13話『シルフィア先生は末期』
数日後。
俺は今日もシルフィア先生から魔法を教わっていた。
「あっ」
右足を乗せていた《障壁》が、パリンと音を立てて割れる。
「片足を軽く乗せた状態で、五秒ですね……以前は一秒と保たずに崩壊していましたから、確実に耐久性は向上しています」
その光景を見たシルフィア先生が、顎に指を添えながら呟いた。
「本日はここまでにしておきましょう。お疲れ様です」
「ありがとうございました」
クリスにシルフィア先生を紹介してもらってから、俺はほぼ毎日のように先生から教えを受けていた。と言っても、やることは大抵、経過報告くらいである。俺が自分なりに訓練して身に付けた技術を、シルフィア先生にチェックしてもらい、正しい方向に成長していると保証してもらうのだ。
「《障壁》の扱いが随分と上手くなりましたね」
「先生のおかげです」
「私はただ方向性を示しただけですよ。……トゥエイト君はすぐに努力して成果を見せてくれますから、私も楽しいです」
微笑みながらシルフィア先生が言う。
いつもならここで別れて、また明日ということになるが、俺は先日グランから言われたことを思い出した。
「シルフィア先生。何かして欲しいことはありますか?」
「して欲しいこと、ですか?」
「日頃のお礼をしたいと思いまして。競技祭で忙しい中、放課後まで付き合ってもらっているんですから……何か手伝えることがあれば言ってください」
そう告げると、先生は難しい顔をして答えた。
「うーん……では、荷物を運んでもらいましょうか」
「荷物ですか?」
「はい。魔法薬学に使う道具を、教室まで運んでもらいます」
そう言って、シルフィア先生は部屋の棚や引き出しから次々と道具を取り出し、床に積み上げていく。
「道具はこれで全てです」
「……多いですね」
「そうなんですよ……魔法薬学は色んな道具を使いますから。毎回これを運んでいるせいか、最近は腰が辛くて……」
「腰?」
「あっ!? いえ!? ななな、なんでもありません! た、体力が辛いだけです!」
急に顔を真っ赤にして、シルフィア先生は言った。
「で、では、お願いします。私は書類整理が残っていますので」
態とらしく咳払いしてシルフィア先生が言う。
俺はすぐに道具を持ち、教室へと向かった。一度で全ては運びきれないので、二度に分けることにする。
長い廊下を歩き、教室へ向かった。
窓の外から生徒たちの掛け声が聞こえる。競技祭の練習も本格化しており、白熱した空気が伝わってきた。
「……もう一往復だな」
教室に荷物を置いた俺は、一息ついて再びシルフィア先生がいる部屋へと戻る。
その途中、赤髪の女性とすれ違った。
「む?」
基礎戦闘の担当であるファルネーゼ先生だ。
一礼して、歩き出そうとすると――。
「待て、少年」
何故か俺は、ファルネーゼ先生に呼び止められた。
「今、魔法薬学に使う道具を運んでいただろう。シルフィアに何か頼まれたのか?」
「頼まれたというか、俺の方から手伝いを申し出たんです。日頃、魔法を教えてもらっていますので」
「魔法を?」
「はい。最近、放課後にシルフィア先生から魔法を教えてもらっています」
そう言うと、ファルネーゼ先生は何かを考え始めた。
「ふむ。最近、妙にはしゃいでいると思ったが、そういうことか。……けしからん」
けしからん、とはどういう意味だ。
不思議に思っていると、ファルネーゼ先生がこちらを見る。
「授業の様子を見た限り、お前は魔法よりも体術の方が向いているのではないか? どうせ師事するなら、シルフィアより私だろう」
「それは……」
一理ある意見だったが、俺の目的は別に強くなることではない。
俺がシルフィア先生に魔法を教えてもらっている目的は、自他ともに安全な戦術を身に付けるためだ。俺は実力を高めるためではなく、行動の選択肢を増やすために魔法を教わっている。新しい体術よりも新しい魔法を覚えた方が、より幅広い戦術が可能になるだろう。
「……諸事情で、今は体術よりも魔法を教わりたいと思っているので」
「そうか。……まあお前自身がそう判断しているなら、問題ないだろう」
どこか引っ掛かるその言い方に、俺は首を傾げた。
「いや、なに、気にするな。私はただ、お前がシルフィアの毒牙にかけられていないか心配だっただけだ」
「毒牙に、ですか?」
「いいか、よく聞け。ここだけの話……シルフィアはな、お前みたいに物静かで聡明な男が好みなんだ。普段はぽわぽわと脳天気に過ごしているように見えるだろうが、あれで行き遅れたことに強いコンプレックスを抱いている。必要以上に心を許せば、あっという間に食われ――」
「――ファルネーゼェ!!」
大きな怒鳴り声が聞こえた。
いつの間に近くまで来ていたのか、そこにはシルフィア先生がいた。先生は話を聞いていたらしく、顔を真っ赤にしながら大股で近づいてくる。
「トゥエイト君の帰りが遅いので、様子を見に来たら…………な、何を言ってるんですか!!」
「何をと言われてもな。私は事実しか言っていないぞ」
