ハーフオーガのアリシア81 ― 本屋&カフェでデートと言えなくもない何か(主人公は自覚無しで付き添いもいっぱい)Ⅰ ―
執行部とやらの人たちが来た次の日の朝。
いつもトラーチェさんが、その日の予定をお知らせしてくれる時間に
「昨日の執行部の皆さまとのお茶会で、だいたいの社交は終わりです。
だいたい、というのは、あとは十二月の二十九日に大きなパーティーがあるからなんですが、それは、この街にいる貴族やその寄子の人がほぼ全員参加するようなものなので、個人的に招待したりされたりというのとは違いますからね。
だからお嬢様の個人的な社交はもう終わりです。今日からはしばらく何もありません」
と言っていた。
はっきりは覚えてないけれど、今日は確か十二月の二十日か二十一日かそのあたりのはずで、つまり一週間以上も予定がない日が続くらしい。
魔獣討伐の演習から帰ってきたのが、たしか十一月の末日で、それから演習で狩ってきた獲物から術石を抜いたり、パレードや表彰式があったりとかで四、五日バタバタしてて、少し休んだら、なんか演習の慰労会やらお茶会やらパーティーやらの連続だった。
六つか七つか、それくらいこなした気がする。
それで「忙しかったですね」とトラーチェさんに話を振ってみると
「普通はこんなもんじゃないですよ。私は何年振りかっていうくらいに楽なシーズンでした」
とのことだった。
これ以上ないくらいにパーティーやお茶会に出て、美味しいものもいっぱい食べた気がするけどなあと思っていると
「もっと普通だとパーティーは一日に二回が毎日くらいでもおかしくないです。
ウチは、お嬢様が政治的な動きはされないですし、派閥の拡大とか集票とかもなさらないですからね。
それにお嬢様って純粋に強いので、なんていうか持っておられる権力がとても大きいのに、何か得なきゃならない政治的成果があるわけでもないので、まあ余裕ですよ。びっくりするくらい楽です。変なことさえしなきゃいい、くらいのものですよ」
アリシアには、そうなんだ、と感心するしかないけれど、ともかくようやっと本格的な休みということらしかった。
実際その日から、予定のない日が続いて、アリシアや他の寄子の皆は、屋敷の掃除をしたり、演習のときに狩ってきた獲物の解体や精肉をしたりして、仕事を作って色々やっていたけれど、お嬢様は寝間着のままでその辺を飛んでいたりして、それがアイシャさんに見つかって怒られたりしていた。
お嬢様って今までは治癒とかいろいろで忙しかったんだろうし、ちょっとくらいだらけてもいいじゃないかとアリシアとしては思うんだけれど、まあアイシャさんは乳母だからお嬢様の生活態度とか気にするのかもしれない。
それでそんな調子で三日くらい過ぎた日の、昼食の後で、すごくヒマそうにしていたお嬢様が、ふと顔を上げて
「そういえば、ほんをまだしいれてなかったわ」とおっしゃった。
そう言われてみると、アリシアも魔獣討伐演習の大隊での慰労会のときに、隊長さんのローテリゼさんのところの、あの六本腕のエルゴルさんと、本屋がどうとかそんな話をしたような気がすると思いだした。
この街はなんでも値段が高くて、売るほうはいいけど、仕入れるものがあんまりないと思ってたら、都会だから本がいっぱい売っていて、お嬢様はそれを仕入れるつもり、みたいなそんな話だったか。
「じゃあろっぽんうでのエルゴルさんをよびましょう。
あと、しょくりょうこうばいきょくの、あのくまみたいなきんぱつのひと」
お嬢様は嬉しそうにそう言った。
「食料購買局の熊みたいな金髪の方といえば副局長のウルス・アウレ様ですわね。
でも、セックヘンデ様も、アウレ様も、色々と社交でお忙しいかもしれませんよ。
あまり突発でお呼びするとご迷惑かもしれません」
そうトラーチェさんが注意してくれるけど、こうやって人の名前がパッと出てくるのはすごいものだと思う。
すると、お嬢様はなぜかアリシアのほうをちらりと見つめて、それから
「だいじょうぶだよ、エルゴルさんならたぶんめいわくどころか、すごくよろこぶとおもうよ」
とおっしゃった。
するとトラーチェさんもアリシアのほうを見て、それから
「……それはそうかもしれませんね」と言う。
どういう意味だろう?
