子竜、畑を守る。中編
巡回を終えたレノは、近くの大岩の上に降り立つ。
翼を折りたたみ、大岩の上に寝そべったレノは大きなあくびをした。
飛行にはある程度、体力を必要とする。
まだ子供であるレノには飛行後にある程度の休憩が必要だった。
身体を横たえ、目を閉じるレノ。
それでも耳はぴこぴこと動き、周囲を警戒していた。
「ぴ?」
不意にレノは目を見開くと、長い首を持ち上げた。
じっと、東の空を見つめたまま動かない。
東の空からは、黒雲が近づいていた。
否、黒雲ではなかった。鳥の大群である。
空を埋め尽くすような鳥の群れが、レノの方へと向かっていた。
「ぴーーーーーっ!?」
気づいたレノは、慌てて飛び上がる。
そしてキョロキョロと周囲を見やる。
だがドルトも、セーラも、ミレーナの姿もなし。
その間にも鳥の群れは近づいてくる。
ギャアギャアと、恐ろしい鳥の鳴き声がレノの耳に届いてくる。
「ぴぃぃぃぃ……」
恐ろしさに震えるレノ。
背を向け逃げ出そうとするレノだったが、ふとドルトの言葉を思い出した。
――――この田んぼをしっかり守ってくれよ。
その言葉を思い出し、レノは踏みとどまった。
振り向きそして、大きく翼を広げると、近づく暗雲を睨みつけた。
「ゥゥゥ……」
そして、唸る。
歯をむき出しにして、喉を鳴らし、全身に力を込めて。
唸りは徐々に、鳴き声に変わって行く。
「ゥゥゥルルルル……クルゥゥゥァァァァァーーー!!」
天に向かって、レノが吠える。
それはまさしく飛竜の咆哮であった。
ばさり、と翼をはためかせ、飛び立つ飛竜。
向かう先は暗雲立ち込め始めた大空であった。
■■■
「む……?」
竜舎での作業中、ドルトはふと違和感に気づいた。
飛竜たちが妙に騒がしいのだ。
「クルゥゥゥーーー!」
奥にあるミレーナの愛竜、エメリアがドルトを呼ぶように鳴いた。
ドルトはすぐに駆け寄り、声をかける。
「どうかしたのか?」
「クルルル……」
エメリアはじっとドルトを見つめた。
真剣に訴えかけるような、目。
ドルトはその意味をしばし考えた後、その意味に気付いた。
「……レノに何かあったのか?」
「クルゥ」
そう鳴いて頷くと、エメリアはゆっくり巨体を起こす。
自分の舎の柵に向かって体当たりを始めた。
「お、おい待てエメリア! 柵が壊れるだろうが!」
「クルルル……」
「外してやるからちょっと待ってろ……ほらよ」
ドルトが木の柵を外すと、エメリアはのそりと舎から出た。
そしてドルトの襟首を咥えて、自分の背中に乗せた。
長い首を持ち上げて、吠える。
「クルルルルルァァァァァ!!」
「クルル……」「ルルルル……!」
エメリアの咆哮に応じるように、他の飛竜たちも柵へと体当たりを始めた。
慌てて止めようとするドルトだが時すでに遅し。
柵は破壊され、飛竜たちはエメリアの後をついてくる。
破壊された竜舎を見て、ドルトは頭を抱えた。
「……あぁもう。仕事を増やしやがって」
ため息を吐きながらもドルトはエメリアの手綱を握った。
(……にしても、エメリアがこんな風に哭くなんて、初めての事だ……! 相当ヤバいのか)
エメリアは我が子であるレノの世話を、ミレーナやドルトに任せっきりであった。
とはいえ、自分の役目を放棄していたわけでもない。
夜は一緒に眠っているし、飛行訓練の際はレノの面倒をよく見ている。
ただ、ドルトらを信頼して預けているだけなのだ。
そんなエメリアが初めて自ら動いた。
ドルトは胸騒ぎを抑えきれず、自らの胸元をぎゅっと握った。
「無事でいろよ……レノ!」
「クルゥゥゥーーーァァァァァーーー!!」
エメリアが咆哮と共にアルトレオ城を飛び立つ。
それに続いて、他の飛竜たちも。
ドルトが手綱を打ち据えるまでもなく、エメリアは全速力で飛翔した。
■■■
「ぴぃぃぃーーー!」
レノが黒雲、鳥の群れへと真っ直ぐ向かって飛ぶ。
先頭の群はスズメやツバメなど、小型の鳥だった。
レノは大きく口を開け、吠えた。
「クルゥゥゥ!!」
咆哮をまともに喰らい、小鳥たちはあからさまに動揺した。
