われている七曜を、よく分からないまま持ち込み、さらに変な翻訳がなされたので、西方帝国の一週間はこのようになっている。
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■tipsⅡ 西方帝国の教育における学園都市の位置づけ
西方帝国においては、国立の幼年学校において、六年間の基礎教育(あるいはそれと同等程度の家庭教育、もしくは私塾における教育)を子女に受けさせることが推奨される。
これは現代日本の小学校における教育に相当する。
アリシアたちがいま滞在している学園都市に設置された教育機関であるところの【学院】は、現代日本に当てはめて言えば、おおむね中学校一年から大学院の博士課程までに相当する教育を提供する。
【学院】は、西方帝国における国立の教育機関であるが、そこで施される教育は、国民にとって任意の付加的なものであり、それを子女に受けさせることが国民に義務付けられているものではない。
また西方帝国内には【学院】は複数箇所に存在し、【学院】以外にも様々に、付加的な教育を施す、私的な学校や私塾が多数存在する。
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