07 逃げ出す
翌日、レポートの提出も済み、小論文をぶっ続けに3本かかされて、ようやっと期末テストが終わった。
「…なんかさあ、休みが挟まってるのって、慈悲というか、無慈悲というか。微妙だよなー。」
「ほんと。」
根津は杉田と2人、ドミの食堂で、ハムと卵のサンドウィッチと野菜スープ、というきわめて地味な昼食を食べていた。
「まあ、でもやっとおわったね。これでやっと稽古に入れる。」
…のんびりできるというのかと思ったら、芝居をやるらしい。御苦労なことだった。
「…次の公演はいつ?」
「ああ、クリスマス公演があるよ。『真夜中時』っていう、シュタイナ-の神智学をベースにしたヤバいかんじの劇。」
S-23は演劇が非常にさかんで、大学部の公式サークルなどは、いっぱし収入があるときいている。高等部のレベルも尋常でない高さで、大学部の大講堂を借りて行なう定期公演には、外部から多くの愛好家が集まる。…幼稚園からオイリュトミーで鍛えた表現力が炸裂するというわけだ。
「脚本は?」
「3年のオグマさん。…あの人ほんとちょっとヤバ目。…最近シュタイナ-にどっぷりでさ、作風かわったよ。俺は2-Hの沢尻の本のほうが好きなんだけどね。単純だし楽しい。まあ、どうでもいいや。どうせ俺はまた袖でQ出しだよ。…来なくて良いよ…って、そうか、根津はもう、実家?」
「いや、俺26日に帰るよ。親たちがさ、忙しくて。クリスマス、後押しでタノムっていわれてる。…別に、クリスマスが恋しい歳でもねーから、暇な友達と遊ぶからきにすんなっつっといた。」
「おー、親孝行だね。」
「だろ。ユーリは?」
「俺は27日ぎりぎりまでいるよ。稽古があるから。4日にはかえってくるし。」
「クリスマス公演は24日?」
「うん。…マチネーだから、明るいうちに終わるよ。」
マチネーというのは、要するに昼にやる公演のことだ。
「暇だったらいくよ。シュタイナ-興味あるし。」
「…そう?もし来るなら、終わったら舞台にこいよ。多分俺照明片付けんの手伝ってるけど、少し話できる。一般会場じゃなくて、ダイガクの講堂だから、片付け、あまり焦らなくていいんだ。」
「でも邪魔になるだろ。」
「…終わったあと、今年もエリアのどっかの教会のミサに潜り込むつもりなんだ。袖でまっててくれよ。一緒にいこ?」
「演劇部に紛れて?…それはなんか、お邪魔になりそうだから、遠慮するよ。」
「ゲキ部じゃないよ。…俺の趣味。うちあげは後日だよ。クリスマスだもん。」
「…そう?じゃ、行こうかな。…ユーリ、教会好きなの?」
根津は、立川が連れて行ってくれたカフェを思い出し、たずねた。もし、好きなら、連れて行きたいと思った。
「…好きと言うか…俺んちは代々アーメン。」
「えっ、そうなの?!」
「それもローマカトリックや東方教会じゃなく、かぎりなく怪しいプロテスタントの小さな流派。」
「…そうだったのか…。」
「…教会はすきだよ。気持ちが静かになる。」
「綺麗な内装で良い絵が飾ってあるカフェがあるんだ。今度つれてくよ。教会っぽいんだ。」
「ほんと?そりゃ楽しみ。…稽古おわってからでいい?夜間外出になっちゃうけど…。」
「勿論。ユーリのひまなときのほうがいいから。…夜なら、ちょっと飲めるらしいよ?」
「酒はのまない。活動停止くらったら、ゲキ部にめいわくかけるから。俺が抜けたら、舞監1年ばかりになっちゃう。まだあの子たちだけじゃ無理だよ。面倒な雑用が多いから…。」
杉田が部活に燃えているのをみるのは、嬉しいことだった。なんだか「充実した高校生活」の手本のようだった。かっこいい。
寮生は、高校入試組が多い。S-23は、幼稚園、高校、大学が一般募集を行なっている。中学部までは寮がないので、遠方からの生徒は、高校・大学の入試で入ってくる場合が多かった。杉田もその一人、高校入試組だ。従って幼少時代にオイリュトミーをやっていない。表現力に突出したS-23の生徒たちの特殊な才能は…そう、あの久鹿の弁舌なんかもそうだが、いずれもオイリュトミーの影響だと言われている。そうした現場で、S-23の生え抜きを相手に、人数の多い役者志願者を勝ち抜いて舞台に上がるためには、多分、よほどの…生まれついての才能、みたいなもの…神の恩寵、みたいなもの…が、なければ無理だ。
それでも舞台をつくりたい、上演したい、それに少しでも携わっていたい、という杉田の情熱は、ひたむきだった。
…人間が相手でなければ、これほど情熱的に愛せるのに。
「…根津は?最近は?次の会誌はつくらないの?」
「ああ、うん、書いてはいるよ。」
「年明けにでも発行したら。俺、買うよ。」
「ありがと。がんばるよ。」
…ちょっと笑顔がひきつった。
杉田は根津の顔を見て、ちょっと苦笑した。
