王女様、好敵手の帰還を知る
お待たせしました。四章開始します。
書籍化に伴い大量の書き下ろしを加えた結果、ミレーナに設定がいくつか増えました。
そのうちの一つとして「スピード狂」があり、今回の四章はそれを色濃く出した話です。
ご理解のほどよろしくお願いします。
ぱらり、ぱらりと紙をめくる音が室内に静かに響く。
白塗りの壁、レースのついたカーテン、高価そうな調度品。
まん丸なテーブルで、一人の女性が雑誌をめくっていた。
金色の髪の美しい女性。
青を基調とした優雅なドレスも、細工を施された金色の髪飾りも、彼女の美しさを際立たせる役目にしかなっていなかった。
ぱらり、と女性はまた頁をめくる。
その面持ちは真剣そのものだった。
テーブル上に置いたコーヒーカップに口をつけ、ホウと息を吐いた。
女性は時間を忘れ、それを熟読していた。
扉を叩く音にも気づかずに。
「ミレーナ様」
「ひゃいっ!?」
突如、耳元で聞こえた声に、ミレーナと呼ばれた女性は、雑誌を閉じて顔を上げる。
振り向くと目の前には深い緑色の髪を短く整えたメイド姿の女性が立っていた。
切れ長の目で表情の薄い顔、冷たい印象のメイドだった。
ミレーナは一瞬驚いた顔をしつつも、メイドに冷ややかな視線を送る。
「……“A”、返事をしなかったのは悪かったと思いますけれど、勝手に入るのはどうかと思いますよ」
“A”と呼ばれたメイドは、全く表情を変えないまま、恭しく頭を下げる。
「失礼しました。ノックをしても返事がありませんでしたので、ついつい勝手に中に入ってしまいました。悪気はあったようななかったような感じです。何か面白いものが見れれば、などとは全く微塵も一片たりとも思っておりませんよ? 多分、きっと」
真面目な口調で不真面目な事を口走るメイドAに、ミレーナは白い目を向ける。
「……思ってたのですね」
「いやはや、てへぺろとでも返したものでしょうか。返答しかねます」
細い顎に指を当て考え込むメイドAを見て、ミレーナは大きなため息を吐いた。
「はぁ、もういいです。それで、一体何の用ですか?」
「いえ、大した用ではございません。飲み物をお持ちしましただけですとも」
テーブルに置かれていたコーヒーカップは、既に冷たくなっていた。
メイドAはそれに持ってきたポットからコーヒーを注ぎ入れる。
ミレーナがそれに口をつけると、ふわりといい香りが鼻をくすぐった。
「ゴヴニュ地方から取り寄せたものです。以前視察に行った時、気に入ってらしたので買ってまいりました。私も飲んでみたのですが、格調高い風味がよいですね」
メイドAの言葉を聞きながら、ミレーナは口の中でそれを味わう。
丁寧に焙煎され、砂糖とミルク、温度も絶妙な具合の素晴らしいコーヒーだった。
「……うん、美味しいわ。ありがとう」
「こういうのがお好きなんでしょう? こういうのが」
無表情のまま下衆な言葉を吐くメイドAに、ミレーナはドン引きしていた。
「……そういう物言いさえなければ完璧なメイドなのに、本当に残念ですね、あなたは」
「褒められると照れてしまいます」
「褒めてません! ……はぁ」
どこか演技めいて照れ笑いするメイドAを見て、ミレーナはため息を吐いた。
「……それで、何をご覧になっていたのですか?」
ひとしきりコーヒーを楽しんだミレーナに、メイドAは問う。
ミレーナは広げていた雑誌を閉じて、表紙をメイドAの方に向けた。
「雑誌を読んでいたのよ」
「これは、えーと。月刊ドラゴンライド……竜に関する雑誌ですか?」
あまり興味なさそうなメイドAを前にして、ミレーナはこほんと咳払いをする。
