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file5:鈴原の事情

約束していた秘密の特訓が始まった。夏休みに入り、毎日練習をする貫太郎。そんな八月の初め、鈴原から彼女の実家に遊びに行かないかという誘いを受ける。海への恐怖を克服したい貫太郎はその誘いを受けることにした。

 電車は長い時間走り続けた。ビル群を抜け、深いトンネルを抜けて磯の香りがする地へと僕らはやって来た。午後の日差しを浴びた深緑と一面の青空、その間に一瞬だけキラキラと輝く水面が顔を覗かせた。もう海なのだと感じた。

 窓から流れる景色を眺めていた僕は不意に車中へ視線を移した。

 向かいには鈴原が座っていた。彼女にとっては見慣れた風景なのだろうか。特に感動した様子もなく、縁の広い麦藁帽子を膝にのせて水筒から冷えたお茶を出していた。

 お盆休みというのに帰省客の姿はまばらだった。特に僕らが乗るこの車両に二人の他は誰もいなかった。意識をするとカタンカタンという単調な走行音だけが耳に入ってきた。ボックス席に座った経験の乏しい僕は向かい合うかたちがなんだか妙に照れ臭さかった。

「親も一緒かと思った」僕は沈黙に耐えられず話しかけた。

 すると鈴原は自分で注いだお茶を見つめながら、お父さんは仕事があるからと答えた。

 少し不安になって僕は尋ねた。

「俺のこと、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。ちゃんとお母さんに話してるから」

 鈴原はゆっくりとお茶を口に含んで、それからようやく外に目を向けた。そろそろ波の音が聞こえてくるだろうか。線路はだいぶ海辺に近づいていた。

 淡い赤みを帯びた褐色の頬はすぐに消え、代わりの表情を鈴原に運んだ。その一方で落ち着いた仕草を見て僕は安心したが、やはりどこか沈んだような彼女の様子が気になっていた。しかしそれを知る術はなかった。僕はまだ十二歳。色々な意味で未熟だった。



 榎本と書かれた表札の家に鈴原の母親はいた。玄関で挨拶した僕は容姿を目にして驚いてしまった。

 僕の両親より少なくとも十歳は若いに違いない。ジーンズにTシャツとラフな服装で、何か料理を作っていたのか三角巾と腰にエプロンを巻いていた。オバさんと呼ぶにはまだ早い、二十代後半から三十代前半のほっそりとした美人だった。

 荷物を廊下に置いた僕達二人は居間に通された。光沢のある大きな座卓が十畳敷きの和室の中央を占めていた。その上には唐揚げやサラダなどの色鮮やかな料理が多数並んでいた。

 鈴原のお母さんは僕らに尋ねた。

「飲み物は何にする? オレンジジュースとかあるけど」

 僕がお願いしますと答えると、オバさんの視線は鈴原へと移った。

「牛乳でいい」無愛想に鈴原は言った。

 鈴原がろくに返事もせず黙々と食事をとっていたため、会話の大半が僕とオバさんによるものとなった。しかし、とはいってもそんなに話題も多くない。学校での生活、クラスのことがほとんどだった。

 会話からそれとなく鈴原の両親が離婚していたのだと知った。どうやら別々の生活を始めたのは僕のクラスへと転校してきた小学四年生の二学期あたりらしい。ショートカットが似合う黒髪の子供とは違い、母親はウェーブがはいった栗毛色のセミロングで、大人の女性の感じがした。

 シャレた腕時計やプラチナのネックレス。口紅の上に重ねて塗られた艶っぽいグロスが印象的だった。もちろん、この頃の僕はそんな名称を知っているはずがなかった。ただ、いつもはもっとオシャレにしているのかもしれないと察することはできた。明らかに家の中でオバさんの存在は浮いていた。生活感があまり感じられなかった。綺麗過ぎたのだ。

 トイレを探しているとき、台所でテーブルに散乱したプラスチック容器の山を僕は見てしまった。おそらくスーパーのお惣菜コーナーで購入した料理をお皿に移して出していたのだろう。何も言わないが、それは鈴原も気付いているようだった。

 会話を中断して、オバさんは声を上げた。

「あら! 千博、ピーマン食べれるようになったのね!」

 チャーハンに入った細かく刻まれた具を見て言ったのだ。僕はあらためてよそった自分の取り皿からそれを探した。

「この子ったら、叱っても絶対口に入れようとしなかったのに」

「好き嫌いなんてしないよ」

 もう子供じゃないんだから、と鈴原は遮るように言った。恥ずかしかったのだろうか。突き放したような言葉にオバさんは少し寂しそうだった。

 縁側に座ると、海からの潮風が心地良くあたった。スイカを受け取った僕は頬張る前に包丁を拭く鈴原の顔を確かめた。

 自分の分を手に持って鈴原が言った。

「別に珍しいことじゃないわ。よくあることでしょ」

 それが両親の離婚を指していることはすぐにわかった。確かに当時小学生だった僕でも離婚という言葉はよく耳にしていた。決して珍しいことではない。しかし、はたしてそれが個人にとってとるに足らない事柄かというと、決してそうは思えなかった。特に鈴原は辛かったのではないのだろうか。

 そんなとき、気まずくなった僕にむかって鈴原が言った。

「これでアイコだから」

「え?」

「弱点。だからもう私を羨まないでよね」

 ピーマンに自転車、そして両親の離婚。つまり互いの弁慶の泣き所を知った僕達の関係は対等ということらしい。その為に帰省に誘ったのだろうか。

「いいのかよ」僕は尋ねた。

 それが何に対してなのかを僕は濁した。鈴原も何も答えなかった。だからしばらく待った後、少し変えて続けた。

「俺が泳げるようになったら、釣り合わなくなるぜ」

 すると鈴原は笑顔で言った。

「そしたら私も自転車に乗れるようになってるから」

 古い壁掛け時計の針は三時十分を指していた。夕暮れになるは、まだだいぶ陽が高かった。海が待ち遠しくなり、僕達はスイカにかぶりついた。


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