エピローグ1 ヤク中の栞子先輩は屋上がお好き(前編)
四季は嫌でも巡る。
二人のエピローグが始まるにあたって、あの日から約一年の月日が経っていた。
聖也が栞子先輩から逃げ出した、あの放課後からである。
エピローグのきっかけは、ドローン弁当であった。
二学期のある日、聖也はとある後輩からメールを受け取っていた。
『親愛なる元カレ先輩へ』
『申し訳ありません、元カレ先輩。実は風邪をひいてしまったため、本日は家で休ませて頂いております。よって残念ながら、本日はお約束していた昼食をご一緒することができません。元カノとして不甲斐ない限りです』
『せめての償いとして、作りたてのお弁当だけ届けさせていただきました』
『あ、お弁当作成の際はきちんとマスクを装着したので、ご心配は不要です』
『お弁当は主に愛の力で、そして少しばかりのドローンの助けによって屋上に届いているはずです』
『ぜひ機械仕掛けの愛の味をご賞味頂ければ幸いです』
『あなたの元カノ後輩より』
「……ドローンとか使えるんだ……」
相変わらず予想の斜め上の後輩ぶりに、ひとしきり苦笑いする。
そして聖也は弁当の礼と、よく体を休めるようにメッセージを返した。
そして昼休み。
なんとか教員を言いくるめ鍵を入手した聖也は、屋上へと続くドアを開けた。
開け放したドアから入ってきたのは、涼しげな秋風と心地よい光。遮るもののない真っ平らな屋上の上に、そのまま秋晴れの空がのっているようだった。
「すごい……これは気持ち良いな」
聖也は深呼吸しながら、広々とした屋上に踏み出す。
果てしない開放感だった。
普段屋上は施錠されていて、生徒は出入り出来ない。例のメールの後輩と昼食をとるときは、いつも中庭か部室である。
だがこれほど気持ち良いなら、一度ぐらいこっそりここで昼食を食べられたら良いかもしれないなどと思ってしまう。
後輩が愛の力(とわずかなドローンの力)によって届けた弁当は、すぐに分かった。屋上のど真ん中に、いかにも堂々と届けられていた。
まだ温かいそれを手に取り、聖也が振り向いた時であった。
彼はようやく、彼女の存在に気づいた。
「あれ……何で……?」
施錠されていたはずの屋上に、なぜかその美しい人はいた。
腰まで届くほど長い、二本の三つ編み。
驚くほど長い睫毛と、深淵のようにドス黒い瞳。
それらで出来た鋭い眼光を、野暮ったいメガネで隠している。
唇は艶やかなピンク色。
程よく尖った顎はと、白い首筋。
そして抜群のプロポーションを、制服のブレザーの中に隠していた。
かつて一度だけ聖也も目にした、あのモデルのような裸体の話である。
つまりは栞子先輩であった。
栞子先輩はドアのすぐ横の壁に背を預け、気だるそうに座っていた。
ドアのすぐ横に腰を下ろしていたため、気づかなかったのだ。
そして開けたドアの死角になるその位置は、おそらく確信的なものであろう。
そうとしか思えない。
なぜならば彼女は今、
タバコを吸っているのだった。
「ええええぇぇぇ……」
聖也は思わず声を漏らした。
よりによって、なぜこんな場面に遭遇してしまうのか。
いや、無論のこと出入り禁止の屋上だからこそ、栞子先輩はここに忍び込んでタバコを吸っているのであろうが……。
それにしても間が悪過ぎる……。
どう声をかけたものか、それとも見なかったフリをして通り過ぎるべきかと逡巡していると、先輩に先に動かれてしまった。
聖也のことをチラリと一瞥すると、軽く目を細める。
そして先輩は手を伸ばして開けっ放しの扉をパタリと閉めると、そのドアの前に飄々と座り直してしまわれたのだった。
「ええええぇぇぇ……」
これは栞子先輩を倒さないと扉を通れないパターン。
倒せる気がしない聖也は、素直に声をかけることにした。
「あのー、栞子先輩……?」
つーんと横を向いたまま、聞こえないふりをしてタバコを吸い続ける先輩。
まるでヘソを曲げた子供のような雰囲気が、そこにはあった。
うんわかった。これもう完全に、ただのいじわるだ。
「せ、先輩。タバコ、体に悪いですよ。吸うのやめて教室戻りましょう」
とりあえず説得力ゼロの呼びかけをする聖也。
だがそんな聖也のことを、一瞬だけ横目で見ると。
「バカ……タバコなんか吸ってねえよ……」
先輩はぼそりと答えた。
「え、違うんですか……?」
そう言われて、よくよく見直す聖也。
言われて見れば確かに、先輩が左手に持っているそのブツ。
それはタバコと言うには、あまりに太すぎた。
太く、長く、茶色く、そして濃厚な香りを発していた。
それは正に葉巻だった。
「……先輩」
さすがロアナプラ帰りとも噂されるイカレ系先輩。
そこらの不良とはやることが違う……。
聖也は仕方なく言い直した。
「は……葉巻はもっと体に悪いと思いますよ……」
「……バカ。違うって言ってんだろ」
ふて腐れたように答える栞子先輩。
「いやいやいや。じゃあその火がついてるソレ、葉巻以外の何だって言うんですか」
先輩はめんどくさそうに言った。
「……薬草だよ」
「ヤク……?」
悲報。葉巻ですらなかった。
「ええええええっ。ヤクって、なんてやばげなモン吸ってるんですかっ、早く病院行きましょうっ! 俺も一緒に行きますからっ、ほら、早く立って!」
掴みかからん勢いで叫ぶ聖也に対して、栞子は答えた。
「バカ……勘違いするなよ。ヤクじゃなくて薬草だよ……何で病院行かなきゃいけねーんだ。薬草が体に悪いわけねーだろ」
「え、薬草? えええええぇぇぇ……?」
めっちゃ肺がんになりそうな絵面のクセして。
薬草?