「そうね、取扱記事は確かに竜全般ではあるけれど、その中でも主に竜乗り向けの雑誌よ。創刊は十年ほど前で、毎号各国の有名ライダーの特集や竜乗りに適したスポットやグッズ。竜を買う際の選び方。良いファームの紹介、もちろん餌や飼育情報も載ってるわ。他にもイラストコーナーや写真や面白いコメントの投稿、読者参加ページもあるのよ! あとねあとね……」
「は、はぁ……」
嬉しそうな顔で早口でまくし立てるミレーナを見て、メイドAはただただ頷くのみであった。
ミレーナの演説はしばし続いた。
「……というわけで、今一番熱いライダー雑誌なのよ。よかったら貸してあげるわ」
「あ、ありがとうございます……」
十分に語り終えて満足したのか、恍惚とした表情のミレーナ。
それとは真逆にメイドAは呆れた様子で雑誌を受け取る。
何気なく雑誌をぱらぱらめくっていたメイドAだが、ふと頁が破れているのに気づいた。
「ミレーナ様、この頁が破れておりますが……」
メイドAの問いかけにミレーナの表情がふと、固まる。
「……そうね」
そう言ったミレーナの顔は、普段と少し違って見えた。
好戦的で挑戦的、闘志に燃えるような……そんな顔。
その迫力にメイドAはそれ以上、問うのをやめた。
■■■
「……と、いう話があったのですが」
城を出て、竜舎に移動したメイドAは作業着姿の黒髪の男、そして瓶底メガネの女性に言った。
二人はメイドAの持ってきた弁当をすごい勢いで食べながら、興味深げにその話を聞いている。
「あはは、そりゃーまぁ、ミレーナ様は竜マニアですもの。月ドラは当然愛読してるっしょー?」
瓶底メガネの女性が、口をもごもごさせながら言った。
口元にはトマトソースが付いていた。
「あぁ……ぷはっ、あの人は竜の事になると結構語るぞ。勉強家なんだよ」
黒髪の男が、口の中のものを飲み物で流し込んで、言った。
同じく口元には香辛料の粉がついていた。
男は行儀悪く片手で雑誌をペラペラめくりながら続ける。
「よく難しそうな本を読んでいるしな。単純な知識なら俺より上なんじゃねーの? ……これは竜の本か。えーとなになに? げっかんどらごんらいど……へぇ、こんなのあるんだな」
「ドルトくん、月ドラ知らないのっ!?」
瓶底メガネの女性は男をドルトと呼び、詰め寄る。
「知ってるのか? ケイト」
「それはもう、知らいでか! ってなもんですよ」
ケイトと呼ばれた瓶底メガネの女性は嬉しそうに膝を叩くと、こほんと咳払いを一つした。
「まずねまずね、月ドラってのはライダー専門誌として発売されたのね。メインコンテンツは各地の有名ライダーを特集なんだけど、それだけじゃ紙面が埋まらないじゃない? だから興味を持ってもらう為、竜に関するコラムも多んだよいねー。バランスの良い食事メニューとか、トレーニング方法とか、色々勉強になるのよ。あ! 私のオススメは読者の投稿コーナーかな! 色んな飼い主さんたちの竜のおもしろエピソードとか、おもしろいのよね。ちなみに私もよく投稿しております。良かったら貸してあげようか? いや、借りなさい! 竜師たるものこれを読まねば始まりませんよっ!」
「お、おう……」
早口でまくし立てるケイトを見て、ドルトは頷くしかなかった。
「既視感……」
メイドAはぼそりと呟いた。
「ていうかね、今月号にはついに私の投稿したイラストが載ったのよー見て見てー!」
ケイトはテーブルに置いてあった自前の月刊ドラゴンライドが広げる。
開いた頁にはイラストコーナーと書かれており、頁一杯に何枚もの竜の絵が描かれていた。
ケイトの指差す先、頁の片隅には餌を食べながら眠る竜の絵が描かれていた。
「へぇ、めちゃくちゃ上手いってわけではないが、味のあるいい絵じゃないか。うん、すごいぞケイト」
