閑話:エルゴル・セックヘンデ氏のたくらみⅡ
なんだかアリシアさんが気になって仕方がなかったが、仕事をさっさと済ませてしまうことにする。
とりあえずファルブロール伯に頼んで、牢屋のところでヘレットと二人だけにさせてもらって事情聴取をする。
「どう話を付けるにせよ、実際どうだったのか知らんとやりづらい。
正直な話で、お前は娼婦の顔を刃物で切ったのか?」
そう聞くと、ヘレットはごにょごにょとごまかそうとしていたが、最後は「やったよ」と認めた。
これで街で聞き込みして得られた証言と、本人の自白が一致したわけで、あとは賠償して終われるわけだ。
交渉をする部屋に案内されたが、席の並びが、ファルブロール伯と森族の奥方が、エルゴルの正面にくるのはいいとして、ヘレットのやつを伸した当事者だからかアリシアさんが、奥方の近くの見やすい場所に座っているのは良かった。
被害者の傷を確認させてもらうと、だいたい治してあったが、大きくて深そうな傷跡がいっぱいあった。
ヘレットのやつは「ちょっと」切ったみたいに言っていたが、ちょっとどころではない。とんでもない野郎だ。
「この傷はこのヘレットに負わされたもので間違いないな?」と被害者に確認して、被害者が
「はい」と答えると、
「嘘だ! 俺がやったっていう証拠でもあるのかよ! 俺はやってねえぞ! 俺はこのオーガにいきなり殴られただけだ!」
とかヘレットが、アリシアさんのほうを指差してわめきはじめた。
こいつは何を言っているんだ、と思うと同時に、女の顔を切り裂いたりなどする奴だから、これくらいは言ってみるだろうなという気も薄々していた。
人の気持ちが分からんのだろうし、自分が他人からどう見えるかというのも、あんまり分かってないんだろう。
それに自分の立場も分かってない。
あらかじめ自白を取っておいて良かったなあと思っていると、遠雷のような、魔獣の唸り声のような――エルゴルにとっては久々に聞く音がして、目の前のアリシアさんが、只人より少し発達した犬歯をちらりと覗かせながら、低く唸っているのだった。
アリシアさんは激怒している。
エルゴルとしては、そりゃまあこんな物言いされたら怒るわなあ、と思うと同時に、服とかもきっちり着ていて、あれほどまでに文化的で、穏やかそうにも見えるアリシアさんでも、やっぱり大鬼族はオーガなのだなあと、感心するというか驚きを感じる。
アリシアさんは体も只人よりはずっと大きくて筋肉もモリモリだから、それはもちろん明らかにオーガではある。
けれども、きれいな服なんか着ちゃって椅子に行儀よく座ってたりするもんだから、その様子は妙に現実離れして感じられて、ずっと見ていると、本当にオーガか? 体が大きい只人がオーガのふりをしているだけじゃないのか? とかエルゴルは思いたくなってしまう。
しかし、オーガがひどく怒った時にだす、この唸り声はやっぱりオーガらしいもので、エルゴルはそれを聞いて、アリシアさんが急に現実味をもって感じられて、微笑ましく思うやら、いっそ安心さえしたのだった。
ヘレットの奴はアリシアさんの威嚇の前に黙り込み
「アリシア、落ち着きなさい」とエルフの奥方がアリシアさんを宥めてくだすった。
それから奥方に、座りなさいと言われて、おとなしく座る良い子な感じがやはりオーガ離れしている。
ヘレットがどういうつもりにせよ、事実認定で争うつもりは全くないから、派閥の代表としてエルゴルは
「このヘレットがヨランダ嬢の顔を刃物で、深く何度も傷つけたと認める」と言い切ってやった。
「なに言ってんだよ旦那! どっちの味方だよ!」
とかヘレットの奴が驚いたように騒いでいるが、エルゴルとしては少なくともヘレットの味方ではない。
「なにといっても、いま言ったままだが?
お前がヨランダ嬢を無理やり連れだそうとして、断られたら逆上して刃物で顔を何度も切ったのだろう?
