ハーフオーガのアリシア15 ― 初めての警邏Ⅱ ―
タンテさんの店を出て、街に戻り、また通行人にジロジロ見られながら歩く。
しばらくすると道の左右に店がいっぱい並んでいるのに、人通りがほとんどない場所に出た。
「ここらあたりは夜の店ばっかりだからね、昼過ぎた今時分がだいたい挨拶周りにはいいさ。
もっと時間が早いとまだ寝てたりするし、遅いと商売の邪魔だ」
ドーラさんはそう言うと、金属の大きな鋲がいっぱい打ってある、分厚そうな木の扉のところに行って、ドンドンと叩いてノックしてから返事も待たずに開ける。
中はなんだか変わった内装だった。
室内は、明かり用の晶術石を入れた小さなガラス灯が壁の上のほうに室内を一周するように、ぐるりと取り付けてあって、驚くことにはけっこう高い天井から、シャンデリアが下がっていて、それも術石を入れた小さなガラス灯がいっぱいくっついたやつで、すごくキラキラしていた。そうして室内がぼんやりと明るくなっている。
貴族様の家でもないのに、なんでこんな高価そうなシャンデリアなんかが下がっているんだろうかとアリシアは面食らう。
そして部屋の一面がカウンターになっていて、アリシアには絶対座れなさそうな、華奢で美しいスツールが並んでいる。そしてカウンターの後ろの壁は作り付けの棚になっていて、酒瓶や酒樽がずらりと並んでいる。
そこはアリシアの生家の麓の村にあったような酒場と同じような設えで、普通だけれども、変わっているのは、カウンターのあたりや、入り口のある方向や店の奥にある扉以外の壁面が一面に赤っぽい色のふかふかしていそうなソファーになっていることだった。
他に、四人掛けくらいの背の低いテーブルがあっちこっちにあって、そのテーブルのまわりにもソファーが備え付けられてあった。
ソファーなどというものは、ご領主様の屋敷にくるまでアリシアは見たことがなかったくらいなのに、このお店はソファーだらけで、そこらあたりも妙に豪華で変わったお店だとアリシアには見えた。
店の中には女の人がひとり立っていて
「あら、ドーラ様、どうなさったの?」と言いながらこちらにやってくる。
その女の人は、絹みたいにツルツルした高級そうな赤いドレスを着ていたのだけれど、その胸元は大きく開いていて、谷間が深く見えていたし、スカート部分にはすごく高くスリットが入っていて、そんな格好をした人を見たことがなかったアリシアはびっくりしてしまったのだった。
「ウチの新しい子の挨拶まわりだよ」
と言ったドーラさんに、おら挨拶しな、と背を叩かれたので、ご領主様のところで今度からお世話になっているアリシアですとかなんとかモゴモゴと挨拶をしたものの、アリシアはわりと動転していた。
アリシアが育ったところは本当にただの田舎で、アリシアが住んでいた山小屋の麓の村にある酒場も、食堂を兼ねた本当に単なる酒場で、そこには給仕のおばちゃんが居るだけで、それは純然たる給仕でしかなかったので、だからアリシアは、いわゆる夜のお店の女の人を見たのは初めてだった。
女の人が、店の奥の方に振り向いて「ドーラ様よ」と言うと、色とりどりの、でも同じように露出の多いドレスを着た若い女の人たちが何人も店の奥から出てきた。
「なんだい、隠れてたのかえ」とドーラさんが言うと
「ママが隠れてろって……大げさなんですもの」と店の奥から出てきた女の子のうちの一人が返事をする。
「だってまだお店を開けてもないのにドアがガンガン叩かれたら何かトラブルでもあったのかと思いますわ」
とママと呼ばれた女の人が言うのに、まあ用心をするのは良い事だねとドーラさんが答えながら、
「さあこの子が座れるようなとこを作っておくれ」と言った。
はーい、と返事をした女の人たちが、低いテーブルのまわりに置いてある、背もたれのないソファーみたいなスツールを集めてきて、壁際のソファーの座面の前に据え付けて、広い座面を作ってアリシアが座りやすいようにしてくれた。
