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ハーフオーガのアリシア13 ― スクッグさん、ヴルカーンさんとの別れと祝福の言葉 ―



 アリシアが目を覚ますと、まだ早い時間だった。


 たぶん体力が余ってるんだろうなと思う。

 ここに来るまでは魔獣やら何やらを追いかけて毎日野山を走り回っていたから、それに比べると疲れ方が全然足りない。

 なんか体を動かさなすぎて、体調が悪くなってきた気がしてきた。


 それで、部屋に備え付けの、元は食器とか洗っていたであろう、幾つも蛇口が並んでいる巨大な流し台で、顔を洗って歯を磨いてから、さっさと服を着替えて、腕輪から斧槍だけ取り出して持って、昨日使った練兵場に向かった。


 斧槍の手ほどきを父から受けたのは、家を出る何日も前で、それも一日だけだったから、もうほとんど記憶が消えかかっているけれども、いちおうそれらしくぶんぶん振り回したり大回転させてみたり、それっぽく突いてみたりする。


 ……なんだかすごく虚しい。

 魔獣とか狩れれば肉とか皮とか角とか術石が手に入るけど、こんな無意味に体を動かすだけして何になるのかとアリシアは考えてしまう。

 これも狩人のサガだろうか。


 でも街の中に魔獣がいるわけもなし、仕方ないから適当に体を動かしていると、向こうからメイドさんがやってくる。

 藍色のドレスに大きなエプロンで、黒髪の銀縁眼鏡のメイドさんだから、昨日に昼ご飯に呼びに来てくれたメイドさんを同じ人だとわかった。


 お食事の準備が整いましたのでお越しください、と言われたから、いったん部屋に寄らせてもらって、斧槍を置くふりをして腕輪の中に入れて、それからメイドさんのあとをついて行く。


 廊下をくねくねと曲がって、ずいぶん奥のほうに行くなあと思っていたら、ひときわ大きな扉の前で止まって、メイドさんがノックをして、返事があったから開けてくれて、中を見たら奥様とアリスタお嬢様とスクッグさんとヴルカーンさんがいた。


「あら来たわね。エルザ、ありがとう」

と奥様は愛らしい声でおっしゃった。


 するとアリシアをここまで案内してくれたメイドさんがペコリと頭を下げたので、彼女の名前はエルザさんというのだと分かった。



 部屋の中は、奥の一面にすごく大きな窓が連なっていて、その窓の先が大きな中庭になっていて、そこから部屋に陽の光が差しこむ明るい部屋になっていた。

 中庭から大きな窓を通して差しこむ光で奥様とお嬢様の金の髪が輝いて、もはや神々しさすら感じさせる。

 調度品なんかも上等なものばかりだから本当に絵のようにきれいな光景になっていた。


「おはよう、さあ座って座って」

と奥様がおっしゃったので、おはようございますと皆に挨拶をして、それからどこに座ればいいかと、部屋のなかにあるいかにも高級そうな丸テーブルのほうを見ると、例のごとく長持ちを重ねて布をかけて椅子にしてあるアリシアのための場所があった。


 そんなふうに席を用意してくださる気遣いは嬉しいのだけれど、女神みたいに美しい奥様と、宝石みたいに可愛らしいお嬢様に、今日も美男のスクッグさんがいて、きれいなエルザさんもいて、ぴかぴかに輝く美しいテーブルと天鵞絨の内張のクッションのついた優美な猫足の椅子が並んでいる天上のような光景なかで、長持ちを重ねて布をかけたアリシアの座る場所は、いかにも調和を壊していて、アリシアはそんな我が身が憎らしくなったのだった。


