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閑話:乳母であるアイシャ・シュファイネ氏の抱く懸念Ⅲ



 そのようなわけで、お嬢様の臣下集めが始まった。



 五月雨式に色々な子がやってきたけれども、最初にやってきたのは、黒森族(エルフ)の女の子で、黒森族(エルフ)というともっと南のほうにいるはずだから、このあたりでは珍しい。

 名前はコージャさんというらしい。


 褐色の肌に、お嬢様みたいにピンと尖った耳。

 細身のしなやかな手足は、自分にはないものだから、アイシャは少し羨ましく感じたのだった。

 見ていると体の動きがとても身軽で、令体術か何か使えるのかもしれない。

 あどけない顔をしていて、聞いてみると14歳とのことだった。

 まだ子供じゃないのと思ったけれど、お嬢様が13歳だから、その臣下ならそんなものかもしれない。


 変な子だったらどうしようと思ってドキドキしていたけれど、話してみると、控えめでおとなしい女の子だった。

 弓が得意ということなので、お屋敷の練兵場で見せてもらうと、かなり遠くに並んである弓の的の、しかも中心に、なんでもないことのように次々と当てていく。

 あんまり簡単そうに当てていくので、じっと見ていると、そのうちに、本当は簡単なのかもしれないと思えてくるけれど、そんなわけもない。

 私がやれば的にすらひとつも当たらないだろうとアイシャは思った。



 ◆

 


 そして、その次に来たのがアリシアさんで、この人がすごかった。


 奥様から大鬼族(オーガ)の女の子がやってくると最初に聞いたときには、どんな野蛮人が来るのかと、あるいは自分もお嬢様も食べられさえするのではとアイシャは恐れていたけれど、実際に来てみたら、何のことはない、穏やかで控えめで、優しそうな顔をした子だった。

 きちんとした身なりをしていて、着ているブラウスは袖口まで真っ白だし、髪も整っていて、清潔だったし、騒いだり大声を出したりもしなかった。

 体がすごく大きいのに、ほとんど威圧感を感じさせないところがあって、あんまり大鬼族(オーガ)らしくない気がする。

 話してみると、純朴な田舎の女の子そのものという感じだった。



 けれども、アリシアさんがやってきたその日の夕方に、アリシアさんが練兵場で訓練をするとかで、奥様がそれを皆で見に行こうとおっしゃった。

 それで、奥様とお嬢様と、あとお嬢様の臣下一同ということで、アイシャとコージャさんとで一緒に見物しにいった。


 練兵場に着くと、そこには、見上げるほどに大きくて分厚そうな鈍い銀色に輝く鎧兜を付けた人が立っていて、普通の人では持ち上げることもできなさそうな、とても大きな剣を持って、森族(エルフ)の男の人と向かい合っているのが見える。

 アイシャは、その鎧兜の人が誰なのか、すぐには分からなくて、じっと見ていると、その鎧兜の人が兜を取って会釈をしてくれて、中身がアリシアさんだったのでびっくりする。

 アリシアさんが訓練をしているのを見にきたんだから、それはもちろん当然なのだけれども、その鎧と兜があまりに大きくて、恐ろしげだったので、穏やかそうなアリシアさんと、すぐには結びつかなかったのだった。


 兜をかぶり直したアリシアさんが、森族(エルフ)の男性と向かい合う。

 けれどもアリシアさんは、アイシャたちのほうをチラチラと見ていて、あまり集中していないような感じだった。

 そうして森族(エルフ)の男性が、アリシアさんに向かって光球を撃ち込むと、それはアリシアさんにまともに当たって、すごい爆発音がしたと思うと、アリシアさんがもんどりうって吹き飛ばされてしまう。


 かなり激しく爆発して転がったように見えたから、怪我でもしたかと心配したけれど、アリシアさんが頑丈なのか、鎧が分厚いのか、アリシアさんは、駆け寄ってきた森族(エルフ)の男性の手を借りることさえせずに軽々と跳ね起きる。

 ものすごく重そうで分厚そうな鎧兜を着けているはずなのに、まるでそんなものは着けていないかのような身軽な動きだった。



 それからアリシアさんは、森族(エルフ)の男性と、何かを少し話した後、もう一度あらためて向かい合う。


 森族(エルフ)の男性がアリシアさんに、さっきと同じように、幾つも光球を撃ち込むと、今度はアリシアさんが、金属が軋むような、何かが爆発するような、身も凍るような、すごい叫び声をあげたかと思うと、アリシアさんに向かって撃ち込まれた光球が消えてしまった。


