12 二学期の終わり
繁華街のビルの18階のカフェについたとき、時計は4時をまわっていた。
ドアを押して入ると、澄んだチャイムが鳴り響いて、いらっしゃいませ、と静かな声が出迎えた。
店員の姿は見えない。…客席を見回すと、窓際の席で、大弓がミルクティーを飲み終えたところだった。
「…悪りぃ、遅くなった。」
「いいよ、別に。」
大弓は静かに言った。
大弓は頭を白いレースでくるぐるとターバンのように被い、きらきらと光る素材の怪しげなドレスを着ていた。
「…あたし、月に2回くらい、日曜日にこのお店でおしかけ占い師させてもらってるの。…何にする?」
…月島ののませてくれたうまいコーヒーの味を消すのは未練があったが、藤原は炭酸を頼むことにした。大弓が小声で呼ぶと、店員…か店長かが、注文をとりにきた。
「わたしはミネラルウォーター。お客さまは炭酸ですって。」
女性の店員は慣れた様子で戻っていった。
周囲はすっきりとしていて、植物が多いが、片隅には酸素バーがあったり、壁にはタロットカードが貼ってあったり、…花は魔女の大釜みたいな黒い鍋に生けてあったり、いろいろ個性的だった。
大弓が言った。
「…疲れてるでしょ。」
藤原はうなづいた。
「…魂がぬけちまうらしい。…一時的によくなったんだけど、またすぐ駄目になる。」
「…好きな人のところへいっちゃうのね?」
藤原はうなづいた。大弓が言った。
「…今は大丈夫みたいだけど、疲れて弱くなっちゃってるみたい。」
藤原はまたうなづいた。
「…今さっきまで、体もそっちにいってたから、多分拾って来たんだと思う。…でもまた眠ったりしたら駄目なんだ。…夕べも気がついたら寝顔見てて…ヤバいとおもって慌てて戻った。」
水が二つとどいた。普通の水と、気泡の出る水だ。
藤原は気泡の出る水をのんで、月島のコーヒーの香しい薫りを喉からぬぐい去った。
「…ある人に、…俺は…このままだと、愛している相手を、嬲ってしまうといわれて…。その通りなんだ。」
「…。」
「その人がいうには、…愛しているなら、愛を届けることが大切なんだと…。嬲ってはいけないんだと…。」
「…ええ。」
大弓は、昏い目をした。
…なにかを透かし見ているようだ。
「…具体的にどうすればいいのかは、自分しかわからないというんだ。ただ、俺は見当もつかなくて…。そうしたら、その人が、俺についてくれてて…守ってくれている人に相談してみたらどうかと言うんだ。」
「そう…。それは…妥当だわ。」
「…みんな同じようにいうけど、俺のうしろの人って、強いらしいね?」
「そうね。」
「…その人と話がしたい。どうしたらいいと思う?」
大弓は藤原の顔を見て、にっこり微笑んだ。
「…その前に…藤原クンは、…相手の人のこと、手にいれようとは思わないの?2人で添うことができれば、自然とおかしなこともおこらなくなると思うわ。」
「それは…。」藤原は苦笑した。「…無理だと思う。」
「…どうして。」
「…奪い取るには代償が大き過ぎるって言ったの、お前だったと思うけど。」
「…高くつくのはたしかね。でも、できないわけではないのよ。」
大弓は真面目に言った。
「…藤原クン、遠くにいる相手に会いたいからといって、…魂が抜け出してでも会いに行くような…そんな相手は、一生のうちで、そうそう出会えるものではないと思うわ。何もかも捨てる気があるなら、その人を手に入れることもできるのよ。」
藤原はつぶやいた。
「なにもかも…?」
「…エリア暮しや、学校や、家族や、お金や…価値観もふくめて、あなたが普通だとおもっているもののすべて。『幸福』の意味、『愛』の意味、『苦しみ』の意味…。」
藤原は一瞬、心が揺らいだ。
立川が、こんな冗談を言っているのを聞いたことがある。
…朝目覚めて一番に、目に入るものが、月島の美しい寝顔だっていうんなら、俺はそのために、俺のちっぽけな人生の全てを捨てたって、後悔はしないぜ…
…恐ろしいと思った。
捨てることがじゃない。
捨てることに、憧れを感じるのが。
…ああ、俺は、今、本当は、捨てたいのだ、と思った。
あの眺めのいい部屋や、頑張っている両親や、学校や、無数にいる名前だけの友達…
何もかもを捨ててしまいたいのだ、と。
…藤原は、おぼつかない手で炭酸を取り、落ち着こうと思って、一口飲んだ。
炭酸水の刺激が胸を焼く。
大弓が言った。
「…よく考えて?藤原クン。…あなたの人生なのよ。あなたの望むところに、未来があるのよ?…わたしは、あなたが本当にしたいようにするべきだと思う。」
…本当はどうしたいの?
