ハーフオーガのアリシア29 ― 学園への旅行Ⅱ ―
やがて夕方になり、陽がだんだん落ちてくる。
このまま舟の上で夜を過ごすのかなともアリシアは思ったが、川を下っていくと、やがて川が大きく屈曲している場所があって、その角の部分を奥に向かって川床を掘り下げて造ったらしき、船溜まりが見えてきた。
川岸には平たく削った石を積んで岸壁にして、舟をつけられるようにしてある。
先頭の、人間が乗った船がそっちに向かって岸壁に付ける。
船室からご領主さまが出てきているので、どうやらあそこで降りるらしい。
最初に人間、次に馬、最後に馬車と順に降ろしていく。
人間と馬は簡単に降りたけれど、馬車を降ろすのは、ちょっと大変だった。
それで、舟から岸壁に渡す板とかを用意して、皆で馬車を押したり引っ張ったりしていると、お嬢様がふわふわ飛んできて
「ちょっとばしゃからはなれて」と言った。
それで皆が馬車から離れると、お嬢様が馬車の上に飛んであがり、そうして突然馬車が煙のように消えた。
お嬢様は、ふわふわと別の馬車のほうに飛んで行って、また屋根の上に乗ると、その馬車も消えた。
そうして全部の馬車が消えると、お嬢様はまた岸壁のほうにふわふわ飛んで、今度はそれからぽんぽんぽんと馬車を並べて出現させる。
お嬢様はこの旅行の用意をするときに、荷物を『にもつぶくろ』に収納していたから、つまりアリシアが腕輪のなかに荷物を入れているように、どこかにしまいこんでから出したんだということだろう。
でも、こんなやり方もあるのかと驚いて、アリシアは思わずあんぐりと口を開けてしまったけれど、他の人はあんまり驚いていないようだった。
それから、ご領主さまがアリシアとウィッカさんのほうにやってきて
「少し走ってから野営をするからそのつもりで」とおっしゃった。
そうしてまた馬車に馬が繋がれて、ウィッカさんも自分を馬車に連結してから走り出す。
一時間も走らないうちに、先頭のご領主さまの乗った馬車が、すこしだけ小高くなった場所に止まり、長くなっていた車列が縮んで、ご領主さまの馬車のまわりに集まる。
そうすると馬車からご領主さまが降りてこられて
「じゃあアリスタ、このへんで頼むよ」とおっしゃった。
するとお嬢様がウィッカさんの引く馬車からふわふわとただよってきて、皆のそばの地面に着地する。
そういえば、お嬢様はいつも誰かに抱っこされているか、お子様用の椅子に座っているかだから、ひとりで地べたにいることはあんまりないよね、とアリシアが思っていると
「むむっ!」とお嬢様がかわいい声でうなる。
そうしたら突然に、周囲から、土砂崩れのときのような地鳴りのような、大きな音がした。
少し地面が揺れたかと思うと、ビキビキという何かが割れるような音とともに、アリシアたちのいる場所を中心に広く地面を残して、その外側の地面が輪っか状に、宙に浮いて持ち上がった。
地面から巨大な指輪か腕輪が切り出されて、その切り出された大きな輪の中心にアリシアたちがいるようにな感じになる。
突然の振動や音に驚いたのか、馬が暴れだして、御者の人に抑えられているし、アリシアも呆然として見ていると、その輪っか状に持ち上がった土が、その土があった、地面が掘れて堀のようになった場所の、少し内側にどんどん積みあがって壁のようになっていく。
そうしてアリシアたちを囲む壁ができると、ご領主さまが「入り口はあっちに付けよう」とおっしゃる。
そうするとお嬢様が手をちょいちょいと動かして、ドン!と大きな何かが破裂するような音がすると、壁の下の方が一箇所だけ外側に倒れ込み、半楕円形の穴があいて、壁のすぐ外の、土が切り出されたあとの堀のようになっている場所を埋めた。
