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43話『互いの傷』


 暗い森の中を進み、村の方へと向かう。

 その村の名は聞いたことがなかった。

 非常に小さな村だ。王都からは大して遠くもないが、森に囲まれた立地のせいで発達しなかったのだろう。一瞬も油断できない逃避行を続けている俺たちの心境とは裏腹に、目の前に広がる光景は長閑でのんびりとしていた。


「食糧なら明朝までには用意できるが、薬は厳しいかもな」


 こぢんまりとした店の主が、難しい顔をしながら言った。

 村人たちの話を聞いて俺とミゼは売店に訪れたが、品揃えはお世辞にも良いとは言えない。村に寄った理由は休息と補充だ。できれば食糧だけでなく薬の方も補充しておきたいところだが、今すぐには厳しいらしい。


「薬は明日の昼頃に入荷する予定だ」


「……分かった。なら一先ず、棚に並んでいる薬を貰おう」


 こればかりは仕方ない。

 溜息を零し、棚に陳列されている薬を取りに行こうとしたら、両手に幾つかの薬を抱えたミゼがこちらに歩いてきた。


「これですよね?」


「……ああ」


 持ってきた薬を俺に見せた後、ミゼはそれを店主の前に置く。

 王女とは思えないほど気が利いていた。


「出発は明日の昼だな」


「思ったよりも、ゆっくりできますね」


 必要最低限の物資を購入した俺たちは、店の外に出た。

 食糧なら最悪、森で狩りをすることで調達できるが薬はそうもいかない。支援式の魔法には病を治すものもあるが、残念なことに俺もミゼも使えなかった。


「宿に向かうか」 


「はい」


 村人の話によると、ここは小さな村ではあるが、偶に商人が通りがかるためひとつだけ宿屋があるらしい。

 古くて小さい宿屋に入り、カウンターへ向かう。


「部屋は一つにしますか? それとも二つにしますか?」


 ボロボロのカウンターの奥に座る老人からの問いかけに、俺は財布の中を一瞥した。


「二つで――」


「――ひとつで大丈夫です」


 はっきりと言い切るミゼに、老人と俺が目を見開いた。


「いいのか?」


「道中、お金がないって言っていたじゃないですか。それに私たちはもう何日も同じ馬車の中で過ごしている仲ですよ?」


 確かに金が少ないことは道中、度々口にしていた。急な出立だったため用意が間に合わなかったのだ。


 ここ数日共に行動してきたことで、ミゼからは色んな意味で信頼されている。狭い馬車の中、互いに身体を詰めて睡眠を取っていたのだから無理はない。……単に感覚が麻痺しているだけかもしれないが。


「誘っているのかと思った」


「さ、誘ってません!」


 ミゼが顔を真っ赤にして怒る。

 俺たちは部屋をひとつだけ借りて、そこで一夜を明かすことにした。


「宿が取れて良かったですね」


「ああ」


 機嫌を直したミゼの呟きに、首を縦に振って同意する。


 ――本当に良かった。


 お互い表面には出していないが、狭い馬車の中で何日も過ごすのは精神的にかなり疲労する。

 このタイミングで宿に入れたのは僥倖だ。できれば今日は心身ともに休めたい。


「やることは済んだ。ここからは自由時間……と言っても、もう夜だな」


 夕食は村に訪れる前に馬車の中で済ませていた。

 外に出歩く用事はもうない。


「もう寝た方がいいでしょうか?」


「眠れるなら、その方がいいな」


 互いに疲労している筈だ。できるだけ今のうちに休んだ方がいい。

 ゆっくりとミゼがベッドの中に入る。

 部屋の灯りを消して、俺もベッドに横たわった。


 月明かりが窓から射し込む。

 暫く瞼を閉じていると、すぐに睡魔が現れた。連日の交戦で俺も相当疲れている。

 しかし同じように疲れている筈のミゼは、ベッドの中で何度も寝返りを打ち、寝苦しそうにしていた。


「眠れないのか?」


「……はい」


 返事をしたミゼは、上半身を起こした。

 同じように俺もベッドの上に座る。


「夢を、見るんです。……これまでの、《叡智の道(ウィズダム・ロード)》を継承してきた人たちの記憶が、頭に浮かぶんです……」


 視線を落としながら、ミゼは語る。


「この力は、第二次勇魔大戦の時に開発されました。目的は、勇魔大戦で勇者を補助すること……第二次勇魔大戦だけでなく、今後起こり得る全ての大戦で、勇者にとっての優秀な補佐を輩出することです。上手くいけば、《叡智の道》の家系は、代々勇者を支える一家として盤石の地位を手にすることができました。

