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第一話


 闇が剥がれて羽ばたいた。鳥でも獣でもないその闇は忙しなく夜を渡る。闇が起こした温い夜風に森の梢がざあざあと揺れた。先程まで騒がしくしてた夜更かしの蝉が静かになった。一匹の虫がりーんと鳴いたが、空気を読んで黙った。やがて、剥がれた闇は一軒の宿に辿り着いた。古い古い民家を改修した宿だ。古い建屋は影に覆われて、邪気を孕んでいた。最悪なこの闇を受け入れるに相応しい宿だった。闇の到着と共に風は止んで、森の底にじっとりとした夏の夜気が溜まる。



 第一話 



 ……でね、その子がどうしても買い出しに行きたいって言うから二人でホテルから出たんだけどね……


 ひがし 紗椰さやは饒舌に語る。彼女たちが宿泊する陽蓬莱館ようほうらいかんのオーナーが振る舞ってくれた上質な赤ワインを堪能して上機嫌だ。痩せ型で少し日に焼けている彼女は話し好きで、先程からずっと喋り続けている。紗椰の趣味は登山だった。カラフルなアウトドアウエアが示す通り。今回の旅行も登山が目的だった。彼女の隣でドライフルーツを摘まみながら紗椰の話しとワインに付き合っている小柄な女性……名前は、多平良ただいら 恋瑠れると言った……は愛想良く初対面の紗椰の話しに頷いていた。愛らしい大きな目をきらきらさせている。自分が可愛いことを充分に理解している仕草だ。確かに頭が小さく可愛い。でも、紗椰はそういった仕草の女性が余り好きでは無かった。まあでも、話しを聞いてくれるのなら、我慢しない事も無い。紗椰は話し続ける。恋瑠は紗椰の典型的なブキーマン落ちのその話しに全く興味が無かったが、蔵男くらおから逃げている彼女は兎に角独りになりたく無かった。根気強く話しを最後まで聞いて、ベッドの下の男のくだりで小さく悲鳴を上げさえした。紗椰は気をよくして次の話しを始める。今度はスレンダーマンの話しだな、と恋瑠は気付いたが、やはり愛想良く話しを聞いた。話しを聞きワインを飲みながら時折、彼の横顔を盗み見た。BGM代わりに垂れ流されている馬鹿みたいなアニメ……リズム感の無い蟹がドラマーを目指す話で、最終的には十二本の手足で同時にドラムを叩く技を身に付けるのだが、結局リズム感が無くて、仲間に馬鹿にされて、逆上して仲間に襲いかかる……を真剣に見ている。恋瑠はその横顔を盗み見ていた。びっくりするくらい肌の白い若い男だった。すらりと通った鼻筋も、ウェーブのかかった黒髪も横に長く切れている眼も素敵だった。彼……亜久土あくと ひかり……は、ワインを飲みながら、真面目にアニメ鑑賞を続けている。今の所名乗っただけで、誰とも絡もうとしていない。


 「お待たせー。」


 チコが大きな皿に料理を乗せて現れた。チコはこの陽蓬莱館のオーナーだった。ペンション形式のこの宿は、元々は両親が経営していたがそれを譲り受けたのだと言う。女性にしては背が高く、またモデルのように手足が長かった。袖の無いふわりとしたシャツにショートパンツ姿が肉感的な彼女のスタイルを際立たせている。若く……紗椰や恋瑠よりも若い……健康的で美しい女性だった。無造作に束ねられた髪やあっけらかんとした彼女の話し方が更に魅力を強調している。チコは、ソファに囲まれたテーブルの上にどしんとその大きな料理を乗せた。


 「お肉のグリルなの!」


 チコはそう言って、驚く程よく切れるナイフで肉を切り分けていった。完璧なレアに仕上げられた肉はチコが切り取る度に、赤い肉汁を溢れさせた。


 「血が怖いんですけど。」


 蟹リズムアニメに夢中だと思ってたひかりが一番にコメントした。ひかりと話をしたかった彼女たちがわぁわぁきゃあきゃあ冷やかした。ひかりは禄に応えない。チコがフォローがてら説明する。


 「これは血じゃないよ。蛋白質の汁なの。ミオグロビンが多いから赤いだけで、ちゃんと火も通してあるから。」


 紗椰と恋瑠はそれでも嫌がるひかりを見詰めて笑った。無理に食べさせようとするが、ひかりはお肉は卒業しましたとか言って、見ようともしない。本当に苦手なようだ。彼女達は楽しかった。美しい彼を馬鹿にする。明確な意識は無かったが、汗ばむような快感だった。結局、ひかりは食べないことにしてワインだけを飲んだ。恋瑠は一口食べたが、癖の強い生感のある味に負けてそれ以上、食べる事が出来なかった。対照的に紗椰とチコは肉を貪った。一口食べて一言美味しいと呟いた後は、何も言わずに肉を飲み込み続けた。ナイフとフォークでグリルされた肉をがすがすと切り、頬張る。暖かい肉を噛み拉きながら、次の肉を切り取る。肉汁が跳ねて頬や服に染みを作るのにも構わず、二人は咀嚼する。肉が無くなった所で、紗椰がようやく感想を言った。