人を何人か街にやって聞きこみをさせたが、証言は一致していたし、第一、さっき牢屋のところでナイフで顔を切ったのかと聞いたら、やったとお前が言っていたではないか」
「なにバラしてるんだよ! なにしに来たんだよ! 助けに来てくれたんじゃないのか!?」
とかヘレットは喚いているが、ファルブロール伯に賠償金を払いに来たのであって、お前を助けにきたわけじゃない、と言ってやれればどれだけすっきりするだろうか。
もうヘレットのことは無視して、ファルブロール伯に、金銭賠償でいいかと聞いたらそれでいいと言ってくれる。
ヘレットの謝罪要求とかされたら、ヘレットの奴は素直に謝ったりしないだろうから、またモメて面倒になるところだし助かった。
まずエルフの奥方に金貨を20枚渡して、被害者のヨランダ嬢の傷の治療をお願いする。
ヘレットがあんなだから、もう金でゴリ押すしかないので、相場の倍ほど出した。
そうしたら奥方の手が白い光に包まれたかと思うと、次の瞬間には傷跡が跡形もなくなっている。
ナノマシンとかいうのがどうにかして、それで傷を治すのがどうとか聞いたことがあるが、門外漢にはよく分からない。それでもあまりにも早業でかつ完璧な治療で、ちょっと尋常ではないようには思える。
さすが高名な治癒師だけある。
それで被害者のヨランダ嬢に金貨を20枚渡す。これも慰謝料としちゃ相場の倍くらいにはなる。
それからアリシア嬢にも、特に渡す必要はないけれども、ヘレットの馬鹿を伸してくれた礼として、金貨を20枚ばかり渡した。
つまり都合で普通の6倍くらい渡してるわけで、ヘレットのやつが高すぎるとかなんとかわめいたが、これ見よがしにもう一回奥方とヨランダ嬢とアリシアさんに金貨を20枚ずつ渡してみせてやったら黙った。
どうせドライランター公か、ゴルダネスハー伯あたりに払いは持ってもらうんだから、気前よく払ってしまう。
とにかくファルブロール伯の、正確にはその奥方の心証を良くするのが大事なので、むしろ金をいかに多めに押し付けるかというのが重要だ。
そういうことをヘレットは全く分かっていないのだろうが。
まあとりあえず金は受け取ってもらったので、これで賠償は終了ということで、ヘレットを抱え上げて連行し、牢屋に入れ直す。
ヘレットのやつは牢屋に戻りたくないらしくて、何かわめいていたが、もう知らん。
◆
とにかくこれで仕事は終わったから、アリシアさんのことに集中できる。
晩餐会までお休みください、と言われて部屋に案内してもらったが、もともと何かの作業をするための部屋だったのか、妙に広くて天井も高い。
驚いたのは、部屋にオーガ用と思しき大きなベッドがあったことだ。
まだ新しい木の匂いがするし、急いで作ってくれたんだろうか。
そうだとするとだいぶ気を使ってくれているようにエルゴルは思った。
ともかくベッドに座って考え込む。
エルゴルは、今までオーガの女には嫌な思い出しかないので、今まで女の人に夢中になったことなどない。
だからどうしていいかもわからない。
じゃあ、仕事をする場合は大体どうしているか考える。
狩りやら魔獣退治やらの依頼があって仕事をするときは、大体は先に部下を派遣して偵察させて、情報を持ち帰らせて対策を立てる。
それからエルゴルが先頭で乗り込んでいって魔獣やらを粉砕して、後から部下が追っかけてくる、みたいな流れになるのがほとんどだ。
つまり部下にアリシアさんの情報を取ってきてもらえばいいんだな、とエルゴルは結論した。
それで、部下たちを部屋に呼び集める。
エルゴルのために用意された広い部屋に続々と部下たちが入ってきて、最後に部屋の扉が閉じられ、部下たちが話を聞く態勢になったところで
「さっきの会談に出てたものは知ってるだろうが、この屋敷にはアリシアさんというオーガの女性がいる。
彼女の情報をなんでもいいから集めてほしい」とエルゴルは言った。
「分かりましたが……その人に何かあるんですか?」と部下たちのうち、兵団のベテランで、副団長という扱いになっているソーバーという只人の男が聞く。
