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閑話:乳母であるアイシャ・シュファイネ氏の抱く懸念Ⅰ


 豚鬼族(オーク)のアイシャに、母親が乳母としての奉公の話を持ってきたのは、アイシャが十七歳のときだった。


 話を持ってきたと言っても、それは母親に直接そう言われたわけではなくて、母親からの手紙にそう書かれていたということで、なんとなればアイシャの母親もまた、そのとき乳母としての奉公に出ていて、家にはいなかったからだった。


「お母さんなんだって?」

 

 そう言ってそわそわしている只人の父親に便箋を渡す。

 けれども、アイシャの父親や、アイシャの姉たちに対しては、通りいっぺんの気遣いの言葉があるだけで、あんまりどうということも書かれていないのは、手紙を先に読んだから知っている。


 手紙の内容は、母親が乳母の奉公をしている先で、別の乳母奉公の話があったから、それをアイシャにどうかと勧めるということだった。

 手紙を読んだ父親も、がっかりしたのか、なんとなくしょんぼりしている。


 それを見てアイシャは、豚鬼族(オーク)というのは変わった生き物なんだなと思う。



 そう思うのは、例えばいまアイシャの母親が家にいないことがそうだった。

 アイシャの父親は腕のいい大工で、だからアイシャの家は特に貧しいわけではないし、むしろ経済的には余裕が大いにある。

 けれどもアイシャの母親は、家族を残して他所の土地に、ひとりで乳母奉公にでている。

 それはなぜかと言えば、アイシャの母親は赤ちゃんが好きなので、家族を蔑ろにして、乳母の仕事にかまけているというわけだった。



豚鬼族(オーク)の女が好きなのは食べ物と赤子』 とはよく言ったもので、それは確かにその通りだとアイシャも思う。


 放ったらかしにされているお父さんがかわいそうだな、とはアイシャも思わないでもなくて、だからアイシャは自分の母親に少し反発を覚えないでもない。

 けれども、それでもなお、母親が自分に持ってきてくれた乳母奉公の話を手紙で読んだときに、確かにアイシャの胸は期待と喜びに高鳴っていたのだった。


 これは何もアイシャとその母親だけが特殊というわけではなくて、アイシャが知る限り、たぶん豚鬼族(オーク)の女は大抵そうらしい。

 アイシャの村に若い豚鬼族(オーク)の女は何人もいるけれど、彼女たちは結婚して自分の家庭を持つわけでもなく、子沢山の只人や、犬人族(コボルト)の家に何となく入り浸り、畑の手伝いなどしつつ、そこの家の子供の面倒なんかを見たりしながら、乳母なんだかお手伝いなんだか居候なんだかよくわからない存在になって暮らしている。

 

 それはほとんど例外なくそうで、例えばアリシアの三つ子の姉たちも、それぞれ近くの子供がたくさんいる只人の家に通って、そこで子供の面倒を見て、家畜の世話をして、畑の手伝いをして、多少の小遣いなどもらったり、ご飯を食べさせてもらったりしながら、暮らしている。

 その手伝いに行っている先の家で泊まったりもよくするから、家に帰らない日も多い。


 

 そんな感じで、豚鬼族(オーク)の女は、あんまり結婚もせずにいることが多いけれど、豚鬼族(オーク)の女が珍しく結婚するとしたら、そうやって手伝いに行った先の家の若い男の子と結婚することが多いみたいで、アイシャの母親もそのクチだった。

 それでアイシャの父親は豚鬼族(オーク)ではなくて只人なのだった。


 豚鬼族(オーク)の女は、ちょっとがっしりしていて、おっぱいが六つもある以外は、只人とほとんど見た目は変わらないし、顔もきれいなことが多いから、只人の男の恋愛や性の対象になることもある。

『弟たちや妹たちの面倒をみる手伝いに、家に来てくれた、優しくて綺麗なお姉さん』に、その家のお兄ちゃんがうっかり恋をしてしまい、そのまま口説き落として結婚まで持ち込んだ、みたいな例も多いようで、アイシャの両親の馴れ初めも、そんな感じらしい。


