ハーフオーガのアリシア38 ― 学園生活のはじまりⅡ ―
レストランの前庭で馬車を、お嬢様の【荷物袋の異能】から出して、馬や人馬族のウィッカさんにつなぎ、それから皆で乗り込んで出発する。
アリシアたちが、馬車無しで馬だけ引いて入ってきたのに、敷地から出るときには馬が馬車を曳いて出てきたので、守衛さんが不思議そうな顔をして見ていたのがおかしかった。
お嬢様の乗っている馬車について、コーザさんの案内で街を歩いていると、ここはなんだか間延びした街だなという印象を受ける。
道沿いに、お店や家らしき場所が並んで、街の人たちが賑やかにしていたかと思うと、急に長々とした塀があらわれて、その塀が途切れるとまたお店や家がでてくる。
その繰り返しで、その長い塀のぶんだけ街が引き延ばされたような感じがある。
そうして、また目の前に長い塀があらわれて、塀の上から、塀の中に生えているらしき大きな木や、建物の屋根が幾つか顔を覗かせている。
その塀にくっついている、やたらとでっかい金属製の立派な門を見ながら、こんなに塀が長いようだと中も相当広いんだろうなあ、こんなところ誰が住んでるんだろう、などとアリシアが考えていると
「ああ、着きました。ここですよ」
とコーザさんが言って、馬車から降りると、その立派なでっかい門のところで鍵を差し込んでガチャガチャやりはじめた。
ここで何をするんだろう? とアリシアが考えている間にも、門が大きく開かれて、馬車が中に入っていく。
アリシアも馬車について中に入ってみると、まず正面に横長の三階建てくらいの石造りの立派なお屋敷が見えた。
そのお屋敷の前面にちょっとした庭があって、その庭の左右にも石造りの立派な建物があり、そしてアリシアたちが今いる、門のある手前側の塀に沿うようにして、門のすぐ脇から左右にも建物があった。
この手前側の建物だけは、木造みたいに見える。
「厩舎は裏にありますからね」
とコーザさんが言ったので、庭の横を通って、正面の大きな建物の脇から裏手に回る。
するとそこには結構な大きさの畑とか、馬房とか、何だかよく分からない建物とかがあった。
馬車はこちらへ、というコーザさんの案内にしたがって、馬を馬房に入れて、馬車を車庫に押し込む。
「なかなかきれいなもんじゃないか」
とご領主様がおっしゃるように、馬房や車庫からはまだ新しい木の匂いがした。
「そりゃあ馬関係の建物は新築したんでございますよ。
この屋敷の前の主は巨人族の御方でございましたのでね、そういう施設はなかったものですから。
ゴルサリーズ様が馬車をお用いにならないのと同じでございますよ。
他の部分は古いものを修繕してございます」
アリシアは急に自分の名前が出たのでびっくりしたけれど、そう言われてみればアリシアも体が大きいので、そのぶん重いから馬の負担になるので馬には乗らないし、馬車のスポークが折れたら困るから馬車にも乗らない。
それから皆で屋敷の表に戻って、玄関から中に入る。
そこでアリシアは何か違和感を感じた。
周りを見回して、なんだろうと考えて、気づいたのは、やたらと室内の天井が高くて通路の幅も広いことだった。
それから皆で屋敷の中を見て回ると、これはもうはっきりと分かった。
どの部屋のドアも背が高くて幅が広いし、極めつけは階段で、この屋敷の階段は、登る方向に向いて左端に、蹴上げの高さの半分で、踏板の幅の半分の大きさの台が、すべての階段の、すべての段に据え付けられているのだった。
そして階段の左右で手すりの高さが違う。
登る方向に向かって左側は手すりが低く、右側は手すりの高さが高いのだった。
左側の手すりは、例えば只人のコロネさんにちょうどよい高さで、右側の手すりはアリシアにぴったりの高さだった。
つまりこれはアリシアのような体の大きい種族と、只人のような普通の体の大きさの種族が一緒に住むためにある家ということになる。
実際、そのあとトイレを見て回ったときには、アリシアでも使いやすそうな開口部の広い便器があって、そのそばに、その大きな便器に渡す用の板が置いてあったし、風呂には深くて広い浴槽に沈めて、深さを調整する用の木の台が置いてあったりした。
