王女様、踊らない
「さて、と」
キョロキョロと辺りを見渡し、誰も来ないのを確認してミレーナはロープ伝いに窓から自室へと戻った。
窓を開け、中に入ると部屋にはミレーナ――――の格好をしたメイドAがいた。
「おかえりなさいませ。ミレーナ様」
「えぇ、ありがとう」
そう言ってミレーナは黒メガネと帽子を取る。
その顔はまさに瓜二つだった。
「ご苦労様でした。〝A〟の変装術というのは見事なものですね。本当に私にしか見えません」
「いえいえ、私も貴重な体験が出来ましたので」
どこか嬉しそうに言うメイドAに、ミレーナは若干嫌な予感を感じた。
なので目を細めて、問う。
「……ちなみに皆、怪しんではいませんでしたか?」
「そこまでのものは感じませんでしたが」
「ならいいのですが……まぁいいです。それでは着替えてしまいましょうか。パーティが始まってしまいますし」
「はい」
メイドAは返事をすると、さっさと今まで来ていた服を脱いだ。
ミレーナも同様に、黒メガネを外し衣服を脱ぎ始める。
裸になった二人は、容易に見分けがつく程の体型差があった。
片やスレンダー、片や豊満、どちらがどちらかはあえて言うまい。
「ふぅ、ドレスというのは本当に着にくいものです。着る人の事を少しは考えて……ん?」
文句を言いながらドレスを着るミレーナを、メイドAはじっと見ていた。
その美しい肢体に、メイドAはそれに目を奪われていたのだ。
「素晴らしい、何とも素晴らしい。流石はミレーナ様です」
「いや何がですか!?」
「何という見事なプロポーション。流石という他ありません」
羨望の視線を向けられ、ミレーナは恥ずかしそうに身体を隠す。
「う……何ですかその、いやらしい目は」
「ふふふ、そのような事は全く、欠片も、微塵もありませんよ。女同士です。さぁ手を退けて下さいませ。可愛いお胸が見えないではありませんか。さぁ、さぁ」
いやらしい笑みを浮かべながらゆらゆらと近づくメイドAの額に、ミレーナは手刀を落とした。
「こら! いい加減になさいっ!」
「チッ……冗談ですよ。本気でするわけがないでしょう」
「今、舌打ちをした気がしますが!?」
「気のせいでしょう。さ、早く着替えて下さいまし。パーティが始まってしまいます」
「な、なんという無理矢理な誤魔化し方……」
「さぁさぁお早く」
理不尽さを感じつつも、ミレーナはメイドAに促されパーティドレスに着替えるのだった。
――――アルトレオ城の大広間はパーティ会場として開放されていた。
中には各国の有力者、王侯貴族がひしめき合っている。
彼らは主役の登場を今か今かと待ち望んでいた。
「むっ」
誰かが声を上げた。
大扉がゆっくりと開いていく。
扉を開くのはメイドA、そのすぐ後ろから進み出るのは、美しく着飾ったミレーナであった。
白いパーティドレスには青いラインが数本入り、金色で彩られている。
一歩、歩くたびに装飾にあしらわれた宝石が揺れ、煌いた。
ミレーナが白手袋で覆われた細い指先で髪を触ると、それを彩る金色の髪飾りが美しく輝く。
その場にいた誰もが、言葉を失いミレーナの姿に見惚れていた。
メイドAは会釈をして扉を閉めると、ミレーナの後ろを付き従う。
ミレーナはまっすぐ会場の中心へ進むと、父である王へと会釈をした。
「お父上、ミレーナ=ウル=アルトレオ、参りましてございます」
「うむ、美しくなったな我が娘よ!」
父親は娘を見ては愉しげに笑う。
そしてふと、小声で耳打ちをした。
「……そういえば先刻は珍しくはしゃいでいたようだったが……何かあったのか?」
「へっ? い、いえ別になにも!?」
「そうか? あんなお前の姿を見たのは初めてだったからな。いや、いいのだ。楽しんでいたならな」
「え、ええ、ええぇ、えぇそうですわね。私、とっても楽しかったですわ。えぇはい」
「それはよかった。皆、驚いてはいたが、喜んでいたぞ。少々はしたなかった気もするがな」
かっとミレーナの顔が赤くなる。
すぐ後ろのメイドAを睨み付けると小声で言った。
(……後で話があります)
メイドAはミレーナの言葉に、目を逸らすのみだった。
下手な口笛を吹き、ミレーナからの視線を躱しながら。
「……まぁ楽しんでくるがいい。お前が主役だ」
王の言葉にミレーナははっとなる。
慌てて頭を下げた。
「はい、このような盛大な催し、感謝いたします」
「あぁいい、いい。そういうのは苦手だ。そら、行ってこい」
「きゃっ!?」
父親に背中を叩かれ、ミレーナは踊り場へとよろめき出た。
何人もの男女がくるくると踊っているその中に。
ミレーナはいそいそと踊り場から逃げ出そうとする。
――――が、その手を何者かが取った。
「おや、これはこれは美しい方」
声の主はガルンモッサ第一王子、レビル=ナル=ガルンモッサであった。
そういえばとミレーナは思い出す。
今回の祭り、確かにガルンモッサにも招待状は送られていたはずだ。