 けれども、その豚鬼族(オーク)のお姉さんがそうやって結婚して、豚鬼族(オーク)の奥さんになった場合に、彼女にすぐに赤ちゃんができれば、喜んで自分の赤ちゃんを育て始めるけれど、その子が大きくなって手を離れてしまうと、よその赤ちゃんや小さい子に目移りして、家を空けがちになったりする。

 アイシャの母親が実際そうだ。


 そんなふうに、豚鬼族(オーク)の奥さんというのは、何につけても子供優先で、場合によっては自分の夫より、よその子供を大事にしたりするので、夫婦関係がうまくいかないことも多いらしい。

 もちろん夫のほうだって、豚鬼族(オーク)の女というのはそういう生き物だと承知して結婚しなければいけないのだろうけれども。


 実際、豚鬼族(オーク)の女というのは、子守をするために生まれてくるのだと信じられてもいる。

 オークの女は、おっぱいが六つもあって、自分の子がいなくても、その気になれば、いつでもたくさん乳が出せる。

 それに大体はちょっとした治癒術が使えるから、簡単な怪我くらいなら治してしまえるし、種族として子守に向いているのは確かではある。


 そういうわけで、豚鬼族(オーク)という種族は只人たちの間に混じりあうように生きているから、アイシャが自分の村で見ているかぎりでは、豚鬼族(オーク)どうしの夫婦というのはあんまりいない。妻か夫のどちらかが只人の夫婦のほうが倍以上多いように思う。


 そういう意味で豚鬼族(オーク)っていうのは変わった生き物だとアイシャは思うのだった。


 

 椅子に座って、アイシャの母親からの手紙を持ったまま、うなだれている父親に、アイシャは

「帰ってきたら赤ちゃん作ろうって返事を書いたらいいのよ。あとご馳走も用意するって言えばなおいいわね」

と言ってあげた。


 娘のあけすけな物言いに「な、なにを言うんだ!?」とかいって、アイシャの父親は慌てているけれど、自前の赤ちゃんがいないから、よその赤ちゃんのところにふらふらと行ってしまうわけで、だからアイシャの母親を家に居させたければ、自前の赤ちゃんを持たせればいいのだと、母親と同じく女の豚鬼族(オーク)であるアイシャにはよく分かるのだった。


 


 ◆

 


 とまれ、寂しがる父親を姉たちに任せて、アイシャは乳母として奉公にでるために、故郷の村を旅立つ。


 まだ見ぬ赤ちゃんに思いを馳せながら、母にもらった長柄のメイスを杖がわりに持ち、山を越え、谷を渡り、ときには乗り合い馬車に乗って、ファルブロール伯爵領を目指す。

 


 そうして着いたファルブロール伯のお屋敷でやっと会えた赤ちゃんは、それはそれはきれいな森族(エルフ)の女の子だった。

 若葉のような緑色をした大きな瞳に、薄い金色の髪をしていて、小さくて、只人の子供だったら一歳か二歳くらいに見えるような大きさだけれども、髪がけっこう長いから、もう少し年齢はありそうに見える。

 御年は幾つなのか聞いてみると「はっさいです」と、赤ちゃん本人から返事があったので、やっぱり森族(エルフ)だから、成長は遅いらしい。


「そろそろ仕事に戻ろうと思ってるのよ」

 赤ちゃんの母親である森族(エルフ)の奥様はおっしゃった。



 お嬢様がまだこんなに小さくてかわいいんだから、貴族様なら働かないと生活に困るわけでもないだろうし、もう少し赤ちゃんみてたらいいのにな、とは思わないでもない。

 でもそのおかげで自分が乳母をさせてもらえるわけだから、それは喜ぼうと考えて、その日からアイシャは乳母になったのだった。



 ◆

 


 乳母になったとは言っても、お嬢様の乳離れはとうに済んでいたみたいで、お嬢様がアイシャのおっぱいを吸うことは()()()()なかった。

 アイシャとお嬢様が、お互いにある程度打ち解けてから、その後で、お嬢様が甘えたい気分ときにたまに吸うくらいだろうか。

 そもそもお嬢様は、エルフなので成長が遅いのか、見た目こそ赤ちゃんみたいに見えるけれど、実際の歳は八歳らしいから、本物の赤ちゃんみたいに、むやみに泣きわめいたり、おもらしをしたりもしない。