「便所はあっちの端だな」とご領主さまがまたおっしゃると、またお嬢様がぷにぷにのおててをちょいちょいと動かし、地面の土が動いて、壁の内側の壁際に、向かい合わせるようにして、三方向を囲むように、壁が立ち上がってきた。
それからお嬢様はまたふわふわと飛んで、さっきできた壁の穴から壁の外に漂い出ていく。
すると、また地鳴りのような音がして、音のする方を見ると、大きな土の塊がひょいひょいと空を飛んでくるのが見えた。
土の塊は、壁の上にどんどん積み重ねられて、壁が積み足されていく。
しばらくすると、壁を飛び越えてお嬢様が戻ってきて、今度は壁に手を当てて壁の内壁を周回するように飛びながら、でこぼこしている壁の表面を、きれいに整形している。
それが終わると今度は、さっき作った便所のほうに飛んでいって何かをしていて、それからこっちのほうに飛んで戻ってくると
「できた」
とお嬢様はおっしゃって、そのままふわふわとただよってアイシャさんの胸に収まった。
アイシャさんは最初から知ってたのか、そうでもないけれど、他のお嬢様の臣下は、アリシアも含めて尊敬の目でお嬢様を見ていた。
なんだかその辺で浮いてたり、誰かに抱っこされている、ぷにぷにしててかわいい赤ちゃんでしかなかったのに、急にこんな天変地異を起こされてしまうとびっくりする。
アリシアは壁の外がどうなっているのかと見に行ってみることにした。
壁に開いた出入り口用の穴に入ってみると、壁の厚さはアリシアが腕を思い切り広げたくらいあって、思ったよりだいぶん分厚く見える。
壁の穴を抜けてみると、壁のすぐ外側に空堀ができていて、壁の出入り口の穴の前のところだけ堀が埋まっていて橋になっていた。
空堀はかなり深くて、下を覗くと空恐ろしい感じがしたし、幅もけっこうあった。
橋を渡って外に出て、周囲をぐるりとまわってみると、円形に壁がぐるりとそびえたち、その外側に大きな空堀が掘られているというような作りになっている。
こんなのもう城じゃんとアリシアは思った。
壁の中に帰ると、出入り口の穴のそばにご領主さまの乗っていた馬車が移動してきていて、そこから御者の人が荷物を取っていた。
「夜は馬車で入り口を塞ぎますけえ」と御者の人がアリシアに言う。
「お嬢様に壁を造ってふさいでいただくのではだめなんですか?」
とアリシアが疑問に思って聞くと
「そりゃそれでもいいけんども、お嬢様に万一なにかあったらワシらは出られんようになりますけえの」
とのことだった。
それは確かにそうかもしれない。
ふと見ると壁のそばに、土で作ったらしき馬小屋らしきものができていて、そこに馬車の馬が入っていたり、広場の真ん中のほうに長いテーブルとベンチができていたりして、なんだか色々と設備が増えていた。
お嬢様がまた土で作ったのだろうか。
そういえば、今日はずっと船に乗っていたから、トイレに行っていないのをアリシアは思い出して、お嬢様がさきほど作ったらしきトイレに向かう。
トイレは、真ん中に便座があって、その後ろと左右に、壁を新たに作ったというような作りをしていた。
前は完全には囲われていなくて、でも外の壁になるべく寄せてあるので、その隙間から出入りするというようになっている。
便器には蓋がついていて、それを開けると、これは持ってきていたのか、木でできた便座が載っていた。
それから便器の中には、お屋敷でも使っている、うんちやおしっこを食べるスライムがちゃんと入っている。
旅行のためにこんなものまで持ってきたのかとアリシアは感心した。
すぐそばの土でできたらしき台に、お尻を拭く葉っぱや書き潰した紙の類も置いてある。
手洗い用の水も桶に入れて柄杓をつけて置いてある。
完璧じゃないか。
◆
快適に用を済ませたアリシアがトイレから出ると、そろそろと夕食の準備が始まっていた。
