ハーフオーガのアリシア20 ― 山の娘アリシア(世間知らず) ―
昼食のためにお嬢様の部屋に行って、扉を開けるなり、お嬢様がアリシアの胸に飛び込んでこられた。
お嬢様はとても興奮していて、
「アリシアがわるいやつをやっつけたってきいたわ!」とおっしゃる。
すごいわ! などとお嬢様は喜んでおられるが、人を殴ったり蹴飛ばしたりして、白目を剥いてゲロを吐いて倒れている状態にするというのは、あまり、なんというかアリシアにとっては素直に喜べないところもあるのだった。
それに、昼ご飯は、お嬢様と家臣の一同で食べるわけだから、部屋にはオークのアイシャさんと、黒エルフのコージャさん、それにケンタウロスのウィッカさんがいるわけで、だから仕事がないとか悩んでいたコージャさんの前で、仕事のことで、あまり大袈裟に褒められても、ちょっと困るというところもある。
だからお嬢様はもっと話を聞きたそうにしていたけれど、ありがとうございますとかなんとか、適当にもにょもにょ言って切り上げた。
今日の昼食は川魚を揚げたものと、あと芋の揚げたもの、それにキャベツと玉葱の酢漬け、根菜のスープにパンだった。
揚げ物にはマヨネーズに玉葱となにか香辛料を入れたソースが添えられていて、めちゃくちゃおいしい。
それにリンゴとレモンか何かの果物のジュースを、炭酸水で割ったものもついていて、揚げ物と一緒に食べて飲むと最高にいい気分になった。
デザートはベリーのシャーベットに紅茶で、これを皆でおしゃべりしながら悠然と食べていると、アリシアの心は穏やかにほどけていくのだった。
◆
紅茶を片手に皆で談笑していると、扉がノックされて、返事をしたらドーラさんが入ってきた。
「どーら!」とお嬢様が嬉しそうに言って、椅子から浮き上がってドーラさんのほうに飛んでいって抱っこされる。
はいはい、ドーラでございますよ、などとドーラさんが嬉しそうにしている。
それで、アリシアが慌てて出かける準備のために部屋を飛び出そうとすると、ドーラさんが
「ゆっくりでいいよ。今日はあたしがいつもよりちと早く来たんだ」と言った。
そう言われて、いちおうゆっくり歩いて部屋をでたものの、そうそう待たせるわけにもいかないので、廊下の曲がり角を曲がったところで小走りになって部屋に戻り、あわてて装備を整え、マントを着けて、帽子もかぶって、お嬢様の部屋に取って返す。
部屋に入ると、じゃあ行くかねとドーラさんが言って、お嬢様はドーラさんの腕から抜けて浮かび上がって、アイシャさんのほうに漂っていった。
皆がいってらっしゃいと手を振ってくれるのを背にして、部屋を出て、街に向かって歩く。
◆
「今日はちょっと話があるから、タンテの店に行こうかねえ」
とドーラさんが言って街に入る。
それで、街の真ん中を貫く街道をしばらく歩いてから山のほうへ方向を変えてさらに歩き、木立を回り込んで、タンテさんの店に着いた。
お店には今日もお客さんがいない。
今日はすぐに店主のタンテさんが出てきてくれて、アリシアのために木箱と布で椅子を用意してくれた。
コーヒーとタルトの注文をとったタンテさんが店のなかに引っ込む。
それから「昨日は大活躍だったみたいだね」と言ってドーラさんが口を切った。
活躍と言われても、アリシアとしては何だか悪い人がいたのでカッとなって、反射的に殴り倒して、あとはあわあわと慌てていたら、奥様が来てくださって、それで終わったみたいな印象なので、なんとも言いづらくて
「いや、そんな……」などとあいまいな物言いになってしまう。
「活躍だよ、嬢ちゃんがなにもしなけりゃあの娘は誘拐されてただろうし、殺されてたかもしれない」
それは……まあ、そうかもしれない、とアリシアも思う。
「なんの後ろ盾もない、ただの花売りの女のために、
相手の後ろに誰がいるかとか、相手が自分より強いか弱いかとか、そんなことは気にせずに、いきなり殴り倒すなんてことはなかなかできるものじゃない。
なかなかのもんだよ」
そんなことを言われても、そんなことは何にも考えてもいなかったので、アリシアは戸惑ってしまう。
「その顔じゃ、なんにも考えてなかったみたいだね」
「はい……」
「いいかい、お前さんをを責めてるんじゃないんだ。だってお前さんのやったことは正しかったよ。
でもそれは結果的にはってことだ」
いいかい、とそう言ってドーラさんはアリシアのほうに身を乗り出す。
「あの嬢ちゃんが殴り倒した金髪の男、あれは直接にじゃないが、上の方までずっと辿っていくと、近くの領地の公爵様の臣下筋にあたる。
つまり公爵様の直臣てわけじゃなくて公爵様の家臣の家臣の家臣くらいのとこさね。
そして、うちのご領主さまには上がいないんだよ。強いて言えば上は皇帝陛下になる。
独立の伯爵家だね。
つまりはあいつらの一党は私らのご領主さまの一党よりだいぶん強いわけだ」