「それにしょくりょうこうばいきょくのウルスさんも、さいしょにあったときに、しいれさきとかしょうかいしてくれるっていってたし、こえかけたらすぐにきてくれるっていってたよ」
「まあそれは、お嬢様に呼ばれたら、それがたぶん一番大事な予定になるんでしょうから、すぐ来てくれるんだとは思いますが……」
「ウルスさんのほうは、だれかかわりのくわしいひとでもいいよ。
エルゴルさんのほうは、ほんにんがぜったいきてくれるとおもうけど」
お嬢様はそう言って、またアリシアのほうを見て、トラーチェさんもアリシアのほうを見て
「そうですね」と言った。
なんでこっちばかり見るんだろうと思って、アリシアは
「なんですか?」と、お嬢様に聞いてみたけれど
「うーん、わたしのかんちがいかもしれないし、それにおしえちゃってアリシアがいしきしちゃうのがいいことなのか、それがよくわかんないし、だからいまはおしえないわ」
と言って、教えてくれなかった。
「まあ私たちの思い込みって可能性もありますしね」
とトラーチェさんも考え込むようにしながら言うけど、なんか余計に気になってしまう。
「わるいこととか、そういうんじゃないからね。たぶんいいこと? だとおもう。
たぶんそのうちアリシアもきづくはずだし、もしアリシアがきづかないままでいるくらいだったら、アリシアにおちどはないし、アリシアがきにするほどのかちもないことよ。
だから、アリシアはいまはなんにもきにしなくていいし、わすれてしまえばいいわ」
お嬢様はそう言ってから、そうよね? とトラーチェさんに聞いた。
トラーチェさんは
「まあ……そうですね。アリシアさんに後で何かあるかもしれないけど、今はまったく気にしなくていいと思います。後の楽しみくらいに考えていたらいいと思いますよ。何かあったら相談に乗りますので」
とのことだった。
トラーチェさんまでそう言うから、アリシアはとりあえず納得しておくことにする。
◆
それで、馬人族のウィッカさんと、その背中に乗った黒森族のコージャさんが伝令に出てくれて、六本腕のエルゴルさんと、金髪の熊みたいなウルスさんを連れて帰ってきてくれた。
ウィッカさんとコージャさんに先導されて、前庭を迂回してやってくる二人が見えるけれど、エルゴルさんは相変わらずでっかい。
普通の人よりずっと大きいアリシアより、さらにずっと大きいし、横幅も厚みもすごい。太くて長い腕が六本もあるし、尻尾も太くてすごく長い。
二人が正面玄関からホールに入ってきたところで、出迎えに漂ってきたお嬢様にご挨拶をする。
「アリスタ様、ウルスが御前に参りました! お呼びをいただいて幸いであります」
と、ウルスさんが言って
「きてくれて、ありがとお!」とかお嬢様が返事をしている。
エルゴルさんも、六本もある腕で、大きな体に合うように馬鹿でっかいマントを器用に畳んでから、メイドのミーナちゃんに渡して、漂ってきたお嬢様に
「ご無沙汰しております」とか言っていると、お嬢様はそのままふわりと漂ってエルゴルさんの一番上の手に抱っこされた。
そうしてお嬢様は「あのね、ほんをかいにいきたいの!」とかエルゴルさんに訴えている。
お嬢様って誰にでも抱っこされているように見えて、案外人を選ぶところもあるのに、お嬢様はエルゴルさんにはわりと抱っこされに行くことが多いように見えるからすごいと思う。アリシアはちょっと悔しい。
「突然にお呼びたてをいたしましたが、お二方ともご予定などは大丈夫でしたでしょうか」
と、トラーチェさんが申し訳なさそうに言うけれど、ウルスさんは
「うちの局長は社交が下手ですからね。そのおかげでお呼ばれも少なく、わりとヒマになってしまっておりまして、だから大丈夫でございますよ」
と言ってくれた。
エルゴルさんのほうは