散り散りになって、レノから逃げて行く。
その最中、他の鳥とぶつかり何羽かが墜落していった。
竜の咆哮、その威力はたとえ群れを成していても侮れるものではない。
小鳥程度ではひとたまりもなかった。
「カァァァ!」
カラスがその遥か後ろで鳴き声を上げた。
散らばり落ちる小鳥たちを押しのけて、次に前に出たのは水鳥の群れだった。
レノは大きく息を吸い、吐いた。
「クルゥゥゥ!!」
再度、放たれる竜の咆哮。
だが水鳥の群れは、前列が僅かに怯んだのみだ。
密度の高い水鳥の羽毛は、水を弾くだけでなく音を殺す。
竜の咆哮と言えど、効果が薄れれば犬の鳴き声と大差ない。
水鳥の群れはそのままレノに突っ込んでくる。
「ぴっ!?」
小さく鳴いた瞬間、レノは水鳥の群れにぶつかり、吹き飛ばされた。
「カァッ!」
カラスが鳴くと、水鳥の群れは大きく旋回し、またレノに向かっていく。
大きく硬い嘴が、レノのまだ未熟で柔らかい鱗を打ち付けていく。
何度も何度も。
どどどどど、と鈍い音が空に響いた。
しばらくして、音がやんだ。
黒雲の中から落ちてくるのは、ボロボロになったレノ。
ぐるぐると錐揉み回転しながら、レノは墜ちていく。
「ぴ……ぅぅ……!」
弱々しく鳴くレノ。
だがそれでも何とか体勢を立て直すべく、翼を広げた。
落下の速度は緩くなり、首を真上に上げた。
レノの目はまだ死んではいなかった。
それに気づいた鳥たちは、レノへと追撃に向かう。
レノは大きく翼を羽ばたかせると、また上昇していく。
――――無駄な事を!
そんな声が聞こえるようだった。
レノは構わず鳥の群れに向かっていく。
「ぴ……?」
ふと、レノは何か違和感を感じた。
本能に訴えかけるような、微細な何か。
風が、空が、レノを呼んだ気がしたのだ。
レノはその赴くがままに、翼を広げる。
――――わざわざ的を大きくするとは。
そう言わんばかりにカラスはカカカと鳴いた。
上空から仕掛けてくる鳥の群からしてみれば、いい的である。
カラスは口角を歪め、レノに突進を命じる。
真っ直ぐにレノへと向かう鳥の群。まるで黒い空が落ちてくるようだった。
先頭の一羽がレノに激突する瞬間、その姿が消えた。
鳥は落ちて、地面から一筋の土煙を上げた。
「ガァッ!?」
遠くから見ていたカラスには、その理由がわかった。
レノは一瞬にして、空高く舞い上がったのだ。
今はレノは、鳥の群よりも遥か、遥か上空にいた。
上昇気流を掴まえ、瞬く間に舞い上がったのだ。
飛竜が空の覇者と呼ばれる理由はたんに身体が大きいから、だけではない。
風を読み、気流に乗る事で、その飛翔速度は比類なきものとなる。
最大、最速、最高度、全てにおいて飛竜を越える種はいない。
その能力の一つは風の流れを掴む事。
レノは先刻、本能で上昇気流の発生を読んだのだ。
それに身を任せ、高高度へと舞い上がったのだ。
「ギャアギャア!」「ギャアギャア!」
鳥たちはざわめきながらも、レノに向かって上昇を始める。
だが、鳥一羽として届かない。
鳥類最高の飛翔能力を持つ猛禽類でさえ、その高さには遠く及ばない。
レノは自分に近寄る事すら出来ない鳥たちを見下ろしながら、眼下のカラスを睨み付けた。
「カァ! カァ!」
けたたましく喚くカラスを見つけ、レノは大きく翼を広げた。
そしてばさりと、翼にて空を叩く。
一気に加速したレノは、獲物目がけ大きく口を開けた。
ギザギザの鋭い歯を向けられ、カラスは焦った。
慌てて自分の身を守るよう、他の鳥に命じる。
――――が、降下するレノの速度は尋常ではないものだった。
迎撃する鳥たちを避け、避け、弾き、避け。
真っ直ぐにカラスへと向かう。
「クルルルルルルゥゥゥゥゥゥゥガァァァァァァァ!!」
その咆哮にカラスはすくみ上がっていた。
避けよう、と思いながらも体は動かない。
迫り来る飛竜の牙が、カラスの目に鮮明に映る。
「ガッ!?」
そう声を上げるのが精一杯だった。
カラスは首元をレノに噛み付かれ、そのまま地上へと落下した。