 まあアリシアだけではなくてヴルカーンさんも別に美しくはないので、アリシアと同じく浮いてしまっていたが。


 ともかく奥様の言葉に誘われるまま夢見心地でふらふらと席に着くと、奥様はちょっとお願いねと言って、抱っこしていたお嬢様をアリシアに渡してしまう。

 お嬢様は今日も異常なほど可愛らしくて、世界で最も価値がある物体という感じだった。

 絶対に落とさないように慎重に抱っこしていると、お嬢様は「おはよう、アリシア」と言ってくださった。

 おはようございます、と返事をしながら、あまりの愛らしさについ抱きしめてしまいそうになったけれど、抱き潰したら困るので危うく自制する。


 奥様はアリシアの座っている長持ちの横の席の椅子に手をかけると、それをすごく軽そうにひょいと引き抜いて、そのまま少し持ち上げて手を離した。

 すると椅子は、背もたれが壁のほうに向くように空中で角度を変えて、そのまま床の上を、すこし浮いて滑っていった。そして部屋の壁際のところで音もなく停まる。


 令術というのはこんな使い方もできるのかとアリシアは目を瞠る。

 スクッグさんの爆発させるやつとかもすごいけど、これもこれですごい。


 そして椅子がなくなったところに、メイドのエルザさんが、座面の高い子供用の椅子を持ってきた。

 たぶんこれはお嬢様の椅子なので、そこにお嬢様を慎重に座らせる。

 そしてそのさらに隣に奥様がお座りになった。



 皆が席につくと、食事が運ばれてくる。

 皆でいただきますと言って食べ始める。

 ここでの食事は毎回毎回光り輝いているんじゃないかと思うほど上等で、アリシアはこんなもの食べてていいんだろうかと身が引けてしまう。


 藤の籠に山のように盛られた甘いパンにはそれぞれチョコレートが入っていたり、糖衣がかかっていたり、ベリーや柑橘のジャムやお茶の粉が練りこまれていたりして、ほとんど涙がでそうにおいしかった。


 飲み物には泡立てたミルクが乗った珈琲がついていて、珈琲に泡立てたミルクを載せると美味しいというのもアリシアは初めて知った。

 パンを先にやっつけていると、次に葉野菜を周囲に散らした皿に目玉焼きとベーコンを山ほど載せた大きな皿がアリシアの前に運ばれてきた。


 これもおいしく食べていると、ふと隣に座っているアリスタお嬢様と、その隣に座っている奥様の皿にはベーコンと目玉焼きがなくて、かわりに何か小さな四角くて茶色いものをナイフとフォークで食べているのに気づいた。

 あれはなんだろうと思いながら、ちらちら見ていると、アリスタお嬢様が、

「わたしもベーコンとたまごがいい!」とおっしゃった。


 すると、奥様は困ったように頬に手を当てて

「でもエルフが肉や卵をたくさん食べていると太っちゃうわよ」と返事をなさったけれども、お嬢様は

「ベーコンとたまごがいい!」と再度断言なさった。


 奥様が軽くため息をつき

「アリシアさん、申し訳ないけどアリスタに少し分けてあげていただけるかしら?」

とおっしゃったので、アリシアは、はいもちろんと答えて、目玉焼きをひとつとベーコンを数切れ自分の皿から取って、アリスタお嬢様の皿に移す。


 アリスタお嬢様はニコニコして、ありがとお! とおっしゃって、それからパクパクと食べ始めた。

 お嬢様が皿の脇に避けた、四角くて茶色い小さなものが気になったので「少しいただいても?」と聞くと、アリスタお嬢様は「ぜんぶあげる」とおっしゃって丸ごとアリシアの皿に移してきた。


