03 ユウの忠告
本屋の近くのペットショップで、猫のトイレグッズ一式と、カリカリ、それに玩具やおやつを少し買っていると、後ろで「あら」と、知った声がした。
ふり返ってみると、ユウだった。ユウは田舎が一緒で、冴の父親のことを、血も繋がっていないくせに「叔父」とよぶ。ユウの亡くなった父親と、冴の亡くなった父親が、兄弟のような雰囲気だったからだと、冴は母親からきいている。父はその話が大嫌いで、きいても返事もしなかった。…性格が似ているだけに、どういう状況だったのか、冴には薄々見当がついてしまう。
ユウは今はエリアで大学生だ。陽介と同じ学年で、学部も一緒だった。…今日は、本屋の袋を抱えていた。
「何買ってるの。」
「…猫が居着いて。」
「まあすてき。見たいわ。」
「…お前、冬休みは山に帰るんだろ。」
「もちろん。大晦の大祓と歳旦祭とがあるわ。初詣には氏子さん、みんなあたしの顔見に来るし。いないワケにはいかないでしょ。…あんたどうする?」
「まだわからん。でも山にはいかないから安心しろ。」
「かわいくないわね。まあ、いいけど。」
「…俺の女癖が悪いからと疎んじて追い出したのはお前だろうが。」
「あら、何いってるのよ、あんたに久鹿を紹介してやったのはナオト叔父じゃないわ、あたしよ。感謝してよね。」
「…」
これを言われると、冴は弱い。
ユウは満足した様子で言った。
「…ところで、久鹿はずっと学校にきてないけど…どうなったの?」
「今は海のむこうだ。百合子さんの話だと、ヨーロッパにいるらしい。」
「ヨーロッパ?…また思いきったわね。無事なの?」
「多分。向うにいけば、いつきのコネがあるだろ。」
「まあね。…あんたいつきに会ったの?」
「2回会った。…とんでもなく凶相の女だな。長生きはできん、あれは。」
「…そうね。あのこはあたしと同じよ。…使命を果たせば、寿命がのびるかもしれないけど、はたせなければ早死にするわ。」
「…あんな女とかかわり合いにならなければいいのに。」
「あんたみたいな男ともね。」
ユウはそう言ってニヤリと笑った。
…確かにそれを言われると、冴は弱かった。冴は所詮、成りゆきで複数の女とつきあっているような状況に陥ったすえに、その女同士が刃傷沙汰を起こすような…そんなどうしようもない男である。しかもその過去を、陽介にひた隠しに隠している。
「…まっ、厄介ごとをかかえこむのはあいつの性よ。だからこそあんただろうがナオト叔父だろうが本気で愛せるワケ。仕方ないってことよ、割れ鍋にとじ蓋、ってね。」
「…」
…糞味噌だ。
「…久鹿、いつ帰るって?」
「いちおう、クリスマスには。」
「そ。じゃ、あたし、クリスマスはあっちで慎二さんと過ごすから、いずれにしろ御一緒に帰省ってわけにはいかないわね。精々久鹿の帰りをまちわびて、独り寂しくお過ごしなさい。」
「…別にお前にあそんでもらわなくても結構だ。…いつ帰るんだ?」
「19日が最後の講義だけど、土日は混むし、一応、ドミの掃除したいし、22日に帰ろうかと思ってるの。」
「22日か。俺は修了式だ。」
「あら、今年は早いのね。例年24日とかなのに。」
「そうなのか。よくしらん。」
「…ま、いいわ。がんばってね。…んーと…」
最後に、という感じで、ユウは言った。
「…冴、藤原くんの生霊がついてきてるわよ。…あまり振り回すと可哀相だから、人間関係はあいまいにしないで、きちんとしなさい。」
えっ、と思わず冴は振返った。…視界をきりかえたが、まったくなにも見えなかった。
「…返してあげましょうね、体にわるいから、お互い。」