「私はこの通りの大きすぎる体ですからね。会場の天井高が低かったりなどすると、お茶会への出席などは免除されるようになっておりまして、それで今日は予定が空いておりました」
とのことで……アリシアとしてはちょっとだけ身につまされる思いがしたのだった。
アリシアも出かけて行った先で、椅子が小さかったり、天井が低かったりして困ることがあるけれど、エルゴルさんはアリシアよりもっとずっと大きいし、体の形も普通じゃないから苦労もそのぶん多いだろうと思う。
太くて長い尻尾が生えているから、背もたれがあると椅子にも座れなくて、今だって長持を集めてきて積み重ねて布をかけたものに座ってもらっている。
皆が椅子やらソファーやら長持の上やらに落ち着いたところで、豚鬼族のアイシャさんとメイドのミーナちゃんが、皆のぶんのお菓子と飲み物を運んできてくれた。
今日のお菓子はクルミやナッツや蜂蜜や生クリームをいっぱい詰めたタルトで、香ばしくて甘くてたまらない。
「それでね、このまちはほんがいっぱいうってるってきいたから、ちょっとかいにいきたいの。
よそでうればもうかるし、さとがえりもするんだからおみやげにしてもいいわ。
でもどこで、どういうほんをかえばいいかわかんないし」
エルゴルさんのお膝の上に座ったお嬢様が、そんなふうに言っている。
アリシアには、本というのは貸本屋で借りるものだったから、そういうのはよく分からない。
「……商売として利益を出されるつもりであれば、本屋ではなくて、出版社か書籍問屋で買うということになるんでしょうかね。小売価格で買っても利益は出ませんからね」
エルゴルさんが、自分の膝に座ったお嬢様を下側の腕で抱き留めて、真ん中の二本の腕で、お嬢様用のお菓子の入った皿や、ミルクの入ったカップを持ったりして、お嬢様の世話をやきながら、上側の二本の手で自分も食べたり飲んだりしつつ、そんなことを言う。
頭がこんがらがらないんだろうか。
「そうですね。アリスタ様の荷物袋の異能をもってすれば、ご自身が問屋みたいなものですからね。
そうだとすると、問屋のほうが書籍の点数は多いのでそこがメリットですが、資金に余裕があるなら出版社から直接に仕入れをなさるのも良いかと思います」
金髪の熊みたいなウルスさんも、珈琲の匂いを嗅ぐようにしながらそう言う。
「じゃあこれをいただいたら行きますか」
エルゴルさんがそう言ってくれて、お嬢様が、やった! と両手を上げる。
◆
エルゴルさんも、ウルスさんも歩きで来たということなので、いつもの通り馬人族のウィッカさんの曳いてくれる馬車で行くことになった。
ウィッカさんの馬車は向かい合わせに四人座れる客席があって、あとは馬車の前側上方に御者席が二人分ある。
お嬢様の寄子は、豚鬼族のアイシャさんに、黒森族のコージャさん、それに大鬼族のアリシア、馬人族のウィッカさん、只人族のコロネさん、トラーチェさん、クリーガさんの七人になる。
それに寄親であるお嬢様と、今日はエルゴルさんに、ウルスさんを加えて十人で行動することになる。
とは言っても、お嬢様は赤ちゃんみたいにちっちゃいので、アイシャさんに抱っこしてもらっているし、アリシアとエルゴルさんは、大鬼族なので大きすぎて馬車に乗れないから歩きだ。
それにウィッカさんは馬車に乗るほうではなくて、曳くほうなので座席は必要がない。
そういうわけで、座席は六つで足りたのだけれど、馬車が満載になったから
「ウィッカちゃん、本当に大丈夫なの? 重くない?」とアイシャさんが聞いていた。
でもウィッカさんは「この程度なら全然問題ないですよ」
と言ってとりあわない。
お嬢様は別にして、六人も人が乗っているから見た感じはけっこう重そうだけど、ウィッカさんには、そうでもないらしい。
◆
ウィッカさんの曳く馬車は軽快に走り始め、ウルスさんの指示で、街の中央を流れる川のほうに向かう。
