ハーフオーガのアリシア1 ― アリシアの失恋と旅立ちと就職Ⅰ ―
「でっかいことはいいことだ」
そうアリシアの父は彼女に言った。
確かにアリシアはでかい。いかにもデカい。
まず、身長は優に2メェトル半もある。
閂のごとく太い骨を、ごつごつとした巌のような筋肉が取り巻いて、その脚は大樹の幹のごとくあり、
堅牢な腹筋は八つに割れて、鋼鉄の小札のごとくあり、
岩でも入れているかのように盛り上がっている肩は、もはや肩鎧のごとし。
そこからつながる痩せた女の胴ほどもある腕は、鋼線のような筋肉が取り巻いてある。
ただ、その闘神のごとき肉体と比較しても、あまりにも膨大に、山脈のごとく盛り上がっている乳房と、
それから、これは一般的な人間の女のものと変わらない、柔和で優しげな顔がなければ、アリシアを一見して女だと見分けることはできないだろう。
アリシアを見た者は言うかもしれない。
「これは【大鬼】である」 と。
そしてその言は半分正しい。
アリシアの父は【大鬼】であって、アリシアの母は普通の人間である。
つまりはアリシアは【半大鬼】であるのだった。
そんなわけで、アリシアは生まれる前から普通の人間とは違っていた。
彼女は母親の腹の中でどんどんと大きくなり、母親の身動きすら困難になるほどになった。
臨月になると、陣痛はあれどもいつまでたっても生まれてこなかったので、母親のお腹が切開されて、そうしてアリシアは産まれてきた。
もちろん、そのあとに母親のお腹は治癒師によってつなぎ合わされた。
アリシアはあっという間に大きくなる。
そうしてすぐに母乳が足らないと泣き叫ぶようになり、仕方がないからよそから乳母を雇い、
それでもすぐに足りなくなって、また追加で乳母を雇い、最終的には乳母の数は6人にも達した。
乳母の費用に、追い立てられるようにして、アリシアの父は【大鬼】としての巨体を生かし、日ごとに大型の魔獣を狩ってお金を稼いだ。アリシアはなかなかに苦労をかける子供であった。
歯も生えそろわないうちから、家計の事情から早々に乳離れをしたアリシアは、本格的に食事を貪りはじめ、時の経過を追い越すような勢いで、背丈をさらに伸ばした。
なにしろ5、6歳のころには、普通の人間の大人ほども体格があったのだから推して知るべしである。
只人の母親が作る食事をあっという間に食べ尽くし、もっと食べたいと泣き喚き、父親が狩ってきた獲物を奪うようにして貪り、ついには父親とともに、自ら山や森に入るようになった。
もちろん食物を求めてである。
アリシアは子供特有の覚えの良さで、食べられるものがなんであるかをすぐに覚えた。
山菜をむしり、木の実を落とし、腐れた倒木のうろから幼虫を穿り出し、芋を掘り起こし、筍をへし折り、茸を引っこ抜き、食べられるものはそのまま齧り、毒抜きをすべきものは背嚢へ押し込む。
そうしてさらに、生き物を殺すことへの抵抗も、空腹の前には何になろうか。
幼女のうちは小さな獲物からはじめて、
十五歳にもなったいまでは、父親から与えられたナイフ、只人からすれば段平と言うべきそれを片手に巨大な猪に追いすがり、獲物の動きを止めるために、魔獣のごとき血も凍るような【咆哮】をぶつけ、組みつきながら、ナイフを喉笛に叩きつけて止めをさす。
首筋の血管を切り、木に吊るして血を抜き、腹を裂いて内臓を取り出す。
獲物から血が抜けるのを待つ間に、火を熾し、内臓を沢の水で洗って、先ほど採った山菜やら茸やらと煮て、塩と香辛料を突っ込んで鍋にするのである。
アリシアはこのような少女であった。
獲物の大きな鹿を肩に担いだ大鬼の父親がアリシアと合流したころに、鍋もちょうど煮えてきた。
背嚢からパンを取り出して、父親と半分に分け、ベンチ代わりにしている倒木に、鍋を前にして座る。
そこで冒頭の会話に戻るのである。
獲物を狩っている姿がちょっとばかし狂戦士っぽいとしても、やはりアリシアは少女は少女であったから、年頃の異性が気になったりもするのだった。
しかしアリシアは残念ながら、異性からはあまりモテない。
村に食肉を納めに行く時などに顔を合わせて、気になる男の子ができたとしても、相手の男の子のほうはアリシアをそういう目では見てくれないのだった。
お祭りなどの機会に彼らを見ていると、彼らは自分と同じ年頃の、普通の(只人の)女の子たちにちょっかいを出し、女の子たちもまんざらでもないようなのだった。
アリシアは彼らに嫌われてはいない。むしろ好かれてさえいるけれども、残念ながらそれは肉を大量に持ってきてくれるデカいねえちゃんという以上の評価ではないようだった。
彼らと対になっている女の子たちを見れば、確かにそれは花も恥じらう乙女というべきほどに、美しくもあるのだった。
生気に満ちた薔薇色の頬。羚羊のようにしなやかな手足。
彼女らに、ふと戯れに抱き着かれたときに、アリシアはその柔らかさに驚くことさえある。
振り返ってわが身はどうか?