ユウもそれを聞いていた。
…俺はどうしたいんだろう?
…頭が混乱してきた。
それがわからないから、後ろの人と話し合おうと思っていたのだ。
藤原はそれをなんとか大弓に説明した。
大弓が言った。
「…ううん、あなたの気持ちが決まらないと、後ろの人も助けようがないかもしれないけど…話す方法は、簡単なのが一つあるわ。」
「どうすればいい?」
「…眠る前にお祈りするの。こういうことを教えてほしいです、夢で、はっきりわかるようにおしえてくださいって。そうしたら答えが夢にでてくるわ。」
藤原は、うなづいた。
+++
夕食に合わせて根津が寮に戻ると、杉田が入り口の壁にクリスマス公演のポスターを貼っていた。
「ただいま、ユーリ。」
「あ、根津。お帰り。…前売りが売れ残っちゃって。」
「ああ、ちょうどよかった。俺、一枚買うよ。」
「そう?でも、用事はいるかもしれないじゃない。」
「例の女の子とデート?まさか。ありえない。…寒いだろ、中はいろ。お土産があるよ。」
「お土産?なに。」
「…友達が今ケーキ作りの練習してるんだって。それで、試作品を試しに寮のみんなで食ってくれって。ほら。」
「えーっ、…もう次の女の子?」
「ちがーう。月島だよ。月島は料理が得意なんだ。下宿の家主さんに、作ってあげるんだって。」
2人は話しながら中に入った。根津は帰着名簿にサインした。
「…ごはんのあと、みんなで食お。」
「うん。」
「映画、どうだった?」
「面白かったけど、カップルで混んでた。」
「コーラ噴かして頭に浴びせてやりゃよかったのに。のぼせた頭を少しは冷やしゃあいいんだ。」
「まったくだ。」
杉田は笑った。
「…根津、明日はもう修業式だねぇ。」
「そだね。」
「お正月とか大晦日、やるの、根津のうちでは。」
「うーん、そだね、本州とは風習が違うけど、初詣へ行ったり、買って来たおせち食べたり、そのていどはやるよ。お袋は、和服になる。ま、コスプレみたいなかんじ。…ユーリんちは。」
「…うちの実家のドームは大変なんだ。いろいろめんどくさい。…古い伝統が残っているっていえば聞こえはいいんだろうけど…。結局、大家族時代の遺品だから、夫婦がひと組では無理なんだよね。でもやっちゃう。なんなんだろうね、あれ。」
「…じゃあ、もちつきとかしたり…」
「…とかとかいろいろ。初詣のほかに、なんかしらないけど、大晦日にもお寺にお参りして、なんかを焚いてもらったりするんだ。そのお寺さんの掃除も手伝わなくちゃいけないし、その日は炊き出しとかあって…。そのほかに町内会の年末会合とか親類縁者の会とか、わけのわかんない行事がいっぱいあって。おせちも母が泣きながら作ってるよ。変な飾りも山ほどつくって山ほど飾る。凄い出費なんだ。今どき、稲藁とか麦藁なんて、完全リサイクルだろ、貰うとなると、お金はらわなくちゃいけない。明けたら明けたでまた親類縁者がごそっと大移動さ。お年始とか言ってお年玉せびりに御近所何十人も来るし。初詣だって疲れてるもんだから母はずっと喧嘩腰、父はずっと耐えてるわけ。母のつくったおせち、まずくて吐きそうになる。かならず下痢するんだよね。なんでかわかんないけど。…やんなっちゃうよ、帰るの。俺が州都に住んでれば、ゲリラで正月公演うつのになあ。…正月帰りたくない部員ってけっこういるよ。演劇部ってわりとそうだったりするんだよね。うちだけってわけじゃない。公演うてる人数いると思うね。」
