ハーフオーガのアリシア25 ― アリシアは高給取りだと判明するⅡ ―
アリシアは少しうとうとして、それから目を覚ました。
まだお屋敷のなかで人が動く音が聞こえるので、それほど遅い時間ではなさそうだった。
そろそろ暑くなってきているので、汗臭くなるのが嫌で、もう面倒くさかったけれど、アリシアは自分を励まして身を起こし、お風呂の準備をする。
実家にいたころは薪でお風呂を沸かすのが大変だったので、少しだけお湯を用意してそれで体を拭くだけで済ませることも多かったし、汗臭くなりがちな夏はそのぶん暑いので、山に入って滝壺とか沢の水で水浴びをしても別に風邪をひくようなこともないし、それでしのげた。
ここには沢も滝もないし、川はあっても人目があるので水浴びできるようなものでもない。
毎日お風呂を用意してもらえるという贅沢のかわりに不自由にもなったなとアリシアは思ったのだった。
着替えを持って部屋を出て階段を降りて、お風呂に向かって廊下を歩いていると、楽しそうな鼻歌が聞こえてくる。
夜も遅いから小さな声だけれども、もう本当に心の底から楽しそうで、いっそダンスでも踊ってそうな雰囲気だった。
「あっ、アリシア様じゃないですか!」
と言って現れたのは、皿洗いのメイドのミローニャちゃんだった。
こんばんは! と元気よく挨拶してくれる。
「遅くまでお疲れさまだねえ。いま終わったの?」
と聞くと、そうなんですよ! とミローニャちゃんは憤慨したように言った。
お客さんがたくさん来て大きな食事会があると、それで調理場まわりのメイドさんたちは、仕事が増えて夜遅くまでかかるらしい。
確かに今日はエルゴルさんたちが帰る日だったので、昼にちゃんと豪華にした昼餐会? というのかそういう食事があったなとアリシアは思い出した。
「アリシア様、お風呂ご一緒してもいいですか?」
さっきまで上機嫌に鼻歌を歌っていたはずのミローニャちゃんは、今度は雨に打たれた子犬のような目で上目遣いに見上げてくる。
そういえばミローニャちゃんたちが普段入っている使用人ようのお風呂は、後のほうになるとお湯が汚くなるとか言っていたような気がする。
そりゃ全然構わないけど、と答えながら、そういやミローニャちゃんとセットになってた女の子がひとりいたはずだと思って、確か名前は……
「アーニャちゃんは連れてこなくていいの?」とアリシアが聞くと
「はい、連れてきます!」と、とてもよいお返事で、ちょっとだけお待ちくださいね、と言い置くと、ミローニャちゃんは足取りも軽く小走りで走っていった。
◆
アーニャちゃんが来るのを待って、それから皆でお風呂場に繰り出すと、脱衣所に入ったところで、風呂場のほうからゴツゴツという音が聞こえてきた。
ミローニャちゃんが、何の音でしょうかね? と言っていたので
「たぶんウィッカさんの蹄の音だよ」
と教えてあげると不思議そうな顔をしていた。
風呂の戸を開けると、人馬族のウィッカさんの馬のお尻部分が目に入った。
アーニャちゃんとミローニャちゃんがびっくりして仰け反っている。
お風呂場に馬のお尻があるというのは、初めてだとびっくりするんだよね、とアリシアは思いながら、皆で入っていく。
ウィッカさんは蹄をゴツゴツと鳴らしながら、体ごと向き直って「あ、こんばんは」と言ってくれた。
彼女は手に弓の柄みたいな湾曲した長い棒を持っていて、その先には布がくっついている。
こんばんは、と返してから、その手に持っているの何ですかと聞くと
「これで背中とかお尻とかをですね……洗うんです」と恥ずかしそうに言った。
そんなもので洗うと言ったって体の後ろなんか見えないし、ろくに洗えないだろうと思ったので、お手伝いしますよと言ってアリシアが拭き布を持って近寄ろうとすると
「駄目ですよ、私がやります!」
とミローニャちゃんに言われて拭き布を奪われてしまった。
そうしてミローニャちゃんはウィッカさんにお湯をかけたり石鹸をつけたりして洗いはじめる。
アリシア様はこちらに座ってください、とアーニャちゃんに手をひかれて床に座らされてしまった。
「アリシア様のお世話をするということでこちらのお風呂をいただいてますから、アリシア様が他の方のお世話をして私達がそれを見てるというわけにはいきません」
そう言いながらアーニャちゃんは髪を洗ってくれる。
自分で髪を洗うと、髪に付けた薬液が垂れてくるのに、手探りで桶を探して、髪を濯いで、またお湯を汲んで流してとかするのは目に薬液が入って痛いし面倒なので、やっぱり誰かに髪を洗ってもらうのは気持ちがいい。
アリシアは頭と背中を洗ってもらい終わると、今度はアーニャちゃんの頭と背中を洗ってあげた。
アーニャちゃんは遠慮したけど強引に洗ってしまう。只人の女の子はみんなかわいいから世話をするのも楽しい。