 ですがご存知の通り、第四次勇魔大戦でこの力は使われていません。……《叡智の道》は、勇者の補助よりも国のために使うべきだと判断されたんです」


 第四次勇魔大戦で《叡智の道》という魔法の名は聞かなかった。

 もし、この魔法が本来の目的に使われていたら――ミゼはあの戦場で、勇者の隣に立っていたのかもしれない。


「アルケディア王家がこの力を管理するようになってから、《叡智の道》の所有者は幽閉されるようになりました。外に出ることを許されず、ひたすら知識を叩き込まれるだけの日々を送ったんです。……それはまるで、次の世代のためだけに生き続けろと言われているようなものでした」


 いつか花開く後世のために踏み台となれ。

 そんな意志が伝わってくるような生き方だ。


「かつての所有者たちの悲しみや苦しみが、私の頭の中でずっと渦巻いています。……今も目を閉じれば、声が聞こえるんです。自由になりたい、自由になりたい、自由になりたい――――そんな彼女たちの悲痛の叫びが、耳鳴りのように聞こえるんです」


 泣き出しそうな顔でミゼが言う。


「最近、夜になると、うなされていたのはそのせいか」


「……うなされていましたか」


 ミゼには黙っていたが、彼女はここ最近眠っている間に酷くうなされていた。村での休憩を提案したのはそのためでもある。

 《叡智の道》の先代所有者たちの記憶。それは今のミゼにとって、悪夢に等しいものなのかもしれない。


「私は、本当に自分の意志で、自由を求めているのでしょうか」


 ミゼが呟くように訊く。


「私が冒険者を志すようになった理由は、ひょっとしたら……この記憶のせいなのかもしれません」


 それが恐らく、ミゼの抱えている悩みの正体なのだろう。

 見ず知らずの誰かの記憶が、自分の意志を塗り替えているかもしれない。そんな恐ろしいことを彼女は疑っている。


「……《叡智の道》は、人格の継承まではしないと聞いている」


 俺はクリスから聞いた話を思い出し、ミゼに告げた。

 目を丸くする彼女に、続けて質問を投げかける。


「歴代の所有者に冒険者だった人はいるか?」


「……いえ。今のところ、その記憶はありません」


「俺はミゼが、冒険者になるために一生懸命勉強してきたことを知っている。魔物の討伐依頼を受けた時も、迷宮の探索をした時も、ミゼはずっと楽しそうだった。少なくとも、その時の感情は……他の誰でもないミゼ自身のものだと思う」


「……ですが、それは歴代の所有者が冒険に憧れていたからかもしれません。私は、彼女たちの積年の思いを晴らすことができたから、喜んでいたのかもしれません」


「憧れでは努力を続けられない」


 不安になっているミゼに、はっきりと言う。


「もしかすると最初はミゼの言う通り、歴代の所有者の影響で冒険に憧れたのかもしれない。しかし歴代の所有者は冒険に憧れていても、冒険の苦労を知っているわけではない。魔物を討伐した時も、迷宮を探索した時も、ミゼは危険な目に遭った筈だ。歴代の所有者ならそこで冒険を止めたかもしれない。冒険の苦労を知った上でも、冒険のために努力を続けようとするその姿勢は……紛れもなくミゼ自身の意志だ」


 黙ってこちらの意見を聞いていたミゼは、いつの間にか目を見開いていた。

 目尻の涙を手の甲で拭った後、ミゼは微笑を浮かべる。


「……今夜は、よく眠れそうです」


 それは良かった。

 今の俺とミゼは二人三脚だ。一方が倒れてしまってはもう一方も足を止めざるを得ない。


「トゥエイトさんは、不安にならないんですか? こんな急に、旅に出てしまって」


 不意に、ミゼが訊いた。

 窓の外に広がる、月明かりに照らされた夜空を眺めながら俺は答える。


「不安にならないと言えば嘘になるが……俺の場合、こういう経験は初めてではない。その分、ミゼと比べればマシなだけだろう」


「……初めてではない、ですか」


 ミゼが静かに呟く。


「そう言えば私……トゥエイトさんのこと、殆ど知りませんね」


 そう言ってミゼは、真っ直ぐ俺の方を見た。


「良ければ教えてください。トゥエイトさんは、今までどうやって生きてきたんですか?」


「そうだな……」


 全てを話す気はない。

 しかしミゼは俺の境遇について、ある程度の確信を持っている。

 機密に触れない範囲なら話してもいいだろう。


「俺は、いわゆる捨て子だった」


 ミゼが息を呑んだ。


「孤児院に捨てられた後、テラリア王国の軍人に拾われた。……その時の年齢は五歳だ」


「そんな歳で、軍に……?」


「実戦に投入されたのは、もっと後だけどな」


 悲しむミゼに、俺は微笑する。


「ただ、右も左も分からないまま我武者羅に過ごしていたという意味では、今の状況と近いものがある。……実際、初めて戦いに投入された時も熾烈な旅になった。当時の俺はまだまだ未熟だったが、それを敵が知る由はないからな。……何度も追われ、何度も殺されかけた」


