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08 追い縋る

 学校からまっすぐ吹雪の家へ行って、立川家の夕食の前に、誘いを断って辞し、自宅に帰って猫に餌をやり、百合子のつくった残り物を片付ける…。そういう運びに冴は決め、藤原と2人で会うのを心掛けて避けるようにした。

 …どうせ、我慢できないのだ、藤原も、自分も。それなら…2人っきりで会わなければ良い。

 藤原は学校ではとてもつらそうに冴を盗み見て…目が合うと、目を逸らした。…冴は悲しく…それでも、仕方ないのだと、自分に言い聞かせた。

 須藤から連絡があって、お母さんが快く了承してくれたことを告げ、土曜日の都合をたずねた。冴は、土曜は吹雪のモデルを夕方からにし、昼前は須藤のうちでケーキを習うことにした。

 学校の課題は、モデルをしながら適当に(実は吹雪の分まで)片付けていたので、家では暇だった。精々掃除に励み(猫に邪魔されながら)、百合子の残り物も豪快に捨て、徐々に冷蔵庫からなくなりつつあった。

 一度、先に自分でケーキづくりの予習をしようと思い、ミックス原料と型を買い求め、電動の泡立て機やオーブンを動かしてみた。…とりあえず腹は壊さなかったが、ミックスは甘味がけばく、スポンジは膨らむと割れて、かつ、少し焦げた。それでも、一般的な作業の流れと、なんとなくの雰囲気はわかった。

 モデル業はおもったより緩い仕事で、…勿論、吹雪だからだとは思うが…吹雪はしばらく黙って冴にやりたい放題させ、冴がいい加減眠くなってくると、冴にクッションを抱かせて、わざと眠らせた。冴が仮眠する15分から30分の間に、吹雪は怒涛の勢いでスケッチをし、冴がむにゃむにゃ起きてからは、顔を中心に5分ほど描くだけだった。

 …かいているところを見られると、集中できないのだという。冴は以前、学校で凄まじい集中力で絵を仕上げる吹雪を見たことがある。あれならさもありなんと思った。冴がかえってから一人で描くよ、と吹雪は言った。

 2日目に行くと、確かに前日の断片的なイメージを繋ぎ合わせたスケッチが出来上がっていた。吹雪はまた冴を眠らせて、続きを描いた。別に寝顔を描いているというわけではない。造作は毎日見ていてわかっているので、冴の出す空気みたいなものが味わいたいのだ、と言う。

 冴には、その意味がよくわかった。冴の特殊な霊眼は、幽霊こそ見えないが、そういう、人間の出す特種な光…吹雪がいうところの空気、に近いもの…が、明確に見えるし、実は、少し匂いとしても感じる。吹雪と冴は、微妙な知覚世界の一部に、共有している感覚が、少しだけあるのだった。

 吹雪の部屋は吹雪の光に染まっていて、とても奇妙な居心地だった。それはけっして悪くない居心地で、冴にとっては斬新で、珍しい色の空間だった。ベッドの上に生成のやわらかいブロードの生地が敷かれ、その上にぽいと制服のまま投げ出されている冴は、勝手にノートをひらき、テキストを見たりしていたが、そうしていると、布地の上に冴の色が広がって行き、吹雪の部屋の色と混ざりあう。それは空に展開するめくるめくオーロラにも似た美しい光景で、…他人とかかわり合うということは、つまりこうして混ざりあうことなんだろうな、と冴に思わせる。

 3日目、吹雪は冴より先に自分が眠くなっているようだった。何度も欠伸を噛み殺し、黙って眠そうに冴をみていた。昨日、多分勢いがついて、夜遅くまで描いていたのだろう。

「…眠いんだろ、吹雪。」

 笑って聞くと、吹雪はうん、といい、

「あー…今日はもういいや。」

と言うと、椅子を立って冴のところへやって来た。修学旅行のときのように、冴にこてっと抱き着くと、気持ち良さそうに顔を胸に押し付けて来た。…自宅の猫をだいているのと同じ、ほわんとした気分になって、冴は吹雪を撫でた。