「本というのは重いですからね。運び出すのにも、印刷用の紙を運び入れるのにも川の傍がいいんですよ」
ということらしい。
「ああ、ここですよ」
と、ウルスさんが言って、馬車が停まった場所には、小麦の入った倉庫が建っていたところと同じように、川を少しだけ分岐させるようにして作った水路があって、その水路のそばに、四階建てくらいある大きな建物が建っていた。
馬車から飛び降りたウルスさんが
「ちょっと店主を呼んできますね」と言って、正面玄関らしき扉を勝手に開けて、中に入っていく。
その玄関らしき扉が、そんなに大きくなくて、これは自分やウィッカさんはともかく、エルゴルさんは体が大きすぎて入れないんじゃないかと、アリシアが考えていると、立派な口髭を生やして、ネクタイを付けて上着を着こんだ立派な風采のおじさんがウルスさんと一緒に出てきた。
その店主さんは、キョロキョロしていてなんだか落ち着かない様子で、
「こ、公女様、ご一統様。ようこそいらっしゃいませ。こ、こっちはお入りになれない方もおられるかと思うので、こちらへお、お回りください」
と早口で言って、建物の側面側に案内してくれる。
店主さんがせかせかと小走りで走るようにするのについていってみると、そこにはエルゴルさんでも余裕で入れそうな、とても大きな入り口があった。
「ここはですね、本の搬出口で、に、荷馬車ごと入れるんですよ」とのことだったので、そこから皆で馬車ごと中に入れてもらう。
◆
ウィッカさんの曳く馬車ごと入った建物の中は、天井が二階分くらいあるんじゃないかと思うほど高くて、中はすごく広かった。
けれども、床は簡単な板張りで、窓も小さいし、なんだか倉庫の中みたいに見える。
部屋の中には、たぶん鉄かなにかの金属製の棚が、通路になっているところ以外は天井近くまでいっぱいにならんでいて、その棚の中には、紙みたいなもので包まれた四角い荷物がみっしりと詰まっていた。
だから倉庫みたいというより、実際に倉庫なんだろうとアリシアは思う。
高い天井のあっちこっちに術石の灯りがあって、だから窓が小さくて少ないのに、中は明るい。
それから、どこからか煤みたいな、油みたいな、少し甘いような苦いような変わった匂いがした。
「ど、どうぞどうぞ、こちらへ」
という店主さんに案内されて、馬車のまま通路を部屋の奥に向かって進んで突き当りまで行くと、奥側の壁沿いに左右に走る通路との交点上に、やたらと大きなテーブルのある応接セットがあって、そのさらに奥に事務用の机みたいなのが置いてあった。
どうぞどうぞ、と案内されたけれども、応接セットのところに置いてある椅子は六つしかなくて、店主さんは、そのことに気づくと、うろたえた様子で「椅子、椅子」とつぶやきながら、小走りでどこかに行こうとする。
けれども、お嬢様が「いすならあるわよ」と言って、たぶん荷物袋の異能から馬人族のウィッカさんようの分厚い絨毯とか、屋敷のほうでアリシアが使っているのと同じ大鬼族用の椅子とか、エルゴルさんが座る用の背もたれがないただの頑丈な箱に布をかけたものとか、あと普通の椅子をひとつだしてくださった。
それで、椅子とか箱とか絨毯を配置して、大きなテーブルの向こう側に店主さんが座って、こっち側にアリシアたちが座ったところで、店主さんが「お茶がない!」とか言い出して、また慌てて席を立つ。
するとそこへ灰色の髪をした、おばあさんが、右手側の通路からトレーを持ってやってくる。
コップらしきものが人数分載っているので、たぶんお茶を持ってきてくれたんだろうと思う。
「オタオタすんじゃないよ」
とおばあさんは店主さんに小声で言って、それからお嬢様の方を向いてはにこやかに
「ようこそいらっしゃいました。お口に合うかわかりませんが、どうぞ」