「…ハードだね、ユーリ。」
「あはははは。…ま、田舎のほうは仕方ないよ。地方の風習だからね。たちうちできない。…あ、根津、飯のまえに部屋戻る?」
「うん、コートおいてくる。」
「じゃ、さきに食堂いってるね。」
「うん。」
部屋に向いつつ、ユーリんち、ユーリだけじゃなく、お父さんもお母さんも抵抗できないタイプなんだな、と思った。
+++
冴は久しぶりに、陽介と使っている2人の寝室のドアを開け、灯りをつけた。
…少しほこりがたまっている。
掃除をしなければいけない、と突然思い立った。だが、もう夜だったので、明日の早朝のほうがいいな、と思い直した。
…吹雪に寝室を見せようかといったとき、吹雪は言った。
冴、…俺が不幸になればいいと思ってるの?…と。俺、なんか悲しいな、と。
そんなつもりじゃなかった、ただ、話の流れで、なんとなく言っただけだった。
…でも、確かに、心のどこかで、吹雪が傷付けばいいと思っていた。
友達の吹雪、冴にだけ優しい吹雪、冴の絵を描いている吹雪、冴をほっとさせてくれる吹雪、抱かれて眠ってくれる吹雪。
…傷付けばいいと。
冴は吹雪に謝った。…吹雪は、二度とそのことに触れなかった。
…みんなが、吹雪のように、本当のことを言って責めてくれればいいのに、と思った。
そうしたら、俺は、…こんな悪事に走らなくて済むのに、と。
…陽介のいない2人の寝室は、ひんやりと寒い。
しかし、どうしたことか、猫が足許を元気に駆け抜けて、ものすごい勢いでベットに飛び乗った。
そしてたのしくてたまらない、といったようすで、ひっくりかえって背中を布団にすりすりした。
…この猫は、陽介がいるときに、この寝室にときどき出入りしていた。この部屋が好きらしい。
「…陽ちゃん、あした掃除したら、あったかくしてあげるから、こっち来なさい。…閉めるぞ。」
ひとしきり暴れてから、猫は甘えた声でにゃーんにゃーんと鳴いて、冴の足許にもどってきた。
冴は灯りを消して、戸を閉めた。
…ここの家に友達をあげてみてよかった、と思った。
+++
翌日は修業式だった。
とりあえず体育館に集まり、校歌を2曲歌って(みんなやる気なさそうに歌う、ちなみにブラスバンドもヘタレだ)、校長とチーフスタッフのオハナシを聞かされて、そのあと各クラスごと、ホームルームをやる。
成績表は、生徒にも配られるが、家庭にも直接送付される。…大学受験はエスカレーターのS-23高等部でも、成績はやはり一喜一憂がある。
…ふと目が合ったので、根津は、月島にきいてみた。
「…どうだった、成績。」
月島はつまらなさそーに言った。
「…どうでもいいあんなもん。陽さんがかえってきたら、一緒にあける。コーヒーのつまみくらいにはなるだろう。」
…根津は、ときどき、こいつはホントに硬派なのかもしれない、と思う。まあ、ごく、ときどき、だが。
「それより根津、ケーキ、くったか。」
「ああ、食ったよ。すんげーうまい。なにあれ。」
「そうか、うまかったか。」
月島はにこにこした。
「…最初2人で食べてたんだけど、一緒に食ってたヤツがウマイってドン引きしちゃってさ、あっというまに騒ぎを聞き付けた寮生たちの胃袋に消えた。…いつでもひきうけるぞ、月島。クリスマスまで毎日もってこい。ってあさってイブだけど。」
「…なぜウマイのに引く?」
「…認識が少し甘いんだ。」
「どういう意味だ。」