 聞き分けもいいし、だからアイシャには普通の乳母としての仕事はほとんどなかった。


 ではアイシャがなにをしていたかというと、仕事に復帰なさった奥様の代わりに、お嬢様を見守ったり、奥様がご自分の仕事にお嬢様を連れて行かれるときは、お嬢様を抱っこしてついていくのがアイシャの主な仕事になった。


 

 奥様の仕事は何かというと、色々あるけれども、午前中はたいてい、貴族として領民の皆さんからの陳情を受けておられる。

 アイシャが見たところ、男性たちの陳情は御領主様のほうに行って、女性たちは奥様のほうに陳情に行くみたいな場合が多いらしい。


 それで、お嬢様はその陳情がある午前中の間は、別室で家庭教師とお勉強をしておられるから、アイシャはその斜め後ろあたりの椅子に座って、様子を見ているのが仕事になっている。

 


 奥様は、午後からは、お屋敷のある丘を降りて少し行ったところにある街の中に、大きな診療所があって、そこで御臣下の皆様と一緒に治癒術師として働いておられる。

 時には往診に行ったりもされる。


 それでお嬢様も、奥様について医術のお勉強やお手伝いを色々なさっているから、お屋敷から診療所までの道のりや、往診なんかのときには、アイシャがお嬢様を抱っこして、奥様の後を追いかけるわけだ。


「ちょっとでも治癒術が使えるのなら、あなたも一緒に勉強しなさい」

 アイシャも奥様にそう言われて、お嬢様と一緒に見学したり、少しお手伝いをしたりする。


 診療所には毎日毎日ひっきりなしに怪我人や病人が担ぎ込まれてきていて、馬車に轢かれたとか、喧嘩で刃物を持ち出してざっくり切られたとか、赤ちゃんがひきつけを起こしたとか、心臓が痛くなったとか、頭が割れるように痛いとか、できものが破裂したとか、梯子から落ちて骨折したとか、なんだかわからないけど体調がとても悪いとか、命に関わるようなことから、なんでもないことまで様々で、それにこの街には、すごく大きな花街もくっついているから、花売りたちが性病を治療してもらいにくることも多い。

 

 お嬢様は、まだ赤ちゃんなのにさすがは森族(エルフ)というべきか、すごく術力が強いみたいで、脚が馬車に潰されてなくなったとか、癌で臓器ごと取り換えなきゃいけない、とかそんなのでも、ピカピカと治癒術の光を出したかと思うと、あっというまに治してしまう。

 ひょっとすると術力だけ見たら奥様より強いのではないんだろうか。


 奥様からは

「術力で力任せに治したら術力の無駄が大きいわ、正常な体の構造をしっかり把握して、その通りに細かくナノマシンにイメージで指示するの。術力あたりの治癒成果を引き上げなさい」

という指導が入っていたけれども。


 アイシャはもちろん、治癒術が使えるといっても、豚鬼族(オーク)の女だから種族的に少し使えるという程度のことだし、お嬢様みたいな術力任せのごり押しみたいなマネはできないから、暇を見つけては医学書の図面を見て、血管の走行や、正しい筋肉の配置、臓器の構造なんかを必死で覚える。

 とりあえずは数が多い只人のものから優先で覚えるけど、亜人もいっぱい種類がいるから全部覚えるのは大変だ。



 お嬢様は毎日毎日小さなおててをピカピカさせながら、調子よく治療をしている。

 けれども、内診台に乗って、脚を開いた花売りの、股の間に浮かんで、股座を覗き込みながら薬を塗っているお嬢様を見ていると、ちょっとどうなのかとアイシャは思わなくもない。




■tips


 この世界では、只人とエルフとか、只人とオーク、オークとエルフ、などのように異種族間で子供ができた場合、その子供は、父親か母親のどちらかの種族になる。

 例えば、只人の父親とオークの母親から産まれた子供は、完全な只人もしくは完全なオークである。

 父親と母親の両方の種族的形質を同時に受け継ぐことはない。





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