31話『組織の狗』
「尋問するって、どういうこと?」
「言葉通りの意味だ」
オズの問いに、俺は足元で倒れる男に近づきながら答えた。
「自決用の毒を取り除くのに手間がかかりそうだから今までは諦めていた。だがオズがいるなら問題ない。……俺はこれから時間をかけて、この男を尋問する。その間、オズはミゼのことを見張っておいてくれ」
仰向けに倒れる男の唇を指で外側に引っ張り、奥歯の裏に隠された自決用の毒を目視する。毒は半透明な袋に入っていた。特殊な道具で取り付けたのか、慎重に接着面を剥がさなければ袋が破れてしまう。
「いやいや、ちょっと待ってよ。まずさ、なんで尋問するの?」
どうやって毒を除去するか、方法を模索していた俺にオズが訊いた。
「……オズ。俺は、局から渡された情報の確度を疑っている」
説明してもオズは首を傾げて不思議そうにするだけだった。
やむを得ず、もう少し詳しく話す。
「敵は身代金目当ての犯罪者集団と言うが……普通、これだけ死人が出れば、割に合わないと判断して手を引く筈だ」
正直、護衛の仕事がここまで長引くとは思っていなかった。
今の状況を、ひとつの組織と敵対していると仮定した場合、俺はもう随分と敵に痛手を与えた筈だ。普通ならもっと早い段階で手を引いてもおかしくない。そもそも俺は、最初からそういうつもりで敵を殺してきた。
「それに敵の装備も妙に整っている。特に毒薬だ。……あの毒は原材料が手に入りにくく、高値で取引されているものだ。それを大量に用意できているということは、何か大きな後ろ盾があると――」
「ねえ、それってさ」
いつもの様子とはまるで違う。
オズは酷く淡々とした口調で言った。
「――局を疑ってるってこと?」
冷たい声音で問いかけるオズに、俺は答えた。
「そういうわけではない。ただ、もしかすると前提とする情報が間違っているかもしれないと考えただけだ。そのために尋問して――」
「それならどうして局に協力を要請しないの? 別に28自身が尋問する必要ないじゃん」
普段は年相応に子供らしく振る舞うオズだが――やはり彼女は元機関の兵士だ。
勘がいい。
「そうだな。……すまない、少し嘘をついた」
さも「任務のためには仕方ない」といった風に説明したが、実際は任務など関係ない。
見抜かれた以上、オズには本音を伝えるべきだろう。
「オズ。俺はミゼの護衛である以前に、ミゼの友人なんだ」
「……だから?」
「もし、局がミゼのことを蔑ろにするようなら――俺はそれを未然に防ぎたい」
身代金目当ての犯罪者集団が、ここまでミゼ一人に執着する理由は何だろうか。
どうして局やクリスは、俺たちに必要最低限の情報しか教えないのだろうか。
そして――ミゼがここ最近、経験しているという謎の既視感。
――ミゼには何かあるのかもしれない。
局はそれを、どう扱うつもりなのか。
ミゼの友人として、俺はそれを知りたかった。
「うーんとさ。仮にだよ? 仮に局がボクたちに情報を伏せているとしたらさ、それってボクたちが知っちゃいけないものなんじゃない? ほら、偶にあるじゃん。知られた時点で処分しなくちゃいけない重大な情報。そーゆーやつなんじゃないかな?」
確かにクリスも俺たちを無駄死にさせたいわけではない筈だ。局が情報を隠すとしたら、それは俺たちに対する配慮である可能性が高い。
しかし――局は国家の利益を最優先に動く組織だ。
俺たちに配慮するといっても、それは俺たちの国を守る機能に対する配慮であって、俺たちの感情や欲求に対する配慮ではない。
もしミゼがこの国にとっての損害に繋がるのであれば、局は容赦なく排除するだろう。
俺がそれを止めたいと思っていることくらい、クリスは見抜いている筈だ。
