09 須藤の美人母
「楽しみにしていたのよ。…ケーキは初めて?」
須藤の美人母は、少女のように頬をそめて冴を迎えてくれた。須藤は苦笑している。
「…ママ、月島と浮気しないでね。パパに言うからね。」
「…恋はしなくちゃね、結婚しても、歳をとっても!」
「フランス人の血、濃過ぎだから。」
「わたし先祖返りなの。」
「少なくとも、俺の友達とデキるのはヤメテ。」
「息子の友達以外に、若い男の子との出会いなんてないわ!」
「ママ…。」
冴は声をたてて笑った。須藤がどうして吹雪と友達なのかがわかった。須藤の美人母は、その無邪気なボケッぷりが、吹雪と似ている。
「…一応、一般的なスポンジは2回ほど、パウンドケーキ系を一回、本を見て自分なりに焼いてみました。」
そう言いながら、持ち込んだ材料を手渡した。須藤の母は、プレゼントでももらったかのように優雅に受けとった。
「ありがとう。…勉強家なのね。どう、うまくいった?」
「…焼き過ぎて焦げて割れたので、加減したら、今度は焼けなくて…。パウンドケーキはなんとか。」
「オーブンはなに。電気?ガス?…まさか薪の炉やストーブじゃないわよね。」
「電気です。」
「オートコントロールは?」
「ついているけれど、使うのが癪で。」
「まあっ、男の子ね。うふふ。いいわ。…オーブンのクセをつかむのが大切よ。…」
須藤の家は一般的なマンションの2階だったが、内装はとてもよかった。シンプルで物も少ないが、温かみがあって、センスのいい家具で、カーテンやテーブルクロスも凝っていて、しかも調和している。壁や棚に飾られた小さな額や、家族の写真もよかった。どこをみても、フランス人の美人母の明るい元気な光で満ちている。しっかりものの須藤ヴァレリーを育んだ家、いかにもそんな感じがした。
須藤の母は、「昨日ヴァレリーにあれこれ頼んで書いてもらったのよ」と言って冴にレシピをくれた。須藤の力強い字で、数字がふられ、図解つきで書かれた、わかりやすいレシピだった。暇そうに居間でテレビをみている(ふうを装って母を監視している)須藤に礼を言って軽く振った。須藤はチョイと手をあげて「ああ」と言っただけだったが、多分、これを書くのには1時間ぐらいかかっているに違いない。
冴はレシピをよく読んで暗記してから、須藤のお母さんに教わりつつ、ケーキ作りを開始した。
+++
「とてもうまくいったわね。」
「有難うございます。…お昼までいただいてしまって…御馳走様でした。」
「わからないところはない?」
「大丈夫です。」
「…またきてね、今度は簡単で美味しい朝御飯や、スープ1品で一食いけちゃうようなのの作り方とかとかおしえてア・ゲ・ル。ヴァレリーのいないときでもわたしはいいのよ?」
ヴァレリー少年がまるめた雑誌で母の後頭部を打つのを軽く苦笑して見ながら、冴は頭を下げて、「有難うございます」と再び礼を言った。
わからなくなったらいつでも電話してね! わたしの名前はフランソワーズよ! などとしつこく言う須藤の美人母に手をふると、須藤に送ってもらって、駅へ向った。
「…なんとか作れそうで良かったな。けっこううまかったぞ。お袋の作るやつと同じ味だ。」
須藤は歩きながら、何事もなかったようにそう言った。
「…お母さん、いつもあんな感じか?」
「まさか。お前が相手だから興奮してたんだよ。」
「…お騒がせしてすまん。」
「…今度は親父のいるときに来てくれ。俺一人でどこまで止められるかわからん。」
「…頼りにしている。」
「…だから親父のいるときこいって。日曜なら絶対いるから。」
「…わかった。」
…味見して残ったぶんのケーキは、箱にいれて持たせてもらった。吹雪に味見してもらおう、と思った。
「…最近、タッチ-んとこ通ってるんだって?」
須藤が言った。
