閑話:エルゴル・セックヘンデ氏のたくらみⅢ
道々、場所を聞きながらエルゴルは練兵場にやってきたものの、そこには誰もいなかった。
ちょっとがっかりするが、アリシアさんの今日の予定を把握しているわけではなくて、練兵場によくいるらしいから、鉢合わせたらいいな、くらいのことだから空振りは仕方がない。
まあどうせ晩餐会まではヒマだし、アリシアさんとお近づきになるという魂胆は別にして、本当に鍛錬することにする。
仕事で魔獣退治なぞしていると、仕事で実戦してるから練習はいいやみたいなことになって、どうにも基本的な動きが疎かになりがちになる。
特にエルゴルは腕が六本もあって、さらに尻尾もあるから、理に適った動きというものが、普通の一般的な武術のそれとは違う。
いちおうエルゴルは鱗人族の武芸者に教えを乞い、それを基本にして、体の動かし方の体系を作ってはいる。
けれどもエルゴルは、リザードマンに比べて、肩から背中にかけてが大きく膨らんでいて、そこから六本も腕が生えている。
腕が六本も生えているせいで、普通のリザードマンよりは若干胴長で、そのトップヘビーな上半身が少し前かがみになっているのとバランスを取るように、長くて太い尻尾が生えている。そして胴長なぶんだけ脚が少し太く短く見える。
だから普通のリザードマンとは体型がだいぶ違い、重心も違い、故に正しい動きも違ってしまう。
尻尾が生えているという点ではリザードマンと共通性があるが、長さも太さも違うので参考程度にしかならない。
『お前は自分自身の、自分のためだけの武芸の体系を築き上げねばならぬ。これは容易ならぬことである。生涯をかけて行い、それを極めるのだ』
エルゴルが一時期通った道場の師範であった老鱗人族はそう言った。
とは言うものの、そりゃその師範が武芸そのものを仕事にしているから言えることであって、普通は他の、武芸ではない仕事やらその他の生活をするものだから、そう武芸のことばかりやってもいられない。
それに仕事でさんざん魔獣の相手をして体を動かしてから、さらに武芸の練習と言われると気が乗らないし、忙しさに取り紛れておろそかになるのだった。
だからこそ、この突発的に訪れた鍛錬の機会を有効活用せねばならぬ、とばかりにエルゴルは、背負ってきた六本の大剣を抜き、尻尾には錘を持って、師範と考案した動きや技の型をひとつずつ思い出しながらさらっていく。
ひとつひとつの関節の動き、動きの流れ、大剣が空気を切る音、すなわちしっかりと刃が立つ角度と剣速、それらすべてに同時に注意を集中して、やがて忘我の境地に……といきたいところだが、子供連れで来ているので、本当に忘我の境地になるわけにはいかない。
忘我の境地どころか、ちょっと練習するとシルベネが退屈そうな顔をし始めたので、鍛錬に付き合わせることにする。
「団長と勝負だぞ!」
とかなんとか言ってシルベネに、持たせておいた術石付きの杖で、光球をエルゴルのほうに撃ち込ませる。
ボンボンと間の抜けた音をさせながら、光球が飛んでくるが、光球は暗赤色で、色が赤にすら達してないし、制御が甘く、輪郭もぼんやりしていて、たまに空中で溶けて消えたりする。
威力は全く低いけれども、シルベネはまだ五歳かそこらだから、こう幾つも撃てるだけで大したものだ。
これを六本の大剣で斬り、あるいは尻尾に握った錘で叩いて消していく。
もちろん全部消してはシルベネが面白くなかろうから、たまに被弾して「わぁー、やられたー!」などと言いつつ転げまわってみたりもするが、そうするとシルベネがキャッキャと言って喜んでいるあたり、実はちょっと恨まれてたりとかしないよなと少し不安になる。
そうやって鍛錬を続けていると、やがて視界の端に大きな人のようなものが引っかかって、向き直るとアリシアさんがそこにいた。
エルゴルは(大当たり!)と心の中では快哉を叫んだが、表面上は何事もない風を装う。
大きなアリシアさんが怖かったのか、シルベネが走り寄って抱き着いてきたので、抱き上げながら武器をしまう。
「これ、ご挨拶をしないか」
と言うと、シルベネはエルゴルの手にしがみついたままペコリと頭だけ下げた。
