表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

エピソード0 栞子先輩はラブコメがお下手(後編)



「ひへぇえっ!?」


 耳を甘噛みされて、聖也は思わず情けない悲鳴をあげてしまった。

 そんな彼を見て、栞子先輩は薄く笑みを浮かべていた。

 

「……なんだ……もしかして初めてか?」


 そうボソリと呟きながら、栞子先輩はペロリと唇を湿らせた。

 桜色の唇が、艶やかに濡れるのが見えた。 


「心配するな……初めてでも、ちゃんと『良く』してやるよ……」


 囁かれるたびに、先輩の唇がさわさわと耳朶をくすぐる。美人の先輩にそんな事をされて、骨抜きにならない高校生など居ようはずが無い。先程まで恐怖で固まっていた背筋が、クラゲのようにふにゃりと緩んでいくのが分かった。

 そんな聖也のことを知ってか知らずか、彼女は再び囁いた。


「オレもこっちの世界では、コレが初めてだしな……」


 艶かしいハスキーボイスが、耳から脳へと流れ込んでくる。


 こっちの世界?


 疑問に思うべきだったが、とろけ始めた聖也の脳ではもう十分に考えることが出来なかった。そんな彼に対して、栞子先輩は手を緩めない。


「悪いようにはしないぜ……」


 ふにゅん、と柔らかな感触が聖也の胸を襲う。

 見ると彼の胸板に、ブラウス越しの先輩の胸が押し付けられていた。例のエロティックな黒レース下着に包まれた、深い深い谷間が目に入ってしまった。

 

「(で……でか……!)」


 もうそれ以上の言葉が浮かばなかった。

 完全に栞子先輩の戦力を見誤っていた。

 スレンダーなモデル体型で誤魔化されていたが、先輩は見事なまでに着痩せするタイプであった。押し付けられてダイナミックに形を変え……それでもなお十分な谷間を残すこの柔らかな大質量。


「あ……あ……せんぱい……」


 聖也が自分の胸に見惚れたことに気づき、先輩は悪い笑みを浮かべた。


「にひひ……お気に召したか、霧島……」


 そう言って彼女が、さらにブラウスをはだけようとした瞬間だった。

 彼女のブラウスの裾から、銀色の『何かが』ずり落ち……。



 ゴッッッッ!!!



 聖也の足の上へ、とてつもない勢いで落下したのだった。


「いっっったあああああああああっっ」


 突然の足の激痛に、聖也が叫ぶ。先輩に脳をトロかされていた事を差し引いても、更にお釣りがくる程の激痛。

 

「あ……悪い」


 下を見た栞子先輩が、慌てたように立ち上がる。

 釣られて足元を見た聖也が、そこで見つけたもの。


 鉄球。


 そう鉄球であった。


 拳ほどの大きさの、鈍い銀色の鉄球。それもRPGに出てくるような、トゲ付きの鉄球である。そのトゲ付き鉄球が、聖也の左足の上に落下したのだった。


「な、な、な……何ですかこれっ!」


 しかもそのトゲ付き鉄球には、太さ一センチほどの銀色の鎖が繋がれていた。

そしてその鎖の先は、栞子先輩のブラウスの裾の中へと続いている。


「悪いな……久しぶりなんで、外すの忘れて……」


 栞子先輩はバツが悪そうにしながら、ブラウスの裾をつまむ。

 するとジャラジャラと音を立てて、服の下から銀鎖がこぼれ落ちて来た。


「ひっ」


 聖也は悲鳴をあげる。

 どうやって収納していたのか、たっぷり数メートルはある鎖が彼女の足元に流れ落ちていく。そして最後にゴツリと、トゲ付きの鉄球がもう一つ床に転がった。

 どうやら二つの鉄球が、細い鎖で繋がっている構造のようだった。

 彼女は鎖の中央を手に取ると、軽く手首を捻る。ただそれだけ仕草で床に落ちた二つの鉄球が跳ね、彼女の手にパシリと収まった。

 その鉄球を机の上に置くと、彼女は言った。 


「これでもう大丈夫……あれ……」


 だが彼女が顔を上げると、聖也はすでに遥か壁際へと逃げた後だった。


「な……なんでそんなもの持っているんですかっ」

「へ……?」


 ブルブルと足を震わせ、聖也は叫んでいた。

 自分の足にかつて無い激痛を与え、今は机の上で鈍く光るその物体。その凶器はコスプレやジョークグッズとは一線を画す、『本物の』オーラを放っていたのだ。よく使い込まれた道具が備える、あの独特の存在感。凶器の場合は幾度となく血を吸い、そしてそれを拭った後に残る不吉な曇りであった。

 そしてその鉄球を扱う栞子先輩の手つきもまた、本物であった。

 恐ろしく手に馴染んでいる。

 間違いなく彼女は、その鎖鉄球を『使い慣れて』いた。 

 一瞬前までの自分の愚かさを、聖也は猛烈に恥じていた。


『よりによって!』


『あの恐ろしい栞子先輩が!!』


『エッチな事をしてくれるのではないかなどと!!!』


『危機感が無いにも程がある!!!!』


 自殺志願者も噴飯ものの命知らずであった。

 あのセクハラ体育教師を再起不能にした栞子先輩である。

 その栞子先輩が『お礼』といったのだから、無論のこと悪い意味に決まっている。それをちょっと下着姿を見せられたぐらいで、あっさり油断してしまうとは愚かにも程がある……。いや、下着姿で油断させる意図はさっぱりわからないが……ともかくあの鉄球が偶然足の上に落ちなければ、とっくの昔に聖也はあの鎖で縛りあげられてしまっていただろう。


 いや、縛り上げるのか?


