ハーフオーガのアリシア32 ― 学園への旅行Ⅴ ―
疲れ果てたお嬢様は目をつむってアリシアに抱っこされている。
それでお嬢様が黙ってしまったからなのか、アイシャさんが、おじさんに「また明日くらいに様子を見に来ますからね」とかなんとか話をしていた。
それから皆で、口を覆う布や頭を覆う頭巾を貸してもらった部屋に戻って、身に着けたものを外して返す。
アリシアが、お嬢様の着ていた上っ張りを脱がせるときには、お嬢様が宙に浮かんでくださったので、やりやすかった。
お嬢様は見た目は赤ちゃんみたいに見えても、頭の中身はたぶん大人みたいに賢くて、赤ちゃんではないので世話はしやすいだろうなと思う。
さっきだって、お嬢様はすごい治癒士みたいだったし、いつもはだいたいアイシャさんに抱っこされているのに、今はアリシアに抱っこされているのだって、つまりアイシャさんはおじさんのお腹を切る手伝いをして疲れてるだろうと気を遣ってのことだろうから、つまりしっかり人に気遣いもできるわけだ。
もちろんアリシアも、お嬢様のことは普通の赤ちゃんじゃないとは思っていたけれど、今日のことでますます尊敬を深めたのだった。
◆
部屋に戻ってしばらくすると、昼ご飯の案内があったけれど、お嬢様が部屋から動きたくないと言ったので、部屋に持ってきてもらう。
乳母のアイシャさんも疲れたような顔をしていたから、昼ご飯もお嬢様の世話をやこうとアリシアが狙っていたら、お嬢様をコージャさんに取られてしまった!
午後からも、お嬢様が疲れていたから、宿から動かずに交替で散歩に出たりとか、お昼寝をしているお嬢様の寝顔を眺めたりとか、それくらいで夜まで過ごす。
しっかりお昼寝をしたお嬢様が、夜には元気になったので、食事をとりに食堂まで皆で降りる。
見ると、食堂のテーブルのひとつで、すでにご領主さまが臣下の方たちと食事をはじめておられて、ご領主さまは、アリシアたちを見つけると、こっちこっちと手を上げてくださった。
アリシアとしてはくつろげないから、ご領主様たちと一緒に食べるのはあんまり気が進まなかったけれど、どうしようもない。
「今日の治療はうまくいったか?」とか
「ちゃんとできたけど、とってもつかれたわ」とかいう、ご領主さまとお嬢様の、親子の会話を聞きながら食事をする。
「今日のは簡単だって言ってたじゃないか」
「てじゅんがかんたんはかんたんだけど……ますいするだけでもごくまれにだけど、けいれんしはじめていきがとまっちゃうひとだっているのよ」
「え……そうなったらどうするの?」
「そういうときのおくすりとかいろいろよういしてあるけど、ほかにもあぶないことはいろいろあって、そういうことぜんぶにきをつかわないといけないからこころがつかれるわ。きょうはおかあさまもいないし」
「そうか、それはよく頑張ったねえ」
なんだか話を聞いているだけで恐ろしい。
まあ人間を生かしたまま切り裂いてから治すんだからそんなものだろうか。
獲物の解体とあまり変わらないな、などと考えていたアリシアは自分の考え違いを反省したのだった。
「それで明日は仕入れの予定だけどそれはいけそう?」
「あしたならだいじょうぶ。でもあさはすきなだけねたいわ」
「ははは、そりゃアイシャにそう言っておきなさい。じゃあ私達も朝はゆっくりすることにしよう」
明日の朝はゆっくりできるらしい。
それにしても仕入れってなんだろう?
