ハーフオーガのアリシア10 ― かわいい子にも悩みはある ―
アリシアは、何か物音で目を覚ました。
なんの音だろうと思ってよく聞くとそれは扉がノックされる音で、アリシアは自分がどこにいるのか思い出したので、反射的にはいと返事をする。
扉が開くと、かわいい顔が覗いて、それはアイシャさんだった。
「メイドの娘がノックしても返事がないって言ってたから起こしに来たのよ。
起こさないほうがいいかとも思ったけど、晩ご飯とお風呂抜きで寝ちゃうのはちょっとね」
アイシャさんも昼間の訓練で、アリシアが魔獣のごとく咆哮するのを見ていた一人で、だからアリシアは彼女にもどう思われたかと不安だったから、こうして優しく声をかけてもらうと安心して、アリシアはもうほとんどアイシャさんにすがりつきたいほどだった。
少し安心してアイシャさんについていくと、食堂らしき部屋に連れていかれた。
中には、20人くらいかけられそうな、長いテーブルがある。
例のごとく椅子を取り除けた場所があって、そこに長持ちか何かを積み重ねた作った台に布をかけたものが用意されて、アリシアの席になっているようだった。
大きなテーブルがあるけれども、席についているのはたった一人で、昼食のときに、アリシアの隣に座っていたご領主様を挟んで、アリシアとは逆隣りに座っていた黒エルフの女の子だった。
アリシアは彼女の名前は紹介されて知っている。確かコージャさんというのだった。
アリシアとアイシャさんが、部屋に入っていくと、コージャさんは立ち上がってこんばんはと声をかけてくれたけれど、彼女は何か表情が硬いというか、沈んでいるような感じがする。
食事をもらってくるわね、と言ってアイシャさんが出て行ってしまったら、アリシアとコージャさんの二人きりになってしまって、アリシアとしては何か話を振ったほうがいいんだろうとは思ったけれど、何を話していいやら分からなくて、それはコージャさんも同様らしくて、気詰まりな沈黙ばかりが続いたのだった。
そうこうしているうちにゴロゴロという車輪の音が聞こえて、沈黙に耐えられなくなったアリシアが、これ幸いと席を立ってドアのほうに向かい、ドアを開けると、鍋やら食器やらカトラリーやら、銀の大きな蓋のついた大皿やらが満載になったワゴンをアイシャさんが押してきてくれているのだった。
「給仕の人は断ったけどいいわよね?」とアイシャさんがアリシアに言った。
何のことを言っているのか分からなくて、アリシアが戸惑っていると、アイシャさんがワゴンから大皿をテーブルに移したり、カトラリーをそれぞれの席に配ったりし始めて、コージャさんもそれを手伝い始めたので、アリシアも慌てて走り寄って、ワゴンの下の段から大鍋をひっぱり出したりとかし始めた。
「今日は私が給仕をしてあげましょう」と言ってアイシャさんがにっこり笑い、大きな皿にシチューらしきものをいっぱいよそうと、アリシアの席に置いてくれた。
そうされて、アリシアはやっと、給仕の人は断ったとアイシャさんが言った意味が分かったのだった。
どうやら、断らなければこんな三人ぽっちの食事にさえ、メイドさんか誰かがついて給仕をしてくれるらしいということらしく、これは大変なものだなとアリシアは感心するやらあきれるやらだった。
「給仕の人が立ってたら何か気になって食べづらいのよね」とアイシャさんが言ったので、アリシアは三つ並べたコップにそれぞれ水を入れながら、私もそう思いますと答えた。
料理やら皿やらコップやらパンやらをテーブルの上に並べ終わって、三人でテーブルにつく。
アリシアの向かいに、アイシャさんとコージャさんが並んで座った。
ふっくらとした色白のアイシャさんに比べると、コージャさんはだいぶ小さく見える。
髪が黒で、瞳と肌が褐色だから、茶色の髪で色白のアイシャさんと対比があってかわいい。
そもそもエルフだからかわいい。
コージャさんは私より年下なのかなとアリシアは思った。