「ああ。なんか、俺の絵をかいてくれるらしい。…今日も行く。」
「ちゃんと真面目に描いてるか?…お前のこと、部屋にいれて御自慢のハイセンスな各種コレクションと一緒に並べて、あんなポーズやこんなポーズとらせて、チェシャ猫よろしくにやついてるだけなんじゃないのか?」
「ちゃんと描いてる。…2枚描くそうだ。出来上がったら一枚貰うんだ。」
「そうか。ならいいけどな。…ケーキ、タッチ-にやればいい。どうせまたクリスマスに作るんだし。…あいつずっと食いたがってたもんな。」
「ああ、そのつもりだ。」
須藤は、何か言いたそうな様子だったが、一旦口を噤んだ。そしてしばらく考えてから、言葉を選んで言った。
「…藤原と、ケンカしたのか?」
冴は須藤を見た。
「別に。なんで。」
「…お互い避けてるだろ。」
「ああ…。それは…」
冴も途中で口を噤んだ。須藤に、藤原と自分の下半身の事情をそのまま話すのは、さすがに憚られた。
「…最近、つきあいにけじめがないから、少し距離を置いてるんだ。」
遠回しに言った。…須藤はそれでも、充分に察したようだった。
「…お前んとこの下宿事情やら家主さんとの雰囲気は薄々知ってるつもりだが…。俺はやっぱり毎日教室で会うのはフジだからな。だからフジが可哀相で…。」
須藤のその微妙な言い回しに、冴は須藤の気づかいを感じ…幾許か構えを解いた。
冴はため息をついた。
「…俺も藤原にすまなくてな。俺は藤原が嫌いなわけじゃない。…強いて言えば、それがいけない。…藤原に、嫌いだと言ってしまえばいいんだ、嘘でもいいから。」
「…そうかな。」
須藤はぽつりと言った。
冴は須藤の顔を見た。
「…このままでは、藤原をひどく傷つける。早めに切ったほうがいいのは、俺も分かっている。」
「…まってくれ、月島。」
須藤は冴の腕を掴んで、止めた。
2人は立ち止まって、道の片隅の街路樹の下で向かい合った。
「…嫌いなわけじゃないのが、…不都合だっていうのはわかる。そりゃすごく不都合だろう。…だが、悪いというのとは、また…それは、話が違う。」
「…」
「…お前は、藤原との間に起こったこと…何の価値もない、ただの煩わしい雑事だと思っているのか。」
冴は少し考えた。
…藤原とこんなことになって。
いろいろ知った。
自分の胡乱さや、欲望への弱さ…
藤原が…別れられないほど好きなこと。でもそれは…藤原重紀の自分にとって都合のいいところだけが好きなのであって、まるごと好きなのではないこと…。
自分には、今、藤原を選ぶ自由もなく、藤原を選ぶ意思もないのに…それでも藤原を手放せない…そういう自分の我侭。…理不尽。
なぜか不思議なことに、陽介にも藤原にも少しも悪いと思わないこと…。
それどころか相手が傷付くことを本心ではむしろのぞんでいること…。
…藤原がいなかったら、藤原があんなふうに自分をもとめなかったら。
明るみに浮上することのなかった自分の裏側。
…煩わしくても、雑事でないのは確かだった。
「…フジは、元来なら…今みたいな不幸とは、縁のない人間だ。」
「…それはどうかな…。」
冴は言った。
…冴は藤原の裏側を知っている。たとえ冴にあわなくても、いつか誰か、他の…おそらくは女の子が、あれを見ることになったであろうことは間違いない。むしろたまたま、冴が、その藤原の運命の彼女より一足はやく、藤原の影を見るはめになっただけのことだ。
ただ…もしそれが過去形なのであれば、それはその通りなのかもしれない。
須藤は言った。
「…月島、多分、2人で会うのは、よくないんだろう?…じゃあ、俺や根津を交えて、…タッチ-がいればなおいいな、…フジとまた友達付き合いをしてやってくれ。…2人っきりにしないから、絶対に。根津には俺から話をいれておく。」
冴は顔をあげた。
…いい考えだと思った。有り難い申し出だ。