 森族(エルフ)の男性は、いくつも光球を撃ち込むけれど、アリシアさんが恐ろしい叫び声をあげるたびに、光球がかき消えてしまう。

 最後には、光球が十ばかりも一気にアリシアさんに撃ち込まれたけれど、アリシアさんは、身の毛もよだつような、驚いて飛び上がりそうになるような、空間が爆発したような、鼓膜が破れるような、ひときわ凄まじい咆哮をあげて、それをたったのひと息で消してしまった。



 それで訓練は終わったらしいのだけれど、アイシャは大きな衝撃を受けた。

 つまり、本職の戦士ってあんなに凄いものかとショックを受けたのだった。


 例えばアイシャが自分のメイスでアリシアさんに挑みかかっても、アリシアさんの鎧はすごく分厚そうだったから、鎧がカンカンと音がするだけで何の意味もないだろう。

 コージャさんが弓を射かけてもたぶん同じことで、たぶん鎧に弾かれるだけで終わる。

 そうして次の瞬間に、あのものすごく大きな剣で真っ二つにされてしまうだろう。


 ああいうアリシアさんみたいなのが普通の臣下だとしたら、自分やコージャさんは何なのか、自分は臣下じゃなくて乳母のままのほうが良かったんじゃないだろうかとアイシャは思わなくもない。


 そのうちにアリシアさんが花街で、花売りの顔を切りつけた余所の貴族を一瞬で伸したとかいう話が流れてきた。

 やっぱりアリシアさんは強いらしい。



 ◆



 そして、その後に来たのが馬人族(ケンタウロス)の女の子のウィッカさんで、彼女はわりと普通だった。

 もちろんウィッカさんは馬人族(ケンタウロス)なので、下半身が馬だから、そのぶん力強いけれど、それ以外は普通というか常識的な範囲だったので、ちょっと安心した。

 お嬢様によれば「アイシャのあしがおそいから」臣下として呼んでくださったとのことで、アイシャとしては申し訳なく感じる。

 豚鬼族(オーク)の女はおっぱいとかで体が重いから足が速くはないけれど、事あるごとにウィッカさんが馬車を出してくれて、歩かなくてよくなったので、とても楽になったとアイシャは思う。



 ◆



 最後にやってきたのが、只人の女の子のコロネさんだった。

 明るい金髪に、夢見るような水色のきれいな瞳の、とてもかわいい女の子で、従僕の男の子と、メイドの女の子を一人ずつ連れてきてくれた。

 コロネさんは剣とか弓とか投射令術も使うけれど、治癒術もちょっとだけできて、だからお嬢様やアイシャと一緒に診療所で働くことになった。


「なんでもちょっとずつできるのが取り柄です!」

 にこにこしながらコロネさんはそう言ってくれたけれど、彼女もまあちょっとずつというだけあって、治癒術もアイシャの方ができるくらいだし、アリシアさんみたいに強いというようなこともなかった。


 つまりは、うちのお嬢様とかアリシアさんがちょっと普通じゃないだけで、自分がそんなに能力が低いというわけでもなさそうだから、あんまり悩まなくてもいいのかなと、アイシャはそう思えたのだった。



 ◆



 そうしてお嬢様の臣下の皆も揃って、お嬢様が学園へと旅立つ日の前夜に、街の皆がお嬢様のために壮行会を開いてくれることになった。

 テーブルや椅子が用意されたお屋敷の前庭に、二百人かそこらも街の皆がやってきて、かなり盛況だった。


 参加する人は、各商会の会長さんたちとかも多いけれど、花売りの女たちもいっぱいいる。

 性病とか、手荒くされて怪我をしたとかで、彼女たちはお嬢様の世話になることも多い。

 あとはお嬢様に大怪我や大病を治してもらったりしたことがある街の人たちか。


 皆が席に着き終わると、立派な上着を着て、お腹がでっぷりと出たおじさんが立ち上がって、挨拶を始める。

 あの人はたしか食肉組合の組合長さんだった。



「えー、本日はこのようにアリスタお嬢様ならびにその御臣下の皆様方をお送りする集いを持てたことは、私どもにとりまして非常な喜びであります。思い返せば、アリスタお嬢様におかれましては、いとも寛大で慈悲深き奥方様と共に、東に難病のものあればお癒しになり、西に重傷のものあればお治しいただき、私共の感謝と敬愛はまさに絶え得ぬものであります。このたび、帝国学院へとご入学なさるとのこと、まことにめでたきことながら、我等としては三つの灯のうちのひとつを失うがごとき心細さに震える思いもいたすのであり……」