◆
そうして翌日の朝。
お嬢様が自然に起きるのを皆で待って、それから身支度をして、皆で朝ご飯を食べに食堂へ降りていくと、ご領主様はもう朝食が終わったみたいで、臣下の皆さんと一緒にコーヒーを飲んでおられた。
「ゆっくり食べなさい」とご領主様は言ってくださったけれど、待たせてしまっているようなので、本当にゆっくりもしていられないから朝食は言葉少なく黙々と食べる。
食べているときに「きょうはでかけるからじゅんびしてね」とお嬢様が言ったので、食べ終わったら皆で部屋に戻って外出の用意をして、アリシアも軽く武装した。
じゃあ行こうか、とご領主さまがおっしゃったので、ご領主さまの臣下の皆さんが一緒に行こうとすると
「今日は娘たちと一緒に行くから護衛はいいよ」とのことで、でもセフィロだけ来てもらおうか、と言って、背が低くてがっしりした浅黒い只人の男の人がひとりだけ一緒に行くことになった。
ウィッカさんの牽く馬車と、ご領主さまが乗っていらした馬車の二台に分乗する。
もちろんアリシアは体が大きすぎて馬車には乗れないので歩きだった。
◆
車列は、宿から街の大通りに、大通りから街の外にいったん出る。
街の外に出ると、ふわりと涼しい風が山の斜面に沿って降りてきたのを感じて、アリシアは後ろを振り返る。
すると、先ほどまでいた街が山にへばりつくようにしてあるのが見えた。
馬車は、ご領主さまの案内で、街のある山の山麓に沿うようにして方向を変える。
少し走って山陰に入り、樹々の匂いがしてくると、アリシアは急に懐かしいような元気が湧いてくるような心持になった。
幾らか温度の低い、森の新鮮な空気を感じていると、街のお屋敷で暮らすのも快適でいいけれど、山や森は心が休まる、とアリシアは思うのだった。
馬車は少し走り、樹木の剥げた斜面に行きあたる。
なんでこんなふうに木が剥げているんだろうと思って、アリシアが、かなり急峻なその斜面を見上げると、斜面の上のほうに大きな洞穴が口を開けているのが見えた。
そして、その洞穴のちょうど下側の斜面だけ地面が剥げているのだった。
よく見ると、その洞穴の開口部の下あたりから山の斜面に沿って、あちこちに石や岩がたくさんころがっているのが見える。
そしてその草木が剥げた斜面の、下のところでは、石や岩が積み重なっていて、大きな山のようになっている。
たぶん、あの洞穴から石やら岩やらを捨てているのかなとアリシアは想像した。
その剥げている斜面から少し離れたところに木立があり、その木立のちょうど陰になっているところに、石造りの小屋があって、ご領主さまは、その小屋の前で馬車を停めた。
石造りの小屋といっても、石工が成型したような石を積んだ、きちんとした石積みではなくて、その辺にある石を積み重ねて、石の隙間を泥やら苔やら草木やらで埋めたような、そんなような小屋だった。
積んである石と石の間の、その泥やら苔やらから草木が生えていて、ほとんど山と一体化したような風情になっている。
ちんまりとして見た目はかわいいけれど、窓が小さくて少ないし、中はあまり日が入らなさそうだから、暗そうだし、なんだか湿気てそうで、あまり居心地の良さそうな小屋ではないように見えた
停車したご領主さまの馬車から、身軽な動きでさっとセフィロさんが降りたところで、小屋の扉が開いて、背の低いがっちりした男の人が出てきた。
背が低いというか低すぎるというか、手足は太くてがっちりして豊かな髭を蓄えている。
土鬼族のヴルカーンさんと、とてもよく似ているので、たぶんドワーフなんだろうなとアリシアは思った。
髭に隠れて分かりづらいけれど、よく見るとその人はヴルカーンさんより少し細面だった。
「ファルブロールの閣下と御公女に、挨拶と遠路はるばるの御足労に感謝を申し上げる」
そのドワーフのおじさんは割れ鐘のような声で言った。
「御足労と言ってもついでだからね。たいしたことはないですとも」
ご領主さまがそう言いながら馬車より飛び降りた。
がっしりとドワーフのおじさんと握手をして、元気そうでよかった、とかそのような挨拶をしている。
「中で酒か茶か珈琲でも馳走しよう」
とドワーフのおじさんが言ったけれど、ご領主さまが
「心遣いは嬉しいけれど、大鬼族や馬人族の子がいるからね、体がつっかえるといけないからやめておこう」
と言って断る。
アリシアとしては天井に頭がつっかえるようなところに入らなくて良くなったのはホッとしたけれど、土鬼族の家の中というものを一度くらい見てみたかったので、そこは残念だった。
まあ、とにかく用事を済ませようじゃないか、とご領主さまが言っていると、小屋からとても背が低い女の人がでてきた。