食事が始まると、出身はどこなのかとか、このお屋敷の決まり事とか、そんなことでアイシャさんが次々と話題を振ってくれて、気まずい沈黙みたいなのは無くてすんだ。
アリシアはそれに答えながら、アイシャさんはやっぱり大人だなと感心したのだった。
「晩はご領主様と奥様とお嬢様は、ご家族水入らずで食事よ。
だから、何か行事ごととかがない限りは、晩はこうやって私たちとご飯ね」
とアイシャさんは言った。
だから私がアリシアさんを呼びに行ったのよ。
とのことで、私たちというのは、オーガのアリシアとオークのアイシャさんと黒エルフのコージャさんで、今のところは、これでお嬢様の付き人の全員だそうだ。
今のところというのは、まだこれから二人くらい増える予定らしかった。
「それから朝食はメイドさんか誰かに頼んで部屋に持ってきてもらってもいいし、下の大食堂に降りたら食事が並べてあるから、置いてあるお皿と食器を取って欲しいだけ盛って食べてもいいわ。
あるいは眠かったら朝ご飯は食べずに部屋で寝ててもいいし」
そう言われてアリシアは思ったより楽というかゆるいんだなと感じた。
他をよく知らないけれど、奉公に来て、朝は眠たかったら寝てていいとかあるんだろうか?
アリシアの小屋のふもとの村にも、家が子だくさんだと、あっちこっちに奉公に出てる子はいて、だいたい年に二回くらい里帰りで帰ってくるけれど、話を聞かせてくれるところでは、毎日朝から晩までこき使われて、そのかわりご飯は食べさせてくれるし、毎月少しだけお小遣いと、里帰りの前に少し纏まって心付けくらいをくれるのが普通みたいなふうに聞いていた。
アリシアはどうもスクッグさんとご領主様が話してるのを聞いた限りでは、お小遣いとかじゃなくて毎月ちゃんとお給金がいただけるようで、それなのに朝寝てていいとは? と思ったがよく分からない。
「それで昼はね、普通はお嬢様と一緒に食べるのよ。
あとたまに奥様も同席されることがあって、その時は奥様の付き人の方たちも一緒になるわね」
とのことで、アリシアはきれいな奥様を見れるのはそれはすごく嬉しい。
「私もよくは知らないけど、ご領主様とかの貴族は、朝は領民の人たちから陳情とか受けながら食べるのよ。だから私たちとは一緒にご飯は食べないのね。それで昼は私たちと一緒に食べて、晩が家族の時間になってるってことらしいわね。たぶん。」
つまりまとめると、アリシアは、朝は自由で、昼はお嬢様と食事で、晩は今いる顔ぶれで食べるということらしかった。
だから私たちは夜に一緒にご飯を食べて仲良くなるのよ、とアイシャさんはそう言ってにっこり笑った。
アイシャさんが仲良くなると言ってくれると、アリシアは嬉しくなって、アイシャさんが振ってくれる話題に答えながら、肉がいっぱい入ったシチューでパンをバクバク食べて、新鮮な葉野菜がいっぱいのサラダもたくさん食べて、果物も食べてお酒も飲んで、楽しい気分で食べまくったのだった。
それでちょうど食事が終わって、食後のお菓子に取り掛かろうというあたりで、アイシャさんが、
「お嬢様をそろそろお風呂に入れないといけないからこの辺で失礼するわね」
といって中座してしまった。
なんでもアイシャさんは乳母だから、お嬢様を毎晩お風呂に入れるのが仕事らしい。
また明日ね、とか言いながらアイシャさんが抜けてしまうと、また途端に沈黙が戻ってくる。
どうしたもんかなと思いながら、とりあえず場をつなぎがてら、ワゴンに載っていたデザートのタルトを切ることにする。
コージャさんには、とりあえず大きめに一切れ皿に盛って、自分には何切れも切って重ねて盛る。
そうしているうちに、コージャさんが新しいカップをワゴンから取って紅茶をポットから注いでくれていた。
座って小さなフォークを入れると、底のタルト生地がさっくりと割れる。
ひとくち食べると生地の優しい甘さにかぶさって柑橘の香りがいっぱいに広がる。