なんだか難しくてよく分からなかったが、あっちのほうがこっちよりだいぶん強いらしいというのは分かったので、そう言われると、あとで仕返しとかされるとまずいのかなとアリシアは急に不安になる。
ドーラさんはそんなアリシアを見てニヤリと笑いさらに続ける。
「とは言っても、そんなに心配することはないんだよ。
うちは奥様がかなり強力な治癒士だから、あっちこっちにコネがあるし影響力もある。
それに今回お前さんに殴り倒された男はかなり末端のほうだから、うちの奥様と関係を悪くするくらいなら、あちらとしてはあいつを庇うよりは切り捨てたほうが得と言えば得だ。
それにあいつは大勢の人が見てる前で、明らかに悪いことをしているからね。
物事の理非からすれば、明らかにあいつが悪いのはたくさんの人が見てる。
それであいつのところの公爵家は、そんなにスジの悪い家じゃない。
だから、普通に話せば普通に納得してもらえる可能性が高い」
結局どういうことなんだろう、とアリシアが思っていると、ドーラさんが
「まあとりあえず今回は大丈夫そうってこった」
と言ってくれて、アリシアはとりあえず安心した。
「殴り飛ばして、結果的に大丈夫だったっていうのじゃなくて、殴り飛ばしても大丈夫そうだって分かって殴り飛ばさなきゃいけないよ」
別にそれほど殴り飛ばしたいわけじゃないんだけど、とアリシアは思う。
「まあ今回のは私が勘違いして嬢ちゃんを放って一人で出ちまったのが悪いからね」
何かあってもお前さんは気にしなくていいさ、とドーラさんが言ってくれた。
ドーラさんは案外やさしい。
じゃあそろそろ行くかね、と言って立ち上がって店を出る。
お金はドーラさんが出してくれた。
また街に向かって歩きながら「まあ街の皆は喜んでくれるさ」とドーラさんは言ってくれたけれど、本当だろうか。
喜んでくれていると同時に怖がられてもいるんじゃないかとアリシアは少し不安も感じる。
そしてそれはたぶん実際そうだろう。
◆
いつものように街に入って、見回りやら挨拶やらを始めたけれど、特に変わったこともなかった。
けれども、ちょくちょく「これ飲んでいってくださいよ」とか「これ食べていってください」とか言って、アリシアにお酒やジュースやちょっとした食べ物とかをくれるお店があった。
色々と飲み物や食べ物をくれる度に、ああこれは褒めてくれてるんだなと思うと、アリシアはしみじみと嬉しく感じた。
そうやって楽しい気分で見回りをして、いったん夕食をとりにお屋敷に戻り、それからもう一度街に出て、また見回りを日が変わるくらいの時間まで続けた。
それからドーラさんが、
「そういえば昨日お前さんが乱闘した店のほうも一応様子を見に行ったほうがいいね」
と言ったので、二人でそっちに向かう。
◆
昨日は、アリシアが一人で見回りをしていたものだから迷ってしまって、そこに人の叫び声を聞いて走っていったものだから、変な道からその事件のあった広場に入ったけれども、今日はドーラさんの先導で、表の道から入る。
そうすると、その一帯はひどく賑やかで華やかなことにアリシアは気が付いた。
道の両側に、二階か三階くらいの、酒場か宿屋みたいな雰囲気の建物が、みっしり軒を連ねて密集していて、建物の二階と三階には、それぞれ通りに面して、大きな窓が付いている。
その窓からは、明かりがたくさん漏れていて、そのうえ、街灯もそこらにいっぱい立っているので、周りがやたらと明るい。
そして、店の入り口の扉のあたりや、あるいは二階や三階の窓のところに、なぜか服をはだけたり、あるいは半裸のきれいなお姉さんたちが鈴なりにたくさんいて、そのお姉さんたちの周りにはきれいな花がたくさん飾ってあったりする。
そうして、お姉さんたちは、道行く人に盛んに声をかけて、呼び込みをしているので、通りはやたらと華やかで賑やかな雰囲気になっているのだった。
なんだこれは、とアリシアが目を丸くしながらしばらく歩くと、昨日の広場に出た。
そこの広場に面した幾つかある建物にも、女の人が外を覗いている窓があって、そのお姉さんたちはアリシアのほうを見ると手を振ってくれた。
アリシアはなぜ手を振られたか、よく分からないまま小さく手を振り返して、それから昨日、乱闘をした建物のところまで来る。
建物は扉が閉まっているし、明かりも落とされていて、今日はやっていないような感じだった。
「今日はやってないみたいですね」
とアリシアが言ったのに、ドーラさんがガンガンと扉を叩いた。
ドーラさんってそういうとこあるよね、とアリシアが思っていると、扉に小さな覗き穴が開いて、誰かの顔が覗いた。
「ドーラとアリシアだよ」とドーラさんが言うと、鍵が開く音がして、扉がさっと開いて、女の人の手がいっぱい伸びてきて、二人は、さっと引きずり込まれるようにして建物の中に入り、それから二人の背後でまたバタンと扉が閉じて鍵がかかった。
中には女の人が何人かと男の人が一人いて、皆でこちらを見ていた。
