エピローグ
演劇部のクリスマス公演は、客の入りは今一つだったものの、舞台の出来そのものはとても良かった。台本も卓抜していたように、根津は思う。感動的な大円団だった。…クリスマスに相応しかったと思えた。
舞台のあと、客がひけるのを待ち、更に舞台装置の撤収と照明の調整を待ち、杉田に群がる関係者の解散を待ち…そうして、夕暮れごろに、ようやく根津は杉田と講堂を出た。
「お疲れさま、ユーリ。すごくいい舞台だったよ。」
「ありがとう。失敗もなく、怪我もなく、進行もまあまあだった。もうすこし客がはいればよかったけど、ちょっと台本が堅過ぎだよね。」
「どうかなあ。俺は好きだったけど。」
「待たせてごめんね。」
「いいよ。別に。」
杉田につれられて、夕暮れの町を小走りに駆け抜け、電車に飛び乗った。
「16区に素敵な教会があるんだ。広いから多分入れるよ。」
杉田の言葉に、根津はあれっ、と思った。
「…もしかして、聖歌隊の上手いとこじゃない?」
「あ、知ってる?」
「話だけ。友達にきいた。」
「だれ?月島くん?藤原くん?」
「いや、須藤。ばーちゃんが、クリスチャンなんだと。」
「へー。」
教会までいってみると、イブのミサは6時からと9時から、という紙が貼ってあった。
「…まだ早いね。飯でも食べる?」
「そうだね。…ユーリ、ドミのチキンもたべるだろ?」
「もっちろん。ちゃんととっといてもらうように頼んだもん。」
「じゃあ、軽いものでいいよね。」
「そうだね、すいてるとこで適当に食べよう。」
近辺を歩き回った結果、蕎麦屋がすいていた。
2人はそこに決め、そば定食を2人そろって頼んだ。
あたたかいそばは、体が温まった。
「…悪くないね、クリスマスに蕎麦。」
「うん、しかもここ、当りだね。うまい。」
「値段も高くないし。」
蕎麦湯を飲み干して店を出ると、だいたいよい時刻になっていた。
「いこうか。」
礼拝堂に入ってみると、人が集まり始めていた。
「あっ、根津も来たよ。」
変な声に目をやると、立川と須藤がいた。
「あれっ、どしたのタッチ。」
根津がたずねると、立川はぱーっと明るい顔で笑った。
「さっき電話がきてさ、家主さん、かえってきたって。」
「あ…ほんと?! ああ、よかったぁ…。」
根津は思わず座り込みそうになった。
須藤もにこにこした。
「ああ、そうだ、あそこに集まってるの、うちの家族だ。面倒だから紹介しない。」
「なんだよそれ。」
根津は呆れた。須藤がさしたほうをみると、おじいさん、おばあさん、お母さん、妹がいた。お父さんは多分仕事だろう。根津は会釈した。美人のお母さんが手を振ってくれた。
「…須藤はユーリとは面識あるんだよね。…タッチ、杉田ユーリック。…ユーリ、おいでよ。」
根津は杉田を呼んで、立川に紹介した。
「あー、はじめましてー。俺、2-Bの立川。噂はあちこちからきいてるよ、演劇部のユーリ。」
「あーあ、かの有名な壁画画家のタッチ-?初めまして。今年のもよかった。こんどカキワリ手伝ってよ。」
「やーなこった。俺協調性ないからね。演劇なんて死んでも御免。それはともかく、…根津のドミ友だなんて全然しらなかったよ。今度みんなであそぼ?」
「…カキワリてつだってくれたら遊んでもいいよ。」
「…そうくるか。」
…杉田は立川とは普通だったが、須藤のことは恐れている様子で、ちょっと挙動不信になった。
「…こんばんは…。」
「ここの教会選ぶなんて、いい趣味だな、杉田。」
「う…うん、そうかな。まあ、よくわかんないけど…。最近、各種金管は?」
「吹く機会がなくて。」
「…ブラバンにはいって喝いれてやればいいのに…。」
「…あの集団とはやる気になれない。」
杉田は須藤がそう言うと、なんとなくおどおどした様子で引き下がった。
「…ユーリ、須藤別に怖くないよ?」
「う、うん、わかってる。…な、なんか、背が高くて…。」
「えっ、それだけ?!」
「う…うん。」
根津は少し呆れた。
