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04 藤原の恋

赤ん坊の鳴き声がしている。

 藤原重紀は、電話をかけていた。

 ずいぶん、迷った。

 迷った末だった。

 …窓から外を見下ろす。12月の土曜日、クリスマスまで週末は今日も含めて2回。道はこみあっている。電車も混んでいるだろう。

 しばらくたつと、相手が出た。

 …沈黙している。寝ていたのかもしれないし、…喋りたくないのかもしれない。

 …喋りたくない?

 胸が締め付けられた。

 …月島冴が、修学旅行以来、自分との関係を煩わしく感じていることは、わかっている。

「…寝てた?」

「…ああ。」

 ニャ-、と電話のむこうで、甘えるような猫の鳴き声がした。

「…ごめん、起こして…」

「…いや、どうせもう起きないと。」

 …藤原は猫に嫉妬した。

「猫、どうしたんだ。」

「…居着いてしまって…。あきらめて、昨日、猫トイレを買って来た。」

「あはは。」

「…いいんだ。家主さん、猫だいすきで。飼いたがってたから。…昔は10匹ぐらいいたらしい。」

 藤原は口をつぐんだ。

 …月島は、家主の大学生と2人で暮している。…2人で、眠っている。今、相手は不在だ。

「…なにか用じゃないのか?」

 月島が言った。ニャ-、ニャ-と猫が鳴く。月島が手を伸ばして、猫をなでているのが、見えるような気がした。

「…うち、来ない?…一人だろ。俺にテストの山掛けしてくれよ。3時のおやつと、夕食をつけるから。」

「…」

「…カクテルとオードブルもつけようか?」

 …手が震えた。

「…俺は食い物では釣れないぞ、藤原。今はむしろ、くってもらいたいほど、いらん食い物がある。」

 月島は笑っているようだった。

 藤原は、ほっとした。

「じゃ、もってこいよ。食うから。」

「そうか?俺が作ったわけじゃないぞ。家主さんのお母さんだ。」

「重箱につめてもってこい。」

「わかった。」

「駅まで迎えにいく。」

 藤原は、月島の気がかわらないうちに、最寄の駅と時間を言った。


+++

 月島は、私服をすっかり新調したらしい。

 コートを脱ぐと、上品な色で、シンプルなデザインで、良い素材のものを着ていた。…真新しい。

 …うすいセーターに、しなやかな体の線が浮き出て、美しかった。

「…とりあえず、つまみになりそうなものを選んできたぞ。」

 さしだしたのは、2重になっている30センチほどの楕円の弁当箱で、ぱかっとあけると、華やかな料理がこれでもかと入っていた。

「…いい弁当箱だな。」

「祝日に持ち帰り専門店でちらし寿司セットを買うとこれごと売ってくれるんだ。…これは敬老の日のやつだな。」

「そうなのか、しらなかった。…茶より、酒がいいだろ。なんかくすねてくるから待ってろ。」

「…いいのか?そんなことして。おふくろさん泣くぞ。」

「…うち、酒はけっこう規則が緩いんだ。親父が、勤めたらどうしてもつきあいで飲めないといけないから、少し練習しろって言ってて。たしかにお袋は反対してるけど。…学校では内緒な。…好きな酒あるか。」

