子竜、畑を守る。前編
それからしばらく、田んぼの水を何度か抜いたら入れたり、肥料を追加しては黄土色の粉末にまみれたりまみれなかったり、そんな事をしながら月日は流れた。
黄金色の稲穂が、重く豊かに垂れ下がり始めていた。
「ふむ、実がつき始めてきたわね」
セーラが田んぼを一瞥して言った。
「だがなぁ」
ドルトはその隣で言葉を返す。
その眉間にシワが寄り、難しい顔をしていた。
腕組みをするドルトの視線の先には、スズメがチュンチュンと囀っていた。
稲穂に止まっては、小さな嘴で米を啄ばんでいた。
「こらーーーっ!」
ドルトが声を上げて駆け寄ると、スズメたちはバサバサと飛んで行く。
近くの木に止まり、ドルトが離れるのをじっと見ていた。
「くそう、舐めやがって……」
「仕方ないわよ。ある程度は必要経費ね」
冷めた顔のセーラを見て、ドルトは少し驚いた。
「……妙に落ち着いてるな。いつもなら鬼の形相で怒りそうなものなのに。棒切れ持って竜に乗って、殺すっぺさー、とか言いそうな感じだが」
「あんた私をなんだと思ってるのよ……ったく、まぁたしかに困ったちゃんではあるけども、追い払っても追い払ってもキリがないしねぇ。それに駆除するわけにもいかないのよ。スズメは害虫も食べてくれるしね。鳥を駆除して虫が大量発生し、滅びた国もあるって話よ?」
「そりゃ恐ろしいな……じゃあ追い払うしかないのか。あ、カカシとか置いたらどうなんだ?」
ドルトの提案にセーラは首を振る。
「あまり意味ないわね。すぐにバレるから、大した効果はないわ。あの子ら意外と賢いのよ」
「でもそこらにカカシ置いてるじゃないか」
「趣味じゃない? 田植えが終わったら、あんまりやる事ないしね。米農家って暇なのよ。カカシコンテストの為かも。優勝者には米一年分とかもらえるわよ」
「そ、そんなのあるのか……」
セーラの答えに呆れるドルト。
そんな二人の頭上を、小さな影が通り過ぎる。
「ぴぃーっ!」
笛を吹くような甲高い音に空を見上げると、そこにいたのは小さな飛竜。レノだ。
レノがスズメたちの方へと向かっていくと、スズメたちは慌てて方々へと逃げ出した。
そしてばさり、と翼をはためかせると、木の上に降り立つ。
みしりと枝が大きく揺れた。
「ぴぃーーぅ!」
逃げ出したスズメたちを見送り、勝ち誇るように鳴くレノ。
得意げな顔でドルトの方へ飛んできて、頭の上に乗った。
「ぐえっ! おい、お前は重くなったんだから勢いよく乗るなっての」
「ぴぃ!」
レノはドルトの頭から飛び降りると、今度は腕に乗った。
そして自分の頭を撫でろとばかりに首を伸ばす。
ドルトは望み通り、レノの頭を撫でた。
「わかったわかった……よくやった。えらいぞレノ」
「ぴぅー」
レノは喉を鳴らしながら、心地好さそうに目を細めた。
セーラも同じように、レノの頭を撫でた。
「へぇ、やるじゃない。レノが田んぼを守ってくれたら収穫も増えるかもね」
「ぴぃ!」
セーラの言葉にレノは元気な声で返事をした。
ドルトもその言葉に乗っかる。
「ははは、やる気になってるみたいだな。じゃあ頼めるか? レノ」
「ぴぃーーーっ!」
二人に褒められたレノは、翼を広げるとドルトの腕から飛び立つ。
そして田んぼの上空をぐるりと旋回して、高く鳴いた。
「ぴぃーーーぅーーー!!」
辺りの木々がざわめき、鳥たちが散っていく。
空の覇者である飛竜の咆哮。子供とはいえど、鳥や獣を散らすには十分すぎるものであった。
生まれた時はほんの小さな竜だったが、成長したレノはその片鱗を見せていた。
ドルトとセーラはそれを微笑ましげに眺めていた。
■■■
「ドルト殿、レノを知りませんか?」
数日後、竜舎にて作業していたドルトにミレーナが声をかける。
ドルトはケイトと顔を見合わせ、首を振った。
「いえ、知りません」
「そういえば最近見ないよねー」
二人の答えに、ミレーナは肩を落とした。
ミレーナは眉を顰め、不安そうな顔をしていた。
「……実は、最近よく何処かへ行っているようで……心配です」
「あー……」
その理由に、ドルトは心当たりがあった。
頬をポリポリと掻きながら答える。
「えぇっと、多分田んぼにいるのではないかと」
「田んぼ? 何故ですか?」
「いやはは、ちょっと色々ありまして……」
「?」
首を傾げるミレーナと共に、ドルトは田んぼへと向かう。
辿り着いたドルトは、空を見上げた。
稲穂の上を旋回するように飛んでいるのは、レノであった。
「ぴぃーーーぃぃぃーーー!」
レノの声があたりに響く。
それに合わせるようにさわさわと稲穂が揺れた。
ミレーナも空を見上げて言った。
「……あの子は何をしているのです?」