正直に答えるのは少し恥ずかしかったが、エルゴルは体が大きすぎて、こっそり嗅ぎまわるみたいなことには全然向いてない。どうしても部下たちにやってもらうしかないから正直に答えるしかない。
「彼女を妻にしたい。どうしてもだ」
「はぁ……今日初めて会ったばかりなんですよね?」
「そうだな」
「一目惚れですか?」
一目惚れと言えば一目惚れだが、そういうのではない。
「……大鬼族じゃない皆には分からんかもしれんが、一目惚れというより一目見るだけで明らかに分かるという方が正しい。
あんなオーガの女性は他にいない。いや世界のどこかにはいるかもしれないが、俺は今まで見たことはない。
俺が彼女以上のオーガの女性と今後出会うとは思わない。だから彼女を逃がしたくはない」
「……なるほど?」と、ソーバーがあまり分かってなさそうな返事をする。
まあでも大鬼族をよく知らなければそんなものかもしれない。
「普通の人族にはよく分からんかもしれんが……オーガというのは、大きな体が十分に隠れるくらいに、大きな樹がたくさんある森の中なんかに群れをつくって暮らすのが普通だ。
家なんて上等なものは作らないから、洞穴とか、葉の付いた木の枝を組み合わせて屋根を作って、そこで寝起きする。
服も着ないから、だいたい腰巻程度なにか体に巻き付けてあるくらいが普通だ。
風呂にも当然入らないから近寄ると臭い。でも臭くてもいいんだ。
匂いでオーガに気が付いても、逃げるどころか向かって来るような、大きくて気の荒い魔獣を、棍棒やら手製の槍で狩って暮らしているからな。
少なくとも俺のいたオーガの里ではそうだ。
そのうえであのアリシアさんを見てみろ。彼女がどれほど特異か分かるだろう?
あんな綺麗な、育ちの良さそうなオーガは見たことがない。
俺だって只人たちの間で楽しんで生活してるんだ。野獣みたいな奥さんは欲しくない。
あの子がいいんだ!」
そこまで言うと、やっと部下たちは納得したような顔になる。
なんとか頼む、と頼み込むと皆で了解の返事をしてくれて、どうやって情報を取るか小声で口々に話しながら出て行った。
これでとりあえずは部下たちの報告を待てばいい。
しかし、その後どうするか。魔獣なら追い込むなり突撃するなりすればそれで終わるが、今度の相手は魔獣ではない。
しばらく考え込んでみるものの、何も思いつかない。
まあ出たとこ勝負で行くしかないかと結論付けたところで扉がノックされ、どうぞ、と言うと扉が開いて、メイドさんがひとり銀のトレーを持って入ってきた。
トレーの上にはポットとカップと軽食らしきものが載っている。
「あ、あの……お、お茶をお持ちしました……」とのことだが、なんだかおどおどしている。
お茶の用意をしながら、ちらりちらりとエルゴルのほうを見ているので、つい悪戯心で、目があった瞬間に六本ある腕の、手の指をワキワキと動かしてみた。
するとメイドさんは喉の奥で小さく「ひえっ!?」と叫ぶ。
そうして慌てまくってお茶の準備をすると、終わるやいなや、バタバタと部屋を出て行ってしまった。
悪いことしたかな……とエルゴルは考え込みながらお茶をいただく。
お茶のカップがエルゴルの体に合わせてとても大きいし、皿にはサンドイッチと何かフルーツのタルトが大量に入れられてある。
部屋は広いし天井は高いし、ベッドはエルゴルが寝られるくらいに大きいし、食べ物はいっぱい出してくれるし、ここは居心地がいいなと思った。
やはり家にオーガのアリシアさんがいるから、オーガの扱いに慣れているんだろうか。
サンドイッチをひとつかじってみると、中身は酢漬けにした胡瓜にたっぷりのバターにチーズだった。
酸味がさっぱりしていてなかなかよろしい。
次にいくと薄いハムを重ねて、それに卵をマヨネーズで和えたものだった。
これも塩と胡椒が効いていて実に旨い。
エルゴルが、嫌なことは先に済ませようとして、ファルブロール伯の屋敷に来るなり会談を始めたから、お茶の一杯も貰ってなかったので、ようやっとひと心地つくような思いだった。