「ふふーん、でしょでしょー」
ドルトに褒められ、ケイトは照れながら笑った。
それを見てメイドAはふむと頷く。
「面白そうですね……私もやってみますか」
対抗心でも燃やしているのか、メイドAの顔はやる気に満ち溢れていた。
そんなメイドAにケイトが尋ねる。
「えーさんの絵ってさ、どんな感じなのー?」
「こんな感じです」
メイドAは手帳サイズのスケッチブックを取り出し、それをケイトに渡した。
「ふむふむー……こ、これは何とも個性的な……」
ケイトはそれを見て思いきり言葉を濁すが、メイドAは気にする様子もなく雑誌を熟読している。
「ではとりあえず何か描いて送ってみましょうか。えぇと、送り先は……」
メイドAがそれを探していると、見慣れない頁を見つけ手を止めた。
それはミレーナから借りた本では破かれていた頁。
そこにはぴっちりとした騎竜服を纏い、騎竜兜で顔を隠し、飛竜に乗る女性の姿が描かれていた。
横には、竜女王、大陸横断達成! とデカデカと書かれていた。
更に写真を取り囲むようにびっしりと、その女性のインタビュー記事が載っていた。
「へぇ、なんかゴージャスって感じの美人だな」
「ほっほードルトくん、こういう人が好みかね?」
ニヤニヤ笑うケイトに、ドルトは動じることなく答える。
「すらっとした長い首、キラキラした艶のある鱗、目にも自信が満ち溢れている……こいつはとんでもなく、いい竜だ」
「って竜の事かーい!」
ずっこけるケイトの横で、メイドAが呟く。
「ミレーナ様から借りた雑誌にはこの頁が切り取られていました……何故このようなグラビアを切り抜いて……」
しばらく考え込んでいたメイドAは、真面目な顔をして言った。
「……もしや、レズ?」
「なわけないでしょー!」
またまたずっこけるケイト。
ヨロヨロと起き上がると、瓶底メガネをくいと持ち上げる。
「ちょっと二人してボケるのはやめて下さる? ツッコミが追いつかないじゃない」
「ケイト様はその理由をご存知なのですか? 竜女王とは中々に仰々しい名前ですが」
メイドAの問いに、ケイトは少し考え込んで答える。
「んー……まぁいいか。えぇとね、ミレーナ様はこの方とちょっとした因縁があるのよね。竜女王、シャーレイ=ニル=ローレライ」
「ローレライ……!」
ケイトの発したその名前にドルトとメイドAは気づく。
「ローレライってーとあれか!? わがまま王女!」
「そう、シャーレイ様はあのアーシェ王女の姉君なのよ」
ケイトが見上げる方角、雪で白く染まった山の峰には砦のような城――――ローレライ城が見えていた。
■■■
青い空と白い雲、それをバックに佇むアルトレオ城の屋上では、青銀の美しい飛竜と、ミレーナがいた。
ブルーの騎竜服を身を包み、手には同じ色の騎竜兜を持ち、ミレーナは飛竜の頭をゆっくりと撫でる。
「ねぇエメリア、シャーレイがやっと帰ってきたみたいよ」
ミレーナは雑誌の切り抜きシャーレイのグラビアを広げて見せた。
エメリアと呼ばれた飛竜は、それを見て長い首を持ち上げた。
「クルル……!」
そして静かに、しかし力強く鳴いた。
目にはどこか炎の色が灯って見えた。
ミレーナも同様に、嬉しそうに笑う。
「すごいわね。大陸横断だって……こんなの見たら、滾っちゃうわよね」
「クルルルルゥゥゥ!」
そんなミレーナに応えるように、エメリアは天高く空を見上げ、鳴いた。
ミレーナはそれを見て満足げに頷く。
「――――あなたもやる気みたいね。いいわ。いいでしょう。ではこれからひとっ飛び、付き合ってくれるかしら?」
「クルゥ!」
ばさりと翼を大きく広げ、エメリアは城を飛び立つのだった。