しかし、かの王が来られぬタイミングで送ったはず……なのだがまさか、よもやその息子が来るとは想定外であった。
レビルはその姿勢のまま、恭しく頭を下げた。
「美しき王女よ。是非私と一曲踊ってくださいませんか?」
レビルはそう言うと、ぱちんとウインクをした。
ミレーナはそれを受け、ぞわりと背筋が泡立った。
「い、いえ。申し訳ありませんが今日は調子が悪くて、踊る気分ではないのです」
「まぁまぁ、そう言わず。ここまで来たのですから。ね?」
そう言ってレビルは手を強く握り、ミレーナを引き寄せようとする。
だがミレーナも女だてらに飛竜乗りである。
簡単にそれになびくような柔な鍛え方はしていない。
思ったよりも抵抗が強い事に、レビルは驚いた。
「お、おや……とても調子が悪いようには思えませんが……!」
「ほ、本当に調子が悪い……のです……っ!」
「またまた……一曲だけでよいですから、ね?」
「ちょっとそれは……無理ですねぇ……っ!」
どちらとも全く譲らぬ、意地の引き合い。
そんな二人を止めようとする者は誰もいない。
何せ相手はガルンモッサの第一王子である。
あとでどんな因縁を付けられるか、わかったものではないからだ。
だが、人混みからようやく進み出てきたものが一人。
その小さな手が、レビルの腕を掴む。
「やめなよ、兄貴」
「スヴェン……」
止めたのはレビルの弟、スヴェンであった。
スヴェンは呆気に取られるレビルの手をミレーナから放させた。
「お、おいスヴェン!」
「まぁまぁ、このままだと大恥をかいちゃいますよ。とりあえず引っ込んだ方がいいのでは? 周りの視線が痛いですよー」
「……くっ!」
周囲の視線に気づいたレビルは、居心地悪そうに見レーナを睨み付けると踵を返した。
「……失礼する」
去っていくレビルの背中にミレーナはべっと舌を出した。
去り際、スヴェンは振り返ると軽く会釈をした。
「失礼しました。それでは皆様、お楽しみくださいませ」
大扉が閉まる音が、大広間に響いた。
「ほっ……」
胸を撫で下ろすミレーナの周りで、レビルを揶揄する声が聞こえてくる。
(見ましたか? 今の情けない姿を)
(えぇ、なんとも情けない)
(ガルンモッサの栄光も地に落ちましたな)
(やはりスヴェン殿の言う通りのようだ)
周りの囁き声を聴きながら、ミレーナは少し悪いことをしたかなと思った。
とはいえあんな男と踊るなど、冗談ではない。
触れられただけでも背筋が泡立つと言うものだ。
先刻まで握られていた手を、ミレーナはじっと見つめる。
(でも、ドルト殿となら……)
自らの手に夢想して重ねるのは、ドルトの大きくもごつごつとした、手。
きっとダンスなんて踊れないのでしょうけれども。それでも、できれば……
ミレーナはほうとため息を吐きながら、しばらく自分の手を見つめていた。
その夜、ドルトは竜舎で作業を行っていた。
窓からは城から漏れる光が見えていた。
ワイワイと談笑する音も。
「いやぁ、盛り上がってますなぁ」
隣で作業をしていたケイトが呟く。
「いろんな国から偉いさんが来てるんだって?」
「そうそう! 昔はこの手のお祭りも地元の人が参加するくらいだったんだけどねぇ。今回は他所からも沢山人が来てびっくりだよー」
「そういえばケイト、お前祭りで酒飲んでたろ?」
「あ、ありー、バレちゃってますぅー?」
「あぁ、すげーがぶがぶ飲んでたな。周りの男たちにも負けてなかった」
「いやははは……これはお恥ずかしい」
ケイトはドルトの言葉に、照れ臭そうに笑った。
「見てたなら声かけてくれてもよかったのにー」
「あー……いや、ちょっと人といたからな」
「人とぉー?セーラたちみんなドルトくんを探してたみたいだけど、今度は誰に手を出してたのやらー?ミレーナ様に言いつけてやろーっ♪」
「……それだけはやめてくれ」
「ふひひ、どうしようかしらー?」
邪悪に笑うケイトに、ドルトはため息を吐いた。
そして、竜舎の奥へと視線をやるとぽつりと呟いた。
「……77号」
「ガルルルルルォォォォォォォ!!」
咆哮と共に柵に飛びつく77号。
両手脚の爪が、柵に食い込みミシミシと音を立てている。
「ひいっ!?」
すぐ後ろにいたケイトは、飛び上がりドルトの背中に隠れた、
77号はケイトを獲物と見定めているかのようにじっと見ている。
ドルトはケイトの方を向いて言った。
「……さて、黙っててくれるよな?」
「は、はいーーっ! ごめん調子乗りすぎたーっ! だからその子を静かにさせてーっ!」
「……77号」
「ガルゥ」
ドルトが命じると、77号は柵の奥へと消えていった。
それでも未だ、暗がりの奥では紅い瞳が爛々と輝いていた。
「うひぃ……ちょっとドルトくん! ナナちゃんけしかけるのは反則でしょーっ!」
「ははは」
「んもーはははじゃないしー!」
ドルトとケイトの声が竜舎に響く。
夜はそうやって、更けていった。