「…それは別段、かまわない。」
冴がうなづくと、須藤は言った。
「…会わなければよかったとか、好きにならなければよかったとか、そういう終わり方をしないでほしい。…フジが好きならその気持ちを悪いなどと切り捨てたりしないでくれ。フジを見捨てないでくれ。…別れるなら、有難うと言って別れてくれ。」
…冴はうなづいた。
2人は、駅に向って歩き出した。
+++
駅から吹雪に電話をかけた。
早いけれど行っていいか?ときくと、ああ、来いよ、と気軽な返事だった。
吹雪の家への道筋はもう覚えたので、迎えは必要なかったが、吹雪はころあいを見計らって、駅まで迎えにきてくれていた。
「…そろそろ一人でも行けるぞ。」
「うん…そう思ったけど、…俺も少し歩きたかったから。」
「そうか。…ありがとう。…ケーキ、もってきたぞ。これ。…味見した残りで申し訳ないが。…味見したから、出来は保証する。」
箱を持ち上げてみせると、吹雪は「充分」といって喜んだ。
2人は連れ立って歩き出した。
「…いいにおいだね。」
「…ハチミツだな、多分。…吹雪んちは、クリスマスはしないのか。」
「うん、する習慣がないんだよね。」
「そうか…。」
「どうして?」
「…ジンジャーマンて知ってるか?」
「ああ、クッキーの、…飾るやつでしょ。人形型のやつ。」
「ああ。たくさんつくったので、もし飾りをするなら、持ってこようかと思った。」
「…くれるなら、部屋にかざるよ。絵の具の棚のとこ。」
「そうか。じゃ、明日でも…」
「あ、さっき根津から電話がきてさ、根津が26日に帰省しちゃうから、休みに入る前に、みんなで会わないかって。…で、明日はどうかって。なんか、藤原と、テストがおわったら、遊ぶ約束してたじゃん、根津。」
「そうか。…俺は休み前は、別にいつでも…。じゃあ明日、そこへ持って行こう。」
「みんなの分ももってこいよ。飾らない奴は、食えばいい。」
「そうだな。」
店の前を通りかかって、ふと吹雪は立ち止まった。
「…あ、ケーキ食うなら、紅茶かコーヒー買って行こうか。」
「そうだった。持ってくればよかったな。…俺が買おう。」
「いいよそのくらい。」
「俺はコーヒーは好きなのしか飲みたくない。だから俺に買わせろ。」
「…まあいいけど。」
吹雪はぷっと笑った。
少し遠回りして、例のコーヒー屋へいくと、豆を少し注文し、ふと考えて、吹雪に言った。
「…ドリッパーあるか?」
「ない。」
「…漏斗は?」
「油用しかない。」
「ちっちゃいざる。」
「…でかいのしかない。」
「急須の予備。」
「急須はいっこしかない。」
…冴は悪あがきをやめて、道具を一揃い買った。頑張ればキッチンペーパーと茶碗でもなんとかなるとはおもったが、途中でもうめんどくさくなってしまった。
「…出費だね、冴。」
吹雪はくすくす笑った。
「…俺用に、おまえんちに置かせろ。」
「ぷっ…なんか不思議な俺様ぶりだけど。…わかった、置くよ。」
家につくと、ハイジのおじいさんみたいな吹雪のおじいさんが、壁の野菜を収穫していた。
「じいちゃんただいま。」
「おお、おかえり。」
「…こんにちは。」冴はペコリと頭を下げた。
「いらっしゃい。」おじいさんはにこにこした。
「お祖父様は、コーヒーはお好きでしょうか。」
「ああ、好きですよ。」
「…甘いものは。」
「たべますよ。」
「…俺のつくったケーキですが、よろしかったら味見していただけませんか。」
「喜んで。…ばあさんの分もあると喜ぶと思いますが。」
「ええ、勿論、おばあさまも。」
…冴はなんとなく、なぜかこのおじいさんに親近感を感じていた。どこかであったことがあるような…そんな不思議な感じだ。
「じゃあ、コーヒーいれて待ってるよ、じいちゃん。」
「ああ、すぐいく。」
吹雪は返事を聞き届けると、冴を中へ連れて行った。