便器に渡す板とか、浴槽に沈めて深さを調節する台とかは、大鬼族であるアリシアと父親、それに只人である母親が一緒に住んでいた、アリシアの実家にも同じようなものがあったので、アリシアは少し、懐かしささえ感じたのだった。
つまり発想が同じということだろう。
それからアリシアは、やたらと大きくて立派な扉の前に連れていかれて、そこでコーザさんに
「ここがゴルサリーズ殿のお部屋でございます」と言われた。
自分の部屋ってなんだろうと思って、コーザさんにどういうことか聞いてみると、コーザさんは何を言っているんだとばかりに怪訝そうな顔をして
「お嬢様が学院にご入学なさるわけですから、ここはお嬢様とご臣下の皆様方が、学園でおられる間にご滞在なさるためのお屋敷でございますよ」
と教えてくれた。
それでアリシアは、なんで自分たちが屋敷の見学などしているのかということを、今ようやく理解したのだった。
それでアリシアは、自分の部屋を見せてもらったけれど、部屋の中は続き部屋になっていて、表側の部屋には、やたらと立派で大きな、奥様が使っていたような執務机らしきものと椅子が置いてあった。
壁には作り付けの書棚があり、応接用のソファーや机なんかも置いてあって、すごく豪華で立派な書斎みたいに見える。
続き部屋は寝室で、アリシアでも余裕で寝られるようなベッドと、ちょっとしたクロゼットが用意されてあった。
部屋があんまり立派なのでアリシアは恐縮したけれど、
「この部屋は、この屋敷の前の主人である巨人族の御方が使っていた部屋ですよ。ゴルサリーズ殿なら家具も含めてほとんど改装無しで使えますからな」
とコーザさんが教えてくれる。
そうしてご領主様は
「だって体の大きさからして、この部屋は君が使うのがいちばんぴったりくるんだろうから、君が使いなさい」とご領主様がおっしゃってくださった。
それからお嬢様の部屋や、アイシャさん、コージャさん、ウィッカさん、コロネさん、メイドのミーナちゃん、従僕のトニオくん、という順番で他のみんなの部屋も回ったけれど、それぞれどの部屋もきれいで快適そうだったので、アリシアは、自分だけがいい部屋ということもなさそうで、安心したのだった。
屋敷をひととおり見て回った感じとしては、元が巨人族の人が使っていたお屋敷であるせいか、とにかく天井は高いし廊下も幅があるし、階段は登りやすいし降りやすいし、トイレも大きくて使いやすそうで、風呂もアリシアが肩まで浸かれるような大きさだった。
自分が大鬼族だから、こういう巨人族の人が使っていたとかいうお屋敷を手配してくださったのかと思って、色々と気を遣っていただいたようですみません、とアリシアがご領主様にお礼を言うと、
「もちろんそういう理由もありますけれど、ここしかもうそれなりのお屋敷は空いてなかったのもあるんですよ。急なお話でしたからね。
ここは巨人族用に作ってある屋敷なので、逆に只人の方には改装しないと使いづらいですから、そのせいで敬遠されてまだ空いてたんでしょうな」
と、ゴーサさんが横から口を出した。
「そんなに混みあってるのかい?」とご領主様がコーザさんに聞く。
「そりゃもう混みあってるなんてものじゃありませんよ。屋敷の手配のお話をいただいたのが遅かったですから」
「自分が学生だったころはそんなこともなかったがなあ……」
ご領主様が不思議そうにそう言う。
「どこかに下宿するとか、適当なフラットでも借りるくらいなら訳はありませんけれどね。
学生の頃はそういうところにいらしたのでしょう?」
「ああ、下宿だったな。未亡人のおばあさんの家の部屋を幾つか借りてねえ、従者と二人で気楽に暮らして楽しかったなあ。
おばあさんの作ってくれる飯が本当にまずくてね。それを食べたくないもんだから、そのおばあさんに今日は用事があって出かけるから飯は要らないとか、毎朝適当なこと言っては、どこぞのクラブやらレストランやら喫茶やらで朝も昼も晩も毎日飯は外食して、それから部屋に帰ってたのさ」
