子竜、畑を守る。後編
「カァ! カ、カァッ!?」
ジタバタと鳴いた暴れるカラスだが、レノに噛み付かれ動けない。
レノも離さない。
そのまま落ちていく一頭と一羽。
ひゅるるると風切り音が鳴り響いた後、ずだん!と弾けるような音がした。
衝撃で草花が舞い上がり、やがて収まる。
「カ……ァ……」
舞い落ちる草花の傍らで、カラスは弱々しく声を上げる。
草むらに落ちたおかげでそれが緩衝の役目を果たし、カラスは何とか生きていた。
ヨロヨロと起き上がろうとしたカラスだったが、その身体にはまだレノが覆いかぶさっていた。
カラスの首を咥えたまま、である。
「ぴ……ぃ……!」
レノの目が鋭く光る。
それは強く、雄々しい――――空の王者としてふさわしいものであった。
睨みつけられカラスは震えあがった。
「か……カァ! カァーーー!」
助けを求める声に応えるように、空を舞っていた鳥たちがレノに襲い掛かる。
ギャアギャアと声を上げ、レノに群がる鳥、鳥、鳥。
あっという間に黒い団子のようになり、色とりどりの羽があたりに散らばる。
大小様々な嘴が、鉤爪が、レノの身体を傷つける。
硬い竜とはいえまだ子竜、何度も攻撃を受け、レノの鱗が幾枚か、はがれて落ちる。
――――それでもレノは、離さない。
カラスは既に気を失っていた。
レノへの攻撃は何度も何度も繰り返し繰り返し行われた。
美しく白かったレノの身体はそこかしこに傷が生まれ、赤く染まっていた。
もはやレノは動いていなかった。
それでも攻撃はやまなかった。
――――突如、風が吹いた。
荒れ狂う風に草は激しく揺れ、木々の枝葉は散り、田んぼの稲穂は薙ぎ倒された。
鳥団子もまた同じくそれを受け、鳥たちは何が起きたのかも分からぬまま、彼方へと吹き飛ばされた。
「ピチチチチ……」
鳥たちはすぐに身体を起こし、強風の原因を探る。
そうして風の吹いた方を向いた鳥たちだったが、その瞬間に飛び上がる。
そこにいたのは、今度は本当の空の覇者、飛竜の群れだった。
先頭の青銀の飛竜が一瞥すると、鳥たちは気を失ってバタバタと倒れ臥す。
辛うじて気を保った鳥たちでさえ、おぼつかぬ飛び方でなんとか離れようとするのみだった。
一瞬で静かになった辺りに次に響いたのは、男の声だった。
「レノ!」
青銀の飛竜から飛び降りたのは、ドルトだった。
ドルトはレノに駆け寄ると、ゆっくり、優しく抱き上げる。
レノは目を閉じたまま、動かない。
「レノ……お前、こんなになって……!」
ドルトは抱き締める腕に力を込める。
顔を顰め、指に力を籠める。
するとレノの身体がピクンと動いた。
「ぴ……ぃ……」
レノは弱々しく目を開けた。
その目に映るのはドルトと、自分の母親であるエメリアの姿。
「ぴぅ……!」
どこかやり遂げたような、安堵したような顔……。
レノは微笑んだ後、再び目を閉じた。
■■■
「ドルト殿っ! レノは……レノは大丈夫なのですかっ!?」
竜舎に飛び込んできたミレーナに、ドルトは人差し指を口に当て返した。
ミレーナは慌てて口を塞ぎ、小走りでドルトの元へ駆け寄る。
ベッドに寝かされた包帯姿のレノを見て、ミレーナは顔を青ざめた。
「レノ……っ!」
「心配はいりません。眠っているだけです」
ドルトはそう言うと、レノの頭を優しく撫でた。
その手は少し、震えていた。
「すみません、ミレーナ様……私がいながら、こんな……!」
「な……何故ドルト殿が謝るのですか!?」
「私がレノに田んぼを頼むなどと、不用意なことを言ったせいです……エメリアも、本当にすまない」
ドルトは、ミレーナとエメリアに、深々と頭を下げた。
「……顔を上げてください」
「いえ、そういうわけには……」
ミレーナの言葉にも、ドルトは頭を上げない。
構わずミレーナは続ける。
「レノの件は、私の監督不行き届きが原因です。ドルト殿は悪くありません。……本当にごめんなさい。エメリア」
今度はミレーナも、頭を下げた。
エメリアはそんな二人を見て、目を細める。
「クルルルル……」
そう鳴いて、首を伸ばす。
エメリアの首はドルトとミレーナの間を通り、レノを咥え上げた。
もはや任せてはおけぬ、そう思ってレノを取り上げたのだろうか。
そう考えるドルトの鼻元に、エメリアは顔を近づけた。
咥えたレノも、当然一緒である。
「エメリア……?」
不思議そうに顔を上げる二人の前で、
「クルゥ」
エメリアが鳴いた。
途端、咥えられていたレノは離れる。
落下しかけたレノを、ドルトとミレーナは慌てて受け止めた。
「お、おいエメリア! 何を……」
抗議するドルトを無視し、エメリアは長い首を横たえた。
呆ける二人をおいたまま、目を閉じ寝息を立て始める。
「まだ……俺を信じてくれるってのか?」
ドルトの問いにエメリアは目を閉じたまま、クゥと鳴いて答える。
――――下らんことを聞くなと、そう言っているようだった。
そんなエメリアを見て、ドルトは目を潤ませる。