吹雪の家の夕食の座に、両親はいないことを、冴はこの間、食事の準備をまかされたとき、初めて知った。…両親は、必ず残業するので、夜シフトの人たちに紛れて、会社の食事をもらっているそうだ。…徹底している。
吹雪が呼びに行くと、おばあさんはとても喜んで居間に登って来た。ケーキを切り分けているうちに、おじいさんも夕食分の野菜を携えてもどってきた。コーヒーを入れると、2人の老人はひどく喜んだ。
「…コーヒーの香りを嗅ぐと、エリア落ちしたくなるのよ。」
おばあさんはにこにこ言った。コーヒーがすきなのだろう。エリアを出れば、コーヒーの値段は1/10だ。エリアでボトルのお茶を買うくらいの値段だった。…店があればの話だが。
「…しないでね、俺、寂しくなっちゃうから。」
吹雪は口を尖らせた。
冴の実家の近くは、ドームを出て車で20分ほどのところに商店街があり、冴はそこまで自転車で出向いてコーヒーを買っていた。…コーヒー狂いの父が視察中に発見して冴に教えてくれた店だ。父は市長補佐官で、よく近隣の視察のためにドームの外へ出ていた。コーヒーは、父が寄越すこともあって、贅沢品にしては珍しく、いつでも冴の近くにあった。
「…少しおいていくので、皆さんで飲んで下さい。」
「なんだかすみませんねえ。」
「いや、俺が今日飲みたかっただけなので。」
「あら、おいしいケーキ。本当に作ったの?お店のケーキよりおいしいわ。」
「…フランス料理のできる方に今日は手取り足取りだったので、うまくいきました。」
「ケーキひさしぶりだねえ。久子。」
「そうねえ。」
…夫婦仲のよい2人だった。
「もうすぐクリスマスねえ。吹雪、クリスマスを一緒にする彼女はまだ?」
「うん、まっ、自分で稼ぐようになったらね。」
「…女の子はお金で買うものじゃないわよ、吹雪。」
「…お金で買うものじゃないにしても、維持費はそれなりにかかるわけよ。」
「…まあ、維持費だなんて、吹雪。…この子、酷い子でしょう?」
おばあさんは冴に言った。冴は吹雪に言った。
「…おまえ、小坂は?」
「…ただの友達だから。」
「まあ、吹雪。誘えばいいのに。」
おばあさんが言うと、おじいさんが言った。
「久子、吹雪のしたいようにさせてやりなさい。」
「放っておくと、いつまでも彼女つくりませんよ、この子は。」
「せかすとなおさらおそくなる。へそまがりだから。…今は絵を描いていたいのだから、放っておきなさい。」
冴は、このおじいさんにやはりなんとなく、親近感を感じた。
+++
「…冴。シャツきてきたら、脱がすっていったよね?しかもなにこれ。須藤くんのシャツじゃない。」
部屋に入るなり吹雪に厳しくチェックされた。祖父母の手前、ずっといいたいのを我慢していたらしい。
「…須藤のおかーさんに卵とコナとバターつけられて、セーターを剥がれて没収された。…洗うって。」
「須藤くんのママン、なんなの。」
「…息子の友達は若い男で嬉しいんだそうだ。」
「フケツっ!! すどうくんのママン、フケツっ! パパに言うべき! 須藤くんはなにしてたの?!」
「…居間でお母さんが一線越えないように、ずっと監視していた。」
「須藤家おかしいよ絶対!!」
…返す言葉もない。たしかにあのママンはちょっとやりすぎだ。
「…ッたく、とんでもないダークホース、須藤家の外人妻…」
…吹雪に、絶対に月島家の真実、とくに父方のほう、は、明かしてはならない、と冴は強く思った。
吹雪はぶつぶついいながら、部屋の暖房の温度を上げた。電気温水だそうだ。レースのカーテン代わりに、なぜか外にかかっている細かい玉の簾の正体を聞いたところ、ソーラーシステムなのだそうで、これで家の電気の50パーセントをまかなっているそうだ。…本当に徹底している。
「…じゃ、脱いでそこ座って。じきにあったかくなるから。」