 縛る……吊るす……打ちのめす……。


 あのおっかない栞子先輩のことである、聖也の想像以上の恐ろしい方法で『お礼』をするに違いない。


「ひいっ、勘弁してくださいっ勘弁してくださいっ」


 彼は震えながら壁伝いで移動し、後ろ手で入口の錠を外そうとする。

 その姿を見て、栞子先輩は慌てたように言う。


「お、おいちょっと待てっ。誤解だっ。オレだってこんなモン使う程、イかれたプレイをキメる気はねぇって」

「じゃ、じゃあ何でそんな凶器持ってるんですかっ!!」

「それは……その……あれだ……」

 あれほど威勢が良かった栞子先輩が、急に語尾を弱める。

「その…………モンスター……が……」

「も……もんすたあ? 浦沢直樹ですか?」

「ち、ちげえよバカっ! 死ねっ! どんなモン持とうと、オレの勝手だろっ!」

「ひいぃっ、ほらっ、やっぱり人に言えない理由じゃないですかっ」


 涙すら滲ませながら聖也は叫ぶ。

 その時、ガチャリと音を立ててやっと錠が外れる。


「す、すみませんっ、勘弁して下さいっ」


 次の瞬間、聖也は鞄をひっつかんで廊下に飛び出していた。

 

「あ、おい、ちょっと待てよっ!!」


 栞子先輩は拾った服で慌てて身体を隠すと、聖也を追って廊下へと顔を出す。だがすでに聖也は遥か彼方を全力逃走中であった。

 半裸のままで、彼女は後輩の背中に叫んだ。


「う、嘘だろっ、ほ、ホントに帰るのかよっ」


 いつもながらの口の悪さであったが、その声には哀愁が滲んでいた。


「な……何が気に入らねえんだよっ! こんな格好したんだからっ、ちゃんとヤってけよっ!! お礼だって言ってんだろっ!! おいっ、おいってばぁっ!」


 それでもお気に入りの後輩が振り向かないのを見て、ひぐっ、と彼女は一度だけ嗚咽を漏らす。だがもちろん恐ろしい恐ろしい栞子先輩は泣いたりなんかしない。


「ふんだっ! バカっ!! もう死ねっ!! ヘタレっ!!! スライムに×××掘られて死ねカマ野郎っ!! もう嫌いだっ! お前のこと嫌いになったからなっ!!」


 後輩の背中が見えなくなっても、栞子先輩は罵声を浴びせ続けた。

 悲しい罵詈雑言が、無人の校舎にこだまする。 

 最後には日本語ですらないスラングまで駆使して、その先輩は思う限り『肝心の時に役に立たない』という意味の悪口を叫び続けた。

 もっとも日本語どころか、地球上の言葉ですらないその悪口を聞いたところで、聖也にはちっとも応えなかっただろう。






 そして校門前。


「はあ……はあ……はあ……」


 聖也は息を切らせて、道に座り込んでいた。

 体力の限界というよりは、足の激痛が限界だった。

 ズキズキと痛む左足の靴を、なんとか脱ぎ捨てる。


「げ……」


 見ると、左足の甲が二倍以上の厚さに腫れ上がっていた。

 



       ●     ●



 左足骨折。全治一ヶ月。


 翌日、松葉杖をつきながら現れた聖也を見て、栞子先輩は何も言わなかった。

いつも以上に凶悪な目つきで聖也を一瞥したのみで、彼の挨拶に返事すらしなかった。

 部活中にあったコミニュケーションはただ一度。


「ふん」


 会議の最中、先輩は心底嫌そうに鼻を鳴らすと。

 テーブルの下で、突然聖也の足を踏んだのだった。


「いっ」


 一瞬激痛が走る。

 慌てて下を見ると、ギブスの上から栞子先輩が踏みつけていた。


 しかも裸足で。


 会議中にもかかわらず、だ。

 右足だけハイソックスまで脱ぎ捨て、その眩しいほどの美脚で聖也の折れた足を踏みつけていたのだった。


「……???」


 なんの嫌がらせか。

 でも本当に嫌がらせなら、裸足になる必要はないだろう。

 聖也が首を傾げたところで、どこからか声が聞こえた。


「……ハイ…………キュア……」


 ボソボソと呟くような声。

 その声の後で、先輩は今度こそグリグリとかかとで聖也の足を踏みつけた。

 まるで昨日逃げたことをなじるかのように。


「……???」


 だが痛くない。

 ギブスの上からのせいか、執拗に踏まれても今度は痛みを感じなかった。

 聖也が痛がらなかったせいか、栞子先輩はやがて足をどける。

 そして彼女は、素知らぬ顔で文芸部会議へ戻っていった。

 

 その日あったコミニュケーションは、それきり。

 本当に足を踏まれたきりであった。


 そして結局その後数ヶ月の間、栞子先輩は聖也とただ一言も話そうとしなかった。聖也が恐る恐る挨拶をするたびに、絞め殺さんばかりの視線を返されるのみであった。


「……???」


 加えて不思議だったのは、もう一つ。

 全治一ヶ月の骨折が、たったの数日で完治したことであった。

 それも跡すら残さずに。

 二日ぐらいで痛みも消えたという聖也の言葉に、医者は何度も首を傾げていた。



 いったい自分の足には何が起きたのか?


 いや、そもそもあの日の栞子先輩は、何をしようとしたのか?


 口すら利いてくれない先輩は、なぜ素足で踏みつけてきたのか?



 その真相を聖也が知るのは、


 もう少しばかり後の話なのである。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