「…すきというか…まあ、昼間なので、ワインとか、果実酒がいいだろう。」

「…わかった、ジュースもってきて、焼酎で割ろう。」

「…きいてるのか。」

「きいてるけど。ワインなんかすぐなくなっちゃうぜ。しかも酔っぱらう。」

 藤原は冴にハンガーを貸してやると、自分は部屋を出て、酒を調達した。

「重紀、月島さん、来たの?」

 母にきかれた。

「ああ。…テスト勉強するから、邪魔しないで。…月島がつまみもってきたからちょっと飲むけど、サイアクこんだけだから。」

 そう言って、のこり1/3ほどの焼酎のびんを振ってみせた。母は、珍しく、興味ない様子だった。

「晩御飯食べるかしら。」

「食べない。」

「食べるようにすすめてみて?」

「…重箱に2つ、食い物持ち込んでる。」

「…8時ごろならどう?泊まって行けばいいじゃない。おうちで、ひとりなんでしょ?帰っても寂しいわ。」

 …どきっとした。

「…あとで聞いてみるよ。…猫飼ってるから、あいつ…。」

「おかーさんマリちゃん見てるから、決まったら電話して?」

「ああ、わかった。」

 長い廊下を辿って部屋にもどると、月島はコートをかけたハンガーを所在なさそうなようすで持っていた。藤原はそれを受け取り、壁の一部を引っぱり出して、そこにあるクロゼットにしまった。…そのまま、クロゼットに鍵をかけてしまいたかった。

 2人は料理をつまみながら薄い酒を飲み、月島は藤原が頼んだとおりに、月曜のテスト科目の教科書をチェックしてくれた。藤原は小さな音量で静かなジャズを流し、月島のチェックしてくれた教科書を読んだ。…立川あたりにかなうはずもないが、藤原も一応S-23で子供の頃から「映像記憶」の訓練をつんでいる。カメラで写すように、ページ全体を画像として覚える。…フォーカスがぼけていて思い出せないこともおおいが、色でチェックがはいっていれば、焦点が定まるので、思い出しやすくなる。

「…いい音だな。…まろやかな、甘い音だ。」

 月島がぽつりと言った。

「…ああ、これ、音楽データじゃないんだ。いいだろ。」

「データじゃないって、磁気か?」

「ミゾ。…レコードをFMで流しているらしい。たまに針飛びしてるよ。…近所の地域局だ。いいだろ。」

「へえ。珍しいな。」

「…これ聞き慣れると、データはつまんないよ。」

「そうだろうな…。少し籠ってるかんじもするが…優しい音だ。」

 何だかんだ、2人は二時間ほど頑張った。

 休憩にはいったときに、藤原は思い出して言った。

「…お袋が、晩飯をどうしても食わせたいって。…泊まって行けばって、言ってる。」

「泊まりは駄目だ、猫に餌をやらないと…。…晩飯か…。そうだな…。」

 月島はしばらく考えた。

「…帰っても独りだろ。味気ないよ。…料理もだいぶくっちまったし、…」

 藤原がぶつぶつ言うと、冴はうなづいた。

「いただこう。」

「八時頃でいいかな。」

「…まあ、大丈夫だろう。」

「…お袋も喜ぶよ。」

 藤原は電話を手にとって、母親に連絡した。母はよろこんだ。

 マリちゃんねんねしてるから、お茶持って行くわ、といって、母は紅茶をいれて、挨拶にきた。

 月島は丁寧に挨拶し、母はまたやくたいもない世間話をした。

 やがて赤ん坊が泣き出したので、母は、あわてて走って戻っていった。


+++

 勉強にもいささか飽きた。

 紅茶をのみながら、2人で、少しどうでもいい話をした。

 酒も程よくはいっていたし、腹も膨れていたので、2人は機嫌がよかった。

 勉強道具と重箱でいっぱいのテーブルを離れて、2人で窓を向けておいてあるソファにならんで座った。…座ると眺めがいい。喧噪をはるか下に見る、広い空。

 このソファ、前きたときなかったよな、と月島が言った。

 うん、のんびりできる椅子がなかったから、買ったんだ、と藤原は言った。

「…あったほうがいいだろ。」

「…くつろげていい。座り心地もなかなかだ。…色、も、明るい色で洒落ているな。」

「…女の子にベッドにすわらせるのは、なんか下心丸見えで恥ずかしいから。」

「そうだな。」

 月島を近くでみていたら、ぼんやり気持ちよくなってしまって、藤原は気の向くままに手を伸ばし、月島を抱いた。月島は一瞬、拒むようなそぶりをみせたが、藤原がそのまま押し倒すと、もうどうでもよさそうに、少しなげやりに応じた。

