ないものねだり
私のリビングは
この適度な弾力のあるクッションだ
クッションと言っても
綿やウレタンなどでできているわけではなく
カタいところに、繊維のようなものがふわふわとあるような
そのようなものだ
それは
私の面倒をみてくれているひとの頭だ
この人は私を産んでくれた人ではないが
所謂育ての親だ
本当は感情的な人間なのに
誰にもその感情をぶつけることができずに
唯一ぶつけることができるのは、この私だけのようだった
私はこの人が嫌いではないので
いや、寧ろ人間離れしているようでいて実は人間臭いこの人が
案外好きだ
そしてまた
私もとても感情的なので
腹が立つとこの人を攻撃し、
甘えたくてもこの人を攻撃する
この人はそういうときに
「もう!痛いでしょう!」
と言って怒るふりをしているが、実は怒っていない
のを、私は知っている
だから、またそれを繰り返すのだ
この人はどうやら
本気で怒ることができないようだ
生まれつきなのだろうか
ちょっと、気の毒だ
しかし、ちょっと、羨ましい
私はこの人の頭がとても好きで
どういうわけか、この人の肩とか手とかにはあまり興味を持てずに
頭にいると、とても落ち着くのだ
あまりにリラックスしてしまうものだから
時々、そこに粗相してしまうこともある
しかし、そんなときでもこの人は、
「あーもう!だめでしょ!」
と、鏡を見たときに気づき、私に言うが
顔は笑っている
この人が怒ったことはまず見たコトがないが
笑っているところはよく見ている
というか
殆ど、笑って生きている
それと
泣いている
その涙を見る度に
何故か私も哀しくなって
一緒に泣いてしまうのだ
お願いだから、もう泣かないで、と
そう言えば言うほど、不思議とこの人は泣く
だから私も、一緒になって、
「泣かないで、泣かないで」
と、泣き続けてしまう
この人も、何がこんなに哀しいのかわからないようだった
「ねえ、チョコ、あんたはいいね。自由に空が飛べて。羽があるのが羨ましいな」
よく、こんなことを言った
因みに私はチョコと名づけられ、その理由としては、
私がまだ赤ちゃんのときに、この人がホワイトチョコを食べていて
ふとそれが目に入り、
「あんた真っ白だし、ホワイトチョコでいっか!」
という、安易なネーミングだった
さすがに、
ホワイトが姓で、チョコが名のような、煩わしい呼び方はせずに、
「チョコ」と呼ぶようになったのだ
さて、「あんたは羽があっていいね」と言うけれど
私は、この人に買われて、飼われ、
「羽」があっても、自由になど飛ぶことはできない
せいぜい、この人の家の中だけだ
この人はよく家に放してくれるから、まだましだが
私からしたら、この人の方がどれだけ羨ましいことか
手足があって、手を自由に使い、様々なことができる
足を使って、歩くことも走ることもできる
それを自由と呼ばずして、何を自由と言うのでしょう
例えば、自然の中で生きている鳥だって
生きるのに必死なのだ
私は籠の中の不自由と引き換えに
食の安定を確保されているけれど、自然の中の鳥たちはそうはいかない
日々、獲物を狙って生きているのだから
そしてまた、そうしているうちに、あっと言う間に他のものたちの胃袋行きだ
飛べるから自由などと、安易な発想をしているから
いつも泣いてるんだよ
どこかでそんな皮肉を思うこともある
どれぐらいこの人といただろうか
もう、かれこれ8年ぐらいになるのか、9年ぐらいになるのか、10年ぐらい経ったのか
私もすっかり年を取ってきてしまった
赤ちゃんだった私は、逆転してこの人よりも年老いてしまった
そろそろ、本当に飛び立つときが来るような気がする
そして、その日がとうとう訪れたようだ
わたしの面倒をずっとみてくれたこの人は、私が血を流しているのを見て驚き、
すぐに病院に連れて行ってくれた
病院に行くと、こんな小さな体なのに、大きな注射を打たれて
ああ、これは安楽死のためのものなのだ
ふと、それを感じたのだった
だから、最後に力を振り絞って、この人に言った
「ママ、羽があっても自由とは限らないんだよ。羽があっても無くても、自由を選ぶのはいつも自分なの。私は、ママのところにいて、籠の中の鳥だったけれど、自由だった。ありがとう」
そう言うと、私の声がやっと届いたようで、ワンワンと泣いた
「ごめんね、ごめんね、そうだね、あんたはずっと籠の中の鳥だったね
私のエゴに付き合わせてしまったんだね
ごめんね、チョコ
ありがとう
私はあなたに出逢えて、本当に幸せだったよ
これからは、羽が欲しいなんて言わないよ
あんたがたくさん私の話しをただただ聴いてくれて
これまでこうして来られた
本当にありがとう」
私の小さい体をずっとずっと
冷たくなっても掌で温めてくれた
赤ちゃんのときにそうしてくれたように
私は
なんだかんだ言って
この人が育ての親で良かったと
心底思っている
頼りなくて、いつもお酒を飲んでは「聴いて」と、私に泣きながら零し
そんなこの人が
やはり好きだったのだ
さあ、肉体から離れて、今尚この人の頭の上にいるけれど
少しだけ見守ってから
この人の涙の滿汐が引潮に変わったら
私も羽ばたいて行こう
きっとまた
この人にはいつでも会えるような気がするから