さあ座って座って、と言う女の人たちに手をひかれるままにアリシアがソファーに座ると、手を引いてくれた女の人がふたり、そのままアリシアの左右にそれぞれぴったりとくっつくように座る。
そして低いテーブルを挟んだ向かい側にママとドーラさんが座った。
というかママというほどにはこの女の人たちとは歳が離れてない気がするんだけどどういうことだろうか、何かそういう呼び名なんだろうかとアリシアは思う。
「ジュースにする? それともお酒?」
とママさんがアリシアに聞いてきたので、あ、ジュースで……と答えると、ママさんが、きれいなガラスのコップに氷が入ったジュースを出してくれた。
ドーラさんがママさんと最近の様子はどうだとか話をしていて、それをアリシアは出してもらったジュースを飲みながら聞くともなく聞いている。
ジュースが冷えているので、コップに水滴がつくのだけれど、そうすると左右の女の子たちが手を伸ばして、コップを持ち上げ、ハンカチで水滴をいちいち拭いてくれるのだった。
こんなことまでしてくれるお店があるのかとアリシアがびっくりしているうちに、ドーラさんとママさんの話が終わって、アリシアは今後ともよろしくお願いしますと頭を下げて、お店の女の人たちに手を振られて見送られながら店を出たのだった。
その後も色々なお店をドーラさんに連れられて挨拶に回る。
宿場町だからか、宿屋と食堂と酒場を合わせたようなお店が多いけれども、他にも馬を交換する場所とか、服屋とか、鍛冶屋とか、雑貨屋とか何か色々なお店がいっぱいあって、風呂屋なんかもあった。
用心棒らしき強面の男の人が出てくるお店もあれば、そういう人がいない、お婆さんばかり何人もでやっている食堂なんかもあって本当に色々な種類のお店がある。
道を少し外れて川のほうに行くと、水車を使う粉ひき小屋や、製材所や、船を使って運んできた荷物を荷揚げするところもあって、そこにはがっしりした荷揚げ人夫の男の人が何十人もいた。
そこでも挨拶をしたけれど、ドーラさんによれば街でいちばん体力のある男の人がたくさん集まっているので、そこが街での自警団を兼ねているとのことだった。
そのうちに段々と人通りがでてきたので、お店への挨拶回りは終わりにして、あとは見回りということになった。
酔っ払って暴れている人や、喧嘩をしている人がいたら止めたりするのが仕事らしいけれども、そんな人がそうしょっちゅういるわけでもなくて、わりと退屈なものだった。
「嬢ちゃんが歩いてるだけでも街は安全になるさ」
あんたはデカくて目立つからね、分かりやすく脅しがきく、とドーラさんは言うけれど、役に立ってるんだか立ってないんだかよく分からない。
そうして夜がくると、いったん食事をとりにお屋敷に戻る。
屋敷に入るとドーラさんは「食事が終わったらまた迎えにくるよ」言い置いてアリシアと別れた。
昨日の夜と同じようにアリシアは、オークのアイシャさんと黒エルフのコージャさんとの三人で食事をとる。
アイシャさんが「今日のお仕事はどうだった?」と会話を振ってくれて、色々なお店とかに挨拶まわりをしましたとかアリシアが答えていると、コージャさんの表情がちょっと暗くなっているのに気づく。
そういえばコージャさんは、仕事がまだ無いとかで悩んでいたんだったと思いだしたけれど、急に話をやめるわけにもいかない。
それで、見回りとかしてみたけれど、ただ歩いてただけだった、とか、別にたいしたことはしてないんだけど~というふうな雰囲気で話していく。
なかなか気を使うので難しい。
それでご飯を食べ終わったころにドーラさんが迎えにきてくれる。
行ってきますというと、いってらっしゃい、と返してくれるアイシャさんの声を背中に受けて部屋をでていく。
夜の街は、こんなに人がどこに隠れてたんだとびっくりするくらい人通りがものすごく増えていて、アリシアは驚く。
光の術石を据え付けたらしき街灯がいっぱいあって、道も歩けるし、人の顔も見分けがつくくらいだ。
