女神の万能薬
石化を解除する魔法を探す話です。
楽しんでいただければ幸いです。
魔法使いギルドの書籍閲覧室に通い始めて三日が経過した。
昨日からはアーク教のお偉方から解放されたシルキーが同行して一緒に本を探してくれているので、幾分楽になったかと思ってたんだけど……。
「捜索範囲が広すぎる、というか、解放系の呪文の効果を説明している本や、効果の範囲などを説明している本は多いが、肝心の詠唱呪文や習得用魔法陣などが書かれている本が一冊もないって……」
部分的に解放系の魔法が書かれている本は多い。
比較的最近に書かれたと思われる魔王軍の手で結晶に閉じ込められた人を助けようと研究した本もあり、解放系の魔法を研究している人は意外に多い事がうかがえる。
その割には肝心の習得用の魔法陣などについて書かれている本はほとんどなく、今まで読んだ結構な数の本の内容で俺はある仮説にまでたどり着こうとしていた。
「もしかして、解放系魔法のほとんどが個人が開発した限定的な魔法なのか? でなければ、書かれている魔法の効果や範囲なんかの違いが説明できない」
そもそも、人が石などに変えられるという異常事態であるにもかかわらず、その原因というものが非常に多彩で、魔物により石に変えられたパターンだけでも数十種類あり、それに加えて呪い、病気、薬、毒など石などに変えられる原因も無数に存在する。
そのすべてに対応するには使用者の魔力などが不足するらしく、限定的な状況で石などに変えられた人を元に戻す呪文が無数に存在しているようで、そのために様々な解放系の魔法をひとつと勘違いして書かれていたり、間違った証明の仕方をされた本が無数に存在していた。
しかも、古代系魔法や治癒系魔法など、ここに並んでいる本のジャンルの殆どに解放系魔法の本が混在しており、どこに正解があるのかすらわからないありさまだ。
受付のヴィオレットに確認したところ、数か月待って用意される魔石も解放系魔法の何が来るかは保証が出来ないといっていたし、もしかしたら万能な解放系魔法は存在しないのかもしれない。
「うわっ……。この本も凄い……」
本棚の陰に隠れて読書を続けているシルキーは、熱心に漫画版究極の治癒魔法を二十九巻まで読み進めているようだ。俺の手伝いはどこに行ったのやら……。
よく聞いたところ、あの漫画はエロも多めらしいが王道のラブコメ型勧善懲悪物で、魔法の才能がある者が思わず治癒魔法を覚えたくなるような内容で書かれているそうだ。
ラッキースケベは着替えている男の部屋にヒロインが飛び込んだり、温泉の板製の仕切りをヒロインがついうっかり壊したりする内容だそうで、ベッドシーンは各巻に一度ある位らしい。
らしいというのは、昨日の夕食時にシルキーにあの漫画について熱弁されたからだが、なぜかソフィアなど他のウエイトレスも加わって【カップリング】とやらで大いに盛り上がっていた。
魔法を扱ったエロ漫画とはいえ、エロいだけならあんなにバージョン違いがここに並んでないか……。
「解放系……。ん? 世界の成り立ちと歴代魔王についての考察?」
古代系の魔法の本などを扱っている棚に、非常に気になるタイトルの本が並んでいた。
歴代魔王? 魔王って今の魔王が最初じゃないのか?
「世界の成り立ちと歴代魔王?」
ずいぶん大雑把な言い方になるが、この世界は漢字の【呆】の様な形に陸地があり、北の荒れ地が上の口の部分で、かつてはここが北極大陸と呼ばれていたらしい。
北の荒れ地というか北極大陸はかなり広大で、北半球の三分の一辺りまでが北極大陸で占めている。
しかし、その名の通りそのほとんどが永久凍土や動植物の殆どいない荒れ地で、高濃度の魔素で満たされた【魔界】という状態に陥っていた。
北の荒れ地には魔物と魔族以外はほとんど生息せず、肥沃な南方を目指して幾度も侵攻が繰り返されては撃退されてきたそうだ。
魔族と人類や亜人種連合との戦い……というか一方的な魔族の侵攻は小競り合いも含めれば三千年以上続いており、千年ほど前には北半球の半分近くを魔族に奪い取られている。
その時は魔素の薄い人間や亜人種の領土に魔族が対応しきれず、弱体化した所に猛反撃を食らって北の荒れ地まで攻め込まれていた。
その後、魔物を封じ込める為に各国が力を集結して北の荒れ地を隔離する為の大規模な砦や城壁などが建築され、その砦はアース・グレイヴ皇国が管理し続けたと書かれている。
「それで今回の侵攻ではあの緑色の結晶に人を閉じ込めて、魔素を充満させる為に魔界化させてた訳か……。それ、本末転倒じゃないか?」
南半球には縦線や斜めの線を大きく太らせたくらいの陸地しかなく、あとは無数の小島などが点在しているとも書かれていた。
本に載っているいかにも手書き感があふれる世界地図にも、南半球の半分以上が海とされているみたいだな。
今回の侵攻でそのぶっとい中央の縦線であるアース・グレイヴ皇国以外の陸地は魔族に攻め滅ぼされ、点在する島に逃げ込んだり、まだ魔界化されていない地区で防衛戦を繰り広げているそうだ。
「って、やけに最近の事まで書かれていると思ったら、去年発行されたばかりの新書だ、これ」
最初にこの本を渡してくれてればかなり楽だったのにな。
◇◇◇
歴代魔王についての情報と考察?