立川は須藤の家族にまざって座った。須藤のすごくかわいい妹となにか楽しそうに話していた。根津は杉田と2人で座った。
ミサが始まった。
…藤原はどうしてるかな、と根津は思った。
…泣いてはいないだろう、藤原だから。そう思った。
でも今日は、藤原のために祈ってやりたい、と思った。
幸福な未来を。
+++
帰りの電車で、杉田が根津にたずねた。
「…藤原くんと月島くんは、今日は来なかったんだね?」
「うん、…まあ、申し合わせてきたわけじゃないからね。俺があの教会にいったのはほんとに偶然でショ、だってユーリがつれてってくれたんだもん。」
「そうだったね。…藤原くんや月島くんは、家でゴハンたべてるのかな。」
「多分。…月島はほくほくだよ。恋人が帰って来たらしいから。」
へえ、と杉田は顔をあげて、根津を見た。
「…藤原くんて、月島くんと道ならぬ恋してるって噂だったのに。」
根津は笑って聞いた。
「どこで?」
「…演劇部にオネエキャラが2人いてさ。その2人がいつもそう言ってた。」
「…みんなも?」
「…いや、その2人の、オネエ的ファンタジー。」
「あはははは。」
根津はとりあえず、笑っておいた。
「…根津も、言ってたじゃない、藤原くんは、不毛な恋してるって。」
「…いったっけ。」
とりあえず、とぼけた。
そしてたずねた。
「…藤原に、会いたかった?」
「…」
「まだ、答え探してるの、ユーリ。」
「…」
杉田は黙ったままだった。
電車を降りると、杉田は言った。
「去年、オンディーヌやったろ、夏の合同公演で。…近所の学校の演劇部といっしょにさ。」
…そのとき、根津はもう、杉田と友達だった。
「…見たよ。」
「…そうだったね。ありがとう。」
杉田は言われて思い出したようすで、すこし、はにかんだように笑った。
外はひんやりと寒かった。…少し、風が吹いていた。
「…オンディーヌって…結局幸せだったと思う?」
「…」
「…恋して、裏切られてさ。疲れたとかいわれて…。自分が助かるためか、相手のためかはしらないけど、ハンスがわたしを裏切る前に、私がハンスを裏切った、なんて嘘ついてさ。…挙げ句の果てに、好きだった男を呪い殺すはめに陥って、ついには何もかも忘れて、妖精の国にかえってく。なんなの、あの大騒ぎは。あんな台本、選んだ奴の気がしれないって思ったけど…。」
「…」
ドミへの道を歩いているのは、根津と杉田の2人だけだった。
急がなくても、門限には間に合いそうだった。
2人はゆっくり歩いた。
「…でも…。」
杉田は足許を見て言った。
「…オンディーヌは…なんだか、とても、生きているって気がしたんだ。…そうじゃないな、むしろ、俺が死んでいるんだと…」
「…。」
「…よくわからないし、上手くいえない。でもね、…この恐怖がなくなったら、どんなに自由になれるだろう、と思うんだ。」
「…この恐怖って。」
「…恋をしたら、すべからく、酷い目にあわされるに違いないって、そういう確信。…オンディーヌみたいに。…ハンスみたいに。…」
…根津は思った、藤原みたいに、月島みたいに、立川みたいに、そしてたぶん、久鹿さんみたいに…と。
「…でもね、生きてみたい。今の俺は死んでいる。」
杉田はぽつりとそう言って、黙った。
2人で少し黙って歩き…やがてまた、杉田が言った。
「…今日は何を祈った?根津。」
根津は杉田を見て言った。
「…幸せな未来。」
「…俺はね、生きること。人生を、生きること。」
根津はたずねた。
「…藤原みたいに?それともオンディーヌみたいに?」
杉田は首を振った。
「…だれかのようになりたいって意味じゃないんだ。ただ、…藤原くんは、きっと俺のしらないことを当り前にしっているんだろうなって思ってはいるけど…。俺はがんばっても、他人になれるわけじゃない。人間はオンディーヌになれない。俺は、藤原くんにはなれない。それはわかってるんだ。でも、…今の俺は死んでるような気がするんだ。俺だって生きることはできるはずだってきがする。…だから、祈ったよ。この恐れを取り除いてくださいって。」