「下宿の賄いやコックは当り外れがありますね……。
それでまあ、そういう下宿とか部屋とかなら空きはありますが、お嬢様にはそういうわけにはいきませんからね」
「そんなもんかい?」
「そうですとも。伯爵御公女様のご滞在ともなれば適当な下宿でというわけにはいきませんです。
それに、大治癒士と名高い奥方様のご息女ですし、お嬢様ご自身も色々と治療でご活躍と聞こえてきておりますからね。
講義を主催されるかどうかはともかく、人が集まってきた場合に備えて、ちょっとした講堂くらいは必要というところでございますよ。
屋敷に向かって左側の建物の一階が講堂になっております」
「ははあ、えらく大掛かりな話になるんだねえ。
そう言われてみれば、自分が学生のころは領地も爵位もなかったし、立派な奥さんもいなかったから適当でよかったんだな……」
「今年度の新入生の中では、お嬢様は注目株のひとりと思われますね」
「なるほどなるほど、そりゃアリスタも大変だ」
皆で屋敷を見てまわって終わったあたりで、コーザさんが
「寝具やリネン類なども入れてありますから、今日からここでご滞在になることも可能ですが、いちおう宿も何日か確保してございますので、とりあえずは宿の方へお越しください」
と言ったので、また馬車を馬につないで、皆でそっちへ向かう。
◆
宿に着いて、部屋に荷物を入れてから、皆で食堂に降りて、お茶をいただいていると、どこかへ行っていたコーザさんが
「ご紹介したい者がいるのですが……」と言って、女の人をひとり連れてきた。
見た感じは只人で、歳はたぶん二十代後半くらいだろうか。
薄水色の軽そうなドレスを着ていて、とても涼しそうだ。
髪は茶色でアップにしていて、顔にはレンズの大きな丸い眼鏡をかけていて、そこから覗く大きくて垂れた眼から、ふわふわと穏やかそうな印象を受ける。
ドレスの胸元に銀色の大きなブローチのようなものを付けていて、それがなんだかちょっと浮いて見えて、ちょっと変わった感じになっている。
「この子は私の遠縁の親類の娘で名前はトラーチェというのですが……」
とコーザさんが紹介を始めたところで、そのトラーチェさんが、自分で言うわ、とコーザさんを遮って話し始めた。
「ご紹介をいただきましたトラーチェと申します。学院の上級課程を修了して、今は聴講生として過ごしておりますわ。
ご存じのこととは拝察いたしますが、この学園は学びの場であると同時に、政治活動の練習の場でもあり、また同時に軍事訓練の場でもあります。
特に政治に関してうまくこの学園を泳ぎ切るためには、ときに助言も必要であり、わたくしはその助言を差し上げられると確信しておりますわ。
ここ二年ほどは、ピューロ卿のご息女であられるテレサンタ様の『お話相手』として禄をいただいておりました」
ご領主様は、トラーチェさんのその口上を聞くと、体の前で手を組んで、ふむ……と、聞いたことを吟味するように、少し黙ってから
「上級課程を修了して、今は聴講生とのことだが最上級課程には行かないのかね?」
とお聞きになった。
「……上級課程でも私にとってはかなり大変でしたわ、最上級課程はとてもとても。
でも見ていただきたいところはそういうところじゃないんです。例えば現役学生のときは私は報道部におりましたの。それで……」
トラーチェさんが、そこまで言ったところで
「パーティーとかもわりと好きだし、知り合いも多いし、話好きだし、サロンやらに顔を出すのも好き、というとこかね」
ご領主様がかぶせるようにそう言った。
そう、そうなんです、とトラーチェさんが頷くと、ご領主様は
「じゃあ何か最近の話題はある?」とお聞きになった。
「そうですわね……最近ですとドライランター公爵閣下のご息女のローテリゼ様に、新しい“お世話役”の方が来られたのですが、なんとそれが六本腕のエルゴル・セックヘンデ様なのです。
エルゴル・セックヘンデ様といえば、ドライランター公の御配下方の中でもかなり有名なお方でしょう?
