02 吹雪の愛
立川吹雪が学校にやってくると、教室で、月島冴が爆睡していた。
「…最近おまえ、ねてばっかだなー。」
と声をかけると、冴はその美麗な顔を机からあげて、眠そうに
「…おはよう吹雪。…きのう、電話、くれたか?すまん、寝てて…」
と言った。
吹雪はにっこりして、冴をなでなですると
「いいよ、別に。ゆっくり休めたなら、それで。」
と言った。
…俺はこいつにだけはほんと優しいよな、と自分で思った。これが須藤なら、痛烈な皮肉を浴びせているところだ。藤原ならば、虐めている。
冴は今年の初夏に、片田舎のドームから突然エリアにやってきた。
ゴールデンウィークあけに転入生として教室に現れたとき、教室がひどくざわめいたのを、吹雪は今でもよく覚えている。
かがやくように美しかった。だから、最初は、「かぐや姫」という徒名…というか、隠語、で呼ばれていた…つまり、物陰で。ひそひそと。
吹雪も、毎日毎日毎日、例外なく毎日、冴に見蕩れた。あきもせず。それは、今でもかわらない。
そのうち、冴は吹雪の視線に気がつくと、目で笑うようになった。
それが嬉しかった。
ただそれだけが楽しみで、学校に夢中になってかよった。
なかなか口がきけなかった。
それでも吹雪が初めて話し掛けたのは、割合、早いほうだったと思う。
何か気のきいたことでも意味深にふっかけたかったのだが、気がついたら近くに行って「お前ってきれいだよなー、どうするとこんなふうに生まれつくの?」とか、馬鹿みたいなことを間抜け顔で聞いてしまっていた。月島は大真面目で、「顔は祖父に似た」とだけ言った。「美形じじいか!」とかなんとか切り返して、笑われた。「祖父はじじぃ化する前に死んだらしいぞ。」とか言っていた。…笑ってくれたのが、嬉しかった。
そのうち、だんだんこの人物が、親切で、誰に対しても平等で、意外と大雑把で乱暴で、でも優しくて、つきあいやすいことがわかってくると、かぐや姫という高慢ちきで異質な徒名はかげをひそめた。
母国語教材に宮沢賢二がでてきたときには、みんな月島へのよびかけの最後に「サンタマリア」をつけてふざけた。「今日は掃除当番です、サンタマリア」「学食は美味しいですか、サンタマリア」、勿論帰りがけには「もうお別れです、サンタマリア、ごきげんよう。」…みんなで言った。あれを仕掛けたのは、たしか根津だったと思う。一気に流行った。月島はただ笑っていた。普段はそんなふうな、温厚な一男子だった。
女子は天窓から見える月を愛するように、彼を拝んでいた。本気でアタックした女子はまだ一人もいない。なにしろ、女子とは口をきいてくれないのだ。初めの頃、そのせいで冴は極端な硬派なのかと思われていた。目つきも非常にきつく、心臓を鷲掴みにするような強い眼線なので、なんとなくそういう印象を与えてしまうのだ。
今は、冴が実は大変な女好きなのを、一部の男子は知っている。むしろ、女の子たちに厄介をかけないように、女断ちしているんじゃないかという噂が一般的だった。一度恋愛がこじれたら、殺しあいが起きかねないのは、みんなうすうす分かっていた。「前の学校って、女関係でいらんなくなったんじゃねーの」などと言う男子もいた。
吹雪はもう少しプライベートな部分も知っている。だから、冴が女断ちしているのは、業務の一環だと心得ていた。
月島冴は…おそらくはその美貌を愛されて…亡くなった父親の縁者だという金持ちの男子大学生に、飼われている。表向き、冴は下宿人で、家賃の代わりに家事を引き受けているといったようなことを言っているが、その実は愛人であることは間違いなかった。冴はその御主人をとても愛していて…下宿云々、家事云々というのも、もしかしたら単に同棲の言い訳なのかもしれなかった。少なくとも、2人でいるところを実際に見た吹雪の印象は、そうだった。
悲劇的…なのかもしれなかった。
