file17:哀願するように
鮎川から千博との仲を聞かれ、戸惑い、煮え切らない返答をする貫太郎。しかし、それではいけないと思い直し、出来る限りの言葉で助力を求めた。こうして貫太郎は親友であり学級委員である鮎川の代わりに、ノートとプリントを千博のもとへ届けることになった。
鮎川は自宅ではなく、別の場所で待ち合わせの約束をしていたらしい。おそらくはこうなる展開を想定してわざわざ仕掛けていたのだろう。夕暮れの図書館はひと気が少なく、駐輪場の自転車の数も疎らだった。
館内は暖房が効いていて、大量に保管されている匂いが鼻を刺激した。まさしくここは図書館である。学校の図書室すら足を踏み入れる事のない僕にとって、ここは未知の空間だった。
一階は本棚だけだった。二階に上がると、そこには自習用のテーブルが並べられてあり、部屋の隅には勉強机なども置かれていた。
新聞を読む中年の男性、分厚い本の内容をノートに書き写す女子大生。僕はその中から見慣れているはずの顔を探した。
いた! 鈴原だ!
眼鏡をかける鈴原を見たのは初めてだった。彼女は計算ドリルをしているようで、集中しているのかこちらには気付いていないようだった。
見つけた瞬間、僕の視界は明るく鮮明になり、心臓が強く打ち付けた。そしてそれまで感じたことのなかったふわふわとした紅葉感が急速に全身を支配した。初めての感覚だった。
僕はためらった。恐怖心だったのかもしれない。数ヶ月前まで普通に話していた女の子が今やこんなにも大きな存在となっていた。そのことをはっきりと認識させられたのだ。同時に失敗は大きな傷を生むことは未熟な頭で考えても明らかだった。
このまま話さず家へと帰りたい。そう思ったが、しかし自分の希望とは別に渡さなければいけない物があった。鮎川から預かったノートとプリントだ。足枷のように感じたそれらは自分が望んで得た本日限り有効の通行手形なのだ。
そそくさと退散しては次の日鮎川に会わせる顔がない。葛藤の末、弱気を押さえつけた。今がその時だと感じた。やる気が負けてしまうその前に実行してしまおうと、鼻息も荒く、勢いに任せて僕は歩き出した。
早足のため、考える暇がなかった。何をするべきかわからず、またどんな言葉をかけて良いのかもわからなかった。あっという間に彼女の目の前に着いてしまい、僕は棒立ちになってしまった。
音を立てずに吸った鼻から、鈴原の愛用していた消しゴムの甘い匂いを感じた。人工的な苺の匂い。これの他にバナナもまたお気に入りだった。
「どうして」それが鈴原の第一声だった。
ページを捲るときに、足が視野に入ったのだろう。あらためて僕の顔を確認した鈴原は目を丸くしていた。
僕は手に握っていたノート類を差し出して言った。
「これ、鮎川から……渡せって」
預かり物は音がするほど勢いよく僕の手から離れた。当然だが、お礼の言葉もなかった。鈴原は慌てた様子で奪い取ったノートと机上に広げていたドリルなどを鞄の中へしまい、急いで席を立とうとした。
僕はとっさにトレーナーの袖を掴んだ。
「放して!」鈴原が声をあげた。
瞬間、まずいと感じた。前回叩かれたパターンと同じなのだ。見ると、自由の利く方の腕はすでに高々と振り上げられていた。僕は身を屈め、ギュッと強く目をつぶった。
弾けるような衝撃の後に訪れるジンジンとした頬の痛み。しかし、それらはやってこなかった。恐る恐るまぶたを開けると、赤い顔をした鈴原が困惑した表情でジッとこちらを見つめていた。
哀願するように、僕は言った。
「なあ、せっかくなんだから話さないか。俺、お前と話したいこと沢山あるんだ」
結構情けない格好だったかもしれない。しかし、これが精一杯だった。後はただジッと返事を待つことしか出来なかった。
しばらくして鈴原の答えがあった。
「わかった。だから」
服が伸びちゃうと言われて、ようやく僕は腕を掴んだままであることに気が付いた。叩かれそうになっても放さなかったらしい。解いた指先には長袖の感触が残っていた。
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