アーニャちゃんを洗い終わったところで、ミローニャちゃんがウィッカさんを洗い終わったみたいで、ウィッカさんは馬部分の面積が大きいから洗うのも大変そうだった。
最後に残ったミローニャちゃんを皆で取り囲んで、わーっと洗ってしまい、それから皆でお湯に浸かった。とっても楽しい。
◆
皆でお風呂から上がって、自分の体を拭いたりウィッカさんの馬部分を拭いたりしてから、寝間着に着替えたところで、ウィッカさんが
「今日は洗ってくれてありがとうね」と言って、ミローニャちゃんに四分銀貨を一枚渡していた。
それでアリシアもアーニャちゃんに四分銀貨を一枚渡すと
「アリシアさんを洗うのはそんなに大変じゃなかったですよ」とか言って遠慮していたけれど無理に受け取ってもらった。
「ありがとうございます! 助かりました」とミローニャちゃんが言っていて、アーニャちゃんもミローニャちゃんに「よかったね」とか言っている。
それで、何のこと? とアリシアが聞いてみると、アーニャちゃんが言うには
「私達は月にお手当てを四分銀貨が5枚と八分銀貨が30枚いただけるんです。
それで四分銀貨を貯金して八分銀貨をお小遣いにしてるんですけど、ミローニャったら今月は使い過ぎて四分銀貨のほうも手を付けちゃったんですよね。
私なんか一日に八分銀貨を1枚も使わないですもん、ミローニャは使い過ぎですよね」とのことだった。
「あんただって私の買った新刊の本読んだじゃない!」
とミローニャちゃんはぷんぷん怒っていたけれど、すぐに機嫌を直して
「だから、手を付けちゃった貯金用の四分銀貨が、いまくださった分で復活したんですよ!」と言って喜んでいた。
そうなんだー、とアリシアは穏やかに返事をしながら、こっそり頭の中で計算をする。
(つまり四分銀貨が5枚と八分銀貨が30枚ってことは、全部を八分銀貨にしたとすると40枚だから、これを正銀貨に直したとして……どうするんだっけ? つまり枚数は八分の一になるんだから……5枚か)
よく分からないけど、実家山小屋の麓の村で、奉公に出てた子たちが里帰りしてきたときに話を聞いた限りではそんなものか、もっと安いのが普通みたいな雰囲気だったような気がする。
自分が奉公に出るとなったときに、アリシアが想像していたのも、そういう少しくらいの小遣いと、ご飯と寝るところはくれるみたいな、こういう感じのものだった。
(金貨はたしか1枚で銀貨13枚とかだから……)
とアリシアはさらに計算をして、ミローニャちゃんやアーニャちゃんが貰っているお手当てが、金貨1枚の半分にもならず、月に金貨30枚ももらえる自分とは、給料の額にとんでもない差があることに思い至る。
お互いに、おやすみなさいと挨拶をして、アリシアはそれから部屋に引き上げて寝床に入って考え込む。
ミローニャちゃんやアーニャちゃんのお手当ては、ごく普通の額で、アリシアの実家の近くの村の、奉公から里帰りをしてきた子たちから話に聞いていたようなのとあんまり違わない。
ということはご領主さまや奥様が異常に気前がいい方達だとかいうわけではないことが分かる。
つまりちょっと普通ではないのは自分なのかな、というところまでアリシアは考えを進めたのだった。
けれどもアリシアには、自分がそんな大層な月に金貨30枚もの価値があるようにはどうにも思えないので、どうもなんだか心が苛まれる。
給料日が嫌いになりそうだな、と考えているうちにアリシアは眠りに落ちていったのだった。
■tips
・アリシアの住んでいる国では金:銀:銅の交換比率はおおむね 1:13:1000 である。
本文中に出てきた貨幣につき、おおむねの価値を記す。
金貨(正金貨)=10万円
銀貨(正銀貨)=8000円弱
四分銀貨=2000円弱
八分銀貨=1000円弱
・ミローニャとアーニャの仕事は皿洗いがメインで、彼女らの俸給は同額である。
おおむねで現代日本の貨幣価値に直すと
月給:四分銀貨5枚、八分銀貨30枚=39,000×12カ月=46万8千円
夏の支度金:月給と同額=39,000円
:被服ひと揃い
:帰省交通費の実費
冬の支度金:月給と同額=39,000円
:被服ひと揃い
:帰省交通費の実費
別に部屋と食事は現物支給
合計:年俸 約55万円
:被服ふた揃い
:帰省交通費の実費(年二回)
:部屋と食事 となる。
ちなみにアリシアの俸給は以下の通りである。
合計:年俸4,200万円
:被服ふた揃い
:部屋と食事 となる。
アリシアの俸給は、ミローニャもしくはアーニャのそれのおおむね76倍にもなる。
格差社会である。
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