背が低いから、小さな子供のように見えるけれども、手足を見ると、子供みたいな細さはなくて、そこはちゃんと大人のようにがっしりしている。
顔は幼いようにも見えるし、大人のようにも見える、不思議な感覚があった。
全体的な印象も、子供と言えば子供のようにも見えるし、妙にがっちりしていて顔つきと併せて大人のようにも見える。
その女の人は「まあまあ、お構いもできませんで」と、ドワーフのおじさんの後ろから言った。
ともかく普通の人間とは違うようだし、この人はいったい何の種族なんだろうとアリシアが思っていると
「いやいや奥さん、急に来た私たちが悪いのですからお気になさらず」
とご領主さまが言った。
土鬼族のおじさんの奥さんということは、あの奥さんもドワーフなんだろうかとアリシアは思ったけれど、考えてみればアリシアの母親も大鬼族の奥さんだけど、別にオーガではなくて只人だからはっきりとは分からない。
「まあとにかくモノを先に引き取ってもらおう」
とドワーフのおじさんが言ったので、馬車にドワーフのおじさんを乗せて、皆も乗り込んで、来た道を引き返し始めた。
◆
馬車は先ほどの、洞穴の下の草木が剥げた斜面の、その下の石や岩が積み重なって山になっているようなところまで行き、ご領主さまの指示でそこに停まった。
近くまで寄って見ると、石や岩の山はとても大きくて、見上げるほどに、アリシアの身長の何倍も堆く大量に積み重なっている。
こんなところに停まってどうするんだろうとアリシアが思っていると、お嬢様が
「これ、ぜんぶもっていったらいいの?」と言った。
すると「おうとも! 全部きれいさっぱり頼むぜ!」とドワーフのおじさんが答える。
「ん、わかった」
お嬢様はそう言って、ふわふわと石や岩の山のほうに漂っていく。
あっ、崩れたら危ないですよ、とアリシアが言いかけたところで、お嬢様は、すーっと斜面に沿って飛んであがり、てっぺんまで行くと、手のひらを下に向けてふりふりと振った。
すると石や岩でできた山の中ほどのところから、何かが噴き出して、太さがひと抱えもあるような大きな蛇のようになってうねるのが見えた。
なんだあれ? と思って目を凝らすと、その蛇は岩や石が集まってできているのだった。
その蛇はぐいんぐいんと大きくうねると、空高く伸びあがり、それから大きく弧を描いてから、逆落としになってお嬢様の上に殺到する。
危ないと思って、あっ!? とアリシアが叫んだけれども、お嬢様は岩や石でできた蛇に食われるでも潰されるでもなく、その蛇はお嬢様に当たりそうになる端から虚空に消えてしまっているようなのだった。
そうして石や岩が蛇のようになって吸い上げられては、お嬢様のほうへ向かい、そのまま消えていく。
呆然としてアリシアが見ていると、段々と石や岩の山が小さくなって背が低くなり、やがて全部無くなってしまった。
それからお嬢様はふわふわと飛んで、ドワーフのおじさんのところまで行くと
「じゃあこれね」とそう言って、どこからともなく酒瓶らしきものを二本取り出して、それを渡す。
「すまねえ、ありがてえなあ」
ドワーフのおじさんは、酒瓶らしきものを押し頂く。
こっちが金を払わにゃならんくらいなのに、と言うおじさんに、お嬢様は「いいのよ」と返事をしてから、またふわふわ漂ってアイシャさんの胸に収まった。
じゃあ帰ろうか、とご領主さまが言って、それでまたドワーフのおじさんの小屋のところまで馬車を戻す途中で、アリシアは「さっきのは何だったんですか?」とお嬢様に尋ねてみる。
「あれはね、こうざんからでてきたいらないいしなのよ。すてにいくのもたいへんだけど、わたしの【にもつぶくろ】のいのうにいれてはこべばかんたんだわ」
とのことだった。
お嬢様は色々とどこからかものを取り出したり、ものをどこかにしまいこんだりしているけれど、やっぱりそれにはタネがあるということらしい。
「それにわたしはれいじゅつでねつをタダでつかえるから、ひんいがひくくてふつうはすてるしかないいしからでも、まだいろいろとりだしたりしてりえきがだせるのよ」とのことだった。
なんだか難しくてよく分からない。
そう言ったらお嬢様が「こうせきとかやきんはおくがふかくてむつかしいわ」とおっしゃった。
ひょっとしてお嬢様ってすごい頭がいいんじゃないだろうか。
ドワーフのおじさんを、小屋のところまで送ったら、おじさんの奥さんが小屋からでてきて、お盆にお茶の入ったコップを載せて出てきてくれたから、お嬢様がそのへんの土からテーブルを椅子を作って、そこでお茶をいただいて、それからいったん街に帰った。