そうするとアリシアさんは、目線を落とし、ひどく優しい顔をして、シルベネに「よろしく」と言ってくれた。
うっかり手合わせなどという話にでもなって、お互いに怪我などすると、交渉が壊れるということにもなりかねないから、エルゴルは
「こういうときでなければ手合わせなどお願いしたかもしれませんが、今回は揉め事の話し合いのために参ったわけですから、ここでさらに私や貴女がどちらかでも怪我などしようものなら、少しややこしいことにもなりかねません。ですから今回は自重させていただきますよ」
と牽制する。
それでもアリシアさんは、がっかりしたり、好戦的なことを言うでもなく「ええ、もちろん」と答えてくれる。
やはり彼女はどことなく穏やかで、オーガ離れしている。
どう話を切り出すべきか迷ったけれど、迂遠にいっても仕方がないから開き直って情報を集めることにする。
「もう少し辺境の森林地帯ならともかく、このあたりでは大鬼族の同族は珍しい。もしよろしければ、ご両親のお名前などお教えいただけるかな?」
直截にそう聞いたら、アリシアさんは特に警戒することもなく
「父の名前はスタルク・ゴルサリーズで、母はムテラと言います」と答えてくれる。
スタルクという知った名前、というよりもはやエルゴルにとっては偶像のような、エルゴルを導いてきた名前がでてきて、エルゴルは驚くと同時に、やはりそうなんだなとある種の納得を感じたのだった。
エルゴルは大切なものにそっと触れるような、ときめきとも畏れともつかぬ感情を抱きながら
「君はひょっとすると大鬼族の村で育ったのではないんだろう?」
と聞く。
するとアリシアさんは「はい、母は只人ですし」となんでもないことのように答えてくれた。
その瞬間にエルゴルは脚の先から頭の天辺まで深い歓びを感じたのだった。
「おお……そうか、そうか」
と口に出してはそれだけしか言えなかったけれども。
少し気を取り直して
「私もちょっと色々あってね。
オーガの村から出て暮らしているわけだけれども、私より先にスタルクという人が、オーガの村から出て、只人や他の亜人たちの中で暮らしていると、そういうオーガもいると、そう聞いたんだよ。
それで私もそれに倣ってそうしようと思えたのさ。
私は君のお父上にお会いしたこともないけれど、それでもスタルク殿は、私にとっては人生の見本のようなものなんだよ」
と説明を試みる。
けれどもアリシアさんは、なんだかあまりよく分からないというような表情で「そうなんですね」と言った。
もちろんエルゴルが感動しているのは、エルゴルの個人的な体験に基づく理由があるからで、それをアリシアさんが知る由もない。
それでもエルゴルはその感動を伝えたくて
「君のお父上は、そうして家族を持って、いまやこんなに立派な娘さんまでいる。あまり分かってもらえないかもしれないけれど、私はちょっと感動しているんだよ」
と言い募ったのだった。
エルゴルは、心が浮き立つような気持ちで
「今日は嫌な仕事だと思ったけど、あなたに会えて本当に良かったよ」
と、一方的に感謝の言葉を伝える。
それから雑談していると、屋敷のメイドが晩餐会の時間だと呼びに来てくれたので、食事をしにアリシアさんと一緒に屋敷へ向かった。
「順にお呼びいたしますので、少しだけお部屋でお待ちください」
と案内してきてくれた使用人に言われたので、アリシアさんと別れ、エルゴルはいったん部屋に戻る。
その途中で抱っこしていたシルベネをエレーナに返すために、そっちの部屋に部屋に寄る。
するとエレーナがでてきて
「もうひとつ聞いてきたんだけど、アリシアさんってここ領主さまの家臣じゃなくて、お嬢様の臣下なんだってさ。それでまたもう少ししたらお嬢様が学園に入学するのにあわせて、一緒についていっちまうらしいよ」
と教えてくれた。さすがの調査力だ。
人と気軽なおしゃべりができるというのは本当に能力だと思う。
エレーナに、ありがとう、助かる、と礼を言って、シルベネを引き渡す。
エルゴルは自分の部屋に戻り、ベッドの上に座り込んだ。
◆
あれはエルゴルがまだ少年だったころ。