醜いとまでは思わないが、いかにもデカい。ゴツい。そして筋肉のせいで堅い。故にモテない。
そのようなことをアリシアは、昼食の鍋をつつきながら父親にボソボソと語ったのだった。
そうしてそれを聞いた父親が考え込んだ挙句、ようやっとひねり出した言葉が冒頭のそれである。
「でっかいことはいいことだ」 というやつである。
けれどもアリシアは、それが単なる苦し紛れの慰めでしかないことを知っていた。
つまりアリシアが【半大鬼】であるのだから、つまりアリシアの父は、結婚相手としては【大鬼】の女性ではなくて、人間の女性を選んだことになる。
人間の男は、同族のただの人間の女より、美しくて容姿が整った【森族】の女性を珍重する。
それと同じように【大鬼】の男も、より嫋やかで愛らしい(と【大鬼】の男の間ではみなされる)人間やエルフの女を伴侶として求めることがままある。
ということは、アリシアの父もまた、ゴツい【大鬼】の女なんかより、人間の女の子のほうがかわいくていいよねと、その行動で示しているのだった。
だから、父の言うことは、ただの気休めのタテマエのきれいごと、とアリシアには分かっていたが、それを指摘したところでどうにもしようがないから、アリシアは父の言葉を黙殺し、もそもそとモツ鍋を食べ続けたのだった。
◆
アリシアは猟から帰ると、作業場で今日獲れた獲物の処理をする。
獲物から服を脱がせるようにして毛皮を剥ぎ、皮と肉に分け、手足を落としてから残りを部位ごとに切り分け、骨も適当な大きさに断ち割る。
明日は結婚式があってその宴会があるので肉の補充が必要なのだった。
とは言っても、今日獲ってきた肉を明日にすぐ出せるわけではない。
獣肉は獲ってからしばらくおいて熟成させないとかたくて美味くないのだ。
明日出すのは少し前に獲って保存しておいたもので、肉を売りに出すなり食べるなりする分だけ新たに獲ってきて熟成させる。
酒造りやらと同じ理屈だ。
熟成で黒ずんだ肉の表面を削って掃除する。
処理が済んだら籠にどんどん放り込んでとても食べきれないほど大量に用意する。
宴会の途中で肉が切れると場がしらけるので、それは困るからだ。
肉がいっぱいに詰まった、一抱えもあるような大きな籠が幾つも並ぶと、大きな葉で蓋をしてから、アリシアは満足げな溜息をついた。
手を洗って、それから自室に戻ると今度はクローゼットを開けた。
クローゼットの中には外套が二着。
明日、結婚する新郎と新婦のための贈り物である。
新郎用のものは魔獣化した大熊の毛皮で作ったもので、熱や衝撃の放出と吸収の術式を書き込んだ晶術石をところどころに埋め込んである一品である。市場の店にでも卸せばかなりの高値がつくことは間違いないくらいのものである。
そして新婦用のものは真っ白な貂の毛皮を幾つも集めて縫い合わせたもので、襟元には茶色から黒色へとグラデーションになるように、色違いの毛皮を配置してある。放熱保温に耐衝撃と晶術石ももちろん縫い込んである。
こちらのほうの外套は高値がつくどころではなくて、王侯貴族が使ってもおかしくないレベルの品物になっている。
いくら結婚の贈り物だとはいえ、かなり高価すぎるものではある。
なぜそんなものを用意しているかと言われれば、要するにアリシアはその新郎の男に懸想をしていたのであった。
彼はアリシアが村に肉を納めに行くときに、よく顔を合わせていた。
アリシアは見た目がデカいので威圧感があり、相手が慣れてくれないうちは、人間関係が築きづらいところがある。
相手が近づくのを待つようにしないと、自分の側から距離を詰めると相手に恐怖感さえ与えかねないからだ。
驚かせたり、恐怖感を与えるような、急な動きは控えて、なるべくゆっくりと穏やかに動き、相手が徐々に警戒を解いて、好奇心を抱いて近寄ってくるのを待つというような、小動物を相手にするかのごときやり方が人間相手にも求められるのが大鬼族の宿命というものであった。