と言って皆の前にお茶の入ったコップを並べて、それと干した無花果を人数分だけ入れた皿をテーブルの真ん中に置いてくれる。
皆でお礼を言って、アリシアもひとくち(アリシアにとっては小さなコップで)お茶を飲んだけれど味が薄い。
まあ普通はこうだよね、とアリシアは懐かしく思う。
あんまりおいしくはないけど、お白湯じゃなくてお茶にしてくれてるんだから、味が薄くても張り込んでくれてるのであって、喜ぶべきところだ。
お嬢様といると贅沢になって感覚がおかしくなるから気を付けなきゃとアリシアは自分を戒める。
おばあさんがトレーを持って立ったままでいるから、お嬢様が荷物袋の異能からまたひとつ椅子を出して
「あら、ありがとうございます」と言って、その椅子におばあさんが座ってくれたところで話が始まる。
「きょうはね。ほんをかいにきたのよ」
「それは嬉しいことでございます。しかし本と申しましても色々とございまして、いわゆる社交やご近所付き合いの作法について書かれたマナー本、もう少し幅広く家政全般について書かれたいわゆる生活百貨の類の本、裁縫指南書、娯楽小説、学習書、教科書、説教集、祈祷書など様々にございます。
どのような種類の書籍をお望みですか?」
緊張した様子でおどおどしていた店主さんは、話が本のことになると、急に落ち付いた声になって堂々と話しはじめた。
「うーん……よくわかんない!」と、お嬢様は元気よく答える。
「それでは在庫のあるものをタイトルごとに一冊ずつ持ってきましょうか」
店主さんはそう言うと、いったん部屋というか倉庫から出ていって、それから人を六人ばかり連れて戻ってきた。
連れてこられた人たちは、それぞれ腕に本を二十冊くらいも抱えている。
それらを応接セットの大きなテーブルに、背表紙を上にするように並べていく。
大きなテーブルだったけど、本を並べ終わると、だいたいテーブルの上が本で埋まる。
応接セットにしてはやたらと大きいテーブルだったけど、こうやって本を並べるためだったんだなとアリシアにも分かったのだった。
タイトルを見ていくと
『モーリス夫人の家政指南』
『農夫の友-耕作について 施肥における諸注意』
『農事暦』『実用算術~商人のための数の技~』
『裁縫の手引き 編み方と縫い方と型紙付き』
『読み書きの初歩:子供と徒弟・初学者のために』
『東方奇譚集:蛮地より』『民話拾遺集』
『エルンストの東方見聞録』
『手紙の書き方:若き娘と士官の往復書簡』
『亜人種諸語の初歩』『翻訳物語集:異種婚姻譚編』
『市民法大全:商人・大家・店子』『治癒の倫理と実践』
『哲学の灯火:理性と信仰と観察』
『植物のスケッチと簡易な解説』
『食べられる野草』『善について(経験から始まる考察)』
『非貴族市民の精神的自由』『西方大陸諸国の動向』
『東方貿易についての考察』
『隠棲的共同体の実践と結果-市民社会の自立について』
『税制と分配-能力主義と生存権についての覚え書き』
『商人アル・フェリドの往来譚』
『ゼラードン』『青の花冠』
『ヴァロニア年代記』『移民者ミラベル』
『黄金の靴』『月影の城』『旅芸人の三姉妹』
……まだまだたくさんある。
すごく色々な本があるから、アリシアが、わくわくしてテーブルの上を見ていると、テーブルの真ん前で浮いてテーブルの上を見ていたお嬢様が、後ろを振り返って
「どれをかえばいいとおもう?」とアリシアたちに聞いてこられた。
そんなことを言われても、読んだことのない本だと、面白いか面白くないか分からないから何とも答えようがないのでアリシアは困ってしまう。
するとエルゴルさんが、店主さんに「中を見ても?」と聞いて、店主さんからは「どうぞどうぞ」と返事が返ってきた。
するとエルゴルさんが本を手に取ってパラパラとめくり始める。