お嬢様がボコボコと地面の土を隆起させて、椅子や机を造っていたので、アイシャさんがどこからか引っ張り出してきた布をもらって二人で、できあがった椅子と机にかけていく。
そのすぐ側で、ご領主さまが地面の土でかまどのようなものを造っておられて、そこにご領主さまの臣下の人がどこからか持ってきた金網をかぶせていた。
◆
食事はサンドイッチにスープで、かまどの火で温められていたし、デザートにタルトも出てきて、お茶もお酒もあって、外で食べてるとは思えないくらい豪華だった。
お嬢様が即席で土を固めて作ってくれた板の上に大きな葉っぱを拡げて、お皿のかわりにして食べる。
食べ終わったら葉っぱはかまどに投げ込んで、土の板は「そのへんにすてて」とお嬢様がおっしゃったので、もったいないなと思いながらそのへんに捨てる。
片付けが終わったのでアリシアが椅子に座ってかまどの火を眺めていると、アイシャさんが大きな壺を持ってきてくれた。
「お嬢様がお湯を造ってくださったから、これで体を拭いて寝てね」
とのとで壺の中にはお湯が入っているらしい。
「あっ、すみません、ありがとうございます」
と、ひらひら手を振って戻っていくアイシャさんの背中にお礼を言う。
それからアリシアは、ご領主さまが用意してくださった、自分用の大きな幌馬車に戻る。
馬車にくっついていた馬は二頭ともいなくなっていて、誰かが面倒をみてくれているようだった。
アリシアは馬に配慮してずっと徒歩でいたので、馬車には初めて乗り込む。
大きな馬車の車内は、ただ分厚いマットが敷いてあるだけで、あとは細々した手回り品が入った布袋しかない。
馬車の天井に明かりの術石が入ったらしき器具が吊られてあったので、ちょんちょんと指でつついてみると、灯りが点いて、車内に黄色い柔らかな光が満ちた。
アリシアはブーツを脱いでから、マットの上に胡坐をかいて座り込み、服を脱いで、お湯と布で体を拭いて下着を替える。
実家で狩りに出ていたときは、ちょっとくらい体を洗わなくても別にどうということはなかったけれど、なんだか自分も上品になったものだと思う。
さて、体も拭いたし、お嬢様におやすみの挨拶でもして寝ようかなと考えていたところで、馬車の外から小声で言い争うような声が聞こえてきた。
聞こえてくる感じでは、たぶん一人はコロネさんの声だった。
他に女の子らしき声と、男の子みたいな声がひとりずつ。
このアリシアたちの一行に、男の子供はひとりしかいなくて、それはコロネさんのところのお付きの男の子だろうから、もうひとりの女の子のほうも、おそらくコロネさんのお付きのメイドさんだろうなと見当をつける。
大鬼族は耳がいいんだよね、などと思いつつアリシアが馬車の幌を捲って覗いてみると、果たしてその通りだった。
今日も金髪がきれいなコロネさんと、メイドさんの女の子と、従僕の男の子が顔を突き合わせて話し込んでいる。
「どうしたの?」とアリシアが声をかけると、コロネさんは「いえ、なんでも……」と答えたけれども、なんでもないような雰囲気でもない。
揉めてるらしいのにこのまま放って馬車に引っ込んでいいものか、とアリシアが迷って黙ったままでいると、コロネさんが観念したのか話し始めた。
「この子がね、馬車の外の地べたで寝るって言うんですよ」
そう言ってコロネさんは男の子のほうを見た。
まあ別に外で寝たって今は夏だからどうってことはないだろうけど……。
どうして? とアリシアが聞くと
「狭い馬車の中でお嬢様やミーナさんとくっつきあって雑魚寝なんてできません!」
と、金髪のその男の子は頬を紅潮させて言った。
僕だってもう男です! とその男の子が強く主張すると、コロネさんは半目になって
「トニオのくせに生意気な……」と言っていた。