「じ、事実ではありません! それに生徒に聞かせる話でもありません!」
「ふん、そんな風に固いことばかり言うから、お前はいつまで経ってもモテないんだ」
「んなぁっ!?」
シルフィア先生は一瞬、泣き出しそうな顔をしたが、辛うじて堪えた。
「だだだ、大体、ファルネーゼも結婚してないじゃないですか!」
「ふん、しないとできないでは大きな違いがある。実際、私は何度も求婚を受けているぞ」
「くう……っ!? こ、この、年下キラーめ……!!」
「私は自分より弱い相手と結ばれる気がないだけだ」
堂々と告げるファルネーゼ先生に、シルフィア先生は言葉に詰まったようだった。
流石に少し可哀想というか……哀れに思えてきたので、助け船を出す。
「ファルネーゼ先生。シルフィア先生は、真面目に魔法を教えてくれますよ」
二人の視線がこちらに向く。
「シルフィア先生は生徒想いのいい教師だと思います。プライベートについては知りませんが、少なくとも仕事に私情を挟むタイプではないかと」
「まあ、確かにそうかもしれんな」
「ファルネーゼ先生は、シルフィア先生のことを固いと言っていましたが……俺は、それもひとつの魅力だと思います」
そう言って、シルフィア先生の顔を見ると、
「ト、トゥエイト君……っ」
シルフィア先生は頬を紅潮させ、感極まった様子でこちらを見つめていた。
その様子に、ファルネーゼ先生は顔を顰める。
「いや、こんな風にあっさりと生徒にときめいてしまう辺り、もう末期だろう」
「そうですね。前言撤回します、ちょっと鳥肌立ちました」
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」
シルフィア先生は泣きながら走り去った。
「ふむ、流石に言い過ぎたか」
「思わず悪乗りしてしまったじゃないですか」
「私のせいか?」
半分はファルネーゼ先生のせいだが、多分、俺も悪い。
臍を曲げて明日以降の訓練が中止にされても困る。あとで謝罪しに行こう。
「話を戻すが、そもそもお前はどうしてあいつに魔法を教わることになったんだ?」
「競技祭で使える魔法を習得したいからです。このままでは、鷹組のお荷物になりそうですから」
そう言うと、ファルネーゼ先生は目を丸くした。
「お荷物? 馬鹿なことを言うな、お前はかなり強いだろう」
驚きながらそう告げるファルネーゼ先生に、俺はビルダーズ学園の入学試験のことを思い出した。そう言えば俺は以前、エリシアと共闘してファルネーゼ先生を倒している。
「条件が整えばの話です。競技祭では《狙撃》も使いにくいですし……」
「入学試験の時は驚いたが、何もあれだけの話ではない。前々から気になっていたが、お前、かなり場数を踏んでいるだろう」
「……何故、そう思ったんですか?」
「立ち居振る舞いが他の生徒とは比べものにならないほど洗練されている。模擬戦の時も接戦を演じているようだが、実際はかなり余裕があるだろう」
淡々とファルネーゼ先生は告げる。
彼女の認識は、全て正しかった。
「私は入学時からお前の実力にはある程度、察しがついていたし……恐らくシルフィアもそうだ」
「……シルフィア先生もですか?」
「そうだ。敢えて言っていないだけだろう」
そう言えばシルフィア先生は、俺の偏才化に薄々気づいていた。
「流石、ビルダーズ学園の教師ですね」
「教師の全員が気づいているわけではないと思うがな。確信を持っているのは私とシルフィアだけだろう。……なにせ私たちは勇者の師に抜擢されているからな。教え子を見る目には自信があるつもりだ」
ファルネーゼ先生は自慢気に笑った。
「それ、言っていいんですか?」
「伝える相手は選んでいるはずだ。お前は言い触らすタイプではないだろう」
勇者に特定の師がいることは、予想はされていても公表はされていない。もしファルネーゼ先生とシルフィア先生が、勇者の師であると公表されれば、生徒たちが指導を求めて殺到するだろう。
「体術も鍛えたくなったら、いつでも私に声を掛けてくれ。いくらでも付き合ってやろう」
「……随分と、一人の生徒に対して親切にしてくれるんですね」
素朴な疑問を吐き出すと、ファルネーゼ先生は神妙な面持ちをする。
「……英雄科の選民意識には、教師陣も頭を悩ませているからな」
小さな声で、ファルネーゼ先生は言った。
「英雄科と普通科は、方向性が異なるだけで優劣はない。しかし現実問題、英雄科の生徒は普通科を見下している。それはお前も感じているだろう?」
「……まあ」
「だから普通科の生徒を適当に鍛えて、英雄科に勝る実力を持たせてやれば、その印象も覆ると思ったんだ。お前には、その一人になってもらうつもりだった」
「なるほど」
納得する俺に、ファルネーゼ先生は不敵な笑みを浮かべた。
「お前にそのつもりがあるなら、いくらでも手伝ってやる」
「……前向きに考えておきます」
「あまり期待はしない方が良さそうだな」
そう言って、ファルネーゼ先生は踵を返した。




