ハーフオーガのアリシア16 ― ケンタウロスの女の子(同僚) ―
カーテンからぼんやりと差しこむ光でアリシアは眼を覚ました。
外はかなり明るくなっていて、たぶん昼前くらいかなと思う。
遅く寝て、遅く起きたのでなんだか頭がぼんやりする。
仕事だから仕方ないとはいえ、なんだか不快なものだけれど、その不快さも、ようやく仕事を始めた証のように思えて、アリシアは少し嬉しくもあったのだった。
とりあえず服を着て、元は厨房であるこの部屋の、食器を洗っていた大きな洗い場の、いくつも並んでいる蛇口の一つをひねって水を出して顔を洗う。
このお屋敷は井戸を使わなくても、どこにでも蛇口があって、すぐに水が使えるのは便利だけれど、体を動かさないので体が鈍ってしまうとアリシアは思った。
それで、昨日と同じく稽古でもして体を動かすことにする。
斧槍の稽古は昨日やったから、今日は大剣にしようと思って、大剣を腕輪から取り出して、練兵場に向かう。
父親とやった武器の練習を思い出して、それらしく振ってみるけれど、それほど長い時間練習したわけでもなくて、ちょっとしかやってないから、今やっている動きが正しいのかどうかもよく分からない。
でも仕様がないので、一生懸命しばらく振っていると、きゃー!! という楽しげな叫び声が聞こえた。
声のほうに振り向くと、お嬢様がにこにこしながら空を飛んでくるのが見えた。
アリシアが慌てて手に持っていた大剣をおろすと、お嬢様はそのままアリシアの胸に飛び込んできた。
「お一人なんですか?」
とアリシアが聞くと、お嬢様はふるふると首をふり「アイシャときたの」と言った。
すると、ドタドタという足音が聞こえて、見るとオークのアイシャさんがえっちらおっちら走ってきていた。
アイシャさんは両腕を体に巻き付けるようにしていて、あれはおっぱいを押さえているんだなとアリシアは思った。
オークの女の人は、とても大きなおっぱいが六つもついているので、揺れると痛いのか、走るときにはああいう体勢になる。そしてそういう重りがいっぱいついているせいなのか、足は遅い。
少なくともアリシアが小さいころに面倒を見てくれていた乳母のオークのお姉さんはそうだった。
アイシャさんがそばに寄ってきたので、お嬢様を引き渡す。
急に飛んでいかないでください、とかなんとかお嬢様はアイシャさんに怒られていた。
お嬢様は食事の時間だとアリシアを呼びにきてくださったみたいで、三人で連れ立ってお嬢様の部屋へ食事に向かう。
部屋に入ると黒エルフのコージャさんがもうワゴンから配膳を始めてくれていたので、あわててアリシアも手伝う。
昼食のメニューは、新鮮な葉野菜と柑橘のサラダと、何かの巻貝の身をほうれん草と香草と炒めたもの、それとお肉の出汁が効いた玉ねぎのスープに、おそらく何かの魔獣の肉のソテー、それにたっぷりのパンだった。
アリシアは昼前に起きたので、最初の食事にしてはこってりしていて、すこし違和感があったけれど、それでもおいしく食べて、最後にデザートの林檎パイをつつきながら、珈琲を飲んで談笑していると、扉がノックされて、アイシャさんがどうぞと返事をすると、扉が開いて奥様が入ってこられた。
奥様は今日もとってもきれいだった。
お嬢様が、お子様用の椅子からすぽっと抜けるようにして飛び出し、奥様のほうに飛んでいって胸に飛び込む。
「あらあら」と言いながら奥様がお嬢様を受け止めて、それから皆が奥様にご挨拶をしたところで、奥様が、
「またひとり新しい子が来るのよ」とおっしゃった。
アリスタについてくれるから、あなたたちにとってはお仲間になるのね、とのことで、そう言われてみればアリシアも、アイシャさん、コージャさんの次にこのお屋敷にやってきたわけだから、さらに後から誰かがやってくることもあり得るわけだ。
「馬人族の女の子よ」と奥様はおっしゃった。
馬人族というと、アリシアは、ほんの幼いころに、父親がアリシアを寝かしつけるためにしてくれたお話のなかで、そういう人族がいると聞いたことがあるだけで、実物を見たことはない。
アリシアの家があった山の、麓の村には一人もいなかった。
「もう近くまで来てるみたいで手紙が届いたんだけど、下の街で馬車を少し補修してから行きますって書いてたから、少し遅くなるかもしれないわね」
奥様は仲良くしてあげてね、と言うと、アイシャさんにお嬢様を渡してから戻っていった。
アイシャさんに、馬人族っていうと、馬の首のあたりから普通の人の上半身が生えてるような人のことですよね? と聞くと
「ええ、そうね」とのことだったので、やっぱりアリシアが幼いころに父親から聞いたとおりらしい。
良い子だといいわね、というアイシャさんにウンウンと頷いたりしているうちに、時間がだいぶん過ぎていたらしく、ドーラさんがやってきてしまった。
アリシアは慌てて部屋に戻って、それらしく装備を着けて、ドーラさんと一緒に街へ向かった。
◆
昨日と同じように、いろいろなお店やらにまた挨拶まわりをして、それから見まわりを始めたけれども、今日は、女の人が殴られているなんていうこともなく、喧嘩の仲裁が一回あったくらいで、特に事件もなく平和だった。