「……トゥエイトさんも、大変だったんですね」


「どうだろうな。俺の場合は単に、生きることに必死だった気がする」


 必死さも度を過ぎれば淡々とした日々になる。

 感情が摩耗し、人の生き死にに対してすら眉一つ動かさなくなるのだ。魔王を殺した時に達成感がなかったのもそのためだ。


「仲間は、いたんですか? 当時のトゥエイトさんを支えてくれるような人は……?」


「仲間か……いるにはいたが、そのうちの半分以上が既に死んでいるな」


 小さな声で答えると、ミゼが自分のベッドから俺のいるベッドへと移った。

 そして、その華奢な身体で抱き締めてくる。


「ミゼ?」


「――傷の舐め合いは、嫌いですか?」


 居場所を失ったばかりの少女が、自分の傷を癒やすこともなく俺を慰めようとしていた。

 なら俺は、せめて彼女の傷くらい癒やしてやるべきではないだろうか。


「おやすみなさい」


「……ああ、おやすみ」


 共に肌の温もりを感じながら、ゆっくりと眠った。

 人肌恋しいという感覚とは今まで無縁だったが――今、漸くその気持ちが分かったような気がする。


 学園の寮で眠っている時よりも。機関の宿舎で眠っていた時よりも。今までの、どんな時よりも安心して眠れた気がした。


 だが――そんな時はいつまでも続かない。


「ミゼ、起きろ」


 目の前で寝息を立てている少女の身体を揺さぶって起こす。


「……トゥエイト、さん?」


「襲撃だ」


 寝ぼけていたミゼの瞳が、一瞬で見開かれた。


「道中、仕掛けていた罠が作動した。恐らく付近に敵が潜んでいる。……すぐにこの村を出るぞ」


 ベッドから下りて着替えを始める俺に、ミゼも慌てて準備した。

 村の周辺に仕掛けた《爆発罠》が幾つか起動している。動物や魔物は通れない狭くて険しい道に仕掛けていたものだ。あんなところを一般人が通る筈もない。身を隠して村に近づこうとする者だけが通る道だ。


 夜更けまで、まだ数時間ほどあるだろう。

 この暗闇に乗じて、できるだけ遠くに逃げなくてはならない。

 足音を潜めて一階に下りた俺たちは、人がいないカウンターに部屋の鍵を置いて村を出た。


「トゥエイトさん、馬車は……」


「時間がない。捨てるぞ」


 どうせ馬車を回収したところで、この暗闇の中ではろくに進むこともできない。

 それに、ここまで敵が来ているということは、馬車が通れる道も警戒されているだろう。


「あっ!?」


 森の中を走っていると、ミゼが地面の凹凸に躓いた。

 倒れそうになるその身体を抱える。


「大丈夫か?」


「は、はい。……すみません」


 本当は一晩中、休息に費やすつもりだった。

 身体の疲労はまだ解消されていない。加えて中途半端な時間に目を覚ましてしまったからか、気持ちも落ち着いていないのだろう。


「休憩はもう少し先だ。今はできるだけあの村から離れたい」


「……はい」


 今頃、局の人間が村の中で調査を始めている筈だ。

 既にミゼは肩で息をしている。だが気を遣っている場合ではない。ミゼが疲労で倒れることのないギリギリのペースで移動を続けた。


「カーナブン共和国まで辿り着けば、安全なのでしょうか」


 服も身体も土で汚したミゼが、か細い声で呟く。


「正直、分からない。共和国は今、アルケディア王国と敵対関係にあるが……普通、敵国の王族が懐に入ってきたら、外交カードとして利用する筈だ。その方法によっては……一生、囚われの身となるかもしれない」


「それは……」


「あくまで仮定の話だ。共和国へ逃げる際は、できるだけ俺たちの出自を隠す。亡命という形では入国しない」


 共和国は少々、アルケディア王国との因縁が強すぎる。

 出自を明かすと保護してくれる可能性は高いが、その場合、再び囚われの身になる可能性も高い。だがそれは……自由を求めてアルケディア王国から去ったミゼにとっては、何一つ状況が好転しているとは言えないだろう。


「……もし私が、共和国に辿り着いた後も逃げたいと言えば……トゥエイトさんは、ついて来てくれますか?」


「ああ」


 ふらふらの足取りで、儚い声で告げるミゼに、俺は即答した。


「何処までも、一緒にいてくれますか?」


「ああ」


 続けて即答した俺に、ミゼは視線を落として再び訊いた。


「……死ぬまで、一緒に」


「流石にそれは飛躍しすぎだ」


 周囲を警戒しながら答える。


「だが、これが死ぬまで終わらない旅だとしたら……俺はミゼと一緒に死のう」


 ろくに自分の人生を歩んでこなかった俺に、ミゼを救うなんて傲慢な選択肢はない。

 だが、彼女を裏切らないという決意くらいは抱いてもいい筈だ。


 次の休息地を目指して、ひたすら森を進む。


 ここノクターン。

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