と、そこまで話したところで、長いぞ! とか 料理が冷めちまうよ! とかいう野次が飛んで


「……では、このへんにいたしまして、アリスタお嬢様の学院でのご活躍を祈念してご挨拶といたします!」


と終わらせた。



 食肉組合の組合長といえば、去年の冬に胸がものすごく痛いとか言って診療所に運び込まれてきたことがあった。

 奥様が色々と調べたところ、どうやら心筋梗塞を起こしていて、胸を切ることになった。


 奥様が血管をあっちこっち結紮しては切って、即座に治癒しては結紮を解く。

 そうやって詰まった血管を取り換えていくのだけれど、骨を切って広げられた胸で、露出している心臓が膨らんだりへこんだりしているのが見えるのは、なにやら気が遠くなるような気がしたものだった。


 それでとりあえずはそれで落ち着いたのだけれど、手術が済んでも胸が苦しかったりとか、どうもあんまり予後が良くなくて、心筋の壊死の範囲が広いのではということになった。

 それで、心臓を丸ごと取り換えなければという話になって、お嬢様が心臓を新たにお造りになることになった。


 複雑な臓器をいちから造るとなると、ナノマシンを凝集させなければならないわけで、そうすると水に溶け込んでいるナノマシンの供給を連続して受けられるから、川に浸かって行うのがいいらしい。

 それで、浸かるなら水がきれいなほうがいいということで、お嬢様を抱っこしたアイシャと、奥様と奥様の臣下の皆さんと一緒に、少し山を登って、渓流の穏やかなところに向かう。

 お嬢様は、その間もアイシャに抱っこされながら、心臓の模型を手に持って予習に余念がなかった。


 川べりに着くと、抱っこしていたお嬢様を奥様に渡す。

 すると、奥様はお嬢様を抱っこしたまま川に入って、そこに座り込んだ。

 奥様とお嬢様は小声で何事かを話し込んでいたけれど、やがてお嬢様は眼を瞑り、手からは光が出始める。


 午後から山に入ったので、陽が傾いて、夕日が差し込む中で、燐光を纏う奥様とお嬢様は、それはそれはきれいだった。

 

 やがて無事に心臓ができたらしくて、それから皆で山を降りた。



 それからまた手術ということで、食肉組合の組合長さんは胸を切り開かれて、体には何がどうなっているのかよく分からない装置とか管とかを山ほど繋がれて、そうして生きながらに心臓を取り出されて、お嬢様がお造りになった心臓へと取り換えられた。

 まったく驚くべき業前というものだとアイシャは思う。

 

 そうして無事に手術が済んだから、食肉組合の組合長は、今日も元気に挨拶をしているのだけれど、あの人は他にも、今年の春には血便が出たとかで、痔を直してもらっていて、いちおうの用心ということで、お腹のほうも開いてみると、大きな腫瘍が大腸にあった。

 それで、大腸の腫瘍を取ってもらったわけだから、つまり普通だったらあの人は二回くらい死んでいるということになる。



 そういうわけで、食肉組合の組合長は、奥様やお嬢様の重要性を本当に心の底から分かっている人のひとりであって、だからお嬢様を他所へやりたくないのだろう。

 さっきの挨拶の「我等としては三つの灯のうちのひとつを失うがごとき心細さに震える思い……」というのはそういうことだろうと思う。


 そうしてそれに街の人や花売りの女たちが野次を飛ばしてやめさせたということなんだろう。

 街の人たちや花売りたちだって、色々と怪我をしたり、体調を悪くしては、お嬢様の世話にもなっているわけだから、お嬢様に外に出ていってもらいたくはないだろうに、それでも勝手なことを言うんじゃないとばかりに、食肉組合の組合長を制止するわけだから、それはいっそう気高いことだとアイシャは思う。


 もちろんお嬢様が学園に行っても、奥様はこの街に残られるし、奥様の臣下の方にも治癒術ができる方はいるわけで、だから物事が回らなくなるわけではないけれど、それでも不安に思う人もいたということなのだった。



 宴会が始まると、お嬢様のまわりに、皆がお手製らしき料理を持ってたくさん集まってくるので、お嬢様の席の周りはあっという間に人垣と料理の山ができる。

 アイシャはそれをお嬢様のお皿に取り分けながら、お嬢様の労苦が報われたような気がして、なんだか涙が出そうになったのだった。



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