トラーチェさんやウルスさんも同じようにし始めて、店主さんにたまに質問なんかしたりしながら、本を選んでいく。
わりとサクサクと手早く選んでいくから、アリシアは驚いた。知ってる本もあるんだろうか。
自分もちょっと見てみようと思って、アリシアもテーブルの上にある本の山を、もう一度見てみると、そこに『帝国欽定文学全集第一集』と書いてある本があって、これはなんだろうと手を伸ばす。
すると、お茶を持ってきてくれたあとに、椅子に座っていたおばあさんが
「お目が高いですね。それはうちの自信作ですよ」と言った。
すると店主さんは、こちらのほうをちらりと見て
「それは皇帝陛下欽定の文学全集でございますね。全部で五十冊もありますから、第一集だけ持ってきております。内容的には非常におすすめできるものですよ」
と説明してくれた。
「全集ってなんですか?」
と疑問に思ってアリシアが聞いてみると
「全集っていうのは、なんでしょうね。小説とか文学作品の名作だけ集めたようなものですね。
特にこの全集はそこらへんの人が編んだものではなくて、皇帝陛下が自ら選ばれたものを集めておりますので、間違いないというものでございますよ」
と教えてくれる。
でもその後、少しためらってから
「……まあいっぱい売れ残ったものなのであまりおすすめはできないのですが」
と付け加えた。
おばあさんは店主さんに「余計なこと言うんじゃないよ!」と怒る。
「うれなかったの?」と、お嬢様が聞く。
「ああいう本はインテリアのかわりとしてお買いになるお客様も多いですからね。
もっと大判で革表紙を付けてやればよかったんですが、ちょっと価格を抑えて手に取りやすいものにしようと四切れ版で紙の表紙で作っちゃったんです。そうしたら全然売れませんでした……
価格を抑えるとは言っても一冊で銀貨二枚半、小売価格だと三枚半はしますからね。
巻数も五十もありますから、どっちにしろ庶民の手が届くもんじゃなかったんですよ。そうしたら豪華さがないので金持ちは欲しがらないし、庶民には高くて買えないという中途半端な商材になってしまいました」
と、店主さんはがっくりと肩を落として言った。
全部でいくらするんだろう……? と頭の中でアリシアは計算してみる。
つまり銀貨三枚半が五十個で、百七十五枚?だから、銀貨十三枚で金貨一枚だから……金貨十三枚か十四枚? と計算したところで思わずのけぞる。それは高い!
でも、皇帝陛下とかよく分からないけど偉い人が、これは良いというやつだけ集めたんだからさぞ面白いんだろうとアリシアは考える。
本というのは高いものだから、そりゃ五十冊もセットならものすごく高いのは当たり前だろうけれど、でも面白いのだけ五十冊セットなんて夢みたいな話じゃないだろうか。
それで、欲しいけど買えないな……と諦めかけたところで、でも、よく考えれば、今の自分ならたぶん買えるんじゃないだろうか、ともアリシアは思いつく。
たしかなんか山ほどお金を小切手とかいうやつでもらったはずで、その小切手とかいうのが、教えてもらった通りに本当に金貨に替えてくれるものなんだったら、買おうと思えば買えるはずだ。
そんなことを思いつくと、その考えが頭にこびりついて離れなくなる。
確か……確か帝国金貨百枚と引き換えてくれる小切手とかいう紙を、ちょっとはっきりとは覚えてないけれど、魔獣の術石を売ったお金ということで十何枚か、たぶん二十枚近く貰ったはずだった。
そしたら金貨に直せば二千枚近くになるはずで、それなら別に金貨十三枚か十四枚かくらいなら全然買えるのでは? ということが頭の中をぐるぐる回り始める。
いやでも、そんな買えるからって、そんな金貨一枚だって大ごとで、二枚かそこらあればその辺の家族がひと月くらい暮らせるくらいなはずなのに、そんな本なんかに金貨十四枚ってそんな冗談みたいなお金を使ってもいいものか。