確かにその子はちょっとまだ背も小さいしかわいいような感じがある。
でも、そういうことならアリシアの幌馬車が大きいので
「じゃあコロネさんとミーナちゃんは私の幌馬車で寝なよ。そしたらトニオ君も馬車で寝られるでしょ」
と提案してみる。
「いいんですか?」
「三人くらいならちょっと詰めればいけるから大丈夫だよ」
「助かります~」とコロネさんは言いながら、トニオ君のほうに向いては「一人で寝られる?」などと言ってからかっていた。
◆
どうもお邪魔しますね、とか言いながら、体に掛ける用の布とか、ポットとか、何か入っているらしき袋とかを持ってコロネさんとミーナちゃんが、アリシアの幌馬車に乗り込んでくる。
「いやー、助かりました」
と、コロネさんはアリシアに言いながら横を向いては、メイドのミーナちゃんに「これ切って」と袋から何か包みとナイフを取り出して渡していた。
ちょっとお茶入れますね、とアリシアに断ってから、コロネさんはポットを片手で持ち、もう片方の手をポットの下にかざす。
すると徐々にポットから湯気が出てきはじめる。
ということは、コロネさんも令術とかそういうのが使えるわけだ。
「そういうのできるの凄いね」とアリシアが褒めると、コロネさんは
「少しだけですけどね、なんでもほんのちょっとずつできます」と言った。
器用貧乏なんですよね、お嬢様のように凄いことはできません、とのことだけれど、お嬢様みたいなことができる人がそのへんにいっぱいいたら大変だとアリシアは思う。
やがてお茶ができたらしく、メイドのミーナちゃんが袋の中からカップを出して注いでくれた。
それから切ったケーキも紙の上に出してくれる。
ケーキをいただいてみると、中にドライフルーツやナッツを入れて焼き固めて、お酒を沁み込ませる長持ちするやつで、固いけれど甘くておいしい。
お茶もいただいてみたら、ハーブのお茶で、りんごみたいな甘い香りがした。
たぶんカミツレだろうか。
おいしいです、とアリシアが言うと「良かった」とコロネさんは顔を綻ばせる。
「トニオが外で寝るとか言うもんだから、困っちゃってたので助かりました」
まだ子供だと思ってたんですけどねー、などとコロネさんが言っているのを聞いて、メイドのミーナちゃんが
「でもトニオはあたしと同い年ですから十二ですよ」と答える。
「いつまでもチビだったころの印象のまんまだけど、もうそんなになるのかあ」
そんな会話を聞きながら
(そういえば自分はスクッグさんとヴルカーンさんと宿は一緒の部屋だったぞ? 自分はオーガだからいいのかな?)
などとアリシアは考える。
ふと思いついて
「お嬢様に土で小屋のひとつでも作ってもらえばよかったね」
とアリシアが言うと、コロネさんが
「うーん、でも令術で屋根のある建物はあんまり作らないんだって聞きますよ。
あまり強くない術者が作ると、たまに突然崩れたりすることもあるみたいで」
と教えてくれた。
「まあ、お嬢様くらい強い術者なら作っても全然大丈夫だとは思いますけどね。うっかり生き埋めになったりしたら大変だから、術者の人はあんまり作りたがらないようですよ」
わたしもそりゃ建物なんか作れませんけど作れるとしたら嫌ですね、とのことだった。
それから、どういう配置で寝るかを相談した結果、マットを端に寄せてから、マットの上でアリシアとコロネさんが詰めて一緒に寝ることになって、コロネさんが自分の敷き布をミーナちゃんに渡して、敷き布を二枚重ねにしてマットの下でミーナちゃんが寝ることになった。
明日もたぶん早いからということで、ケーキとお茶を片付けて、灯りを消して寝始める。
アリシアは、すぐそばでコロネさんの寝息を聞いて、誰かが横で寝ているなんてことはいつ以来だろうと考えながら穏やかな眠りに落ちていったのだった。