 「ほんと、美味しい!これさっき話してたジビエよね?」


 紗椰は余りの美味しさに興奮して言った。じっくりと余熱で火を通した肉はやわらかで暖かだった。肉の外側は熱いが、芯の部分がちょうど人肌で素晴らしい風味ととろりとした甘味が濃厚なスープのように口の中に広がる。紗椰は絶賛した。正直、これでお店を出せば良いのにと思った。毎日でも通うわ。チコも喜んだ。こんなに喜んでくれるなんて。久しぶりの仲間だ。


 「嬉しい!でも、これ冷凍なの。ね?生もあるから食べない?そうね……固めで筋張っているけど味わい深い肉と、柔らかくでとろけるように甘い肉とどっちが良い?」


 今食べている肉は丁度、中間の味わいだそうだ。紗椰はちょっとだけ悩んでから、応えた。


 「とろけるように甘いやつで!」


 満面の笑みで了解したチコは、調理場に引っ込んでいった。蟹リズムアニメを見るひかりとの交流を諦めた紗椰と恋瑠は身の上相談……まぁ、所謂、男の話だ……を始めた。恋瑠はDV男と付き合っていて、旅行中に逃げ出してきたらしい。紗椰は大喜びで話に食い付く。根掘り葉掘り恋瑠から聞き出す。そのDV男は蔵男と言う大柄な男で、イケメンだが女に寄生して、やることしか考えていない男だった。肩にある痣も見せてもらった。紗椰は、平和に登山目的の自分とは違い必死な理由でこのペンションに来ている人もいるのだと変に関心した。


 「ひかりちゃんは何でここに来たの?」


 紗椰は突然話を振った。ちらりと奇麗な黒い瞳を紗椰に向けて直ぐに視線を戻したひかりは応えた。


 「この辺りに変わった黒猫がいるって聞いてさ。」


 ネコ好きの恋瑠は興味を持ち、詳しく聞こうとしたが、ひかりは釣れない。そこへチコが戻って来た。


 「ねぇ、恋瑠さん。グリルを手伝ってくれない?」


 チコは何故か恋瑠にお願いした。紗椰は自分が手伝いたかったが、恋瑠の方が向いているとチコが譲らなかった。


 「もう一つのお肉をグリルする時は紗椰さんにお願いするから。」


 そう言って二人は調理場に引っ込んでいった。



 ◆



 「うわ。凄い。」


 恋瑠は、かわいい瞳をまん丸にして呟いた。キッチンはプロ仕様の厨房で、しかも、狩りをするための銃や屠殺用の道具等もあった。壁には毛皮や角や骨等が飾られている。チコは自慢げに道具の説明をした。自分がどれだけ優秀な猟師であるかも。恋瑠は、鹿や猪等大きな生き物の命を奪う仕事をしているチコの事をとても頼もしく思った。自分にもそんな気概があればあんな男の言いなりになることも無かったのに。チコはそんな複雑な恋瑠の思いをお構いなしで話す。


 「鹿なんて余裕。もっとスゴいの仕留めた事もあるんだ。」


 「え?まさか熊とか?」


 チコはふっくらとした魅力的な唇をまあるく伸ばしてふふふと笑った。後で見せてあげるね。



 ◆



 飽きもせずに蟹リズムアニメを見ているひかりの事を紗椰は、遠慮無くじろじろ見ていた。酔っぱらってきて恥じらいが無くなったのだ。


 「彼女いるの?」


 「いない。」


 こちらを見ようともしないひかりちゃんに、紗椰は擦り寄った。頬にキス出来る距離でひかりを見つめる。ひかりは無視してアニメ鑑賞だ。


 「超かわいいよね。君。」


 「はい。」


 肯定すると思っていなかった紗椰は、意表を突かれて笑ってしまった。何だろこのコ。とっても素直だ。紗椰は彼の事が好きになった。もっと知りたくなった。まずは、そもそもどちらが年上なのかはっきりさせようと紗椰は、大きな音がした。玄関からだ。その音には角があり、聞く者に恐怖や凶兆を感じさせた。


 「え?なんか怖……


 廊下を荒々しく走る音が響いた。色んなものが間に合わないと、紗椰は直感した。恐怖で身を固くする紗椰の前に大柄な男が現れた。男は突然ひかりを殴り倒した。ひかりはテーブルに頭を打ちつけ、跳ね返って倒れ込んだ。バケツをひっくり返したような血が流れ出した。ひかりは動かなくなった。



 ◆



 二人は、グリルに火を入れたり、大きな料理皿を取り出したり、準備を進めていた。チコの背が高いせいか広いはずの厨房で二人は度々身体をぶつけた。全体的にサイズが小さい恋瑠は、ぶつかる度にチコの大きな柔らかさや、若い弾力を羨ましく感じた。


 「チコちゃん何か良いね。若くてスタイル良くって。」


 チコはにいっと笑う。


 「恋瑠さんもとってもかわいいじゃん。白くて柔らかくて。」


 言いながらチコはすっと手を伸ばした。短いスカートからはみ出している恋瑠の真っ白な太腿を両手で包んだ。チコの手は燃えるように熱く、恋瑠は小さく声を上げた。チコは胸の中で津波のような炎が湧き上がるのを感じた。我慢出来なくなったチコは黒くて大きくて長い舌でべろりと舐めた。恋瑠の太腿は甘くて柔らかだった。


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