「…家具、自分で買いにいくのか?藤原。」

 …なにアホみたいなこときいてるんだ、こいつ、と思った。

「…親がえらんできたやつのなかから、きめるって感じかな。カタログだよ。」

 ああ、違うんだ、そんな欲望を押し付けたいわけじゃない、

 違うんだ、俺はただ…ただ…月島が…

 思考は砂のようにくずれ、流れて。

 もっときれいなものを…もっと温かくて優しいものを…

 おまえにただ…そっと捧げたいだけだったのに…


+++

「嫌いな物はまざってなかったかしら。」

「好き嫌いはありません。どれもおいしかったです。御馳走様でした。」

「…月島君、酒豪だねえ。また是非遊びにおいで。いつでも歓迎するよ。今度おじさんと焼き肉でもいかない?」

「まあっ、あなた、駄目ですよ、まだ高校生なんですから…」

 母と息子は結託して同じ顔で父をにらみつけた。2人の顔は同様に「このすけべおやじ」と文字で書かれているかのようだった。

「…じゃ、俺、駅まで送ってくるから。」

「あ、重紀、帰りに氷買って来てくれんか。」

「まだ飲むのかよ。」

 ぶつぶついいながら小銭をうけとり、月島を連れて、家を出た。

「…ほんとに食えた?…うちの飯、あんまりうまくないだろ。」

「そんなことはない。ちゃんと出汁もとれてるし、…いい醤油つかってるな。…砂糖も。」

「ああ、砂糖はハチミツだよ。」

「なるほど。」

 …飲んでるわりには、味覚はマニアックに鋭いようだった。藤原家の父が面白がってだいぶ飲ませたせいで、月島はうっすらと頬がピンクいろになって、けだるい表情になっていた。

 すけべおやじ、俺の月島を、面白がって酔っぱらわせやがって、…

 藤原はいささか不快だった。

「…月島、大丈夫?…ごめんな、うちの親たち…俺があまりかまってやらねーもんだから…お前と遊びたがって…。」

「…いい御両親じゃないか。仲も良いし。うらやましい。」

「…べつに、普通の馬鹿親だよ。」

「…そういうのが一番いいんだ。」

「…そんなこと…。」

 藤原はときどき思ってしまう。…月島は、口にださないだけで、ひどく不幸な生立ちなのではないかと…。

 …だからといって藤原にしてやれることがあるわけではないのだが…。それでも…。

 …胸が痛む。

「…藤原、お前、月曜のことばかりやっているが、火曜はレポートが2本あるぞ。やってあるのか?」

「あ、うん、一本はできてる。明日、もう一本やる。」

「…まさか文化史を残してあるんじゃないだろうな?」

「まさかって…そうだけど。」

「…まにあわんぞ。絶対に今日、手をつけろ。それでぎりぎりだ。多分近代美術史は文献が州都のどこの図書館にもないぞ。」

 文化史は文学・音楽・美術・その他の4分野で合計10枚書かなければいけない。美術がはずれると自動的に25点減点される。どの科目を選択していても、やらなくてはいけない。

「えっ、なんで。」

「知らん、流行なんだろう。大学部とレポートが被ったのかもしれん。ネットでしらべてみろ、ないから。みな貸し出し中だ。…知り合いが持ってるとしたら、かろうじて根津くらいだろうか。まあ、お前は顔が広いから、ほかにも心当たりあるかもしれないが。とにかく急げ。間に合わないぞ。」

 藤原は急激に現実に引き戻された。…ちょっと青ざめて、言った。

「わかった。」

 通学定期でホームに入った。

 …人前でお別れのキスもできない、手も握れない、…2人はただの友達同士だ。

 列車がはいってくると、藤原はせめてもの笑顔をつくり、気をつけて帰るように月島に言った。

 家につくまでの間に、だれかが、この美しい友人を、さらっていってしまいそうな気がした。

 月島は適当に返事をして、電車にのりこんだ。

 …ドアの向こうで、こっちを向いた。

 藤原が情けない顔になっていたのだろう、月島は困ったように笑って、そっと手をあげたが…その手は、トビラのガラスに阻まれた。

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