大鬼族というのは、只人のようには暦がしっかりしておらず、月日の感覚が明確でないので、十三歳だったか十四歳だったか。
里のオーガの女たち十何人かに洞窟に引っ張り込まれたことがあった。
エルゴルには、六本の腕がある。
腕はいずれも太く長い。
手のひらこそ只人の手のようではあるけれど、腕と手と指の甲は固い鱗に覆われている。
それらの腕は、大きく盛り上がって少し前かがみになった肩と背中に続いている。
その盛り上がった背中から続くように、太くて長い尻尾が生えている。
下半身には大きな鉤爪を持つ、竜種のような太い脚が生えてある。
全くの異形ではあるが、何ら萎えたところはなく、力強い。
それに周囲の大鬼族と比してもなお、エルゴルは年齢のわりに明らかに体格が大きかった。
また腕や脚には鱗があったから、それは鱗人族のような、ひいては竜種のような異形にも見えた。
故に里の女たちは、エルゴルの種を欲しがった。
そうしてある日にエルゴルは、特定の番がいるのもの以外は全員いるのではないかと思うような数の女達に洞窟に連れ込まれ、皆で体を押さえつけられた。
それでもどうにかして未遂で逃げ出してくることができたのは、エルゴルの異形のために、下半身が蜥蜴のそれのようになっていて『収納式』だったからに過ぎない。
母親と一緒に住んでいた洞穴に逃げ帰って、その一番奥で身を丸めたエルゴルに、母親は、オーガの里から出て暮らしているオーガがいる、名前はスタルクというんだと聞かせてくれた。
こういうことが嫌ならもう里を出た方がいい、と母親は言い、エルゴルはその夜のうちにそうした。
腰巻の他は、革の水袋と魔獣の枝肉を持ち、腰に芋のついた蔓を巻いて出た。
どこかオーガのいないところで暮らそうとして、あてもなく彷徨い、そのうちに食料をもとめて只人の町へ降りて、住民に見つかって騒ぎになった。
それで在地の領主に保護され、その寄り親のドライランター公が面倒をみてくれることになる。
そこから十数年、本当に苦労した。
只人の言葉は、二割くらいは分かったけれども、大鬼族のそれとは違う部分も多いので、その時点でもう苦労した。そもそも語彙がオーガに比べて只人のほうが圧倒的に多いから、覚えることだらけだ。
体を洗うこと、服を着ること、暴力に訴えないこと、言葉を尽くすこと、金を使うこと、金を稼ぐこと、簡単な計算、時間を守ること、文字を読むこと、書くこと、そして言葉で考えること。すべて里から出た後に覚えたことだ。
やがて、大人になってから、只人の仲間や友人や知り合いが伴侶を見つけていくのを見て、寂しく思うこともあったけれど、エルゴルはそういうことは諦めていた。
大鬼族でも只人と無理をして番になるものがいないではないと聞いたりもしたけれど、エルゴルは普通のオーガよりもなお体格が大きい。夜のことも含めていくら何でも無理があると思ったからだ。
けれども、エルゴルが行き場のない子供を連れ帰ったり、その面倒をみる只人の女を雇ったり、仕事にあぶれた人間を拾ったりして、徐々に配下が増えて、そんな挙句に兵団を立ち上げてしまったのは、やはり自分の家族が欲しかったので、その代償行為だったということだろうと思う。
ドライランター公も、公の奥様も優しかったし、公の子供たちとも仲は良かったけれど、そんな良い家族の情景を見ればみるほど羨ましくなった。
◆
そこに現れてきたのがアリシアさんだ。
彼女は美しく、大鬼族の女性であるが、オーガの女のようではなく、穏やかで優しそうだ。
清潔で良い匂いがし、服を着ていて、礼儀正しく、文化的で、好戦的ではない。母親は只人だと言っていたから、オーガの女に育てられてさえいない。
あんなにきれいなオーガの女性を見たことはない。
逃すわけにはいかない。
あきらめていたものが、突然に想像をはるかに超えるかたちであらわれてきたのだ。
何としても手に入れなければならない。
(絶対にだ!)
エルゴルが燃えるような闘志を固めていると、部屋がノックされ、どうぞと言うとメイドさんがあらわれて、
「用意が整いましたのでどうぞお越しください」と言ったので、エルゴルはついていった。