「…冴、いいにおーい、これ、ケーキの材料のにおいだろ。予習?」

「ああ。あまりになにもしらないと、須藤のかーさんに、迷惑かけるかもしれないから。」

「早くたべたいなー…。…明日、私服で来るよね。」

「そうだな。昼前は須藤のところでケーキだ。…どんな服がいい?」

「んー…なんでもいいけど、そだなー、シャツよりは…セーターとか、…がいいかな。薄くて…なんか、鎖骨が浮くくらいのやつがあればいいけど…。シャツ着てきてもいいけど、脱がすよ。」

「…色は?」

「何色でもいいけど…黒かムラサキある?」

「ああ。どっちもある。」

「じゃあ…黒かな。下はなんでもいい。」

「…わかった。」

「…」

 吹雪はそこまで言うと、そのまますうすう眠りこんだ。…ほんっとーに、毛づくろいしないだけでうちの猫と同じだな、と思った。

 冴もそのうち眠くなってきて、一緒に眠りこんだ。…人間を抱いて眠るのが心地よく、とろけるような心地がした。


+++

 家に帰ると、ユウから電話がかかって来た。

「…今日で講義最後だったの。あんた、どうしてる?大丈夫?」

「なにが。別に死にやせん。」

「もう藤原くん、来てない?」

「俺にはわからん。」

「わかるでしょ。…来てるとあんたの場合、ニオイで感じるはずよ?」

 …なるほど、と冴は思った。

「いや、あまり意識していなかった。」

「そう…まあ、別に害がないならいいけど…。ちゃんと説明した?」

「ああ。」

「その後、どう。」

「…なるべく2人で会わないようにしてる。吹雪がちょうど、俺の絵を描くと言うから、モデルに通ってる。」

「…そう。まあ、会わないのは一つの手かもしれないわ。」

「…おまえ、帰省22日だったよな?」

「そうよ。」

「何時だ?」

「午後ね。慎二さんのお迎え、多分夕方になると思うから。」

「…暇があったら見送りにいこう。」

「…そうね。ちょっと心配だから、帰るまえに一度会っておくわ。」

「…すまん。」

「まあいいわ。同郷のよしみよ。当日でも電話して頂戴。」

「わかった。」

 ユウは笑っているようだった。

「…クリスマスには久鹿もかえってくるんでしょ。元気だして、ぱりっと暮しなさいよ?」

「…わかってる。…今ケーキの練習をしてるんだ。明日、友達のお母さんにならいにいく。」

「練習って、作るってこと?あらまあ! がんばるわね。今度御馳走して頂戴。べつに多少くずれていても、わたしは気にしないわよ。前から一度、大きいやつを一人でぜーんぶたべてみたかったの。」

「…そうだな。世話になっているから、いつかそのうち。」

「楽しみにしてるわ。…じゃあ、藤原くんのこと、注意してて。なにかとんでもないことがあったらすぐ教えて。」

「わかった。」

 電話を切って、冴は考え込んだ。

 …においか、と思った。吹雪の部屋は、絵の具やオイルの臭いで、細かい別の臭いがよくわからないのだ。しかも、ここ数日、冴は家ではお菓子の材料をいじりっぱなしで、冴自身がバニラやハチミツの香りになっていた。