魔王の寿命は大体五百年ほどで、現魔王は九代目と考えられる……。
「魔王は魔王の血族が襲名って、こいつらも世襲制なのか?」
という事は現魔王を倒しても次の魔王候補が次代の魔王を襲名する可能性があり、魔王討伐そのものが根本的な解決になってない?
見習女神のシルキーは神様からこの世界を救えと言われているらしいが、それは本当に【魔王を討伐してこの世界を平和にしろ】って事なのか?
シルキー自身はそう断言していたが、その考えそのものが間違い、いや勘違いという可能性も捨てがたい。
シルキーが話した印象からだが、神様とやらはミスリードする物言いを好む。そんな存在が命じたにしては、魔王を倒して、はい、おしまいではあまりにも簡単すぎる気はするし、そんな事で世界を本当の意味で救った事にできるかは疑問だ。
大体その条件ならば、千年前に魔王軍が世界を侵攻してきた時に、俺のような存在が別の誰かに呼び出されていてもおかしくはない。
「魔王襲名後に領土拡大欲に駆られて人類の領土に侵攻し始めるが、この五百年程はアース・グレイブ皇国が管理する大規模な砦に行く手を阻まれ、侵攻した回数だけ魔族の屍を積み上げてきた……」
なるほど、それで正面からの突破は諦めてどこかからか小規模な部隊を脱出させて、各地へ潜伏させていたんだな。
そして魔族を潜入させたその国を魔王軍の息の掛かった人間の手で内部から腐敗させ、緑色の結晶を生み出して魔界化を進行させて、多くの国を滅亡させてゆく……。
まあ、よく使われる手だが、力押しでやるよりは効率がいいだろう。
「アース・グレイブ皇国はエルフや半獣人の勢力が大きく、潜入に何度も失敗した為に魔王軍は内部工作を諦めて武力による侵攻で魔界化を進めている。この本が世に出た後、魔王軍の撃退に成功していることを心から望む……、か」
それであの宝石型の魔物が生み出されたのか?
魔王軍の侵攻速度から考えて、あの宝石型魔族の数は少なく、あの高威力の極大熱線魔法は短期間で連発できないんだろうな。
でなけりゃ、あいつを大量に生み出して、あの魔法を連発するだけで勝負は決まっていたはずだ。
「解放系の魔法を覚える事に集中していたが、ここは確かに知識の宝庫だな。無駄知識も多いが……」
【魔法でひと手間、美味しい料理の作り方】や、【家庭用コンロの強化法、発火で瞬間火力!!】など、それは本当に役に立つのか? という内容の本も多い。
何が役に立つかは人それぞれだろうが、この本が炎系魔法関連の棚にあるのは間違いじゃないのか?
「時間が許すならここの蔵書を可能な限り読み漁りたいが、できるだけ早く魔王も倒したい。しかし魔王討伐が正解じゃない可能性もあり、しかも魔王領のある北の荒れ地は広大で、魔王城に至っては北極圏に近いとか……」
今の俺なら氣で寒さなんか関係ないが、シルキーやミルフィーネはそうはいかないだろう。
討伐した後に帰る手段も含めて、真剣に検討する必要があるな。
◇◇◇
「お待たせ師狼、どうしたの難しい顔をして」
「ああシルキーか。いや色々な問題が出てきたので頭の中で整理してたところだ。で、もうあの漫画はいいのか?」
究極の治癒魔法だったか?