吹雪はあっさりそういって、いつものベッドの上のブロードの布地を指した。
冴は大人しく、須藤のシャツを脱ぐと、適当に畳んで吹雪の机の上に放り投げ、布地の上に座った。…今日はとくになにも持ってきていない。課題はもう全部終わっていた。
「…なにも持ってこなかったの?…写真でも見る?」
吹雪はそう言って、床に山積みになっている本のなかから、比較的新しい写真雑誌を引っぱり出して、冴の手に預けた。写真雑誌といっても、怪しいエロ本ではなくて、歴史のある報道写真の雑誌だ。根津の行きつけの古本屋を張っていると、半月遅れぐらいで1冊かそこら入荷して、値段は半額以下なのだそうだ。…根津に見つけたら押さえてくれと頼んであるらしい。
「…悪いな、吹雪、もう少しラフなのないか?この類いは堅くて…」
「…そう?冴はそういうのが好きかと思った。…じゃあこっち。」
吹雪は雑誌をとりかえてくれた。今度は、女性向けの写真雑誌で、見るとインテリアや食べ物、着飾った少女や花、風景などがかわいらしく並んでいた。クリスマス特集だ。…気楽でいいと思った。吹雪いわく、おばあちゃんが一昨年編んでくれたセーターが小さくなったので、古着屋に持って行ったら、思いがけなく高く買って貰えたそうで、その金で、おばあちゃんに喜んでほしくて買ったそうだ、書店で、新しいのを。
吹雪はイーゼルのそばの椅子に座って、いつもどおり冴をじっとみていた。
「…寒い?」
「いや、大丈夫。」
「…本みてていいから、ちょっと腹ばいに寝そべってくれる?」
「…。」
冴は可愛い花束の写真をみながら、ごろっと長くなった。
「…頭そっち。」
「…。」
方向転換した。
ページをめくって、今度はレースひらひらの女の子の写真を見た。
「…そのままべたーっと伏せてみて。」
「…。」
女の子の写真を右にどけて、布地に顔を伏せた。
「…そのままね。」
「…。」
そんな調子でしばらくごろごろ二転三転させられたが、そのうち、座ってる格好で落ち着き始めた。
「…脚伸ばして。」
「…。」
「…冴って意外と少女趣味なんだね…。」
「なにが。」
「…その雑誌そんな一生懸命見るなんて…。」
「…。」
冴はちょっと赤くなって、雑誌を閉じた。
「…閉じなくていいよ、別に。気に入ったなら持ってく?」
吹雪がたずねると、冴は言い訳がましく言った。
「…最近、ちょっと、クリスマスの準備してて…だから、参考にと思って…。」
「…別に責めてないよ。」
「…。」
「…冴は、実家ではクリスマスしてたの?」
吹雪は話をかえた。
冴は首を振った。
「まさか。お袋は仕事だし。」
「そっか。実家でしてたら、ケーキ、作れるもんね。習いに行かない。」
「ああ…。菓子は贅沢品だ、バターは高いからな。…とり肉料理くらいはしたが…。でも、飾りとか、…要するに、光るだけ、ウツクシイだけのものは、…まあ、母の価値観では、ゴミだから。…ゴミじゃないか。不要品。」
「…。」
吹雪は返事をせずに、イーゼルのそばの椅子をたって、冴のそばへやってきた。
ベッドの縁に座ると、吹雪は言った。
「…まあ、うちもなくても死なないから飾らないけど…。でも、ばーちゃんは…この雑誌見せたら、10歳は若返ってたよ。…見てると飾りしたくなっちゃうから部屋もってけっていわれて、引き取って来たけど…。」
吹雪はそう言って、冴が閉じた雑誌をめくった。赤い玉飾りのクリスマスツリーの写真がでてきた。…ハンドメイドのものらしく、作り方の設計図がのっていた。
「…うちのお袋だって多分ホントは嫌いじゃないさ、こういうのは。…でも、俺がいたからな。いろいろ我慢しなきゃならなかったんだ。」
吹雪は写真を閉じると、冴の顔を見た。