アリシアが懸想していた新郎の彼、名はアルバンというのだけれど、彼は好奇心の強い男だった。
普段は山の麓から少し上がったところにある小屋で、狩人として生活していたアリシアは、八つか九つになると、手伝いとして父親に従って、肉塊がたくさん入った籠をいくつも担いで山から下りるようになった。
八つか九つといっても大鬼族のそれだから、体格は只人の大人よりだいぶ大きいくらいはある。
そうして山から持って降りてきた肉を父親が村人に売り捌くのだったけれども、アリシアが荷物持ちをするかわりに、アリシアの父親は、肉を売り終わったら、荷物持ちの報酬として、アリシアに村で菓子を買ってくれるのだった。
アリシアはそれを目当てに手伝いをしていて、肉が売れてしまってお菓子を買ってもらえるまでの間、手持ち無沙汰にまっていたのだった。
それで、村の広場から少し外れたところにある大木の木陰に座って時間を潰すのがアリシアの常だったけれども、娯楽の少ない小村でのことでもあり、子供たちがいっぱい周りに集まってきて、じろじろと視線をぶつける。
かと言ってアリシアのほうからズカズカと近づいたりしたら怖がらせることになると父親からよく言い含められていたので、居心地の悪い思いをしながらずっと黙っていたのだった。
そうして登場するのがかのアルバン君で、彼の人格を簡潔に言い表すとすれば「善良なるお調子者」ということにでもなろうか。
村の子供たちがアリシアを遠巻きにして観察しているときに、アルバンはお調子者の本領を発揮して、周囲の子供たちの(おい、ちょっと誰かちょっかい出してみろよ)とでもいうようなご期待に答え、あるいは純粋な善良さから、一人で座り込んでいるアリシアに声をかけたのだった。
これをきっかけにアリシアは同年代の遊び友達を持てるようになった。
加えて言えば、このアルバンの幼馴染であるフローラとも親しくなり、彼女を通して、村の女の子たちとも仲良くなれたりもしたのであるが、このフローラこそはアルバンとこのたび結婚することになっている新婦なのでもあった。
要するに、自分の容姿にコンプレックスがあったアリシアが、それゆえ想いを告げることもできず、ひそかに想いを寄せていた幼馴染の男の子が、これまた幼馴染の女の子と結婚してしまうという状況である。
かくしてアリシアは、自分の思いのたけのようなものを結婚祝いの贈り物にでもぶつけるしかなかったのだった。
アルバンに何かをしてあげたかったのが本当のところであるし、そのアルバンに向ける想いがフローラに知られることは避けなければならないし、そもそもフローラだって大事な女友達であるから、彼女が結婚するという事実は祝ってあげたいし、などという思いが千々に乱れた結果として、新郎へのやたら豪華な贈り物と、新婦へはもっと豪華な贈り物という形に結実してしまっているのであった。
そういうわけでアリシアは、見た目はゴツくても、少女であるのにそれらしからぬ複雑な表情を浮かべながら、外套それぞれの出来をいま一度確認してからクローゼットの扉を閉じたのだった。
■tips
西方帝国領土の度量衡において、長さの単位はメェトルである。
1メェトルの百分の一の長さをもってセンチとされる(センチメートルではない)
1センチの十分の一の長さをもってミリとされる(ミリメートルではない)
1メェトルの長さの基準は、帝国の皇帝たる者が、臣下より度量衡の制定を請願された際に、現代地球における1mを念頭におき「1メートルってたぶんこれくらいよね」などと宣いつつ、その両の掌をもって示した。
ちなみに西方帝国における長さの基準である「メェトル」を、地球におけるメートル法に換算すると、1メェトルの長さは1.043mである。