「…じゃ、俺、稽古いくね。」
「うん、がんばって、ユーリ。」
根津は杉田をはげまして、見送った。
…べつに、オイリュトミーやったとも思えないコミュニケーション力の藤原なんかに、あんな稚拙な相談の仕方しなくても、気が済むまで俺にいってくれりゃいいのにね、と思った。みずくさいよ、ユーリ、俺は中学編入で、文の大量書きは得意じゃないけど、舌の長さで久鹿さんにまけるつもりはないのに、と。
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「…入ってよ、汚いけど。」
「おじゃまします。」
ちょっと鞄おくからさ、と連れて行かれた吹雪の自宅は、借地だという話ではあったが立派に一軒家だった。狭い敷地に背高に建てられていた。
庭と呼ぶのは少しはばかりがあるような小さな敷地内の空き地には、ところせましと2段3段にプランターが組まれていて、例外なく野菜が茂っていた。それは境界線なく壁につながり、ムダな外壁は一切ないといっても過言ではなかった。3階屋の屋上にはこんもりと庭園がある。冴はしらなかったが、ある有名な環境建築家の基本プランと同じように作られたパクリもので…
「…おじさんが大工なの。すげえ腕だろ。家、廃材利用なんだけど、中、どこも一カ所もくるってねーの。…目下俺が一番尊敬してるひとかな。」
…手作りだった。見た目ほど古くもないらしい。
「吹雪、おかえり。」
「ただいまーっ。じーちゃん、俺の友達の冴だよ。どーだ、うつくしーべ?」
「おーおー、ともだちかい、こんにちは。これはまた綺麗なともだちだねえ。ゆっくりしていきんさい。」
…やさしい口調からは想像もつかないほどの、眼光鋭いガタイのでかいじいさんだった。まっしろなひげをぶわっと生やしていて…アルプスの少女にでてくる、ハイジのおじいさんが思い出された。いますぐにでも生ひげでサンタクロースになれる。
「…冴、じーちゃんだよ。」
「はじめまして。おじゃまします。」
冴はぺこりと頭をさげた。
「じーちゃん、ばーちゃんは?」
「ばーさんは買い物にいっとる。」
「…今日、冴が御飯つくってくれるって。」
「…なんで。」
「…冴は今日うちで一人なんだ。だから一緒にたべるんだよー。…いつもつくってっから、つくってくれるってー。」
「おお、そうか。そりゃ楽しみだ。」
「ばーちゃんがかえってきたら、おしえてよ、上にいっからさー。」
「わかった、わかった。」
吹雪は冴を部屋に連れていった。
吹雪の部屋は、家の最上階だった。吹雪の部屋のおくにある急な階段は、天井の天窓につづいている。がらすのむこうに緑が垣間見えた。
「…向いはとーちゃんとかーちゃんの部屋だよ。俺の部屋より狭い。よく2人でもちかえり残業してる。2階が居間と台所だよ。テレビみたり、洗濯物ほすのにも使ってる。1階は半分がじいちゃんばあちゃんの部屋。残りが玄関とか風呂とか。トイレも一階にしかないから、いくときはがんばれ。」
…吹雪は、ひとり息子として、最上階に明るい個室を与えられ、大切にされているというわけだった。
「…吹雪、屋上、庭だろ。見てみたい。」
「…うーん、今時期は、荒れてるよ、手入れしてないから。かーちゃんとばーちゃんの趣味なの。まあ、椿くらい、さいてっかなー。」
吹雪は喋りながら…いつもとちがって、少し言葉に温かい訛りが感じられた…階段をのぼり、天窓をあけると、手招きした。
冴が屋上に出るとそこには、屋上とは思えない、かわいい庭がひろがっていた。吹雪のいうとおり、さざんかかなにかが、真っ赤に咲いている。あちこちで小さな風力発電の風車が無数にくるくるまわっていた。多分、吹雪の手でカラーリングされたのだろう、お母さんやおばあちゃんが喜びそうな、かわいらしい綺麗な色が塗ってあった。…のんびりと雌鳥が2羽、歩き回っていた。
立川吹雪を育んだ、こぢんまりしているなりに、こんもりと美しい庭だった。
「寒いから中はいろ、冴。…部屋はあっためてあるよ。」
吹雪はそっけなく急かし、冴はうん、といって中に戻った。
「…りっぱじゃないか、立川家。」
「…すごく貧乏がうまいんだよ。だから金ぜんぜんないのに、一軒家建てちゃうし、キープしちゃう。ちなみにうち、野菜って買ったことないよ。あ、漬物用のでかいのは買うな。かぶとか大根に白菜。小さいのは全部作ってる、壁で。…季節になれば、ベリー類も上の庭に滅多矢鱈に成るから、フルーツは主にベリー類。あまったらもう、即座にドライとジャム。1階の部屋にはいつもなんかかんか食べ物ドライにされてるよ。あと、今年は収穫すんでるけど、屋上に林檎の木があるから、冬中ぼけた貯蔵林檎食ってる。あ、すこしだけど、ミカンも成るよ。生ゴミも捨てたことない。全部リサイクルマシンで土にして、屋上やプランターに撒いてる。」