+++

「あら、しげのり。いいにおい。どうしたの。女の子にプレゼントでももらったの?」

 藤原は、自宅で母に突然そう言われて驚いた。

「えっ…俺、なんかにおう?」

 自分でくんくん袖の臭いをかいだ。…自分ではまったくわからない。

「うん、すごくいいにおいよ。お菓子でももらったの?」

「菓子?! …いや、ぜんぜん。」

「あらまあ。…でもバターやハチミツや…なんだろう、バニラかしら。」

 赤ん坊が「あきゃー」と泣き出したので、母との会話はそこまでで終わった。

 藤原はため息をつき、自室に籠った。

 壁の一部をひっぱりだして鞄とコートをしまい、制服を着替えてつるし、壁をもとに戻した。

 習慣的にFMをつけると、賛美歌が主題のジャズが流れだした。クリスマス特集なのだろう。

 金曜日の町を見下ろす。

 …先週の週末は、月島がここにいた。

 …2人で抱き合ったソファを見るともなく見て…一人で座った。

 学校でも放課後も、あきらかに、月島に避けられていた。

 …悲しい。

 勿論月島の事情はよく分かっている…

 でも、と藤原は思う。

 …別に、今いないんだろ、あの人、…と。

 月島を一人、だだっ広い屋敷に残して、ひたすら掃除させてんだろ…。

 どんな事情があるのかしらないが、酷い人じゃないか。

 月島は毎日、このクリスマス色に染まった町を一人で30分も歩いて家に帰って…孤独を紛らすために飼い始めた猫が餌を食べるのを、黙ってずっとみているに違いない…一人で。

 その孤独な時間を、俺が貰って…2人で温かく過ごして何がいけないんだろう…、そう思ってしまう。

 月島が俺を嫌っているというなら仕方がないが、月島だって俺のこと嫌いじゃないのに、と。拒めないって…。好きだって…そう言った…月島…。

 早い夕暮れが訪れて、静かに暗くなってゆく空に合わせ、街はきらきらと街灯を灯しはじめた。

 この時刻が一番すきだ。空も街も、美しくて…賑やかな一日が暮れ行くせつなさと美しい夜がやってくる喜びが交叉する。

 藤原はソファで横になり、少しウトウトした。

 夢を見た。

 藤原は、月島の夢をよく見る。

 そういえば、立川も、たまに月島の夢を見るといっていた。多分、あの顔は目に焼きつきやすい顔なのだろう。

 夢の中ではすっかり夜だった。月島は猫をヒモをふってじゃらしていた。…楽しそうだ。猫は夢中になって、月島が揺らすヒモにつめをたてている。…あの鯖白の小さな猫だ。

 猫、藤原は本当は、そんなに嫌いじゃない。ただ、最近、月島が立川をよく猫に喩えるので、なんとなく反感を持つようになってしまった。

 …猫が不意に動きをとめて、こっちを見た。

 じーっと見ている。

 陽ちゃん、どした? と月島がつま先で猫をくすぐった。

 猫は月島に、にゃーんと鳴いて、またこっちを見た。

 …目が合った。

 藤原は急にどきっとした。

 …なにかが、おかしい。

 月島が猫の視線を追いかけて、こっちを見た。

「…あ、藤原?」

 月島に言われると同時に、藤原は肩を誰かにつよく引っぱられて、がばっと飛び起きた。

 …なんだ、今の…。

 心臓がばくばくいっている。

 …部屋は夕闇に沈んでいた。


+++

 冴はその日もケーキの練習をして、もののついでにジンジャークッキーというものを作ってみた。

 材料を買った店に「ジンジャーマン」と書かれたクッキー型があって「…生姜人?」と呟いていたら、お店の人がにっこりして、レシピをくれたのだった。

 …丁寧に穴をあけて、ヒモをとおせるようにしてみた。大変よいできで、どこからみても、写真の通りだった。

 そうしたら、むらむらとクリスマスツリーがほしくなった。多分家中さがせばどこかに1本くらいあるのだろうけれども、どこを探したものか見当がつかない。これは買ったほうが早いと思い、ネットでさっさと注文してしまった。…最近、大金を預けられているせいか、それとも家具屋などいったせいか、100も10000も同じになっている気がした。