レノを強く抱きしめて、言った。
「……すまん、ありがとう」
レノはその長い首を、ドルトの首に巻き付けた。
ドルトはいつまでもレノを抱いたままであった。
■■■
それからしばらく後。
抜けるような蒼い空を、二頭の飛竜が飛んでいた。
一頭は立派な大人の飛竜だった。
もう一頭は子供で、しかし逞しく誇らしげな飛竜だった。
身体に付いた無数の傷跡は、まるで歴戦の勇者であった。
子竜は大人の飛竜に、懸命に付いて飛んでいた。
「レノの身体、やっと回復しましたね」
「えぇ、本当に良かったです」
空を見上げながら、ドルトとミレーナが呟く。
ミレーナは指先で目元をぬぐいながら続けた。
「ほんと、どうなる事かと……」
「その節は申し訳ありませんでした」
「いえいえ! 私が目を離したから……」
何度も繰り返したやりとりである。
ミレーナはつい吹き出し、ドルトもまた、苦笑した。
「……やめましょう。次に気をつければいいだけです」
「そうですね……でも、何故エメリアは私たちにレノを預けているのでしょうか?」
ミレーナの問いに、ドルトは少し考えて答える。
「……あの時、エメリアは私たちに礼を言っていた気がします」
「どういう事ですか?」
「レノに強く、大きく育って欲しいからこそ、私たちに任せているのかもしれません。人間に預けた方が竜舎にいるよりも色々な事を学べますからね。良くも悪くも。そしてそれは子供の時しか出来ません」
子供の時から人に育てられた竜は、通常より多くの刺激を与えられる。
それにより危険が増す事も勿論あるが、そうして育てられた竜は人間のより良きパートナーとなりうるのだ。
あの老竜ツァルゲルも、捨てられていたところを先代のガルンモッサ王に拾われ、育てられたと聞いている。
「ぴぃーーーーー!」
蒼穹の彼方から、飛竜の鳴き声が聞こえる。
鳴き声はドルトたちの方へ近づいて来て、そして。
「ぴぃ!」
勢い良く、ドルトに体当たりをした。
大きく、速くなったその突進を受け止めきれず、押し倒されてドルトは言った。
「……大きくなったな」
「ぴぅ!」
元気よく鳴いた子竜の頭を撫でながら、ドルトは苦笑するのだった。
見上げる空には、ゆっくりと降りてくる飛竜の姿が見えた。
「いつしか、レノもあれくらい大きくなるのでしょうね」
腰を下ろすミレーナに、ドルトは答える。
「えぇ、そして逞しくね」
今はまだ小さな竜である。
だがいずれ、小さな竜は大きく強く、逞しく成長するであろう。
この国のように。
そんな未来を思い描きながら、ミレーナはドルトの傍らで金色の髪を撫でる。
気持ちの良い風が、二人の頬を撫ぜていた。
――――エピローグ
「で、エメリアには許してもらったんだっけ? よかったねーおっさん。……むぐむぐ」
「他人ごとじゃないぞセーラ。お前もレノをけしかけて張本人なんだからな……もぐもぐ」
「……わかってるわよ。悪いとは思ってる……ごくん」
器一杯の白米を食べながら、セーラとドルトは反省会をしていた。
口元や頬に米粒を付けながらバクバクと、白米をかき込んでいく。
「いやーでも美味い! いい米だ!」
「でしょう? ウチの米は大陸一だべさ」
そう言って笑うセーラ。
卓にはローラと、ケイトも座っていた。
「確かに美味しい。セーラの実家からはよくお米が送ってくるけど、すぐなくなるもの」
「うんうん、特に自分たちで作ったお米は最高だねー」
「……ケイトは何もやってない気がするんだが」
幸せそうに食べるケイトに、ドルトが突っ込む。
冷たい視線を注がれ、ケイトは慌てて話を逸らす、
「き、気のせい! 気のせいデスヨ!? 多分、きっと! ね、ねーレノ!」
「ぴぅ……」
だがレノからもまた、冷たい視線を浴びるのだった。
ため息を吐いてセーラは話を変える。
「……まぁでも、あまりお米が収穫出来なかったのは残念だったわね。本来の二割くらいかな」
「不可抗力ではあるけどな」
「エメリアがなぎ倒したんだっけ? レノを助けるために」
「あぁ、その時稲穂がほとんど倒されてな。病気や腐敗で倒れたのはパァだよ」
悔しそうなドルトに、セーラが声をかける。
「ま、よくあることよ。次に活かせばいいだけの事。でしょ? おっさん」
「ぴぃ!」
レノはドルトの頬をベロンと撫でる。
無垢なその顔に、ドルトは救われる気持ちだった。
「……ありがとな、レノ」
「ぴぅー!」
ふと、ドルトはレノの視線が自分の手に持の器に注がれているのに気づく。
レノは白米を物欲しそうに見て、よだれを垂らしていた。
「……馬鹿、遠慮なんかするな。食べろ食べろ。お前のおかげなんだからな」
「ぴぃーーー!」
嬉しそうに鳴くと、レノはドルトの差し出した器にかぶりつく。
元気いっぱいなレノを見て、皆笑みを浮かべるのだった。
これにて3章終わりとなります。
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