けれども、吹雪はその悲劇も含めて、月島が好きだった。そういう運命を淡々と受け入れている、忍耐強さというか一種の剛毅さが、吹雪には、好ましい性質に思われた。だれがなんといおうが、冴は、とても男らしい奴、だった。
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期末テストは金曜日にはじまり、週末をはさんで、翌月曜日、火曜日まで行なわれる。火曜日はレポート提出だけのものもあったし、それ以外は小論文ばかりだった。
「まっ、これが終われば楽しい冬休みも遠くないからねーっ。」
金曜日のテストが終わって、がらんとした教室で弁当をたべながら吹雪が言うと、根津もおにぎりを食べつつ訊ねた。
「タッチんとこは、クリスマスとか暮れとか正月とか、やんの?」
「うちは大晦日と正月はやるよ。じーちゃんばーちゃんがいるしね。…ドミは年末年始、閉鎖だろ。」
「うん、ドミスタッフも家庭があるから。」
「根津は冬休みは北都市に帰るの?」
「帰るよ。冬はやっぱり雪がないと、体調おかしくなる、俺は。」
「いいなーっ、帰るとこがあってー!」
「ばっかー、交通費けっこう大変なんだぞ。」
「でもさー、休みのたびに、北海道旅行なんて狡いよー。」
「旅行じゃない。帰省。…まあでも、正月おわったら4日くらいには戻るよ。7日から学校だしね。」
「…須藤んちさ、クリスマスツリー飾ってあったね、すっごく本格的なやつ。やっぱり、お母さん、顔が日本人じゃないもんね。」
「…須藤んちは、多分、家族の一部が、アウトエリアにいる。クリスマス、あつまるんじゃないの。」
「…そっかー。じっちゃんばーちゃんかな?」
「多分ね。あと、妹がいるような話、きくけど、みたことがない。S-23にいないと思う。」
「…そっかー。」
すると、珍しく弁当を持って来ていた冴が、何か決意したように言った。
「…須藤のお母さんは、クリスマスケーキを作ると思うか?」
「つくるんじゃね。100パーセント。」
根津がこたえた。須藤と藤原は、自宅に帰って食事するとかで、もう帰ってしまっていて、いない。
「…習いに行ったら迷惑だと思うか?」
冴は、冴らしくない、派手なお弁当の派手な卵焼きをハシでお行儀悪くぶっさしたまま、悩みつつ言った。
「…須藤くんのママン、冴に会いたがってたよ。大丈夫じゃない?」
吹雪が言った。
「…ケーキ、つくんの?」
根津が聞くと、冴はうなづいた。
「…久鹿さん、あまいもの好きだもんな。」
…冴を囲っている大学生は、根津にとっては部のOBだ。
「あーっ、じゃあ、試し焼きしたら、俺が味見してやるよ、冴。いつでも呼んでくれ!」
吹雪がにこにこいうと、冴はうなづいて、「じゃあ学校に持ってこよう」と言った。
「俺もくうぞ。」根津も言った。「…ところで…今日は、弁当なうえに…派手だな、月島。どうしたんだ、通りすがりの女にぎゅっとおしつけられたのか?」
根津も派手な卵をチラチラ見ていた。
「あ…これは、昨日、家主さんのお母さんが来て、作って冷蔵庫にいれてってくれた。」
吹雪は驚いた。
「家主さんのおかーさん?! いたの、そんなの。」
「…たまーに、ゲリラ的に攻めてきて、凄い勢いで飯を作り置していく。…家主さんと俺はいつも、失礼にならないように、ただひたすら食う。幸い、味は悪くない。一週間くらいでなくなる。…昨日は、家主さんがでかけたときいて…俺が昏睡したまま腐乱してるんじゃないかとでも思ったらしく、様子を見に来た。…多分、俺が、電話にきづかなかったんだと思う。」
吹雪と根津はびっくりして口をつぐんだ。
根津がおそるおそるきいた。
「…どんなおかーさん?」
冴は可愛いタコのウインナーを食べながら言った。
「…まだわかくて美しい人だ。」
冴は簡潔にそう言って、あとは黙った。
母親がエリアで健在ならば、冴の飯炊きは必要無いのではないだろうか…。吹雪は不思議に思ったが、まさか問いただしはしなかった。