大人気エロ漫画? というかエロシーン多めの割と一般的な漫画という表現が一番正しいのかな? 本番ありだけど。
「ふふっ、あの漫画は最高でした。ちょっとHな展開もありますけど、本当に感動するいい内容だったよ。そして、探してる魔法の手がかりでもありました」
「探している魔法?」
「オリジナル魔法のひとつに、どんな状態異常でも完璧に治す女神の万能薬という魔法が存在するんだって」
「そいつは凄い。オリジナルなら期待できる」
オリジナルの魔法はどれも超が付くほど強力だ。
先日完全治癒を試した時は、注ぎ込む魔力次第では、リトリーニ全域を効果範囲に入れる事が可能ってことまでわかっている。
そのオリジナルの状態変化治癒魔法であるならば、本当にどんな状態変化でも解呪可能なんだろう。当然、真魔獣にお菓子などに変えられた人も助けられるだろうな。
「究極の治癒魔法最終巻の参考文献一覧に【【絶望からの脱却】古代魔法研究学者ルーベンス・メンディエタ著】と書かれてたから、その本を探せばいいよね」
「そんなところにヒントが隠されていたのか……。俺は狭量だったみたいだ」
意外な場所に答えがあったか。
漫画の描写で女神の万能薬を使う展開でもあったんだろうな。
「これだけ詳しい情報だったら、すぐに見つかると思うよ」
「古代魔法の棚かな? 探してみる」
【絶望からの脱却】で古代魔法研究学者ルーベンス・メンディエタ著か……。
絶望、絶望……、あった、これだな。
「ありとあらゆる状態異常を完治させる究極の治癒魔法のひとつ女神の万能薬。死後二十四時間以内であれば死者すら蘇らせる完全治癒と対をなすこの魔法は、莫大な魔力を必要とする為に、完全治癒と同様に教会で奇跡の力を代用しない限り発動が不可能と考えられる……」
やはり問題点は魔力か。
完全治癒が使える俺ならば問題はないだろう。
「万物の精霊、慈愛の心、望まぬ姿、悍ましき呪い、絶望の檻に囚われし子羊に、女神の祝福を……」
呪文を唱えると、脳裏に完全治癒に酷似した会得用兼発動用魔法陣が浮かんできた。
この程度なら、中心部から強引に魔力を注げば……。よし、拡張範囲も含めて魔力の重点が完了して待機状態にできたな。
「どうやら本物の様だ。女神の万能薬の習得が完了した」
「え? 女神の万能薬ってオリジナルだよ? そんなにあっさりって……」
「完全治癒の時も似たような感じだ。手間が省けていいだろ?」
「そ……そりゃそうだけど」
呆れてるみたいだけど、覚えられるんだから仕方ないだろ?
「え? 女神の万能薬が使えるんですか?」
近くで会話を聞いていたのか、右手を包帯でぐるぐる巻きにした驚いた顔をして少女が近づいてきた。
骨折……にしては腕の位置がおかしいし、筋肉の動きも不自然すぎるな。
「その手、もしかして石化してるのか?」
「ど……どうしてそれを?」
「腕を動かした時の腕の筋肉の動きとかかな。もう少し厚着なら分かりにくいだろうけど」
夏服だと割と目立つしな。
それに石化した筋肉は動かないから、皮膚や他の筋肉が引っ張られて痛いんだろう、顔を顰めたりしてたし。
「この腕もそうなんですけど……。内緒で一つお願いがあるんですが」
「内容次第だな。変な依頼を受けると、冒険者ギルドにも迷惑がかかる」
「依頼……、そうですよね。あの……」
冒険者ギルドへの依頼料が払えないとか、そんな感じか?
まあ石化を治したいなら、教会に行けば済む話だしな。
「話をする分にはタダだ。ダメ元で話すのも一つの手だぞ?」
「ありがとうございます!! 私は魔法使いギルドのアカデミー部門に所属するレオノーラといいます。あの実は……、私の同期の魔法使いにベルネって子がいるんですが、先日、ギルドの廃棄倉庫を探検……、整理中に箱の中に収められていた石化の香水をうっかり手から落として……」
「割っちゃったって訳ね。で、その時あなたもその香水を少し浴びて、その手が石に変わっちゃったと?」
「その通りです。私は右手だけで済んだのですが、ベルネはその場で完全に石に変わってしまいまして……」
「運び出すのは大変だろうけど、アーク教の教会に行けば金貨二十枚で二人とも元に戻れるわよ?」
まあ、アーク教の巫女のシルキーはそう言うしかないよな。
立場上、ここで俺に頼む訳はない。
「そのお金が無いのもあるんですが、彼女はその……田舎暮らしでして、もしこの事が発覚して退学になっても、戻る村がもう無いといいますか……。この間無くなっちゃって」
「クルーエル・トライスに襲われた村か?」
「はい。あの廃棄倉庫はもう何十年も放置されているそうで、先輩たちもたまにいろいろ持ち出してるって話を聞いて、何とか石化を解除できる薬が手に入らないかと……」
それで石化の香水を石化を治す薬だと間違えて、逆に石化する薬を手にした訳か。
そしてそれを落として石に変わったと。
「師狼みたいに女神の万能薬を覚えるとかは? さっきの本には会得用兼発動用の魔法陣も載ってたんだよね?」
「その本はもう読みました。それに何度も……、魔力が無くなるまで、毎日詠唱を続けたんです。でも、私じゃその魔法は会得できなかった。それで、もっと簡単な解放系の魔法を探してたんですが、この手ですから……」
右手が効き手なのか?
そのベルネって子を助けようとして、手を伸ばした結果なんだろうな。
「その、廃棄倉庫ってのはどこだ?」
「え? 師狼……」
「女神の万能薬で本当に石化が解除できるのか、試しておく必要はあるだろ? まさか誰かを石に変えて元に戻す訳にはいかないしな」
「あ……ありがとございます!! 廃棄倉庫はこの建物の裏にある地下室の中です」
シルキーもあれ以上は何も言わないでくれた。
見殺しにできるほど割り切れる性格じゃないしな。
「それじゃあ、そこに向かうとするか」
廃棄倉庫か。
いろいろ物騒な物も眠ってそうだな……。
読んでいただきましてありがとうございます。