「なんだい、今日は休みかえ」とドーラさんが聞くと
「昨日の今日ですから……」と、男の人が答える。
よく見るとその店主らしき男の人は、きのう金髪の男に光球をぶつけられて吹っ飛ばされていた男の人だった。
そのときはなんかボロボロになっていたけれど、今は特に怪我をしている様子もないので、奥様に治してもらったのかもしれない。
建物の中を見回すと、一階には長いカウンターがあって、そこに椅子がいくつもあって座れるようになっている。
それとは別に丸い大きなテーブルがいくつか置かれていて、それにもそれぞれ椅子がついていた。
店の端の方には階段があるから、それで二階や三階に上がれるようだった。
見た感じでは酒場か、宿屋の一階にある食堂みたいに見える。
店の大きさはそれほどでもないように見えるのに、やたらと女の人が七人も八人もいて、なんでこんなにたくさん給仕の人がいるのかとアリシアは不思議に思ったのだった。
女の人たちが「こちらで食事にしてますから、ぜひどうぞ」といって、アリシアとドーラさんの手をとってテーブルのほうに連れていってくれた。
テーブルの上には食べ物や飲み物がいっぱい載っている。
「宴会でもしてたのかえ?」とドーラさんが聞くと
「今日は店を休みにしたんですが、食材なんかはもう注文してますから、余りますので自分たちで食べてしまおうとしていたところです」と男の人が答えた。
ぜひ食べていっていただければ、と言うので、ドーラさんが「じゃあ呼ばれようかね」と答えて、ご馳走になることになった。
アリシアにはワインの瓶が入っていた箱を四つ組み合わせて、それにシーツをかけたものを椅子として用意してくれる。
男の人がドーラさんにワインを注いで、それからアリシアのほうにもワインを注いで
「ヨランダをお助けいただいて本当にありがとうございました」とお礼を言ってくれた。
いえそんな大したことは……などと曖昧に返事をしていると、新しいお皿とか料理を持ったお姉さんたちがやってきてアリシアの両隣りにべったりくっつくように座る。
そしてそのまま、果物の皮を剥いたりだとかアリシアの世話をし始める。
もうほとんど、あーん、とか言って食べさせるくらいの勢いで、さすがにアリシアも困惑した。
アリシアが住んでいた実家の小屋があった山の、その麓の村の女の子たちにも、アリシアに妙にくっつきたがる女の子たちはいたりした。
それはアリシアのみるところ、アリシアを男の子の代わりにしているというか、アリシアが強そうに見えるからくっついていて安心したいということだと思われた。
でも、こんなふうにアリシアの世話までしたがるような女の子まではいなかった。
店主らしき男の人はドーラさんと、顔を切りつけられたヨランダさんはどうしているかとか、今後の見通しとかを話し始めた。
「まあ今のとこヨランダは元気にしてるよ。体調も良さそうだね」
とドーラさんが言っていて、わたしも風呂にいれてあげたもんね、とアリシアも内心でうなずく。
「奥様がずっと手元で面倒見てるから心配ないさね」
とのことで、わたしも奥様にずっと面倒見られたい! とアリシアは嫉妬を感じた。
本当にありがとうございます、と言っている男の人に
「しかし何だね。花売りはたまにはああいう頭のおかしい男を相手にする破目になるんだろうから大変だね」
とドーラさんが言った。
「そうですね……殺される花売りもいます」
ただ花を売っているだけなのに殺されるのかとアリシアはびっくりしたけれど、でも実際にヨランダさんは顔を刃物でいっぱい切られたわけで、そういうこともあるらしい。
だいたい田舎では花なんてのは、野原とかに生えているのを摘んできたりするものであって、さすが都会には花を売るという仕事があるんだなあとアリシアは感心したのだった。
確かにお屋敷の花瓶に入ってた花は、とてもそのへんの野原には生えてなさそうな立派なやつだったし、と考えてアリシアは納得する。
しかし花を売ると言ったって、ここには花も何もないし、と思って
「花はどこかで仕入れてくるんですか?」とアリシアは隣に座っているお姉さんに聞いた。
お姉さんはにっこり笑って「私たちが花なのよ」と言った。
お姉さんが何を言っているのかアリシアにはよく分からなかった。
それからしばらく、そこで食べたり飲んだり話したりして、それからドーラさんと一緒にお屋敷に帰ったけれども、結局アリシアは花をどこで仕入れているのかは教えてもらえなかった。
それからお風呂に入ると、ケンタウロスのウィッカさんとかちあったので、ウィッカさんの手の届かない、馬部分のお尻や後脚なんかを洗ったり拭いたりしてあげて、それから寝床に入って寝た。
■tips
花売りとは娼婦の隠語である。
アリシアは娼婦という概念をまだ知らない。
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