「…お母さんは、冴の養育を拒否してお父さんに預けることだってできた。…自分で選んだんだから、別に冴のせいじゃないよ。…どうして自分のせいみたいな言い方すんの。」
冴は苦笑した。…自分を殺しかけた男のところに、息子を残して行くなんて、並の神経の母親ならできない。…吹雪にはけっして理解できないだろう。あのおじいさんとおばあさんの孫の吹雪には。
「…好きで生まれたわけじゃないが、生まれて悪かったと思っている。…毋は俺がいなければ、再婚できた。まともな男と。」
「…どうせ親を責めるなら、もっとストレートに責めればいい。貧乏がかっこつけてドームにすみやがってとか、2人の人間関係もうまくやれないくせにセックスだけはいっちょまえにしやがってとか。…生まれて悪くなんかないよ。再婚なんか、したければいくらでもできる、冴がいようがいまいが。」
「…言うなぁ、お前。」
冴は笑った。
「…もっと言ってやろうか。心が和むものの一切を不要品と切り捨てるから、自分の息子に生まれてきて悪かったなんて言われるようになっちゃったんだ。」
「…怒るぞ、吹雪。おふくろだって人間なんだ。完璧じゃない。」
「…冴、藤原くんと、ドロドロしてるだろ。…見てるとわかる、お互いに避けてるのに、お互いに盗み見てる。」
冴はつまった。突然話がかわったせいもあるし、その話題が痛いところに触っていたせいもあった。
吹雪は少し黙って、それから、冴の胸にそっと触れた。そして、低い声で静かに言った。
「…つき合う相手との関係に影をおとすのは、自分と親との関係だよ。」
「…。」
「…藤原くんとドロドロしてるの、責任は半々だとおもいつつも、最終的には、自分のせいだと思ってるだろ。」
「…思ってる。」
「…ほらね。『俺さえいなければ』、だ。さしずめ、前の学校も、そうやっておん出てきたんだろ?…でも、問題はそこじゃない。だから藤原くんも引けないし、ぶつかれない。的外れになっちゃって。」
「…。」
「…そんなふうに考えないで。大雑把すぎるよ。…藤原くんが冴とうまくつき会えないことと、冴がそこにいることとは、まったく別の問題だよ。」
「…。」
「…俺は、冴が転校してきてくれて嬉しい。冴と友達になれて、嬉しい。…冴が、今、ここにいてくれて、嬉しい。…だから、それが悪いことだなんて、言うなよ。」
「…吹雪…。」
吹雪は冴の裸の胸にそっと額を寄せ、冴の心臓に話し掛けるかのように、言った
「…お前がそんな考えなの、俺は悲しい。」
冴はおずおず吹雪を抱いて、その頭に自分の頭を寄せた。
何を言ったらいいか困っていると、また吹雪が言った。
「…冴のケーキ、すごくおいしかったよ。…冴は、いるだけで、そばにいる人をすごく気持ちよくするし、幸せにするんだから。…誰が何いったのか知らないけど…そっちじゃなくて、俺を信じろ。
俺が美しいものを見る目は、絶対に確かなんだから。」
吹雪の言葉が冴の何かをかえた、というわけではなかったが、…吹雪の気持ちは、冴の心をほんのりと温かくした。
冴は吹雪の髪に、そっと一度、唇を押し付けて、言った。
「…ありがとう、吹雪。」
吹雪は急に恥ずかしくなったのか、ぱっと身を離した。それから冴の肩や腕にぺたぺた触って言った。
「…寒くないっていうのも嘘じゃないか。こんなつめたくなって。なんで言わないんだよ!」
「…そりゃ裸でいれば寒いが…別に我慢できないほどじゃない。」
「冴に風邪ひかせたら俺が須藤くんや根津にしかられるんだから!」
吹雪はそう言って不満そうに口を尖らせた。冴から身を離すと、敷いてあったブロードに手をかけて、「ちょっとどいて」といいながら、それを引き抜いた。
…ふわふわの毛布が出現した。
「あったまんないと。…今日はもういいよ。綺麗な胸と割れた腹筋堪能したから。」
吹雪はさらにその毛布を、冴の下からひっこぬくと、それで冴をふわっとくるんだ。