…エリアでそれができるというあたりが驚愕だった。
「前は豚飼ってたよ。でも近所から苦情がきてやめた。飼ってる間はいいんだけど、屠殺んときがね。」
…やっぱり、と思った。
「フリーマーケットでそこいらに生えたハーブ、粉末にして売りはじめるし、ばーちゃんは刺繍とかレースとかセーターとか一日一枚くらいのペースで製造してるし、もう、生活力だけはすげー、うち。…俺もなんかしてかせがないとな。冬休みは少しでもバイトするつもり。」
…じいちゃんは?とききたくなったが、やめた。多分、このエコハウスの維持管理責任者は…。いや、ちがう、きっと、サンタクロースなのだ、と、冴はファンタジーに逃げた。
吹雪は、部屋の戸をあけた。
そこばかりは、冴の想像通りの世界がみしっと詰まっていた。
…絵の具とオイルの臭い、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたキャンバスやイラストボード、棚をうめつくす絵の具の小箱、大小様々なスケッチブック、芸術的に汚れたイーゼル、無数の筆、片隅にアジト化している学習机(これもたぶん大工のおじさんの作品だ)。なんだかわからない、かっこいいらしい雑貨。天井からつるされた、無数のアートなモビール。積み重なる雑誌、写真集、画集。べたべたと壁にピンナップされた雑誌の切り抜きや、写真。
「ごめんな、ちらかってて。これ以上かたづかない。」
「…いや、ファンタジックワ-ルドだ。」
「そう?じゃ、俺のファンタジックワ-ルドへようこそ!」
吹雪はそういって笑った。
おじいさんの呼ぶこえがした。おばあさんがかえってきたらしい。
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おばあさんに挨拶したあと、吹雪と連れ立って、冴は家具屋に出かけた。
「ここはけっこう趣味がいい。どれを買っても安心だよ。」
「…そうか。」
吹雪に勧められた店は、以前、陽介とベッドを買うときにも、おとずれたことのある店の一つだった。
吹雪は、ラグよりも、冴の顔を注意してみていたような気がする。…冴にとっては珍しいことではないので、別にたいして気にとめなかった。
しばらくいろんな物を見たあと、吹雪は言った。
「…畳で襖だったよね。…冴、これがすきじゃない?」
それは吹雪の趣味からはかけ離れた、とてもシックな感じの茶系のものだった。柄は、パターンではなく、大胆な曲線で大きく色分けされたような感じのものだった。…なるほど、顔をみていたのは、俺の趣味を確かめていたのか、と冴は納得した。
「…そうだな。これは、いいなと思った。」
「まあ、机とかの兼ね合い全然わからないけど、このラグはいいと思うよ。手触りも良いし。…サイズがあるかきいてみようよ。」
いわれてみれば、どんな家具にも無難に馴染みそうな感じだった。
モノトーンの風情に近いが、あくまで茶系で、色味がある。
もとめていたサイズがあったので、冴はすぐ、それに決めた。もう、この難しい課題を、一刻もはやく終わらせたいという気持ちでいっぱいだった。
配達を頼み、店を出た。
「…まだ少し時間があるな。吹雪、つきあってくれた礼に、うまいコーヒーをおごるぞ。」
「…ふうん、じゃ、遠慮なく、御馳走になろっかなー。」
以前陽介と家具屋まわりをしたとき立ち寄ったコーヒー屋がそばにあるのを知っていた。ここが吹雪の家の近くだとは、あの頃知るはずもなかったが。
2人でテーブルに向かい合って座った。
「…あまり、こうやって2人で会ったことって、なかったね、冴。」
吹雪はコーヒーの香りをゆっくり吸い込んで、満足そうに笑った。
「そうだな、いつも誰か一緒で…。」
「…修学旅行んときはありがとう、…冴がいなかったら、怖いことになってたなーって。」
「…おとしたのは藤原だぞ。」
「…うん、でも、藤原は…俺が冴の友達だから、やってくれたんだと思うから。」
「…」
おそらく、そのとき、少し冴の顔色が…曇ったのかもしれなかった。
吹雪はチラッと冴の顔を見たが、そのまま黙ってコーヒーを飲み続けた。…やがて、話をかえて、切り出した。
「…冴、モデル、明日から、もう来れる?」
「ああ。いつでも。」
「そう。じゃ、まっすぐ学校からきてよ。そしたら宿題もうちでできるだろ。多分、退屈な時間が長いとおもうから。…本、図書館でかりとくのもいいかも。」
「そう…だな。でもいいのか?なんかポーズとかとらなくて。」
「とってほしいときは言うから。」
「…うん、わかった。」
コーヒーを飲み終わると、2人は再び、吹雪の家に戻った。
冴が、立川家の夕食をつくる約束だった。