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file13:国語の教科書

千博が欠席しているのは転校するのではなく、貫太郎を除くクラスメイト全員の目の前で恥をかいたからだった。それを知り、貫太郎は苦しんだ。

 二ヶ月が経ち、町はすっかり深緑から紅葉の季節へと変わっていた。学校では運動会も秋の遠足も終わり、僕達六年はアルバムの写真撮影や文集作りなど卒業に向けての活動が多くなった。色付いた枝の葉が地面へと落ちるたびに冬の足音が聞こえてくる気がした。

 教室にも大きな変化があった。担任が病気療養という理由で休職したのだ。代わりとして教壇に立ったのは後藤田という二十代後半の若い男の先生だった。叱るときも遊ぶときも豪快なその熱血ぶりに、九月以降荒れ気味だったクラスはようやく落ち着きを取り戻した。

 しかし猫にはまだヒゲがないままだった。そろそろノートのページも少なくなり、新しい一冊を買わなければならなくなっていた。僕は不細工なそれを目にすると、決まって七月の終わりから見ていない空の席が気になってしまった。あの日以来、鈴原は教室へ現れていなかった。

 猫のヒゲだけではない。検定の報告だってしていない。約束の自転車も教えられないままだった。八月の電車で別れてから、僕の心の時間は止まってしまったようだった。今更ながら、鈴原の大きさに気付かされた。

「机をよろしくね」

 ぼんやり隣の机を眺めていた僕に鮎川は声をかけた。最近、彼女は毎日のように給食を持って教室を出ていた。はじめは学級委員の仕事なのだろうと思っていたが、相方である榎本隆志は残っていた。そんなとき、気になる噂が僕の耳に入ってきた。

 友人である早川進の話によると三時間目のことらしい。体育で怪我をした生徒が治療に向かったところ、保健室前の廊下で鈴原の姿を見たというのだ。当然その情報はすでに学年中へと広まっていて、日常に埋没しかかっていた九月の事件が再び顔を出してしまった。

 給食が終わった昼休み、早速その影響が現れた。

 『鈴原ゲーム』というらしい。ロッカーの扉を開けると、中にいる人間が「いやん」というだけのルールもない単純な遊び。ゲームというよりからかいの要素が強かった。

 面白がっている数名の男子を遠巻きに女子が睨んでいた。もうひとりの学級委員である榎本隆志も一応注意しようか悩んでいるようだった。しかし、遊んでいる中にクラスでもガキ大将的な存在がいたからだろうか、誰も止めようとする気配はなかった。

 その先を知らない当時の僕にとって、異性の裸はある意味で終着点であり、特別な存在だった。そんな心のどこかで欲していた、独占したいと思っていた大切なモノを自分以外の男子全員が手にしてしまった。そして僕だけが、唯一得ることができなかったのだ。

 こんな奴らが。僕は腸が煮えくり返りそうになり、奥歯を噛みしめた。変声期を迎えたガラガラと聞こえる笑いがとても不愉快だった。彼らの悪ふざけを許す教室の空気も嫌だった。そして何よりも鈴原が侮辱されていることが堪えられなかった。悔しくてたまらなかった。

 気が付くと、僕はクラスで一番背が高く腕力もある西村のアゴを殴り、そしてすかさず彼の首を両手で掴んでいた。

「テメェ!」西村が吠えた。

 ロッカーの扉に押し付けられ、急のことで驚いていたガキ大将もすぐに態勢を整えて僕を引き剥がそうとしてきた。しかし、僕は親指を立てて首筋にめり込ませた。それから彼が何かをしようとすると絞めて、動きを封じた。

 喧嘩をしているとは思えないほど音のない時間が過ぎていった。教室中が静まり返っていた。聞こえるのは興奮した僕の息づかいだけだった。

 まだ殴られてもいないのに、僕の目は涙で一杯になっていた。それに気付いたのか激昂していた西村の表情にも困惑の色が見え始めていた。

 喧嘩を止めさせたのは新しい担任だった。後藤田先生は力で引き剥がすと、有無をも言わさず僕らの頭に一発ずつゲンコツを落とした。そして学級委員の榎本も呼びつけ、職員室へと連行した。

 僕自身は何も言わなかったが、喧嘩が起きた前後の事情は学級委員の口から伝えられた。西村は急に殴られたという主張だけを繰り返していた。結局、いくらか注意された後、攻撃を仕掛けたはずのこちらが先に職員室を後にした。

 教室に戻り自分の席につくとき、帰っていた鮎川と視線が合った。他の誰かから話を聞いたのだろうか。驚いたような、それでいて心配そうな顔をしていた。僕はなんだか気まずくて普段は絶対に読まない国語の教科書を開いた。


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