file18:夕暮れの告白
鮎川からノートとプリントを受け取り、図書館へとやってきた貫太郎。少し探してメガネをかけて勉強する千博を見つけた。帰ろうとする彼女を引き止め、何とかお願いして会話の時間をもらうことができた。
夕暮れの公園。僕らは遊ぶわけでもなく、ブランコに腰かけていた。
勉強用の眼鏡を外したからといって、内面も元通りとなるわけではない。久しぶりに訪れたふたりだけの会話はぎこちないものだった。僕だけがやたらと多弁になり、向かい合う鈴原は黙ったまま話を聞いていた。
「そういえば、昨日会議室へ入ったとき、俺の名前を言ってたように聞こえたけど」
「ううん。言ってない」
「……そうか」
変わってしまった彼女を元へ戻そうと努力してもかなわないことがもどかしく、また少し寂しくもあった。
時折り相づちすらまともに返ってこないこともあった。いくら言葉のキャッチボールを試みても、ことごとく失敗に終わった。僕は滑稽なほど自分が空回りしているように感じた。それでも会話が途切れることを恐れて話し続けた。
運動会のこと、新しい担任のこと、そして昨日見たバラエティ番組のこと。触れなかった話題は鈴原が受けられなかった検定の話や不登校に関わることだった。特にあの日の出来事は禁句だと肝に銘じ、一切口に出さなかった。
面白くなかったのか。それとも居心地が悪いのか。こっちが気を遣い、懸命になっているのに、鈴原はまるで上の空だった。退屈そうにも見える憂鬱そうな仕草が僕の心をいらつかせた。
とるに足らない笑い話が途切れたとき、意を決して僕は尋ねた。
「つまらないか。俺の話」
すると予想に反して、鈴原から否定以外の答えが返ってきた。
「だって石井、腫れ物を扱うみたいなんだもん」
本当なら不登校になった原因を何よりも先に聞くはずだ。そんな鈴原の指摘に言葉が見つからず、今度は僕が黙ってしまった。
少しブランコを揺らしながら、鈴原は話を進めた。
「知ってるんでしょ? あの日のこと」
「えっ、ああ……早川から聞いた」
やっぱりそうなんだ。うつむき、溜め息をひとつ。その後で暗くなった空を仰ぎ、鈴原は微かに笑って見せた。
「差が大きくなっちゃった。もう偉そうに威張れないよね」
弱点がまた一つ増えてしまった自分と僕とを見比べて、鈴原は少し寂しそうに笑った。
「そんなことない」僕は首を振った。「まだ牛乳だって飲めてないし、それに勉強だってお前より悪いぞ。ボールだってあんまり遠くまで投げられないし、足だってお前のほうが速いじゃない……か」
自慢ならない力説は情けなさから尻つぼみになった。それでも鈴原は「どれもたいしたことじゃないよ」と言って納得しなかった。確かに彼女の身に起きた災難に比べれば、どれも些細な事だった。僕は焦った。
「そうだ、自転車!」
「えっ?」
「自転車に乗る練習、約束だったろ?」
自分が泳げるようになったいま、今度は鈴原が自転車に乗れるようにならなければならない。それが条件だった。
「うん。でも……いいよ」
「え?」
「もう約束は忘れて」
そういう訳にはいかないと食い下かったが、鈴原の意思は頑として変わらなかった。
僕は感じてしまった。おそらく鈴原が断ち切りたいのは決して裸を見た男子だけではない。噂を耳にした人間や、さらには九月に入るまでの学校生活も遠ざけたい対象なのだ。
ふたりで交わした約束さえそうなのだ。幸せに思えたあの夏の出来事も、共に過ごした二年間もきっと忘れたい過去なのかもしれない。鈴原にとって、もはや自分が消えて欲しい人間のひとりなのだ。そう思うと何だか無性に悲しかった。
「寒くなってきたから、もう帰るね」
鈴原はそう言って、ブランコから立った。
直感というのだろうか。漠然とこのまま二度と会えないような気がした。遠退いていく後姿がやけに儚く映ったのだ。妙なことに、ボーイッシュな短い髪とジーンズも今日に限って、とても女の子らしく思えた。
どうしてもっと素直に、上手く言えなかったのだろう。これっきりなら、これが最後の機会なら本当に伝えたいことは他にあったのに。もう一度チャンスをくれないだろうか。そしたら今度こそ、絶対に今度こそは。
失いそうになってはじめて思い知らされた。もう嘘ですり抜けるような態度ではいけない。真実と弱さ。後悔の気持ちが強まるにつれ、臆病な僕の心は大きく揺り動かされた。
「鈴原!」僕は声を張り上げた。
呼び止めた声は若干調子が外れていた。でも大丈夫だと心の中で言い聞かせた。つまらない見栄や嘘で飾らない限り、言葉はちゃんと伝わるはずなのだ。
僕は足を止めて向き直った鈴原の顔を睨みつけるように見た。
「恥ずかしいからずっと言わないつもりでいたけど、俺の一番の弱点を教えてやる」
目を合わせ続けることが出来なかった。それでもなけなしの根性が臆病風を抑えつけ、かろうじて首の皮一枚でつながっていた。声を張らなくても良いところまで距離を縮めた僕はうつむき、拳を力一杯握り締めたまま祈った。
「いいよ、いまさら弱点なんて。私、別にそんな――」
「お前のいなかったこの二ヶ月間。毎日が退屈でつまらなかった」
「……えっ?」
「励まそうと思って、何度も電話をかけようとしたけど、勇気が無くてやめたんだ。手紙も書いたけど出せなかった。いくつか思いついても、今日まで何もできなかったんだ」
震えてもいい。たとえ声が出なくても、情けなくてもいい。打ち明けたいという気持ちが僕自身を前に押し出した。
「俺の弱点はお前なんだよ。消せない一番の弱点……お前のことが好きなんだ」
張り詰めていた緊張が解けたせいなのだろうか。足元が浮いたように軽く感じて、ふらついた。好きだ。僕は鈴原のことが好きだったのだ。口から出したとき、初めて自分自身も認めたような気がした。築いてきたプライドの壁が破壊され、また一方で空に向けて飛ぶ羽が生えたように思えた。僕の心は自由になったのだ。
告白した後の高揚は続いていたが、僕はすぐに答えが気になった。いったい鈴原はどんな反応をしているのだろうか。僕は恐る恐る顔を上げて、彼女の様子を確かめた。
純粋に意表を衝かれた顔がそこにあった。そして何と呟いたのか、口元が微かに動いた気がした。それからほんのりと赤くなった頬に一筋の涙が流れていた。
結局、唇の動きが何という意味だったのか、僕にはわからなかった。告白の答えだったのかもしれないが、聞き返す前に鈴原は公園から走り去ってしまったのだ。
明かりの灯った公園にひとり、僕はどうして良いのかわからず立ち尽くした。
お時間があれば、ぜひ評価をお願いします。小説とは別にコミックメーカー3を使用したPCゲームとしても無料で配布しています。興味のある方はvector等でダウンロードしてください。