+++
帰り道、なぜか根津も冴も駅方向についてきた。吹雪は思い当たって、根津にたずねた。
「…クマドーさんち?」
クマドーさんは、根津の親戚らしい。根津のエリアでの保護者で、多分いろんなことの出資者だった。
「そ。お土産は送ったけど、少しは旅行の写真みせたりしよっかなーって。…盛装の写真もみせてあげないと。」
「マメだな。」冴は感心したように言った。
「お前もお袋さんに送れば。」根津は冴に言った。
「…お袋に何を。…盛装の写真なんかおくったら、撲りに来る。」
「…まあな。」
根津は冴の家主さんが買ったというこのうえもなく素敵な冴のスーツを思い出したようだった。
「…お菓子送ればいいよ。いくらか残ってるだろ。」
吹雪が言うと、冴は吹雪を見た。
「…そうか。それはいいかもしれん。…陽さんが帰ってくるまでとっといたら、腐りそうだしな。お袋に送っちまうか。…昨日百合子さんにおしつけるという手もあったな。」
…絡むような口調だった。冴はこんなタイプではない。…家主さんに一人にされて、拗ねているのだな、と吹雪は思った。
「そうしなよ。ついでに少し手紙かいてさ、パーティーじゃないときの写真、紙に焼いて、一緒にいれればいいよ。列車でも撮ったし、地下世界でも、ハノイでも、奈良でも、いっぱい撮ったろ?…冴は、電車でどこいくの?」
吹雪はやんわり聞いてやった。
冴は少し黙った。…八つ当たりしているのに、自分で気付いているのだな、と吹雪は思った。冴はぼそぼそ言った。
「…猫を飼い始めたんだ。だから、トイレの砂とか…少し買おうと思って。」
「えっ、猫飼うの?!」「どんなのどんなの?!」
吹雪も根津も沸き立った。
「…鯖白だ。野良なんだが…うっかりここ数日家に閉じ込める形になってしまって…。そしたら、どうがんばっても、出て行かなくなった…。寒いから、外。」
「写真とってもってきてー!!」「猫抱きてー!!」
「…おまえら、猫好きだったのか…。」
冴は呆れて言った。
2人で揃って冴の背中をばしーんと叩いた。
「おまえだってー!!」
駅で冴は別の路線に乗り、吹雪と根津が残った。
根津が言った。
「…寂しいんだろうな、月島。」
「…だね。…よんでくれればいくらでも行くのに。」
「…よばれなくてもいっちゃえば、暇なら。」
「…殺されて埋められたらやだもん。」
「…。」
根津は、確かになー、という顔でちょっと天井のほうを見た。
「…でもタッチ、このままほっとくと、多分、藤原がいいようにしちゃうと思うよ、月島のこと。」
「…いいようになんかなるもんか。あの冴が。」
「…どうかなー。月島って、基本、藤原のこと好きっていうか…。藤原はちゃんとしたうちの子だしさ、男の子らしいってーか、まっすぐ元気に育ってるだろー。月島はああいうタイプにそこはかとなく憧れがあるんだよ。『俺の小さな日溜まり』…みたいな…。あいつ生立ち暗そうじゃん。藤原を撲って、『いい加減にしろ』とか、ぜったい言えないと思うよ。…やられたらやられっぱなし。かえって『いいんだよ、きにすんなー』とかいっちゃったりしてさ、内心は怒髪天なのに。」
吹雪は眉をひそめた。
「…でも、久鹿さんにばれたらどうなんの?」
「さあ。でも、久鹿さんも悪いよ。悪いっていうかさ…良い悪いはべつにして、原因の一端は久鹿さんにあるよ。何かはしらないけど、それが何であれ、月島との生活より、別の何かを優先させたんだし…月島がついてくっていったのに、無理矢理学校へ行かせたんだから。」
…根津はたまたまその現場に居合わせた。
吹雪が黙っていると、根津は言った。
「…俺の読みでは、向うに、例の行方不明の元カレ…尾藤さんがいる可能性があると思うね。…だから危ないのにボディーガードも兼ねてる月島を連れていけないんじゃないかって。…可哀想だよ、月島。」
吹雪は驚いて、根津を振り返った。
…電車がきた。