 すこしナイフで切って食べてみると、たぶん何かの茹でた豆を磨り潰して、四角く成形して、味をつけてこんがり焼いてあるようなものだった。

 素朴な味でまずくはないけれど、物足りないといえばそういうような味だった。


 お嬢様の口のまわりがベーコンの脂でべたべたになったので、ナプキンで拭いてさしあげると、お嬢様はアリシアのほうを向いてニコニコしながら

「ベーコンのほうがおいしいね!」とおっしゃった。


 奥様はその様子を見て、もう一度ため息をつく。


「只人の食事の味を覚えてしまうと、もうダメですわね。わたくしも全然人のことは言えませんけれど」

と奥様はそう言って、太るとエルフの殿方にはモテないのよ? とアリスタお嬢様におっしゃった。

「そうですわよね?」と奥様はスクッグさんにも問いかける。

 スクッグさんの方をみると、スクッグさんの皿にも、奥様やお嬢様と同じように、ベーコンと卵のかわりに豆を成形して焼いた四角いおかずが載っていた。

 あれはエルフの人の食べるものなのかもしれない。


「まあそれは人それぞれですから、何とも言い難いところではありますが……一般的にはそう言われますね」

 スクッグさんが言葉を濁しながら、答えづらそうに答えたけれど、そう言われて見てみたら奥様も、おっぱいが大きいしメリハリのある体つきをしていて、太っているとは言わないけれど痩せてはいない。


 エルフの殿方であるところのスクッグさんの反応を見ながら、美の化身みたいな、女神のようにきれいな奥様でも、エルフ基準では太っててだめなら、私なんて全然駄目じゃん、とアリシアはちょっとがっかりする。


 奥様はお嬢様のほうを見ながら

「困ったわねえ」とおっしゃったけれど、お嬢様は全然気にしていないようで、バクバクとベーコンとかを食べていた。


「まあしかし、アリスタ殿がどこかエルフのいる森に籠るのではなくて、ここで他の人種と暮らしていかれるのであれば、それほど気にすることでもないでしょう。只人はあまり痩せた女性というのは好まないようですし」とスクッグさんも言った。


 奥様は頬を少し染めながら「夫はそう申しますね」とのろけた。

 奥様がのろけているのを聞いて、アリシアは何でだかご領主様に対して腹が立った。


 それから和やかに食事が進んで、最後の果物を食べてお茶を飲んでいると、部屋がノックされて、扉が開いて

「おはようございます。いやあ、すみませんな。ご一緒できなくて」

とスクッグさんとヴルカーンさんに向かってそう言いながらご領主様が部屋に入ってきた。


「いいえ、朝は領民の皆さんからの陳情があって忙しいことと思います」

とスクッグさんが返すと、いやどうもとご領主様が頭をかく。


「あなた、何か召し上がる?」

「いや、もうさんざん食べたからお茶だけもらおうかな」

 そう言ってご領主様はお嬢様のところまできて、頭をひと撫でしてから、空いている椅子に座り、アリシア君もおはようと、言ってくださったので、おはようございますと挨拶を返すと、エルザさんがすぐにお茶を持ってきた。


 ご領主様はありがとうとエルザさんに言いながら、

「もうお帰りになるのですな。もう少しゆっくり逗留していただいても良いのですが」

とスクッグさんとヴルカーンさんに話しかける。


「嬉しいお言葉ですが、あまり長居してもご迷惑でしょうし」

とスクッグさんが答えると、

「いやいや、迷惑どころかこうして訪問してくださるだけで我が領地の安全に資し、私の政治的な力にもなるというものでございますよ。私のような後ろ盾無き、独立系の領主は人脈がすべてというものですからな。人脈あればこそ例えばスタルク殿からこうしてアリシア嬢を当家にお任せいただける」

とご領主様が言った。


 急に父親と自分の名前が出たのでアリシアが目を上げると、ご領主様がアリシアのほうを横目で見ながら、

「これからの旅のご予定は? 一度スタルク殿のところにお戻りになるのかな?」

とスクッグさんに聞く。


「それはもう、アリシア嬢を無事に送り届けたと報告しなければなりませんから」

スクッグさんがそう答えると

「それならちょうどいい。

 アリシア君、親御さんになにか手紙でも持って行っていただくようにお願いしなさい。

 私もスタルク殿への手紙をお渡しする」

 ご領主様がそう言って、使用人の人を呼んで、持ってきてもらった便箋と筆記用具をアリシアにくれた。


 スクッグ殿とヴルカーン殿がお部屋で旅支度をする間に手紙を書いてしまいなさい、とのことだったので、アリシアは慌ててお茶の残りを飲んでしまって、失礼しますと断って部屋に戻って手紙を書き始める。