 スポンジケーキばかり作っても、どうせ須藤の家で習いなおすのだし、と思って、パウンドケーキをつくってみた。簡単そうにみえたし、材料も単純だからだ。

 オーブンに入れて、「意外と長く焼くんだな-」などと思いながら猫とあそんでいて…。

 …冴は膝の上でねむりこんだ猫を撫でながら、さっき猫が見つめていた場所…ドアのずっと上、天井近かった…を、また見つめた。

 冴が藤原だと気付いたのは、藤原の色が見えたからだ。顔やら姿が見えたわけではない。

 …焼き上がりは、上出来だった。パウンドケーキは日持ちするはずだ(もらったレシピにそう書いてあった)。保存することにした。週明け学校に持っていくか…明日吹雪に…。

 冴はもの悲しくなった。

 藤原がこんなことになっているのは、間違いなく自分の責任だ。…好きだけど、なんて言わず、お前なんか嫌いだといえば良かった…。そうしたら、藤原はこんなふうには…。

 そう考えかけて、それは違うと気付いた。ユウが言っていたではないか、藤原は…糸をかけてきたときから、たいして変わっていないのだと。

 冴は認めたくなかったが…あの明るく元気で前向きな藤原の、これが、影の一面なのだった。気に入った相手を…捕えて、抱き締めて、深く繋がりあって…独占したい、所有したい、支配したい…そんな、人並みはずれた強い欲望。

 ユウに電話をかけようか、迷った。

 迷った末、ため息をついて、やめた。

 …藤原にけじめをつけさせるには、まず冴がけじめをつけなければいけない…そう感じたからだった。

 陽さんがいたらこんなこと、迷うほどのことではないのに…。

 別れられないのは藤原だけのせいじゃない、むしろ俺のせいなんだと…。

 …そう思った。


+++

 冴が学校にいっている時刻に業者がきていて、床をやってくれたらしい。同じ時刻に、机も運ばれて来たようだ。人工木目の美しい濃茶色の机で、冴が欲しかったチップビューアーもつけてある。百合子が来て受け取りや現場指示等、いろいろやってくれたらしい。伝言がのこっていた。『机はこれでいいかしら。P.S.ジンジャークッキーおいしかったわ、かわいいから2つもらってゆきます』。

 …冴は、寝る前に、家具屋から届いたラグの包みを破ってラグを広げ、その上に机を移動した。

 ぴったり決まった。

 きれいなタオルで、天板を拭いてから、椅子を引いて、座った。

 机に頬をつけて伏せてみた。

 …真新しい家具のにおいがした。

 猫を載せてみた。

 猫は「ちべたくていや」という顔で、冴の手に登り、そのまま肩までよじ登った。

 冴は笑って猫を肩に載せたまま、デスクのライトを消して、布団を敷いた。

 ヒーターを切って、かさかさと人工羽毛の布団を整えて入り、部屋の電気を消した。猫は勝手に飛び下りて、消したばかりのヒーターの前でうずくまった。

 冴は猫はそのままにして、枕を抱いて眠った。

 うとうとしていたら、顔に何かさわった気がした。

 ヒーターが冷えて猫が来たかと思い、布団を持ち上げてやった。

 …唇を舐められた。

 …あれっ、と思った。

 …なんだか違う。

 しかし面倒だったので、そのまま寝ようとした。

 体が、なんだかもやもやし始めた。

 …何で?と思った。

 目を開いた。

 常夜灯だけの暗い部屋には、勿論誰もいない。

 変な音がしたので首をひねって見ると、猫がヒーターの前で、いびきをかいてねていた。

 冴は、妙な気がしたが、また目を閉じた。

 体を触られているような気がした。…どんどん温まってきて、愛撫に踊らされる。

 気のせいではない。

 冴はいささか当惑した。

 しかし、半分寝ぼけていたし、だれかいるわけでもないし、別に困ることもないと思った。陽介もいないし、夜は退屈なくらいだ。ちょっと一人で気持ちよくなったからどうだというのだろう?

 …枕を手放した。胸に、抱き合うかのような、ふわふわとした温かい気配が押し寄せる。

 なんとなく、ハノイで藤原に奪われた夜を思い出した。その途端、あ、と思った。

 …藤原の匂いがするのだった。

 やがて、潮が引くように、急速に気配がきえた。

 冴はしばらくたってから、ため息をついた。…さすがに、これはまずい、と思った。

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