…根津は、杉田が藤原に本当にききたかったことに、ようやく思い当たった。
杉田は知っていたのだ。藤原の相手が月島だったことは。
だから…。
「…ユーリ、すればいいよ、恋ぐらい。…誰だって、案外と強いもんさ。…それに、失敗したって、それが人生の全部ってわけじゃ、ない。授業もあるし、公演もうつ。休みの日は映画も見るし、俺の部屋で、本もよむでしょ。学校でたら、仕事もする。」
「…そうだね。」
「…親や教師にいちいち懺悔の義務もないしね。」
「そりゃそーだ。」
…勿論、教会にもだよ、ユーリ…
心の中でそう付け加えた。
「…恋人ができても、根津の本を読みにいっていいよね?…」
根津はうなづいた。
「勿論だよ、ユーリ。」
…杉田は、せつない顔で笑った。
+++
クリスマスの終わった州都中央の駅で、根津は藤原を見かけた。
根津は宿題やらなにやらがつまった帰省の荷物をひきずっていたが、藤原は軽装だった。
…案外、元気そうだった。
顔色もいいし、声をかけると、いつもの藤原の、あの明るい笑顔がこぼれた。…しばらく目にしなかった、その健康な笑顔。
「…帰省か、根津。」
「ああ。帰って部屋の大掃除でもするよ。…藤原、正月は海外にしたの?」
「うーん、まあ、パスポートは持ったけど…決めてない。今日は温泉に入りたいから、温泉のあるドームにいくつもり。」
「温泉かあ、いいね。…大晦日と元旦以外なら、うちに寄ってくれてもいいよ。…北都市のグランドドーム、案内するよ。近くに温泉もあるし。」
「…年明けにでも、もしか気が向いたら電話して行くわ。行かないかもしんないけど。」
…一人になりたいのだな、と根津は思った。だが、一応、しつこく誘っておいた。…クリスマスに、須藤が立川に教会をすすめていたときのように。
「俺は6日にドミに戻るから、5日くらいにくれば一緒にエリア入りできるよ。」
「わかった。考えとく。」
「…大丈夫?藤原。」
藤原は、何をおかしなことを、というような顔で笑った。
「…別に。ふつう。」
「…月島、荷造りしてたらしいよ。…危なかったね。」
根津の言葉に、藤原は、ふと真顔になった。
そして言った。
「…うん…そうだな。…俺は…本当に、月島に悪いことをしたと…。」
根津はびっくりして言った。
「藤原、何言ってるんだ。悪いことをしたっていうんなら、月島だってお前にわるいことをしたんだ。…そんなふうに考えるな。ちょっとタイミングや巡り合わせで、こういう結果になっただけだよ。…そんなもんだろ?月島と大学でる直前に会っていたらとかさ、もし久鹿さんがでかけたりしてなかったらとかさ、いろいろ、考えはじめればきりがないくらいで…。」
「…うん。…まあね。人間関係なんて、すべからくそんなもんだよな。」
藤原は言外に、そんな仮定など何の意味もない、という気配を強く漂わせて、根津にやめるよう促した。
根津は諦めずに、違う話で言った。
「…お前の夢、リアルな夢だったよな。」
「ああ、あの夢な。」
「…月島はお前に感謝してるとおもうよ。…花をくれたことにじゃない、冷たい水に、ふみこんできてくれたことに。だから、もらってもしょうがない花を、嬉しくうけとったんだと思うよ。…月島は、嬉しかったんだよ、藤原。」
「…」
…藤原は険しい顔で聞いていたが、ふと表情をゆるめた。
そして少ししてから、ゆっくり微笑んで、言った。
「…そっか。それならいいか。」
根津は少しほっとした。
「…ゆっくり温泉にでもつかって、回復してくれ。俺達みんな藤原に元気がないと寂しいからさ。」
「よく言うぜ。…まあ、お前もせいぜい家で栄養つけてこいよ。」
「ああ。じゃ、また年明けに。」
「ああ。」
2人は手を振って別れた。
駅の人ごみにお互いの姿はすぐに見えなくなった。
だが学期明けには、きっと、またいつもの面子がそろうことだろう。
根津は家へ帰るためのゲートに向った。