サンドイッチが終わって、桃のタルトと柑橘のタルトを楽しんでいると、ガチャリと部屋の扉が開いて、見ると、扉の隙間から、今回いっしょに連れてきている子供の顔が覗いていた。
銀色の髪に銀色の瞳、それにお出かけ用ということで、きれいな藍色のドレスを着ている。
魔獣退治を生業にする兵団なんかをやっていると、魔獣が出没したからと依頼を受けて急いで捕殺に向かっても着いたころにはもう被害がでていることがある。
それで親や保護者が無くなってしまった子供を行きがかりで引き取ることもあって、扉の隙間から覗いているこの子も、そんな子のうちのひとりで、兵団で面倒をみている。
まあその時に一緒に引き取った、この子の兄が兵団で働いているから、天涯孤独というわけでもない。
「おっ、シルベネじゃないか。どうしたんだ?」
とエルゴルが声をかけると、シルベネはとことこと走り寄ってきて、エルゴルの座っているベッドに飛び乗り、エルゴルの六本ある腕をくぐって、エルゴルの膝の上によじ登る。
そうして、タルトの載っている皿のほうを見ると、とても嬉しそうな顔をして「まだあった」と言った。
たぶん自分の部屋で出してもらったおやつを食べ終わって、エルゴルは体が大きいから、おやつもいっぱい出してもらえるはずだろうとアタリをつけて、それを食べにやってきたということだろう。
エルゴルは「晩のご飯もあるから、ちょっとだけだぞ」と言いつつも、けっこう大きめにタルトの残りを切ってやる。
「うまいか?」と聞くと「うまい!」と元気よく返事が返ってくる。
そうか、うまいか。などと言いつつ二人でタルトの残りをやっつけていると、扉がノックされて、どうぞとエルゴルが言うと、扉が開いて、今度は只人の女性が顔を覗かせる。
彼女はエレーナといって、兵団のなかではわりと古株で、シルベネの面倒を主にみている。
そしてシルベネがいるのを見つけると
「こら、急にいなくなっちゃだめじゃないのさ」と言いながら部屋に入ってくる。
出かけるときは周りの皆に言ってからにしないとダメだぞ? とエルゴルが言うと、シルベネはこっくり頷いた
エレーナはエルゴルの座っているベッドのほうにやってきて飛び乗ると
「お茶やら食べ物やら持ってきてくれたメイドの子にさっそく聞いたよ」と言って話し始める。
「私らの部屋にお茶やらお菓子やら持ってきてくれたメイドの子にね。
『ここの伯爵様のところにもオーガのお人がいらっしゃるんだねえ。うちの団長もオーガだから何か気になっちゃうのよね。あのオーガのお嬢さんは普段何してらっしゃるの?』
とかそんな感じでね、色々聞きだしたのよ」
動きが早いというか、さっき出て行ったばかりでもう聞きこんでくるものだ。
話好きなタイプの只人の女の人というのは、エルゴルからすると、ちょっと考えられないくらいさっさと心の距離を詰めて盛んに話などしている印象がある。
「そしたらね、いつもはだいたい見回りに出てるか、屋敷にいるときは武器の練習でもしてるんだって。
どうもお屋敷の敷地内のちょっと離れたところに練兵場ってのがあって、そこでやってるらしいから、そこで張り込めばうまいこと会えるかもだよ」
「よし、わかった。練兵場だな!」
ということで、エレーナに練兵場の使用許可を、ファルブロール伯か、屋敷の執事あたりに取りに行ってもらう。
いちおう偶然を装わないとならないから、練習する用の武器として大剣と尻尾で持つ用の錘を用意した。
エレーナが帰ってきて「執事さんから許可もらってきたよ」と言ったので、勇んで飛び出そうとしたら
「シルベネが退屈してるから一緒に連れて行ってやっておくれよ」と言われた。
そんなことしたら子持ちだからもう結婚してるとアリシアさんに思われてしまうのじゃないか、とエルゴルは懸念したけれど、シルベネが喜んで抱き着いてきたから仕方がない。
練習に付き合わせることにして、杖を持たせる。
エルゴルは急いで部屋を出て、練兵場へ向かったのだった。