03話『日常ゆえの脆さ』
魔法薬学の授業が終わり、学園は昼休みを迎えた。
俺とグランとミゼの三人は、英雄科のエリシアと合流し、中庭へ向かう。
最近、俺たち四人は中庭で一緒に昼食を食べることが多かった。
「要するに、またトゥエイトがやらかしたってことね」
魔法薬学で起きたことについて、ミゼとグランが説明すると、エリシアは溜息を零しながら俺を睨んだ。
「入学から早二ヶ月。……少しずつ、ボロが出てきたわね」
「……そんなつもりはないんだが」
否定しつつ、俺は先月のことを思い出した。
例の騒動――エリシアの復讐を止めたあの日以来。どうも彼女は、俺の正体に薄々気づいているような素振りを見せる。俺があまり踏み込んで欲しくないことをエリシアも察しているのか、堂々と追求してくることはないが、時折彼女は明らかに俺を訝しんでいた。
「ねえ……貴方、もしかしてそういう経験あるの?」
エリシアが俺の方へ身体を寄せ、潜めた声で訊いてきた。
「そういう経験というと?」
「その……毒殺、とか」
物騒な単語に、俺は溜息を零す。
「そんな経験、あるわけないだろう」
「そ、そうよね。流石にそこまであくどいことはしていないわよね」
「ああ。大体、魔法の道具は、魔法で対策されるのがオチだ。毒を作るなら魔法薬学ではなく、純粋な薬学の技術で作る。……料理と同じだ。本気で人を殺したいなら、きちんと手間を掛けた方がいい」
「ねえ、ほんとに? ほんとに毒殺したことない?」
エリシアの疑いが一層濃くなったような気がした。
こちらの真意を探ろうと、顔を近づけてくる。
そんな俺とエリシアの応酬を、グランとミゼは少し離れた位置で眺めていた。
「なあ、やっぱりお前ら、付き合ってるんじゃねぇの?」
額に青筋を立てたグランが言う。
その一言にエリシアは我に返ったのか、俺から距離を取り、態とらしく咳払いした。
「今は付き合ってないわよ。そうよね、トゥエイト?」
「ああ」
やたらと今はの部分だけ、強い口調だった気もするが、彼女の言葉に間違いはない。
一時期、ひょんなことから、この四人の間で俺とエリシアの恋人説が浮上した。
発端は俺がエリシアの復讐を止めようと説得する際、彼女とキスしたことだろう。だがあれはどう考えてもお互い望んだものではなかった。俺は目の前の日常を守ろうと必死だったし、エリシアは憎悪に燃えて正常な思考力を失っていた。
そういう事情があるため、全ては誤解であると伝えたが――どうもエリシアは納得していない様子だ。
あの時はエリシアも「そうよね。あれは誤解よね」と同意してくれた筈だが、以来、彼女はこの話題が出る度に不機嫌になる。
何か言った方がいいだろうか、と思ったが、今は何を言っても藪蛇になってしまいそうなので、黙々と食事を進めることにした。
木のベンチに腰を下ろしていると、中庭を吹き抜ける柔らかな風が髪を揺らした。
俺とグランは購買で売っているパンを。エリシアとミゼは、自分で作った弁当を食べていた。
もしゃもしゃとパンを咀嚼しながら、ふと、ミゼの方を見る。
彩り豊かな弁当を、小さな口で、少しずつ食べる彼女の所作は、やはり年頃の少女らしくない丁寧なものだった。
「いつも思うんだけれど、ミゼって仕草がとても上品よね」
「ふぇっ!? そ、そうですか!?」
エリシアの呟きに、ミゼは大袈裟な反応を返す。
「ええ。育ちの良さが伝わってくるわ。まるで貴族みたい」
「そそそ、そんなことありませんよ! ほ、ほら私、食いしん坊ですから! お弁当とかも、こうやって大きな口で――――むぐっ!? げほっ、げほっ!!」
ミゼが精一杯、大きな口を開けて、卵焼きを三つ纏めて食べようとした。しかし結局、喉に詰まってしまったらしく、口元を抑えながら激しく咳き込む。
エリシアとグランが気づいているのかは知らないが……どうやらミゼも、何か隠し事があるらしい。
本人に明かす気がないなら、踏み込むのも野暮というやつだろう。
事実、俺にも隠し事はあり、それはできるだけ踏み込んで欲しくない類いのものだ。
一ヶ月前。
エリシアの件で、俺は日常の脆さを痛感した。
日常は、ふとした瞬間に呆気なく破壊される。
破壊された日常を、再び取り戻すのはとても困難なことだった。
できることなら、俺たちの日常は頑丈であって欲しい。
どんな逆境にも屈することなく、どんな災害にも揺らぐことがない。そういう頑丈な日常であって欲しいと、願ったこともある。
しかし――あれから更に一ヶ月が経過したことで、俺は理解した。
この日常の脆さは、永遠に続く。
元々、脆いものなのだ。日常というやつは。
それは日常ゆえの脆さというやつらしい。故に頑丈にすることは不可能だと考えを改めた。
俺には隠し事がある。
ミゼにも隠し事がある。
エリシアには隠し事があった。
きっとグランも、何か複雑な事情を抱えている。
そういうものの上で、日常は成り立っている。
だから、日常という世界の住民は、とても慎重だ。相手への気配りを欠かしてはならない。相手を不必要に刺激してはならない。日常で生きてきた彼らは、日常の脆さを良く知っているから、それを壊さないよう日々努めている。
――少し、驕っていたかもしれない。
以前までは、俺がこの日常を守ったのだという意識が少なからずあった。
確かに俺たち機関の人間や勇者たちが魔王を倒したことで、人々の日常は守られたのだろう。だが、その日常を保ってきたのは俺たちではなく、この場にいる彼らだ。日常を守ってきたのは何も俺たちだけではない。彼らのお陰でもある。
まだまだ彼らから学ぶことは多い。
それは、俺にとっては嬉しいことだった。
「……ん?」
右腰辺りに違和感を覚え、パンを食べる手を止める。
制服のポケットが僅かに震動していた。
どうやら『通信紙』が着信しているらしい。
「悪い、少し席を外す」
短く断りを入れて、席を立った。
何故か、嫌な予感がした。