「つまり、高校生の手作りケーキなんて、適当に考えてたって意味。」
「引かなくてもいいだろう。」
「…臆病だから、彼は。たまに現実と折り合いがつかないんだよ。許してやれ。」
「…演劇部のユーリとやらだな?」
「正解。」
「…なぐってやりたい。」
「…ユーリなぐったら闇から闇に葬るぞ。死して屍拾うものなし。おぼえとけ。」
「いちいち本当に撲らんとはおもうが、…やれるもんならやってみろ。」
「…お前のとどめさすの意外と簡単だと思うけどな。」
「…そうか?」
「うん。」
「…実はここ数日、俺もそう感じている。…ささないでくれて有難う、根津。」
「…どういたしまして。…大丈夫?」
月島は「大丈夫」の代わりに適当にひらひら手をふった。
立川がやってきた。
「冴-っ、冴っ、冴、成績あがったー俺!」
だきゅーっと月島にだきつく。月島はうんうん、と立川の背中を叩いた。
「そうか吹雪、よくやった。えらいぞ。」
「あのねーっ、あのねーっ、母国語と共通語のリーディングがいっぱい上がった!」
「…俺のきらいなものばかり…」
月島はまるでピーマンとニンジンを見た小学生のような顔になった。
「あとね、文化と地理も少し! 地理はノートを冴がてつだってくれたからね~。」
「成績はすべてお前の仕事に対する評価だ。…きっと、おじいさんやおばあさんも、喜んでくれるだろう。」
「どうかなー、体育とか上がればよかったんだけどね。…毎回保健のテストなら俺滅法強いのに。」
「あっ、それ俺も強い!!」 根津も同意して、げらげら笑った。
「明日から、冬休みだな。」
須藤が藤原をつれてやってきた。…藤原は、少し顔色が悪かったが、笑顔だった。そっと月島をうかがうと、月島は一瞬、せつないような目で藤原を見たが、その後はなにくわぬ顔で立川の成績票に目をやっていた。
立川が須藤に言った。
「須藤くんは、休みはずーっといるの?」
「いや、ぼちぼちでかけてていない。」
「ひひひ、そうだな、明日はデートだしな。」
「うらやましいか?…クリスマス・イブは家族が久しぶりに全員集まる。クリスマスはそろってどっかのミサだな。ばーさんがキリスト教なんだ。…正月は、向うの家に出かける予定だ。あっちのほうが物価も安い。」
「そっか、須藤くんち、屋根分け家族なんだ?」
「そう。タッチーは。」
「俺多分家で絵かいてるかも。…なんかバイトもしたいけど、ちょっと決断が遅かったから、もう今からじゃないかもね。」
「そうか。…フジは?」
「…赤ん坊がいるから、家族旅行はしないと思う。…行くとしたら、俺一人で、どっか。…まあ、おおよそは、家に寝泊まりしてると思うよ。…根津は、26日帰省だったな。いつもどってくる?」
「…そうだなー、一応、予定としては6日くらい…?今年、早いよな、学校。8日からだろ。」
「入りもはやいからな。」
「…冴は?」
「…まだなにも決まってない。うちは、家主さん次第だから。」
「あれっ、全然連絡とってないの…?」
「…忙しいから連絡がなかなかいれられないんだと思う。」
「…今年、顔そろえるのは、今日が最後かな。」
「今日は、みんなどう?忙しいの?…このあと飯くらい食う?」
根津は提案してみた。
月島が言った。
「…俺はちょっと用がある。悪いが、外れる。」
「そうか。」
…さすがに、月島に「女だろ。」というメンバーはいなかった。
「俺いくよ。」
「俺も。」
…残り4人は参加だった。