「薬草って、え、あのドラクエとかに出てくる……」
「あー。ま、そんな感じだな……俺はドラクエやったことねーけどさ……」
先輩はドロリと濁った瞳で、気だるそうに答える。
もうどう見てもダウナー系の葉っぱ吸っている姿にしか見えない。
「薬草って……実在するんですか?」
「……自分で持って帰ってきたんだよ」
「持って? まさかロアナプラからですか?」
騙されてますよ。それ薬草という名の大麻ですよ。
という言葉を聖也はギリギリで堪えた。
だが幸いにして、違ったらしい。
先輩は逆にこう聞き返してきたのだ。
「……はあ? ロアナプラってどこだよ?」
「え、どこって……あれ? どこだろう。たぶんタイにある犯罪都市……かな?」
「少なくともタイじゃねえな……」
ぼそりと答える。
「じゃあどこの国ですか」
「あー、国名か……日本語の発音なら、モンドゥールだな……」
「モン……? それ、どっかのファンタジー小説の国じゃありません?」
「……中ノ国の東にある国だ」
「えぇ……」
首輪作りし影の王が君臨する独裁国家である。
まさかロアナプラよりヤバイ地名が出るとは思わなかった。
先輩の噂……その奇矯な噂話のうち、最も根強い噂を聖也は思い出していた。
「先輩……先輩のことを……先輩が半年間失踪している間に、異世界に行ってたなんていう面白い噂を聞いたことがあるんですけど……まさか……」
「……さあ……知らねえな」
肝心なところではぐらかす栞子先輩。
「……一万歩譲ってそれがファンタジー世界から持ち帰った薬草だと仮定して……それ薬草の使い方として合ってるんですか?」
そう尋ねる聖也に対して、栞子先輩は『薬草』をたっぷり一服ふかしてから答えた。
「てめーは……」
「はい」
「勇者が薬草使うところ見たことあるのかよ」
「え……?」
そう言われてみれば……ない……。
言われてみれば、ゲームだとその辺の描写全くされていない。
漫画のダイの大冒険とかならそういうシーンあるのだろうか。
「見たこと無いですが……。でも薬草って、普通に考えれば食べるモンでしょう」
そんな言葉に対して、栞子先輩は答えた。
「確かに《勇者》だった田中は泣きながらムシャムシャ薬草食ってたな……」
「はぁ」
「そのままスライムにやられた傷で死んだよ……」
「…………た、田中ぁっ」
いや、どこの田中氏かは存じあげないが。
「チュートリアルっ、ちゃんとチュートリアル聞こうよ田中くんっ」
スキップ連打するタイプか、田中くん。
「……ばーか。チュートリアルなんてご親切なモンあるかよ」
「そうなんですか……っていうか、今の話どこから冗談で、どこから本気ですか」
「………」
そっぽを向いたまま、また聞こえないふりを始める先輩。
そして煙に巻くまま、一向にドアからどく気配がない。
いじわる続行中である。
聖也としてはそろそろ文句を言うべき頃合いだが、実のところ後ろめたい部分があるのでそう強い態度に出れられない。
「うう……栞子先輩はまた無視する……」
聖也は腹をくくると、先輩の少し横に腰を下ろした。
そして先輩と同じ方向の空を見ながら、しばし心を整える。
いい機会だと、もう分かっていたのだ。
この時を逃せば、こんな好機もう二度と訪れないだろう。
そう、実はもう聖也は気づいていた。
つまりはこれは先輩の『いじわる』ではなかったのだ。
先輩はドアの前に腰掛けることによって。
きっと聖也に千載一遇のチャンスをくれたのであった。
聖也は言った。
「栞子先輩」
「一年前は、逃げてすみませんでした」
後編に続きます。
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