一拍遅れてアーモンドの風味が追い付いてきて、紅茶をひとくち飲めばもうほとんど涙が出そうな美味しさだった。
あまりにも美味しいので他に言いようもなくて
「おいしいね……」とアリシアが感無量につぶやけば、コージャさんも「ええ、本当に……」とつぶやく。
「いやー、こんな美味しいものばかり食べていいのかな。私なんにもしてないのに」
昼からお腹いっぱいに御馳走を食べて、晩は晩でこんなおいしいものを食べたので、何だか申し訳ないような気さえして、アリシアが上機嫌でそう言いつつ、さらにひとくちタルトにかぶりつくと、コージャさんの顔が陰って、
「アリシアさんは強いから待遇が良いのは当たり前ですよ。私こそそんなに強くもないのに、なんか気が咎めて居づらいです……」
そういって下を向いてしまった。
急に雰囲気が深刻になったので、アリシアはびっくりして、かぶりついたタルトを思わず飲み込んでしまった。
「……そうなの?」と思わず間抜けな声が出てしまう。
「そうですよ、アリシアさん昼間だって凄かったじゃないですか。
あんないっぱいの投射術をがーって消して、すごい重そうな大きな剣を振り回して……
私なんて普通の人よりちょっと強いくらいでしかないのに」
コージャさんはそう言ってますます下を向いてしまう。
これは何でもいいからとにかく否定しなきゃならないやつだとアリシアは思ったから、反射的に
「そんなことないよ」と言っておいて、何かないか何かないか、なんでもいいからうまい言い方はないかと刹那の間に猛烈に考えて
「…だってご領主さまと奉公に入る前にお話はしたんでしょ?」
と、なんとか言葉をつなげて胸をなでおろした。
「その、お給金の話とか、何ができるかとか」とさらに言葉をつなげる。
「それはそうですけど……アイシャさんはお嬢様の世話をしてるし治癒術が使えるし、アリシアさんは強いし、私だけ何もしないで何日もご飯食べるばっかりで、仕事も無いし、お嬢様のお部屋にちょっと顔出す以外は何もしてません」
コージャさんは悲壮な顔でそう言って、このままじゃ首になっちゃうかも、と消え入るような声で付け加えた。
うーん……、としか言いようがないが、
「でもご領主様とかお嬢様とかに何か言われたわけじゃないんでしょう?」
と続けて聞くと、コージャさんはこっくり頷く。
「まだ誰かに怒られたわけでもないうちから悩んでても仕方がない気がするなあ」
アリシアはそう言って席を立ち、ナイフを取って、ワゴンの上のタルトの残りを大きくひときれ切って、コージャさんの皿の上に載せ、残りは全部自分の皿に載せる。
そうしてアリシアはコージャさんの目をしっかり見て
「首になるかもしれないんだったら、こんな美味しいものは、食べられるうちに食べられるだけ食べておかないと。悩んだって仕方ないから今はお菓子のことだけ考えよう」
と提案すると、コージャさんはちょっと笑って、それがいいかもしれませんね、と言った。
それからアリシアはタルトの残りと、ワゴンに残った食べ物をさらえるようにして食べつくし、食べ終わったらコージャさんと二人で食器をワゴンに戻し、机を拭き布で拭いて片付けて、最後に部屋の明かりを落とす。
部屋の扉を閉めてから、コージャさんに案内してもらい、ワゴンを押して厨房に返しにいく。
その道々でコージャさんとぽつぽつ話し、ワゴンを返して厨房の前で別れた。
自分の部屋に戻っていくコージャさんの背中を眺めながら、今までアリシアは、ただ一人のオーガの子供として、周囲の只人の子供たちに受け入れられようとして、色々気を使ってきたのだけれど、そういうふうな居心地の悪さというものは、オーガの自分に限らず、誰にだって(あんなにかわいい黒エルフの女の子にだって!)あるものなのかもしれないんだな、ということをアリシアは初めて思ったのだった。
アリシアは食べ過ぎてはち切れそうなお腹をさすりつつ、この新たな発見について思い返しながら、自分の部屋へ帰っていくのだった。