「スズメを追い払ってくれているんですよ。私とセーラが褒めたら、すっかりその気になってしまって……」
「まぁ! レノったらそんな事まで出来るようになったのね」
「ほら、見ていてください」
ドルトが指さす方をミレーナが見ると、レノはスズメを威嚇していた。
散っていくスズメを見送った後、レノはぐっと首を回した。
そして稲穂の中に顔を突っ込んだ。
「何をしているのかしら?」
不思議がるミレーナの視線の先で、飛び出したのはレノではなく――――、一羽のカラスだった。
「ガァーーーーッ!?」
バタバタと黒い羽根を散らしながら、カラスが飛んでいく。
飛び去るカラスの片目には、ひっかかれたような跡が見えた。
「あのカラス、スズメを囮にして米を食べてたんですね。それをレノが見つけて、追い払った」
「賢い! すごいわレノ!」
嬌声を上げるミレーナの声に、レノが振り向く。
ドルトたちを見つけて嬉しそうな顔をした。
「ぴぃーー!」
元気に鳴きながらレノが飛んでくる。
そしてすっぽりとミレーナの腕の中に納まった。
「ぴぅ!」
「あらあら、甘えん坊さんね」
ミレーナはレノの頭を撫でながら、優しく微笑む。
レノは心地好さげに喉を鳴らしながら、嬉しそうに目を細めるのだった。
■■■
その様子を見て、先刻森へ逃げたカラスはカァと鳴く。
カラスの片目からは血が滴り落ちていた。
カラスは恨めしそうな目で、レノを睨み付けていた。
だが子供とはいえ相手は飛竜。
その体格差は歴然で、正面からやって勝てるはずはなかった。
悔しさに嘴を咬みしめるカラスから少し離れた枝で、先ほど追い払われたスズメが集まっていた。
「チチチ……」「チュンチュン」
スズメらもまた、レノに追いやられた身である。
隙を見つけては飛んでいき、そして追い払われる。
日々、そんなことを繰り返していた。
無駄な事を、とカラスは思った。
何度行ってもあの飛竜に追い払われるのがオチだろう、と。
所詮は小さき脳、囮にされていた事にも気づかぬ愚かな鳥よな、と。
だがその様子を見て、カラスはふと思い立つ。
こんな連中でも、使い道はあるかもしれない。
そう思い、嘴をニヤリと歪めた。
■■■
「チュン! チュン!?」「チチュン!?」
ある日、田んぼから少し離れた場所でスズメの死体が横たわっていた。
スズメたちはズタボロにされた仲間を見て、悲しんでいる様子だった。
「カァー!」
その後ろ、いつの間にかいたカラスが鳴いた。
スズメらは一瞬驚くも、カラスの鳴き声に耳を傾ける。
「カァ! カァカァ! カァ!」
「チチ?」
「カァーーーァ!」
信じられないと言った顔のスズメに、カラスが手羽指したのは死んだ雀の傍ら――――そこには竜の毛が落ちていた。
「カァ! カァー!!」
「チュン……チチ……!」
それを見て、スズメたちは空を――――レノを睨み上げた。
カラスはそれを見て、ほくそ笑んでいた。
スズメを殺したのは何を隠そう、このカラス本人。
先日、群れから離れたスズメをこっそり始末していたのだ。
それを田んぼの隅、落ちていたレノの毛の傍らにを置いたというわけである。
■■■
木々の上で、スズメたちが集まっていた。
スズメだけではない。様々な種類の鳥が、である。
水鳥、猛禽類などの大型の鳥までもいた。
アルトレオの空で威嚇を繰り返していた飛竜には、他の鳥たちも恨みを持っていた。
本来はアルトレオの肥沃の大地で野生の木の実やネズミを捕らえて食べていたはずの鳥たちだが、森に追いやられてしまったからだ。
「ガァァァァ!!」
その中の一羽が、鳴いた。
片目のカラスだった。
カラスは黒い羽を大きく広げ、黄色い嘴を大きく開けながら何度も、鳴く。
「ガァ! ガァガァ! ガァァ!」
その鳴き声に、鳥たちは頭を上げ始める。
「チュンチュン!」
スズメたちも、他の鳥たちに訴えかける。
鳥たちはそれを聞くたび、レノの方を見ては、その目を怒りに染めていく。
カラスの鳴き声に耳を傾け、徐々に集まっていく。
如何に卑劣で、邪魔存在なのか。
以下に飛竜とはいえ、到底許される事ではないと、そう説いていくカラス。
怒りは伝播していく。
カラスの鳴き声は静寂の森に響き渡り、鳥たちのはばたき音が集まってきた。
いつしか森中の鳥たちが、その場に集まっていた。
「ギャアギャア!」「ガァガァ!」
鳥たちの鳴き声で、森の木々が揺れる。
「ガァァァァァァァァ!!」
カラスがひときわ大きく鳴くと、鳥たちもひときわ大きく返した。
それと鳥たちは同時に飛び立つ。
森から飛び出した鳥たちは空を覆い、煩い程の不協和音を奏でる。
それはまるでアルトレオに襲い来る、嵐のようであった。