いざという時、俺に動かれては困るから、最低限の情報しか渡されていないのかもしれない。
だから、局の裏をかく方法で情報を入手したかったのだが――。
「よくわかんないけどさ。どうしてもやりたいなら、ちゃんと許可取ってからの方がいいんじゃない?」
問いかけのように聞こえるが、オズの目は俺の意見を聞きたがっているようには見えなかった。これは提案ではなく譲歩だ。オズにとって、俺の行動は理解できないものなのだろう。それでも許可さえ取れば協力してやらないこともない。……そう暗に告げている。
「……そうだな。許可は取っておこう」
「うんうん、ていうか当たり前だよそれ。命令以外のことをするなんて兵士失格じゃん」
明るくオズが言う。
内心、舌打ちしたい気持ちで一杯だった。
ここでオズの協力を受け、敵を尋問する予定だったが、この分だと協力を得られそうにない。渋々『通信紙』を取り出し、クリスに連絡を入れる。
「クリス」
『何?』
クリスの声がオズにも聞こえるように、『通信紙』の音量を上げた。
「敵を一人捕らえた。尋問の許可が欲しい」
端的に用件を述べると、クリスは暫く黙った。その後何やらガサゴソと物音が聞こえる。クリスの裁量では回答を決めかねるのか、第三者に指示を仰いだのかもしれない。
『却下するわ。捕らえた敵は殺してちょうだい』
予想していた答えが返ってくる。
直後――バキッ、と何かのへし折れる嫌な音がした。
振り返れば、《靭身》を発動したオズが倒れた男の首を踏み潰していた。
平らに潰された男の喉を見て、俺はオズに声をかける。
「……思い切りがいいな」
「なんで? 普通じゃん。だって今の命令でしょ?」
平然と告げるオズに、俺は口を噤んだ。
――以前の俺も、こうだったかもしれない。
自分とオズの間に明確な隔たりを感じた。
国家の狗を止めたつもりでいる俺と、そうでないオズの間には、あらゆる認識の差がある。
オズは今、局の命令を遵守すること以外に、何も価値を見出していないのかもしれない。それは「普通」とは程遠い。機関の兵士が異端たる所以と言っても過言ではなかった。
ゾッとした。
俺は今までこの違和感を自覚していなかったのか。
「28……なんか変わったね」
「それは、良い意味で言っているのか?」
「うーん、どうだろ。少なくとも戦場で今みたいな28と会ったら、取り敢えず上に報告しとくかも」
「ここは戦場ではない。……オズ、大戦はもう終わったんだ。いつまでも過去の価値観に固執する必要は――」
咄嗟に言葉を止め、身を翻す。
迫り来る銀色のナイフが、俺の左頬を掠った。
「あはは、よかった。頭はともかく、腕の方は鈍ったわけじゃないね」
突き出したナイフを懐に仕舞い、オズが踵を返す。
その後ろ姿を眺めながら、俺は彼女の経歴を思い出した。
先代02に拾われたオズは、まだ年端もいかない少女だったにも拘わらず、彼に師事するようになった。そんなオズの行動を機関の人々は鼻で笑った。何処の馬の骨とも分からぬ輩が02の座を引き継ぐことになるとは誰も予想していなかった。
だが予想に反し、オズは血の滲むような努力を経て、先代02の境地に辿り着いた。
並外れた幸運に恵まれていたのもある。極めて高い才能を宿していたこともある。
しかし……だからと言って、何の犠牲もなくここまで強くなれる筈がない。
目の前の少女が、当代の02になるために犠牲にしたもの。
その一端を垣間見たような気がした俺は、酷く気分が悪くなった。
【オマケ】
やろうと思ったけどやらなかった小ネタ。
「もし、局がミゼのことを蔑ろにするようなら――俺はそれを未然に防ぎたい」
「……ミゼだけに?」
「お前、今、そういう空気か? おい?」
「ごめんなさい」