ユウは懐から小さな包みをだしてほどき、ぱっとそれを冴に払った。…塩がはいっていたらしい。それから鏡を出した。
「はい、これ持って。」
冴は猫グッズを一山足許に起き、鏡を受け取った。
ユウは小声で何かをとなえ、なにか切るようなしぐさをした。
「…はい、終わり。またすぐきちゃうかもしれないけど、とりあえず返したわ。藤原くんは、あんたに夢中ね。」
ユウは鏡を取り上げた。
冴は戸惑った。
「…実は、ちょっと、藤原がディープになってきて、困っている。」
猫グッズを拾いながら言うと、ユウは言った。
「…ディープになってきたわけじゃないの。あんたに、気持ちを見せるようになっただけなの。…彼は、糸をかけてきたころから、大してかわってないのよ。…あのころよりは、屈折してない、って感じのささいな差かな…。」
「…そうなのか。」
「…あんた彼の中では毎晩抱かれてるわよ。」
「…」
「まあ、そういう妄想はよくある話だから、気にする必要もないけどね。」
冴は暗い声で言った。
「…藤原は…仲のいい友達だし…俺は藤原が好きなんだ。…だが…」
「『恋人にはなれない。』でしょ。勿論よ。あんたは誰が好きだろうと、学校終わるまでは、久鹿の顔をたてなくちゃいけないんだからね。…それをきちんと藤原くんに一度いいなさい。」
「…藤原は、それは分かっているというんだ。陽さんのことは…わかっていると…。」
「わかってない。もういちど、きちんと、あんたの口から、あんたの言葉で言いなさい。彼の目を見て、明るい、人目のある場所で、冷静に話しなさい。」
「…」
「…曖昧にしておくと、結果として、彼はもっと傷付くのよ、冴。彼のことは好きでも諦めなさい。必要であれば、友人関係を解消してでも、けりをつけなさい。」
「それは…」冴は足許を見つめて、言い淀んだ。「…無理だ。俺だって…学校で友人は必要だ。とくに今は女とは口もきいてないし…。一人でいるのはよくない。」
「何いってるの、立川くんや須藤くんもいるでしょ。…きちんとしないと、また大変なことになるわよ。…久鹿はあんたの想像もつかない太刀捌きをするわよ。悪魔みたいに悪知恵のまわる男なんだから。」
「…陽さんだって悪いだろ。」
冴は目をそらして言った。
ユウはクスっと笑った。
「…あんたを置き去りにしたから?」
「…」
「…いいとか悪いとか、問題じゃないのよ、冴。被害者になってもムダ。だれも助けてなんかくれないわ。正しかろうが正しくなかろうが、本気で生き残りめざさないと、あっというまに流されて消える、それがエリアの世界なのよ。久鹿の豪華客船のマストに吊るされたくなかったら、藤原くんは振ることね。…あたしは忠告したわよ。いいわね?
ああ、そうだ、もし、うちで永久に薪割りと風呂焚きのバイトしたいなら、今度は別に拒まないわよ。S-23に一緒にいて、あんたのことよくわかったから。
来たいならおいで。あたしの母も、あんたの親父も、裸足で逃げ出したあの恐ろしい山に本気で住む気ならね。
それに、あの山の北のはずれには、あんたの親父の家、まだあるわよ。あんたの机もあるんじゃないの?あんたにそっくりだったじいさんの墓もある。うちで監理してるけど、お望みなら返すわ。あんたの爺さんみたいに、ひっそり一人っきりでイイトシになるまで孤独に生きるって道も悪くないわよ。孤独だけれど、自由よ。男でも女でも、好きな相手と好きなだけ寝たらいいわ。あんたの爺さんはそうしていたのよ。」
「…」
「…でも冴、恋なんて、一時的なものよ。どうせそのうち醒める夢なのよ。人生をかける価値があるのか、よく考えなさいね。」
冴は目を伏せるように瞬きした。
察したユウは、立ち去った。