夕食をとりに屋敷にいちど戻ったときも、まだケンタウロスの女の子は来ていなかったけれども、そういえばケンタウロスの子がここでご飯を食べるときの椅子とかってどういう形になるんだろうとか皆で話しながら食べた。
あるいは下半身が馬なら、椅子は要らないのかもしれない。
夕食が終わって話をしていると、またドーラさんが迎えに来てくれて、一緒に夜の街に繰り出す。
夜にも特に事件はなくて、その日は平穏に済んだ。
日が変わるころになったら、またドーラさんが連れていってくれた屋台みたいなところで夜食を少し食べてから屋敷に戻る。
見回りから帰ると、気が張っていたのか、なんだか妙に疲れていて、部屋で少し寝てしまった。
目が覚めて、また寝直そうと思ったところで、そういえば昨日は風呂に入らないまま寝てしまったんだったとアリシアは気づいた。
一昨日、一緒にお風呂に入ったメイドの子の二人組の、名前はたしかアーニャちゃんとミローニャちゃんの言うところでは、お風呂は毎日焚いてくれているみたいなことだった。
じゃあ今日はお風呂に行ってみようかとアリシアは思い立ち、寝間着と替えの下着を持って風呂場に向かう。
◆
アリシアが風呂場に行ってみると、明かりがついていて、少し湯気の匂いもしていたので、ちゃんとお風呂は沸いているようだったので、ひと安心する。
脱衣所で服を脱いでいると、誰かが風呂に入っているらしき水音に混じって、何かをゴツゴツと打ち付けるような不思議な音が聞こえてきた。
まわりを見回してみたけれど、脱衣所にはアリシアの他には誰もいないので、音は風呂場から聞こえてきているようなのだった。
とりあえず服を脱ぎ終わって、アリシアが、風呂場の扉を開けて中に入ると、目の前に、唐突に馬のお尻が現れる。
アリシアは驚いて、思わず声を出しそうになって仰け反った。
けれどもよく見ると、その馬のお尻から背中をたどって、その先には人間の背中が生えている。
その背中が、つい、と振り向くと、そこには黒髪黒目のかわいらしい顔で、只人のものと同じようなおっぱいが見えた。
つまりこの子が、新しく来たケンタウロスの女の子だろうとアリシアは見当をつける。
そのケンタウロスの子は、ゴツゴツと蹄を風呂場のタイルに打ち付けながら、跳ねるように方向転換して、アリシアに向き直って言った。
「あっ、すみません。私が最後だと思ったもので……」
突然に謝られたので、何のことですか? とアリシアが聞くと
「下半身が馬なので、お風呂場だと毛とか気にされる方もいますから」とのことだった。
見ると確かに、彼女が人間のように見えるのは腰から上だけで、その腰から下に人間の脚はなく、かわりに馬の首を付け根から取っ払ったものに接合されているかのような造形になっているのだった。
その馬の部分には、焦げ茶色のつやつやとした毛がみっしりと生えている。
「ああ、いや私は気にしませんよ」とアリシアが答えると、彼女は申し訳なさそうに「ありがとうございます」と言った。
彼女の名前はウィッカさんというそうで、よろしくと握手をしたときに、アリシアよりは下だけれども、けっこう高いところにウィッカさんの顔があったのがアリシアにとっては新鮮だった。
アリシアが只人たちのなかに入ると、自分よりずっと背が低い人たちばかりになるので、だいたいずっと下に向かって話していることになりがちになる。
アリシアはケンタウロスを見たのは初めてだったけれど、彼女の人間の胴体部分に比べて馬体部分はわりと大きめなので、彼女の目線は、普通の人が馬に乗ったくらいのところにあって、普通の人よりはちょっと高い。
自分の体を洗いつつ、アリシアが彼女をチラチラ見ていると、なんだか体の後ろのほうに手が届いていないように見えた。
というより人間の胴体部分の手の長さからして、馬部分のお尻とかには絶対手が届かないのではないか。
それで、手伝いましょうかと声をかけたら、いや悪いですよ、とかなんとか遠慮していたけれど、かわりに私の背中を流してくれたらありがたいですからと説得したら、受け入れてくれた。
ウィッカさんの馬の部分をお湯をかけて、タオルでゴシゴシ洗って、お尻のところまできたところで、お尻を洗うのはケンタウロス的に恥ずかしさとかそういうのは気にするのか、どうなんだろうと少し悩んだけれど、自分で手が届かないんだから、もう仕方ないわけで、素知らぬ顔してそっと洗ってあげた。
洗い終わったら今度はかわりに背中を流してもらって、それからアリシアは湯船に入った。
そしたら、ウィッカさんが湯船に入らず立っているので、どうしたのか聞いたら、毛が入りますからと言う。
「きれいに洗ったんだし私は気にしませんよ」とアリシアが言うと、ようやくおずおずと湯船に入ってくる。
そしてそばに寄ってくると「後ろのほうは手が届かないので助かりました」と言った。
やっぱりケンタウロスでいるのも苦労があるらしい。
今だって器用に脚を折りたたんで湯船に座り込んでいるけれども、上半身はほとんどお湯に浸かっていない。
もちろんそれはアリシアも同様なわけだけれども。
お風呂から上がると、ウィッカさんの手が届かない馬の部分をタオルで拭いてあげて、それから部屋に帰って寝直した。