でも金貨百枚の小切手が十何枚もあるということが、そもそも冗談みたいな話で、じゃあ逆にそのお金を他に何に使うのかという気もする。
こんなにも欲しいものを買わないなら、他に何に使うのか。生活費か。でもご飯も寝るところもお嬢様が用意してくれる。じゃあ何に使うのか。お母さんにでも仕送りしたほうがいいのか。
でもたとえ金貨千枚仕送りしたって半分くらい全然残るので、じゃあその残りはどうするのか。
他に使うアテが何かあるのか。いや、そんなアテなんかない。
いざというときに残しておく? でも金貨二千枚近くあって十四枚くらい使って悪いことがあるんだろうか。
でもそんな大金を使うなんていいのか、とか猛烈に考えてアリシアは熱が出そうな気がした。
そうしてもう半分ヤケになって、ついに顔をあげて
「あ、あの、その全集とかいうのを買ったりとかは……」と、店主さんに声をかける。
「それはありがとうございます!」
と、店主さんが喜色に満ちた声をあげたところで
「アリシアはそのぜんしゅうがほしいの?」とお嬢様がアリシアに聞いてこられた。
「はい……面白そうだなと、でも高いからどうかと迷ってるんですけど、欲しいかな、なんて」
そうアリシアが煮え切らないような返事をしたら
「じゃあ、わたしもかうから、ひとくみよけいにかって、それをやしきのとしょしつにおくわ。それならみんなでよめるでしょう?
それともじぶんようのがほしい?」
と聞いてくださった。
「えっ!? いいんですか? いやでもそんな申し訳ないですよ」
「いいのよ。やしきにとしょしつがあるのにほんがなくてからっぽなんだもの。いいきかいよ」
お嬢様はそう言うと、その文学全集を三十一セットも買って、皆で選んだ本も三十冊ずつ買い、それとは別に、お店にある本を全種類、一冊ずつお買い上げになった。
文学全集と一緒に屋敷の図書室においてくださるらしい。
アリシアは金貨十四枚のお買い物でパニックになりそうだったのに、お嬢様は金貨何百枚分もの本を涼しい顔で買っていて、やっぱりお嬢様は違うなとアリシアは思う。
お嬢様が、このあいだ、小麦を船で十二隻分だか以上も買っていて、それが金貨で一万五千枚とかいうのに比べたら、別にどうってことないのかもしれないけれど……
「きにいったほんがあれば、きょうついてきてくれたおれいに、なんさつか、かってあげる!」
と、お嬢様がエルゴルさんとウルスさんに言っているのを聞きながら、アリシアはそんなことをぼんやりと思ったのだった。
■tips
アリシアには、
・魔獣討伐演習で稼いだ金貨1,797枚分の小切手。
・魔獣討伐演習後にお嬢様がくれたお金が金貨10枚。
・奉公に出るときに森族のスクッグさんから餞別として(荷物袋の異能の効果つきの)腕輪の中に入れてもらったお金が金貨100枚ちょっと、銀貨も100枚ちょっと。銅貨が300枚ちょっと。
・元から持っていたお金が金貨30枚、銀貨10枚、銅貨30枚くらい。
・俸給を貯めた分の金貨が195枚。
・金貨10枚分の鉄インゴット、金貨10枚分のガラス食器類。
・鎧兜に武器類に衣服。
・スクッグさんから貰った荷物袋の異能の効果付きの金色の腕輪(これがいちばん高価)
くらいの財産がある。
この世界のお金を、現代日本の貨幣価値に直すと、おおむね金貨1枚10万円くらいなので、現金と小切手だけでも2億1500万円くらいの資産を持っていることになる。
けれども今回のお話で、アリシアは50巻セットで135万円の文学全集を、買うべきか買わざるべきか悩んで、結局買わなかったのであった。
アリシアはお金持ちなのにわりと庶民的である。
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