そんな方がただの“お世話役”などということは普通はあり得ないのであって、それでもそんなことが現にあって、この方がローテリゼ様のただの世話役ということでおられるなら、それはもうドライランター公からローテリゼ様への配下の付け替え、もっと言えばその公示ということにもなるかと思います。
つまりはローテリゼ様が次代の派閥の領袖ということで固まったとも言えますが、あれほどの大人をお嬢様の配下に付け替えるのは少し『反則』という感もありますし、それでもそうなさったということは、いくらかローテリゼ様が頼りないのでテコ入れをしたというような風評を付ける要素もあります。
しかしながら御自分の身を切って分け与えるがごとき公爵様のなさりようからして、閣下のローテリゼ様への大きな愛情を感ぜられるところでもあります。
この事から生じる間接的な影響としては……」
トラーチェさんが目をきらきらと輝かせながら、突然わーっと喋り出したのでアリシアはびっくりしてしまう。
彼女が何を言っているのか、アリシアにはほとんど分からなかったけれど、聞こえてきた「六本腕」とか「エルゴル・セックヘンデ」という言葉は分かったので、あの前にお屋敷にやってきた、下半身が鱗人族で腕が六本の大鬼族の人かと思い出した。(#)
あの人も何かこのあたりにいるらしい。
まああれだけ体が大きかったら、目立つから、そのうち見かけるだろうなとアリシアはぼんやりと思う。
ご領主様はトラーチェさんの話をにこにこしながら聞いていて、彼女が話し終わると
「君みたいな人、自分が学生の頃にもいたなあ。
うわさ話とか、話題になってることとか全部知ってて、聞いたらなんでも教えてくれるんだよね」
と、面白そうにおっしゃった。
「いえ、それほどでも……」などとトラーチェさんは恥じらっているけれど、ご領主様にそう言われてみれば、アリシアの実家がある山の麓の村にも、そういう、うわさ話が好きな女の子はいた気がする。
「まあ君が何を売りにしてるのかは、よく分かった。
そういう事前の情報を持たずに人間関係を築くのも楽しいとも思うんだけど、大事な娘のことだから慎重に行きたい気もするからね、ぜひ雇おうじゃないか」
トラーチェさんは顔を輝かせて「ありがとうございます!」と言った。
「それで待遇は『話し相手』ということでいいのかな?」
するとトラーチェさんはキリッと表情を改めて
「できますればお嬢様の御臣下の皆様方の末席に加えていただきますれば幸いです。
学園で楽しく楽しく過ごしておりましたら、いつの間にやら二十代も後半に入ってしまいまして……それなのに結婚するお相手のアテもなく、そうであるなら今少し人生の安定と言いましょうか、拠りどころが欲しくあります」
と言った。
「何を言っとるんだ、お前は」
と、コーザさんが口を挟んだけれど、ご領主様は、楽しそうにあっはっはと笑って
「わかったわかった、面白いじゃないか」とおっしゃった。
すこし苦い顔をしているコーザさんに向かっては、アリスタもまだ家臣団を集めてもいいと思うからね、ともおっしゃった。
◆
そうして、それから何日か皆で宿に滞在して、その間に、お嬢様とアリシアたちは、屋敷での生活に必要なものを買い揃えたりする。
ご領主様はあっちこっちに出かけて人と会ったり、手紙を書いたりして過ごされていたようだった。
そして宿での滞在の最後の日に、食料がたくさん屋敷に運び込まれて、ご領主様たちはそれを見届けてから帰途に着かれたのだった。
(#)エルゴル・セックヘンデ氏の初登場は、ハーフオーガのアリシア21 ― 六本腕の男Ⅰ アリシアは唸る ― です。