 けれども、何を書けばいいか分からなくて、そもそもこっちに来てから食べて寝るしかしていなくて、あれがおいしかった、これもおいしかった、お風呂がきれいだった。いい部屋がもらえた、奥様がすごくきれい、お嬢様がとてもかわいい、とかいうような馬鹿みたいな手紙になってしまったけれども、他に書きようもないのでそのまま書くしかない。


 さっきの部屋に駆け戻ると、奥様が封筒をくださったので、封筒にサインをして便箋を折っていれると、奥様は使ってない皿をひとつ取って、そこに封筒を裏返しにして置くようにおっしゃった。

 それから奥様は、いつの間にか持っていた金色のスプーンに何かの赤い欠片をのせて、そのスプーンを持ったまま、もう一方の手の指でちょんちょんとつつく。

 するとスプーンの上の赤い欠片がじわりと溶けて液体になる。

 奥様はその液体を封筒の紙の合わせ目の上に垂らした。


「刻印とかは持っていないわよね?」

と奥様がおっしゃったので、何のことかよく分からなかったけど、持っていませんと答えると、

「じゃあ私のを押しておきましょう」

といって、奥様が手に持った棒状のものを溶けた液体のところにギュッと押し付ける。

 すると大きな木を図案にしたような紋章があらわれてきた。


 興味深くアリシアが見ていると、これは封蝋といって誰かが勝手に開けてないって分かるようにこれで封印するのよ、と奥様が教えてくださった。



 そのうちに旅装をととのえたスクッグさんとヴルカーンさんがやってきて、皆で玄関まで見送りに行った。


 スクッグさんに、父親への手紙を渡して、それで色々とありがとうございましたとお礼を言う。

 するとスクッグさんが、君に祝福の言葉を述べよう、と言って調子をつけて詩のようなものを詠いはじめた。



「わたしの友たる者の娘よ。


  あなたのまえに道は拓けますように

 

  あなたの背中に穏やかな風が吹き、太陽はあなたの顔をやさしく照らしますように


 あたたかな雨があなたに降り、森はあなたに恵みを与え、あなたの苦労は小さなものでありますように


   良き友と幸運があなたを守りますように」



 やさしい穏やかな声でスクッグさんがそう言ったあと、ヴルカーンさんが雄たけびのような強い声で続けた。


「我が友の娘に財貨があふれるほどにあるように! 肉と酒に事欠くことのないように!


  我が盾が彼の娘を敵から隠し、我が鎧が敵の矢を弾くように!


  かえって我が剣が彼の娘の敵を断ち切り、我が斧が敵を砕くように!


   悲しみの葬列ではなく、歓びの宴があるように!


  我が祝福を与える娘に栄光と勝利があるように!」



 ヴルカーンさんの言葉が終わると、スクッグさんは「君の祝福はなんだか物騒だね」とヴルカーンさんに言って苦笑する。


「この子はオーガの戦士なんだからこれくらいのほうがいいんじゃ」

とヴルカーンさんが言い返した。


 アリシアはその言葉を聞いて、自分が狩人ではなくなって、そのかわりに戦士になったのだということを理解したのだった。


 スクッグさんとヴルカーンさんがご領主様と奥様とお嬢様に別れの挨拶を済ませたところで、厩舎の人が馬をひいてきてくれたので、スクッグさんが先に乗って、ヴルカーンさんをアリシアが抱え上げてスクッグさんの前に乗せる。


「では御前失礼する」

 スクッグさんはそう言って馬の手綱をしゃくって駆けていった。 



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