あとはずっと見回りだよ、とドーラさんが言って、それでそこらじゅうをウロウロとひたすら歩き回る。
最初のうちはただ歩くだけだったのが、夜が更けるにしたがって、だんだん酔っ払っている人が増えてきたのか、そのへんに寝転がっている人とか、道端でゲエゲエと吐いている人とか、喧嘩をしている人とか、それで鼻血を出している人とかが増えてきた。
喧嘩をしている人を引き分けたり、酔っ払ってそのへんで寝ている人を、何か物凄くボロくて汚い宿屋?というか、単に酔っ払った男の人たちを雑魚寝で寝かせる場所みたいなところに抱えていって放り込むみたいなことをした。
あと、露出の大きなドレスを着た若い女の人が、何だか半分酔っ払ったみたいな男の人に殴られていたのを見つけたので、アリシアが男の襟首をつかんで引き剥がした。
引き剥がしても暴れていたので、男を抑えつけたままアリシアがどうしたものかと困っていたら、ドーラさんが横合いから、その男を思いっきり殴って、男はそのまますっ飛んでいった。
女の人のほうは大丈夫かと思って見ると、すっ飛んで失神してしまった男の人に取りすがって名前を呼んでいた。
それで仕方ないから、男をアリシアが抱え上げて、女の人をドーラさんが手をひいて医者に連れていく。
女の人のケガは、顔にちょっとした痣ができているくらいで、すぐ治療は終わる。
それから、ちょっとどこかが折れているらしい男のほうを、お医者様が治療しているのを待っている間に、ドーラさんが女の人に説教をしていた。
夜の女の顔を殴るなんて馬鹿な紐があるもんかとか言っていた。
紐ってなんだろうとアリシアが思っていると、ドーラさんが「あんたがあの男を食わせてるんだろ?」と言って、その女の人はうつむいたまま、か細い声でハイと言う。
どうやら紐とは女の人に食べさせてもらってる人のことらしかった。
「しょうがない子だね」とドーラさんがため息をつく。
殴ってくる男に貢いでどうすんだい、というドーラさんの言葉にアリシアも内心大きく頷く。
「たとえ紐でももうちょっとマシな紐もいるだろうに、ありゃただのごろつきだよ」
紐にも色々な男がいるのか、とアリシアは内心なんだか妙な驚きを感じる。
男のほうはそこに放置して、女の人を今度はアリシアが手を引いて、ドーラさんと二人で送っていく。
女の人の案内で、どこかのお店の裏手にでてきたところで、ドーラさんが
「これで何日か養生しな」と言って小さな金貨を一枚出して、女の人に握らせた。
それからドーラさんが店の裏手のドアをガンガン叩くと、中年のおばちゃんが一人でてきたので、ドーラさんがそのおばちゃんに事情を説明してから女の人を引き渡す。
それからまた見回りに戻って、アリシアはドーラさんと日が変わるころまで歩き続けた。
そうして「そろそろ引き揚げるかね」とドーラさんが言って、アリシアを真夜中までやっている食堂らしきところに連れて行ってくれる。
なんだか手で食べられるように?炊いたお米を丸く固めたのと、卵焼きとか魚の干物とか、あと野菜のいっぱい入ったスープと、ピクルスを食べさせてくれるお店だった。
ドーラさんが、お米で作ったとかいう珍しいお酒を注いでくれながら
「今日は疲れたろ」と言ってくれた。
確かに色々疲れたとアリシアは思った。
山でも森でもない、道のいい街中を何時間かうろうろしていただけだから、狩りに比べたら体は全然楽だったけれども、精神的になんだか疲れてしまった。
露出の多い、きれいな女の人を見たのも初めてだし、酔っ払った男の人が女の人を殴っているのも初めて見たし、その男をドーラさんがぶん殴ったらすっ飛んでいったのを見たのも初めてだった。
食べ終わると店を出てお屋敷までドーラさんと二人で歩く。
夜食のお金はドーラさんが払ってくれた。
裏手の通用門からお屋敷に入って、廊下でドーラさんと別れるときに、
「明日は朝起きなくても、昼食に間に合うように起きればいいからね」と言われた。
アリシアは部屋に戻って、ベッドに入り、その晩は夢も見ずに昼前まで眠った。